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死した世界の歩き方

 セージの家の窓ガラスが割れた。

 近くに、石を投げつけたと思われる犯人が居たので、自作銃を引っ掴み、急いで階段を降りて外に出るけれど、その頃には犯人の姿は無くなっていた。

 もちろん、犯人の顔は見えたし、覚えもしたけれど、それが無駄であることは既に知っている。

 この窓ガラスが割られる。もしくは、刺激物を放り込まれるという嫌がらせは、ここ何日も続いている。先程のように、犯人の顔を見たりもした。けれど、奴らは複数犯なのだろう。毎日のように違う奴がやってくるのだ。

 セージの家の窓は補強による補強によって、鉄板に覆われ、ガラスの部分が無くなりそうな勢いだ。ただでさえ、冴えない光しか取り入れられないというのに、益々薄暗い家になる。

 彼らもしくは彼女らが、何故、セージの家が嫌がらせを受けているのかは理解している。

 いつものように、扉の前には、脅迫分が置いてあった。

 念の為目を通すが、要求は変わらず、胸糞悪い文章が羅列している。

 まぁ、悪意ある文章を抜けば、書いてあることは至極単純。ロボ子を破壊しろと言うことだった。

 おそらく、反機械思想の過激的な者達だろう。

 ジャンク屋であることで、既に睨まれているところに、ロボ子という意思を持ったロボットを、自由に動かさせているのだ。

 彼らからすれば、機械の手先ぐらいに見えるのかもしれない。

「セージ。私が捕まえてこようか? 私なら、怪盗のように軽やかに、ビルの群れを飛び交って、彼らのハートを鷲掴み」

 ロボ子は何かを掴むように、手をわきわきと動かした。

「……ハートを鷲掴みにはできないと思うよ。あいつら、お前の事を心底嫌っているから」

「嫌いと好きは、紙一重」

「はは。だったら良いんだけど。……でも、止めてね。多分、今は僕相手だから、直接的な手を出しては来ないけど、ロボ子が相手ならきっと、容赦ない行動に出て来る。……僕はロボ子まで、失いたくないからね」

 ロボ子が壊されている姿を想像し、セージはぶるりと震える。

 分解されたロボ子は、他の人には壊れた機械にしか見えないだろうけれど、今のセージがそんなものを見れば、バラバラにされた死体と、なんの変わりもないものに見えることだろう。

 そして、嫌がらせをして来ている奴らは、そんなことを平気でしかねない。できる限り、ロボ子と奴らを接触させたくないし、攻撃する口実を与えたくもない。

 こんな時に、ユナが居てくれれば、と思わずにいられない。彼女の強さは牽制になるので、奴らも手は出し難くなることだろう。

 いや、実際に今まで手を出してこなかったのは、ユナが居たからなのかもしれない。

 でも、どんなに願ったところで、ユナが戻ってくることはない。セージがなんとかしなくちゃ駄目なのだ。そう、なんとか。


 数日後、セージは家のすぐ外で隠れる。

 いつも、家に居ると嫌がらせを受けるので、どうしたって、出て来るまでに逃げられてしまう。だから、予め外に居れば、すぐに追いかけることはできる。

 物陰からこっそりと自分の家を見上げれば、ロボ子が誰かと話しているように見える。

 いくらセージが外に隠れようと、家の中に居るように見せないと奴らは現れないだろう。だから、セージの作った人形を使って、さも家に居るように演技してくれと、ロボ子には頼んでいるのだ。

 積み上げた資材の隙間に隠れていると、男がやって来た。意外なことに、見たことある顔だ。おそらく、相手のローテーションにも限界が来たのかもしれない。

 すぐに襲いかかるべきだろうか?

 少し迷うがすぐに決める。今はまず、相手の拠点というか、どこから来ている奴なのかを知るのが一番だろう。

 男はビルの玄関に脅迫文を置くと、大量の腐ったゴミをぶちまけて、走り去ろうとする。

 セージは腹立たしさを押し殺し、男の後を付ける。

 男は当初こそ警戒していたが、ある程度離れると、安心したように、のんびりと歩き始める。

 そして、男の入って行ったのは、セージの使っている物よりも、大きな造りをしたビル。

 共同で使われているのだろう。あちこちの窓から、明かりが漏れ出ている。

「さてと」

 セージは自作銃を取り出す。とりあえず説得し、それを聞き入れてくれなければ、痛い目に遭って貰おう。これ以上、嫌がらせなんてしたくないと思う程に。

 ビルの中に入ると、一階は壁が少なく、大きな広間と言う形だ。大きなテーブルと椅子がいくつも置いてあり、大衆食堂のようになっていた。

 その一角に、後を付けていた男とその仲間達が集まっていた。仲間だというのがわかったのは、その集まった人達の何人かも、嫌がらせをして来た奴らとして、顔を見て、覚えていたからだ。

 相手は九人。

「多いな」

 いや。今までの嫌がらせから考えれば、もっと相手は多いのだろう。

 けれど、こんな数で怯んではいられない。

 ユナならば、例え相手が九人だろうと、一人でどうにかできたはずだ。セージも外に出るものとして、この程度、切り開かなくちゃ。

 そして、セージの優秀さを見せつけて、ユナに、連れて行ってくれなかったことを後悔させてやるんだ。

 セージは素知らぬフリして近付くと、死角に隠していた自作銃を向ける。

「お前は」

 気付いた男達は顔を強張らせる。

「もちろん知っているよね。あれだけ嫌がらせをしたんだ」

「な、何のことかな」

 一人が恍けたことを言う。

「あはは。あなたの顔は覚えているよ。石を投げて、僕の家の窓を割ったじゃないか。狙い澄ましたようにね。あれを、わざとじゃないなんて言わせないよ。……それに、あなたも見たことあるね」

 セージが目を向けた一人の男にも、見覚えがあった。ロボ子を見つけた日に、家に帰る時、絡んできた男達の一人だ。ユナに怯えて逃げて行った男。だから、ユナがいなくなってからいやがらせが始まったのだろうか?

「……くぅ、何が望みだ」

 忌々しそうに違う男が言った。

「はぁ? 馬鹿なことを言ってくるね。仕掛けて来たのは、あなた方でしょ? 僕はただ、平穏無事に生活したいだけなんだよ」

「ならば、あのロボットを壊せ。そうすれば、我々は手を出さない」

「……嫌だね。僕にとって、ロボ子は大切な存在だ。それこそ、あなた方よりもね。もし、あなた方が、ロボ子を壊すというのなら、僕は本気で、お前らを殺す」

「はっ。できるのかよ。お前みたいなガキが」

 子供だと甘く見て、大柄な男が掴みかかってくる。銃口を向けるが、セージの自作銃は口径が普通の銃に比べれば馬鹿みたいに大きいので、玩具だとでも思ったのかもしれない。気にせず男は向かってくる。

「できるさ」

 さすがに掴まれたら分が悪い。それに、今までの嫌がらせへの腹立ちもある。

 セージは、遠慮なく銃を放つ。

 銃弾は狙い違わず、男の腹に当たり、相手は腹の中の物を吐き出して、のたうち回り気絶する。

 使っている銃弾は、前に遺跡で使った鉄球ではなく、ゴム弾だ。しかし、鉄球をも飛ばす射出力。ゴム弾でも相当な威力を発揮する。それこそ、鍛え上げた男性に殴られたよりも痛いことだろう。

 無防備だった男にとっては、痛いだけでは済まなかったようだけれど。

「どうだ? もっと銃弾を強力にもできるんだ。実行できることは証明できただろう?」

 強気に発言しながら、気付かれないように予備の弾を装填する。この銃の弱点としては、弾が一発しか入らないことだ。一気に飛びかかられてしまえば、対処しきれない。

 幸い、相手は全員、やられた男に注目していたので、気付かれずに済んだ。

 セージは内心でホッとしながらも、油断せずに構え、これからの行動を考える。

 あまり、銃弾に頼った戦い方は避けるべきだろう。

 次の装填が上手く行く可能性は少ない。しかし、最初に銃の脅威を教えることができて良かった。これで相手も、思い切った行動はし難くなったはずだから。

 残るは八人。

「ねぇ、坊や。そういう危なっかしいことは止めなよ。お母さんに習わなかったの?」

 二十代後半くらいの女の人が、気絶した男をチラリと見て、恐る恐る近付いて来る。

 なるほど。女性ならば傷付け難いとでも思ったのだろう。確かに、まともな男性ならば、気が咎めるかもしれない。

 しかしそれは、大人の考えだ。残念ながら、セージは子供。

 女性が近付くと、セージの銃を取り上げようと掴んでくる。

「悪いけど、そういったことを教えてくれる前に、母は亡くなったよ」

「ひぎゃっ」

 銃身に電流を流して、女性を気絶させる。要は、スタンガンと同じ効果を出せる仕掛けだ。自分の握っている所だけには、絶縁体が施されているので、不用意に触った奴を気絶させられる。

 これで七人。

 男達はどうすべきか、考えているようだ。

「ねぇ。ロボ子の事は、諦めてくれないの?」

「……ふざけるな。機械は周りに破滅を招く。放っておけば、プラントも壊れるかもしれん」

「はぁ。ふざけてんのは、あなた方だろう。プラントだって、機械じゃないか」

「ふん。あれは、救済者が造った機械だ。お前と一緒に居る機械とは違う」

 男達はわけのわからないことを言う。

 誰だよ、救済者って。そもそも、救済者であろうとなんだろうと、機械は所詮機械。そこに変わりはないというのに。

 大人達はいつもそうだ。自分にとって都合の悪いことは、見ないフリをして、思考を止めさせる。そして、それを指摘したとしても、怒って無かったことにするんだ。

 セージはそんな大人に絶望している。これ以上話したところで、無駄でしかない。

「諦めてくれないというのなら、諦めてくれるように、実力行使に訴えるしかない。それでも良いんだね」

 睨みつけると、男達は一転して笑みを浮かべる。

 セージは不可解さを感じた。

「はは。それは、こっちのセリフだ」

 男達の嘲笑う声と共に、セージは腕を掴まれる。

「しまった」

 後ろを見れば、数人の男達が居る。失念していたのだ。目の前に集まっていた男達に集中するあまり、他の仲間が現れることを。

 セージはたちまち銃を取り上げられ、羽交い締めにさせられる。

「さぁて。本当はもっと穏やかに済ませたかったんだが、ここまでやられちゃ、こっちも手荒な方法をさせてもらわないとな」

 そう言って、男の一人がセージの腹を殴って来た。

「うぐぅ。げはっごほっ」

 身動きの取れないセージは、まともに受けてしまう。

 お腹に響く鈍痛を咳き込んでなんとか逃そうとする。けれど、次は頬を殴られた。

「少しばかり、オイタが過ぎたな。とりあえず、お前があの機械を壊すって約束するまで、殴ってやろうか?」

 男がギラギラと、威圧するようにセージの目を覗きこんでくる。

「するかボケ」

「あっそ」

 また、腹を殴られた。胃の中の物を吐いてしまう。

「おいおい。大丈夫かよ。二発目でグロッキーか?」

 男達が嘲笑うように言ってくる。

「恥を知れ」

 セージは睨みつけて言う。

「お前がな」

 また、頬を殴られた。口の中を切ったのだろう。血の味が広がる。

「つぅかさ。本当に殺したらどうだ? こいつ、どんなに痛めつけても、後で何しでかすかわかんないぞ」

「……まぁ、そうかもしれないが、……本当に殺して、それがツクヨミにでもバレたら、俺らの立場が危ういぞ」

「まぁ、そうかもしれないけど、そいつ、ジャンク屋だろ? 遺跡にでも死体を放り込んでおけば、勝手に死んだことになるんじゃねぇか」

 こいつら、本当に殺す気なのだろうか?

 セージは身の危険を感じる。

 さすがに、殺されまではしないだろうと思っていたのだ。けれどこのままでは、殺されかねない。

 なんとか自由になろうともがくが、後ろから羽交い締めにされたセージはどうすることもできない。所詮、子供の力だ。態勢が悪い上に普通にやったって大人の力に勝てるわけがない。

「……なぁ。直接殺さなくても、縛り付けて遺跡にでも放置すれば、勝手に死ぬんじゃないか?」

「ああ、それ良いな。そうするか」

 男達は顔を見交わし、その意見を採用するようだ。

 最悪だ。

 こういう奴が戦争を起こして、人を殺して来たんだ。

 セージは確信してそう思う。

 けれど、逃れる術は残念ながら、存在しない。

 地面に押し倒され、ひもで縛ろうとする。

「やめろ」

 叫ぶけれど、戸惑う気配すらない。恐怖がどうしようもなく湧き上がる。

 そんな時だった。

 銀色の何かが、視界の端を横切った。そして、次々と、男達の呻き声が聞こえて来る。

「大丈夫。セージ」

 見上げれば、そこに居たのはロボ子だった。

 鉄製の杖をまるで剣のように構え、男達とセージの間に割り込んでいた。

「ロボ子? 何で?」

 セージは信じられない気持ちで尋ねる。

「助けにきたわ。当然ね」

 胸を張って、ロボ子は答える。

「……でも」

 こんなことは、ロボットとしては、当然の行動ではなかった。

 セージは彼女に、家でジッとしているように言っておいたのだ。

 いくら、ロボ子が人間のような意志を持っていようと、結局の所、彼女はロボットだ。言うことを守るのではないのだろうか?

 ロボットはどうしても、人よりも優れた部分が多く、昔の開発者は、反乱という事実はなくとも、やはり、その事を危惧していた。

 なので、ロボットには必ず、いくつもの制約がある。

 その中でも有名なものは、ロボット三原則だ。

 元々は、ロボットの誕生していない時代に書かれたSF小説が由来となっているらしいが、実用度に合わせてアレンジされながら、今でも使われている。

 その原則はこうだ。

 第一条 ロボットは、主人と定められた人の命令に従わなければならない。

 第二条 ロボットは自己を守らなければならない。

 第三条 ロボットは、第一条及び第二条以外の理由で、人に危害を加えてはいけない。ただし、第一条及び第二条を理由に、人を殺すことは許されない。

 大まかに説明すれば、こんなところだ。そして、ロボ子はセージの事を、主人だと言ってくれた。

 ならば、今のロボ子の行動は、第二条と第三条に引っ掛かるはずなのだ。

 第二条通りに行動すれば、ここにはやって来なかっただろうし、第三条通りに行動すれば、彼女自身が攻撃を受けたわけではないし、セージが命令したわけでもないので、男達を殴ることはできないはずなのだ。

 ロボ子には制約が無いのだろうか?

 戸惑うセージを見て、ロボ子は肩を竦める。

「セージが私を守ろうとしてくれているように、私もセージを守りたい。それが、今の私の最も大切な命令よ」

「命令? 誰の命令なの?」

「ふふん。そんなの決まっているわ。これは、私が、私にした命令」

 そう言うと、ロボ子は杖を振るって、周りに居た男達を薙ぎ倒していく。

 その動きは、ユナのように滑らかだ。

 セージとロボ子は、ユナに剣術を教えてもらった。

 残念ながら、セージはあまり身に付かなかったが、ロボ子はさすがロボットだけあって、自身がどのように動くかを把握している。その為、物凄い勢いで、ユナの動きを真似ていったのだ。

 臨機応変に動けない分、ユナの方がまだ強かったが、それでも、ロボ子は強さを持った。そして、ロボットとしての装甲だ。十分な装備でも用意していなければ、彼女には歯が立たないだろう。

 セージがなんとか立ち上がれるようになっていた時には、動ける者は居なくなっていた。足を折られたりしたのだろう。セージを取り押さえていた奴らは、床に倒れ込み、痛みに呻いている。

「私には、その痛みすら、羨ましい」

 そんなことを言いながら、平然と立っているロボ子を、セージは少し怖いと思ったが、すぐに首を振って霧散させる。

 彼女はセージを守る為に来てくれたのだ。

 それを感謝するではなく、恐怖するなど、最低も良い所だ。

 このプラントでは、誰もロボ子を受け入れてはくれない。せめて、セージだけでも受け入れていなければ、彼女はあまりにも可哀そうなのだから。

「……ロボ子。助けてくれてありがとう」

「うん。助けられて良かった」

 ロボ子の言葉は満足げで、もし表情があれば、微笑んでくれていたのかもしれない。


 自作銃を回収して、自分の家へと向かいながら、もうロボ子は、プラント内にいられないなと考える。

 おそらく、ロボ子にやられた連中は、怪我を治し次第、容赦ない復讐を行ってくるだろう。

 いや、もしかしたら、ツクヨミに言いつけて来るかもしれない。

 ツクヨミは、基本方針としてロボットを良しとはしていない。それでも、目立った行動さえしなければ、直接、手を下してくることはない。しかし、今回のロボ子の行いは、完全にアウトだ。

 もし、奴らがツクヨミに頼れば、ロボ子は回収されてしまうだろう。例え、どんなに反抗しても、あの組織の力は、個人ではどうにもできない。

 セージがロボ子と一緒に居たいと考えるならば、そうなる前に、プラントを出なければいけない。

 ユナを失った今、ロボ子まで失うなんて、セージにはもうできない。

 今までは一人で居ることが普通だったけれど、こうして、何気なく話せる楽しさを、もう覚えてしまったのだ。

 帰ったら、急いで準備を進めようと思う。

 だが、その前に、確認しておきたいことがある。

「……そういえば、……ロボ子は、ロボット三原則を知っているの?」

「持たず、造らず、餅突かず」

「……いや、最後のは持ち込ませずね。それにそれは、三原則は三原則でも、非核三原則だよ」

「核兵器はとっても危険。だから、非核三原則は、とっても大切」

「……まぁ、そうだけどさ」

 セージは頷く。

 少なくとも、全ての国が非核三原則を実行していれば、こんなにも、世界は荒れたりはしなかっただろう。かつての戦争で使われた核ミサイルは、全世界から見れば僅かではあった。それでも、核ミサイルの威力は、どこまでも強力で、世界を穢し尽くしたのだ。人が普通に住めない程に。

「ん?」

 セージはふと、疑問に思う。プラントの外にある毒で、最も猛威を振るっているのは、ナノマシンだとユナは言った。

 既に、人が住めない環境になっているのに、誰が何のために、駄目押しをしたのだろうか?

 まぁ、考えた所で、答えは出ないだろう。……それよりも。

「で? ロボ子は結局の所、ロボット三原則を知らないの?」

「ふふん。知っているに決まっているよ。なんてったって、私はロボットだもの」

「じゃあ、何で、三原則を守らないんだ?」

 尋ねると、ロボ子は振り返って自分の頭をトントンと叩く。

「私は、人工であろうと、知能があるものだからよ。私達、知能を持ったロボットにとって、ロボット三原則は、本能というだけであって、守るべき絶対ルールではないのよ」

「本能?」

「そう。例えるなら、人にとっての食欲や睡眠欲みたいな感じかな? ロボットは、主人の言う通りに動きたいし、人を傷付けたくない。そして、自分も傷付けられたくないものなのよ。でも、人間は知能によって、食欲や睡眠欲なんかを我慢できるでしょ? 私達も一緒。三原則を我慢できるのよ」

「……つまり、ロボットは本来なら、三原則通りに行動したいっていうだけで、制約は受けていないのか?」

「そう。今回のことにしても、私はセージの言うことを聞きたかった。……でも、このままだと、セージが危険かもしれないと危惧して、助けに来たの。私の人工知能は、本能の通りに行動する安寧よりも、セージの方が大事だと導き出したわ」

「……そうなんだ」

 嬉しいことを言ってくれるので、口元が綻びそうになった。

 元々、人工知能とは、色々な経験を何千億回とシュミレートさせたことによって、奇跡的に進化して産まれたプログラムだ。

 全ての人工知能は、最初に生まれた人工知能のコピーとして、派生したものとなっている。正直な所、研究者は厳密に、そのプログラムを理解できていないので、複製はできても、新たに作り出すことはできないのだそうだ。

 そんなものに、完全な制約を付けることは無理なのかもしれない。むしろ、ロボ子達人工知能にとって、ロボット三原則は、何千億回とシュミレートされた経験の、一つでしかないのだろう。

 ロボ子に、ロボット三原則は通用しない。今度のことで、それがよくわかった。

 だからといって、ロボ子のことが怖いという思いは、生まれなかった。

 いや、正直な所、少し怖いとも思った。

 けれど、少なくともロボ子が悪い奴ではないと、ロボ子風に言えば、セージの知能が導き出しているのだ。

 ならば、セージはそれに素直に従うまでだと言い聞かせる。

 要は、安全装置が無いだけだ。

 確かに少し、怖いかもしれない。けれどそれ以上に、ロボ子と一緒に居たいと、強く思う。

「ロボ子」

「ん?」

 声を掛けると、ロボ子はクルリと余計に回って振り返った。

 セージの気持ちを、ロボ子に伝えたかったのだが、上手い言葉が見つからない。だから、もっと簡単に伝える言葉を選んだ。

「……僕は君が、大好きだよ」

「おお。私も大好きだ」

 ロボ子がそう言って、抱きついて来た。ごつごつして痛い。

「えっと、ロボ子さん。この行動は一体?」

「愛情表現の方法だと教わったわ」

「そうなんだ」

 普通の女の子だったら、柔らかくて気持ち良いのかもしれないけれど、ロボ子に抱きつかれると、鉄板がぶつかって来たようなものだ。

 ロボ子の体はどうしようもなく人と違って、硬く冷たい。…‥‥けれど、彼女の心は温かいと感じた。


 家に帰ると、セージはプラントを出る準備を進める。必要な物として、大量の水と保存食。外に出れば、どちらも補充ができないものだ。

 ユナの話だと、プラントの外は酷く蒸し暑いらしく、汗を掻いて脱水し易いらしい。水は最も重要なのだそうだ。

 それらの必需品を、プラント壁面近くに置いてある車に詰め込んで行く。周囲の湿原に強いホバークラフトを作ることも考えたのだが、斜面に弱いし燃費面で問題があるので、大きなタイヤが八つある、大型車にした。

 タイヤを八つにしたのは、一つのタイヤが泥濘に嵌り込んでも、走れるようにだ。

 プラントの外には、安心して休める場所はないので、車はどうしても必要だ。ちゃんと装甲を付けておけば、獣の脅威から逃れられるし、浄化装置を働かせれば、ガスマスクだって外していられる。

 唯一の憩いの場となることだろう。それが動けなくなれば、その旅路は終わりと言って良いほどに。ユナも、おそらく似たような車両を持っていたはずだ。プラントの外に置いてあるということで、見せてはくれなかったけれど。

 三日が経ち、準備も粗方済ませ終わった。いつでもプラントを出られる。

 セージはそう判断すると、家の中を整理し始めた。

 おそらくもう、二度と戻っては来られないだろう。

 今まで、世話になり、思い出の詰まった場所なので、お別れを告げる意味で、最後に綺麗にしたかった。

 懐かしい玩具や、忘れていた落書きを見つけては、その度に遊んでくれた父の顔や、怒った母の顔が思い出される。

 良い思い出も、悪い思い出もいっぱいある所だけれど、やっぱりここは自分の家なのだ。

 掃除をし終えて部屋の中を見回せば、満足できるぐらいには綺麗になっている。

 隅の方では、セージが黙々と掃除し続けるのを邪魔しないようにと、ロボ子が隅でジッとしているのが目に入る。

 思い出に浸るセージを、気遣ってくれていたのだろう。

「ロボ子。行こうか」

 声を掛けると、置物のように動かなかったロボ子が、ガタリと動き出す。

「もう、良いの?」

「うん。大丈夫」

 ロボ子に答えるというよりも、自分に言い聞かせるように告げる。

 どうした所で思い出は甘美なもので、別れの辛さは消えることなく付き纏う。自分自身で区切らなければ、いつまで経っても、決意なんてできないだろう。

 ロボ子は頷くと、部屋から出て行く。

 セージはそれに付いて行きながら、部屋を出る所で、もう一度、家の中を見回す。

「父さん、母さん。行ってきます」

 そう言うと、ただの妄想だろうけれど、二人が「行って来い」と、答えてくれたような気がした。


 階段を降りて一階に行くと、ロボ子がビルから出ずに、壁の陰に隠れるようにしている。

「どうしたの?」

「ん。人が見張っている」

「本当に?」

 セージもこっそりと外の様子を窺う。

 すると確かに、三人の男が外に居た。しかも、紺色を基調とした、ツクヨミの制服を着ている。

 ここはツクヨミの塔から離れているので、ツクヨミの人間がやってくることは偶にしかなく、それも見回り程度なので、いつもはあっさりと通り過ぎるのだが、今日は違うようだ。

 ……十中八九、ロボ子だろう。

「ったく、こんな時に」

 タイミングが悪い。後一日でも遅ければ、なんの問題もなかったのに。

「どうする、セージ」

「……そうだね」

 直接接触して来ないのは、おそらく、ロボ子の事を、見極めようとしているからだろう。見た所、物々しい武装をしているわけではない。

 少なくとも、いきなり暴力沙汰にしようとしているわけではないのだろう。もちろん、こちらから手を出せば、即座に応援を呼ばれることになるだろうけれど。

 とりあえず用心の為、セージは一階のお店から荷物を持って来て懐にしまう。

「相手の行動に合わせよう。僕らは、車が置いてある所に行ければ良いのだから」

 まともに戦えば、勝てる見込みは無いのだろうけれど、そもそも、戦う必要はない。一時でも、逃げられれば良いのだ。

 セージらがビルから出ると、ツクヨミの人間は一様に驚いた顔をする。

 もしかしたら、彼らは自分の意志で動くというロボットを、資料以外で見たことが無いのかもしれない。確かにセージだって、ロボ子が現れるまで見たことが無かったのだ。機械を管理しているとはいえ、機械否定派の彼らが見たことが無いのも、当然と言えるだろう。

「君。待ちなさい」

 ツクヨミの人間は戸惑いながらも、声を掛けて来る。

 やっぱり、放っておいてはくれないようだ。

 こっそりと息を吐き、彼らに向き直る。

「何か用ですか?」

 セージが何も悪びれた様子もなく振り返ると、彼らは益々戸惑ったような顔をする。

「……えっと、ああ。君の連れているロボットが、人を傷付けたという報告が来た。悪いが回収させてもらう」

 ロボ子の回収。妥当な判断だろうが、俺からすれば、論外だ。ロボ子を手放すことなんてできない。

「ええ? そんなの誰かの出まかせですよ。ロボット三原則って知っていますか? 普通のロボットは、その制約があって、攻撃なんてできないはずですよ」

 セージは淀みなく用意した回答を口にする。

 ロボ子が戦ったという事実はあっても、目撃したのは、被害者だけだ。彼らが過激な機械否定派だということは、調べればすぐにわかる。つまりは、ロボ子を破棄させる為、でっち上げである可能性だと、思わせることもできるはず。

「……そうだな。ロボット三原則は存在する。だが、持ち主が命令すれば、そのロボットは人を傷付ける。……確かに君の言う通り、出まかせかもしれない。だがそれでも我々は、危険の芽を摘む必要がある」

「……つまりは、本当であろうとなかろうと、危険な可能性のあるロボ子は、回収しないといけないということなんですね」

「悪いが、そう言うことだ。手荒な真似はしたくない。できれば、素直に引き渡してくれないか?」

 どうやら、駄目なようだ。ここは素直に、プラントから出て行くからと、言うべきかとも思ったが、下手をすれば、それすら危ないと邪魔をされかねない。

 セージは覚悟を決めた。

 考えるような素振りをしながら、お店から持ち出していたガスマスクと催涙ガスを懐から取り出す。そしてセージは、催涙ガスを彼らに向かって放った。

 ツクヨミの人間は、攻撃を受けることを予期していなかったのだろう。まともに受けて、顔に襲いかかる激痛に涙を流して悶える。

「行くよ、ロボ子」

「ええ、行くわ」

 セージとロボ子は走り出す。

 後ろからはツクヨミの人間が、咳き込みながらも大声で呼びかけるのが聞こえる。それでもセージには目的地が決まっているし、ここら辺の土地勘なら、こちらの方が上を行く。

 いくらツクヨミが相手だと言っても、常に隠れ続けるのならともかく、少しの間逃げおおせることはできるはずだと、セージは、確信してそう思う。


 結局の所、ツクヨミからは簡単に逃げられた。もしかしたら、待っていれば自宅に戻ってくるとでも、相手は考えたのかもしれない。

 セージらは車まで辿り着くと、プラントの壁にあるシャッターを開き、表へと出る。

 ツクヨミに追われていた為、その門出は慌ただしいものになってしまった。際先としてはあまり良くはない。

 出ればすぐに、緩い大地がセージらを迎えてくる。しっかりとしない大地は、車のハンドルを狂わせてくるが、それでもなんとか走らせる。幸い、周囲に障害物があるわけではないので、操作を少し奪われたところで、たいした問題はないだろうけれど。

「……さてと。どこに向かうか」

 出てから思ったが、あまりにも無計画な旅立ちだ。そもそも、外の情報なんて何一つないのだ。計画なんて立てようがない。

「アマテラスの塔を目指すんじゃないの?」

 ロボ子が尋ねて来る。

「……アマテラスか。確かに見てみたいな。動かせるようなら動かしたいし」

 そして、もしかしたら、ユナにまた会えるかもしれない。

「……でも、場所なんてわからないしな」

「私の中に情報はあるわ。途中にあるプラントの場所もね」

「そうなの?」

 驚いて尋ねると、ロボ子は大きく頷いた。おそらく、自慢げに、なのだろう。

「昔の情報だから、今もあるかはわからないけれど、地図情報ならば、ちゃんと残っている」

「……そうなんだ。……じゃあ、それは、どっち?」

「あっち」

 ロボ子が指差したのは、南西の方向。

「なら、そっちに行こう。ロボ子。ナビゲーションを頼むよ」

「アイアイサー」

 ロボ子は敬礼をして、答えてくれる。

 ここから進むことになるのは、人間達にとって、いや、ほとんどの生き物にとっての死の大地。それでもセージは、この旅路に、それほど不安を感じていなかった。

 一人ではなく、ロボ子が一緒に居てくれているというのが、何よりも大きかったのだろう。

 セージにとって、ロボ子は何よりも大切な存在になっていたのだ。失うなんて、考えられないくらいに。


 車はのろのろと湿原を走って行く。

 所々に、戦争当時の建物や、大きな瓦礫や兵器の残骸が散見できる。

 主に、その旅路は、問題なかった。変種の獣に襲われたりもしたが、車の装甲は頑丈でびくともせず、諦めて逃げて行ってくれる。普通に歩いていれば危険極まりないが、少なくとも、車の中に居る分には問題ないようだ。

 バッテリーは六個も積んでいるので、すぐに無くなるわけではない。それでも、補給は必要だろうと、一応ではあるがソーラー発電の能力を付けておいたのも正解だったと言える。日光はわずかとはいえ、少しでも発電できているのは心強くも感じる。

 既に、一つ分のバッテリーは使い終わってしまったが、ロボ子の言うプラントまでの道のりの、半分以上は来ている。電気が働いているプラントまで行けば、充電だっていくらでもできるはずなので、何も問題はない。

 危険と言えば、正に、バッテリーの付け替えの時くらいだろう。設計上、どうしても表に出なくてはならず、その時に獣に襲われれば戦わざるを得ないだろう。

 今の所、そんなことにはなっていないが。

 しかし、一度外に降りた時、ロボ子は気になることを言っていた。

「毒々しいわね」

 それは、この毒に侵され、腐ったような大地ではなく、周囲の大気に関しての評価らしい。

「そんなのわかりきっていることだろう? ロボ子の居た時にアマテラスが造られたのなら、その時には既に、同じくらい汚れていたってことでしょ?」

 セージはそう言った。

 アマテラスは大気の浄化を目的に造られたという。そんな発想は、大気が汚れているから出るものだ。大気が汚れてなければ、そもそも、アマテラスなんて造られない。

 しかし、ロボ子は首を横に振る。

「確かに、私が眠る前にも、大気は汚れていたけど、今ほどじゃなかったわ。悪化している」

「悪化?」

 セージは首を捻る。

 人間が外で動けない以上、この環境を穢す者は居ないのだ。プラントの外の環境は、現状維持か、もしくは、この星の自浄作用により、少しずつでも良くなっているはずなのだ。悪化しているとは聞き捨てならない。

「……ロボ子が眠った後にも、戦争があったってことなのかな?」

 そう尋ねると、ロボ子は首を傾げる。

「……わからないわ。少なくとも私の記憶では、人間にそんな兆候も余裕もなかったはず。……でも、無くなった記憶の中にあるのなら、わからないのも当然ね。えっへん」

 何故か自慢げに言うロボ子。そんな態度がおかしくて、セージは笑みを浮かべる。

 彼女の変な行動は、深刻な気持ちを払ってくれるので、随分と助けられている。

 車中の移動中は主に、会話ばかりの暇潰しになる。その為、ロボ子が記憶している範囲は、大分把握できて来た。

 ロボ子が覚えていないのは、自分自身の存在に関することと、アマテラスのことだ。あまりに限定的で、まるで狙ったような消し方に、セージは、ロボ子の記憶が無いのは、長い眠りによる弊害ではなく、誰かが故意的に封印しているのだと考える。それも、セージでは弄ることもできないロボ子の記憶プログラムに手を出しているということは、相当な技術者だ。もしかしたら、ロボ子の製作者なのかもしれない。

 まぁ、わかったところでどうしようもないけれど。


 進んでいると、ロボ子が教えてくれたプラントの一つが見えて来た。

 しかし、すぐにわかる。そのプラントは機能していないと。

 周囲を囲むドームは壊れ、中のビル群を晒している。セージの住んでいたドームは修復を繰り返していたので今でも健在だったが、ここではそうはいかなかったのだろうか? それとも、他の脅威でもあったのか?

 考えていても仕方ない。

 セージらは、そのドームの中に入ることにする。例えドームが壊れていようと、電気が動いていれば、充電はできる。

 厚い防護服に身を包み、セージは車の外に出る。その手には自作銃を持って。

 外のドームが壊れている今、どんな危険が入りこんでいるかわかったものではない。

「私が先行するわ」

 ロボ子がそう言ってくれる。

 ちょっとやそっとの攻撃の効かないロボ子は、確かに先行に向いている。

「ありがとう」

「うん。私は戦士。セージは魔法使い」

 何かのゲームになぞらえているのだろう。

「はは、そうだね。僕は魔法使いらしく、後衛に努めさせてもらうよ」

 セージはそう答えながらも、僧侶だったら良かったのにと思う。ロボ子が万が一壊れた時、直すだけの技術が欲しかった。

 壊れたプラントの中は、正にゴーストタウンと言えた。雨風にさらされ風化し崩れたビル。亀裂が走り、大半が泥に浸食されている道路。

 人間の生きる世界は終わったのだと、否応なく教えて来るようで、孤独と悲しみを感じる。

 ロボ子が居てくれて良かったと、本当に思う。こんな場所に一人で来れば、この空虚さに押し潰されてしまう。

 ユナは、こんな所を一人で行き交っているのだろうか?

 そう考えると、彼女の強さに感服してしまう。

 確かに彼女は大人なのだろう。セージが、この孤独に耐えることができるのかは、甚だ疑問だ。

 でも、その強さを羨ましいとは全然思えもしなかったけれど。


 壊れたプラントでは、収穫が全くと言って良いほど無かった。

 電気が通っておらず、残っていたコンピューターも風化し、充電することはおろか、情報を引き出すこともできない。更に、保存食や水を探してみたが、見つけたとしても、ことごとく駄目になっている。

 途中、棲みついていた獣に襲われるなどの危険な体験もし、正直、このプラントでの出来事は、マイナスな体験でしかなかった。

 もしかしたら、セージのプラントと同じように、地下に遺跡があるかもしれないとも思ったが、こんな、ライフラインの整っていない環境で、探索を行うだけの余裕もさすがにない。

 とりあえず、プラントを飛び出したセージらに必要なのは、情報以上に、一旦、安全を確保できる場所だ。

 一日を費やし、このプラントは駄目だと見切りを付けたセージは、次のプラントに急ぐことにした。

 しかし、そんなセージに、悪夢は降り注ぐ。

 走ることしばらくすると、突然の衝撃と共に、車が横転する。

「な、何が?」

 突然の事態に、セージはうろたえてしまう。

 とりあえず、現状を確認しようと防護服を着込むと、急いで外に出る。

 見れば、セージの進んでいた地面は、抉れたような状態になっており、車の前方の下部のかなりの部分が、ひしゃげて壊れていた。熱も放っている。

 つまり、地面で何かが爆発したのだ。

「……もしかして、地雷?」

 地面に埋まった爆弾。戦争の悪しき遺物。おそらくセージは、それを踏みつけてしまったのだ。

「……嘘だろ」

 自分で出したその結論を、中々信じたくなかった。車は横転してしまい、もちろん、セージとロボ子の力では起き上がらせることは、不可能に近い。

 つまりはこの先、車での移動はできなくなったのだ。

 とりあえず、車中は正常に動いているので、中で相談することにした。

「ロボ子。次のプラントまで、どのくらいある?」

 セージはノートパソコンから昔の地図情報を呼び出して尋ねる。すると、ロボ子は現在地を指差す。さすがロボットだけあって、移動距離を正確に把握しているようだ。

「ん。車が使えないのなら、……時速四キロを七時間。毎日二十八キロ歩けたとして、一週間くらいはかかる」

「……一週間」

 かなり無茶な距離だ。絶望的とも言える。この泥ばかりの大地では、歩くことは困難な為、時速四キロで歩けるかも疑問であるし、毎日二十八キロを歩く体力があるかもわからない。

 そもそも、向かうプラントがしっかりと機能しているかもわからない。動いてなければ、確実にセージは死ぬだろう。

 でも、今では戻ることの方が、遥かに遠く難しい。選択肢としては前に進むしかない。

「セージ」

「うん?」

「プラントまでは一週間かかるけれど、昔の研究所のあった所なら、三日くらいで行ける」

 そう言って、ある地点を指差す。

「研究所? プラントみたいに、空気の浄化装置は働いているの?」

「壊れてなければ」

「食料や水は?」

「研究所とはいえ、居住区としても使われていた物だから、食糧生産の施設もあったと思うわ」

「……壊れていなければ……か」

 一週間歩くよりも、三日だけという方が、遥かに希望の持てる距離だ。

 ロボ子の指差した地点に情報を描き加えながら、昔の地図情報と照らし合わせる。

 その道のりには高い山などなく、遠回りすることなく直線距離で行けそうだ。

 確かに、三日もあれば着くかもしれない。

 しかし、ちゃんとしたプラントではなく、研究所というのが気になる。プラントとは違い、必要なくなったという理由だけで破棄されている可能性もあるのだ。

 それでも、どちらにしても賭けだ。

 プラントだって壊れている可能性のある今、少なくとも、辿りつけそうな場所を選ぶべきだろう。

「わかった、ロボ子。その研究所に行こう」

 セージはできる限りの食料と水を、大きなリュックに詰め込む。最後に、自作のノートパソコンをどうするか迷う。

 少しでも生きたいと願うならば、持っていかないべきだ。そんなものは積まず、より多くの食料と水を持つ方が正しい。それに、身を守る為の武器だって持たなければいけない。余計な荷物は、持たない方が絶対に良い。

 でも、セージは迷う。

 馬鹿だと言う人もいるかもしれない。

 けれどセージには、命にしがみつくよりも大切なことがあるのだ。命が大事なら、そもそもプラントの外には出なかった。

 セージは夢を叶えたくて、外に出たのだから。

 そして、このパソコンは、夢を叶える為に、改造しながらずっと使って来た相棒だ。いや、それだけじゃない。これは、父の形見でもあったのだ。それを手放すのは、身を切るよりも辛かった。

 でも、セージは置いて行くことにする。

 感傷で、判断を間違うわけにはいかないと言い聞かせて。

 小さな記録メディアにパソコンのデータを保存し、その日は、体の疲れを取る為、休むことにした。別れを惜しむように、パソコンを抱きしめながら。


 泥が靴裏に張り付き、歩みが遅くなっていく。偶に苔を踏み付ければ、滑って転びそうにもなる。それでもセージは、必死に足を前に動かすしかなかった。

 プラント内の舗装された道に慣れ切っていたセージには、この泥だらけの道は、想像以上に辛いものだった。

 こんなことなら、泥濘でも進めるようなバイクでも積んでおくんだったという後悔も浮かぶが、後悔先に立たずという言葉の通り、何の慰めにもならない。

 今は、次があるかも怪しいくらいだ。

 湿度も気温も高い為、防護服の中は既に汗びっしょりで気持ちも悪い。けれど、少しくらい空気に肌を晒しても問題ないとはいえ、汗を呑気に拭いとる余裕もない。

 車の中に居る時は気付かなかったが、偶に虫がたかってくる。間違いなく毒虫だ。

 防護服を着ていなければ、奴らの餌食になっていたことだろう。

 前を歩くロボ子が、心配そうにちらちらと見て来る。彼女には心配を掛け通しだ。

 夜寝る時も、ロボ子は寝ずの番をしてくれている。

 寝ている時に獣に襲われもするのだ。ロボ子が居なければ、一夜の内に、死んでいたことだろう。

 何度も休憩を挟みながら、歩けるだけ歩く。

 その歩みは当初予測していた時速四キロよりも遅いだろう。だから、歩いている時間をできるだけ伸ばさなければならない。

 休んでは水や保存食を口にするが、空気に触れたそれらは、苦々しくなっていき、まるで、毒を口にしているような気分になってくるので、少しずつしか、摂取することができない。

 体力の限界が近付いて来た時、コンクリートが露出し、しっかりとした地面を見つけたので、今日はそこで休むことにする。

 ロボ子の予想では、早くて明日には、研究所に着く予定だ。研究所は果たして、ちゃんと動いているのだろうか?

 休んでいると、どうしても不安がもたげて来る。眠ろうとしても、焦りと不安から、上手く寝付けない。

 セージは不安を振り払うように、首を振れば、空を見上げるロボ子の姿が見えた。

 そういえば、彼女は星を見たがっていた。

 試しにセージも、空を見上げてみる。

 太陽すらぼんやりとしか見えないこの空では、星の僅かな光を目にすることはできない。例え、ロボ子の目が、どんなに倍率を上げることができようと、見通すことは不可能だ。

 そして、そんなことはロボ子だってわかっているはずだった。

 それでも彼女は探さずに居られないのだろう。それほどまでに、ロボ子は星に焦がれている。

 セージは、そんな彼女に星を見せてやりたいと思う。

 空気を綺麗にして、星をいつでも見られる世界にしてやりたい。

 そうなったら、どれだけ素晴らしいことだろう。

 そんな世界に、セージだって焦がれているんだ。

 夢のように先の事を考えていたら、セージはいつの間にか眠っていた。


 左腕に刺すような痛みを感じ、眠りから覚める。見れば、セージの腕を蛇が噛みついていた。

「くそっ」

 セージは手直に置いておいた鉈を手に持ち、蛇を切り落として殺す。

「どうしたの?」

 ロボ子が、何が起こったのかわからないと言うように、振り返る。

 セージに噛みついたのは小さな蛇だ。だからこそ、彼女は気付かなかったのだろう。

 急いで噛まれたところの服を捲り上げ、傷口の血を吸い取っては吐き出す。それを何度か繰り返すと、口の中を水ですすぎ、傷口に消毒液を染み込ませた湿布を貼り、防護服の穴をテーピングで塞ぐ。

 おそらく、この蛇にも毒があるだろう。できる限りの応急手当はしたが、毒を吸い出し切れたかどうかは、甚だ疑問だ。

「大丈夫? セージ」

 事の重大さがわかったのか、ロボ子が尋ねて来る。セージはなんとか力強い笑みを装う。

「ああ、大丈夫だ。それより、ロボ子。すぐに出よう。日はもう少しで昇るだろう。今ので目も覚めたし、休んだおかげで、疲れも取れたよ」

「そう?」

 ロボ子が気遣わしげに尋ねて来るが、正直な所、もう、セージには止まる選択肢は無くなっていた。もし、この状態で毒が発症でもしようものなら、まともに動けなくなるだろう。そして、こんな場所で動けなくなれば、待っているのは、死だけだ。それこそ、蛇の毒が、致死量のものではなかったとしても。

 研究所に一刻も早く辿り着くこと。

 それがセージの、唯一の生きられる可能性。

「わかったわ、セージ。行きましょう。例えるならば、亀のように」

「いや。できればもうちょっと、早いペースで進みたいな」

 セージは弱々しいながらも笑みを浮かべることができた。そして、セージらは研究所に向けて歩き出す。

 もちろん、ロボ子に言ったように、疲れは完全に取れたわけではなく、むしろ、筋肉痛が併発し、動かすたびに痛みがあるくらいだ。それでも、やはり休んだおかげか、足はなんとか動いてくれる。

 それが少しでも、有難かった。

 けれどほどなくして、セージは毒を受けていることを知ることになる。

 噛まれた所が熱を持ち、それが徐々に広がって行っているのだ。

 だからといって、歩みを止める訳にはいかなかった。止めたところで、対処のしようが無い。

 段々と体調が悪くなっていく。

 昨日とは比較にならないペースで、呼吸が乱れて行く。ガスマスクなんて振り払って、思いっきり息を吸いたい衝動に駆られもする。もちろん、そんなことできるわけないが。

 熱は頭にまで広がり、ぼんやりとしていく。

 足元がおぼつかず、ふらふらとして、頭痛も吐き気もするのだけれど、どこか違う世界での出来事じゃないかと思う程に、現実感を得ることができない。

 常に耳鳴りがしていて、自身の早鐘のように鳴る心臓の音だけが、うるさいほどに耳に付く。

 それでも、一歩一歩、何も考えることなく歩いて行く。

 それこそ、機械的に。

 でも、自分は本当に歩いているのだろうかと、思いもする。もしかしたら、現実のセージは、既に倒れ込んでしまっているんじゃないか?

 足を出しているのに、進んでいる気が全くしない。追いかけども追いかけども、決して辿り着くことのない悪夢のようにも感じる。

「……ージ。セー……して。目的地……見え……。研究……見……わ。これでゆ……り休める……。……ら。だ……、死なな……」

 ロボ子が呼んでいる。何を言っているのか、ほとんど聞き取れない。でも、目的地と言っている。着いたのだろうか?

 セージは随分久しぶりに前に視線を向けるが、霞んだ目はぼんやりとし、ロボ子の姿すら曖昧にしか捉えられない。

「……ごめん。……ロボ子。……僕はもう、駄目かもしれない」

 息を吐くようになんとかそう呟くのがやっとだった。膝から力が消える。

 崩れ落ちそうになるのを、誰かに支えられる。多分、ロボ子だ。

 ズルズルと、背負われ、引き摺られているようだ。セージは浅い呼吸を繰り返しながら、ごめんロボ子と、吐息のようにか細く繰り返した。

 もしかしたら、セージは泣いているかもしれない。

 情けなかった。

 ユナにセージは、守って貰おうなんて思わないなんて言いながら、結局の所、ロボ子に守って貰い通しだ。

 セージはここで死ぬかもしれない。いや。多分死ぬだろう。それで、ロボ子が孤独になるんじゃないかと思うと、自分の死なんかよりも悲しくてしかたない。

 ロボ子がセージを背負いながら、何か操作している。そして、しばらくすると、何となく、空気が変わったのがわかる。研究所に入ったのだろうか?

 空気清浄機が動いているようだ。

 つまり、研究所は生きていたのだ。セージは、地面に寝かされ、ガスマスクを外される。呼吸が少しだけ、楽になった気がした。

「何か、薬になりそうなものを探して来る」

 ロボ子が耳元でそう言った。

 セージは反射的にロボ子を掴もうとしたが、手は少し動くだけで、持ち上がりもしない。

 薬を探す為、遠ざかって行くロボ子を見ながら、セージは自分の浅ましさが腹立たしかった。

 残されたロボ子が可哀そうだなんて思いながら、本当に、孤独を怖がっているのは、セージだった。

 薬を探しに行こうとしているロボ子に、セージは置いて行って欲しく無いと思ったのだ。

 そう。一人で、死んでいくのは嫌だったのだ。

 僕はなんて、弱いのだろうと、セージは思う。


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