エピローグ「あたりまえのシアワセ」
「母ちゃん! エスリン姉ちゃんが来ただよ! 」
硫黄が人間の世界へ帰ってから、人間の世界の時間で1ヵ月が経った。
知り合った時と同じくらいの外見年齢にまで成長したコメコに手を引かれ、かつてコメコがひとりで暮らしていた家に増築した祈祷所を入ると、硫黄の年齢を追い越し大人の女性となった、白の小袖に紫袴姿のぴいたんが、笑顔で迎えてくれる。
グースとの戦闘からSFF内の時間にして2週間後に、テーマパークとしてのSFFのエリアが拡大され、このドーミョージ村や隣のチョーメージ村、住む人のいなくなったアイスの城、アモーバの桜辺りまでがテーマパークSFFとなったが、ぴいたんの祈祷所は名前のイメージこそ近くとも教会とは全くの別物。ぴいたんが自分たちを救ってくれたアモーバへの感謝の祈りを捧げながら、5人の子供たち……クラン・クルミ・コメコ・アイス・ラズを育て日々を暮らしている大切な場所だ。
ぴいたんとお茶をしながら話していると、コメコと同じくらいの外見年齢、つまり共に戦った時と比べだいぶ幼い子供たちが、かわるがわる覗きに来る。
硫黄は現在、普通にプレイすることは全く無く、ほぼ、ぴいたんと子供たちに会うためだけに毎日ログインしているのだが、それでもSFF内の時間では100日ほどの間が空くし、手土産は欠かさないし、たくさん遊んであげるので、訪問を喜ばれているのだろう。
子供たちには大きかった頃の記憶が無い。
それでよいのだと、ぴいたんは満ち足りた様子だ。
と、1階から、
「オヤツでーす」
母の声。
それを受け、
「オレ、ちょっと離席するよ」
ぴいたんに断りを入れてから、SFF内のエスリンにも席を立たせる。
またすぐ来るつもりなので、ログアウトは面倒なためしない。
エスリンにまで席を立たせるのは、エスリンとぴいたんと、あと1人、バーバという名前のプレイヤー以外の人間族と関わったことの無い子供たちが、長時間固まったまま動かない知り合いを見たら心配するのではとの気遣いだ。
テレポを使うべく村を出ようとしたエスリンを、もう帰ってしまうのか、と子供たちが囲む。
その様子が、それぞれ大きかった頃の印象そのままだったり、全く違ったり、面白……可愛いなあ、と思いながら、
(ゆっくり食べても30分くらいかな……? ってことは2日か……)
明後日にまた来ると約束し、村を出てテレポ。
行き先はアモーバの桜。正式名称「妖精王勝利の桜」。
ここならば、SS映えするとの理由から人間族が多いことに加え、SFFエリア拡大と同時に町や村と同じ扱いとなったため魔物に襲われる心配も無いので放置している人もよくいるから。
…一番の理由は、それではないが……。
それが一番ならば、マカロンタウンでもシュトレンでもフィナンシェでも、賑わっているところならばどこでもよい。
一番は、日課の消化だ。
硫黄は1日1回、ぴいたんに会うついでに必ず、ここを訪れることにしている。
忘れないため。怒りを更新するため。
他人の体を奪い、その体で逆恨みとしか言えないような私怨を晴らそうと優しき者を傷つけた、独善的な悪魔のような人物。
そんな人物を何も知らずに手放しで歓迎し為政者として受け容れた世の中。
そのようなものに慣れてはいけない気がして……。
絶えることなく開花を続け、はらはらと散り続ける不思議な桜。
モヤッとした気持ちを抱えながら眺め、「妖精王勝利の桜」などという皮肉な名称に心の中で嘲笑う。
(…ざまあみろ……)
パンケーキのほんのり甘い香りとコーヒーの香りの混ざる階段を下りた先、ダイニングテーブルの上に用意されているのは2人分。硫黄のと母の……。
一見寂しく見える食卓で花咲くのは、
「ママね、オヤツ作る前にリンちゃんのとこ行ってたの」
「へえ、そうなの? オレも今、行ってたとこだけど、入れ違いだったんだね」
SFFの、主にぴいたんと子供たちの話。
警察に行方不明者届を提出しようとしていた母に、迷ったが本当のことを話したところ、母自らSFFを始め、燐に会いに行くようになったのだ。
そう、先程チラッと触れたバーバというプレイヤーは、母だ。
「リンちゃん、ママよりお母さんらしくなっちゃったよね」
嬉しそうに楽しそうに語る母。
その順応性の高さに、我が母ながら本当に驚く。
気づいてないはずがない。
こちらの100倍の速さで時間が進む世界に暮らす燐。
それほど長い時間は残されていないことに……。
(何も考えてないように見えて、ちゃんと択び取ったんだよな。きっと……。抵抗感で時間を無駄にしないで、大切に過ごすこと……)
大人らしくはないがオトナだな、と、硫黄は母に尊敬の念を抱く。
(…いや、燐のことが大好きなだけかな……? )
しかし、それは更にすごいことだと思う。
無意識に、など……。
(…オレも、大切にしよう……)
残り少ないことが分かっている燐との時間はもちろん……。
(オレには、無意識になんて無理だから……)
大好きな人と過ごす時間、その人が自分にしてくれること、自分がしてあげられること……。
当たり前のことなんて、何ひとつ無い。
そう言えば以前、クランさんとこんな話したな、と思い出す。
(…燐……。クランさん……。ママ……。ソルト……。クルミさん……。コメコ……。アイス……。ラズさん……。アズキさん……。ラムさん……。アプリコット……)
幾人もの顔が、浮かんでは消える。
もしも当たり前と感じたなら、それは意識して大切にするべき。
「当たり前」の正体は「幸せ」なのだから……。
(終)