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9 □ 物音に 汗もしたたる 本シメジ □

今回の話は現実の方です。

 目の前にはキノコの山。太いのから細長いやつ、丸っこいのとより取り見取りのキノコ。分け入っても分け入ってもキノコというのは嫌なものだと思いつつ、調理に取り掛かる。

 本しめじ、えのき、マッシュルーム、白王茸、舞茸、平茸、椎茸……。


 

 なぜこんな事態かって?



 今日は12歳からの知り合いである、武部(たけべ)紫穂(しほ)の誕生日。そう、彼女は無類のキノコ好きなのだ。かなり売れっ子の漫画家らしいのだが、なんと漫画家名は“きらりん王茸(しめじ)”。流石にどうにかならなかったのかと突っ込んだら負けだ。


 それは兎も角、キノコ好きの彼女の希望が――


『キノコの海で溺れた気分に浸れるキノコ料理を食べたい』


だそうだ。本人たっての希望故に構わないのだが、こう茶色と黒と白に溢れた世界というのはどうも見てくれがよろしくない。まあ、それも食後の甘味というか誕生日ケーキに比べたら随分マシではあるが。



 キノコご飯にキノコ味噌汁、キノコ茶碗蒸し、キノコ炒め、キノコ天ぷら、キノコの和え物、キノコアヒージョ、揚げ出し豆腐のキノコあんかけ。


 

 これだけキノコを出せば満足するだろう。品数が多くて準備は大変なのだが、それが救いかもしれない。何やら遠くから“いないはずの複数人の声”と“ぐふぐふ”という怪しい笑いが発せられているのに気を取られる余裕もないのだ。今日は誕生日であるし、好きにさせておこう。これが別の日だったら、即座に抗議をするところだ。妹も一緒なわけだし。



 大分出来上がってきた所で、香りに釣られて妹が顔を覗かせる。複数のキノコ料理を前に、今にも涎を垂らしそうな表情をしている。


(おいおい……油断し切って女としては残念なことになっているな)


 外ではこんな残念な絵は見せないらしく、才色兼備として猫を被っているそうだが、本当なのだろうか?俺よりもずっと優秀につき、才女であることは間違いないのだが、紫穂という“悪い”お姉さんと知り合ってからというもの、俺の前では残念成分が芽吹いて開花している。


「明日香、出来上がったものから配膳を頼む」

 残念成分は顔を引っ込め、妹はそそくさと配膳をし出す。


 食卓の上に並べられたキノコ料理を前に、紫穂は歓喜の声を上げる。

「ぐふふ、本当にキノコだらけね。色とりどりのキノコで嬉しいわ♪ 太ましい子に、ひょろっちい子に、萎れている子に、濡れている子に……」

 表現がおかしいのでこれ以上は聞き流す!そして、今日は突っ込まない!そう、今日は彼女の誕生日だ。


(耐えろっ、耐えるんだ!)


「んふふ~♪ どれから食べちゃおうかな~」

 今日は一段と絶好調の紫穂さん。次々に大好物のキノコ料理を平らげて行く。


(その体にどんだけ大きな胃袋が収納されているんだ?)



 料理が一通り消え去ったところで、いよいよヤツらの登場だ。そう、誕生日ケーキ。


 

 何が問題かって?



 ええ、こいつらもキノコなんです……。

 4種のキノコシフォンに舞茸とマッシュルームと本シメジとスパイスのパウンドケーキ。

 

 本当にどうしてこうなった……。




 話は2週間前、誕生日に何が欲しいかと連絡した時に遡る。


「キヨりんよ、(わらわ)はキノコケーキが食べたいぞえ」


(始まりましたよ、お姉さん。何を言っているのやら)


「姫様、命の恵みを粗末にしてはなりませぬ」

「ええい、無類のキノコラブな(わらわ)を愚弄するか」


 乗っかって諌めてみるも効果はないようだ。


(出方を間違えた。『娘よ、食べ物を粗末にするような子に育てた覚えはないぞ』といくべきだったか……いや、そうか、キノコデコケーキのことか!)


「キノコデコレーションならば、腕によりを掛けましょう」

「勿論中身はキノコ味じゃ!」


(トチ狂ったのか、お姉さん――いや、元からか)


「ケーキにきのこは合わないかと……」

「何を言うておる。キノコじゃぞ、キノコ!美味に決まっておろうが!」

「いいえ。一口で食べ残すようなものはお出し出来ませんし、何より菓子職人と致しましてはそのような暴挙に出ることは出来ませぬ」

「ぬー、なれば、キノコの海で溺れた気分に浸れるキノコ料理を食したいぞ。これならば文句はあるまい」

「それならば腕を振るいましょう」

「ケーキもついでじゃ!」

「いえ、それは……」

「ついでじゃ!」

「先程それは……」

「ケ・エ・キ・も・じゃ!」

「ちゃんと食べろよ?」

「当然じゃろう。それからキヨりんよ、ちゃんと役をやり通すのじゃ!――」


 何かまだ騒いでいたが、そのまま電話を切った。




 そんなわけで、ここに病気で気色の悪い表情とでもいうような、色の悪いケーキの登場である。当然だが俺は食べない。

 製作中はガスマスクでも欲しかった。菓子を焼く甘い香りと舞茸やマッシュルームといったキノコ臭、それにスパイスやほのかな醤油の香りが混ざった空間というのは、それはもう不協和音で鼻を()ぎたいものさ。製作中に生地をちょろっと味見してみたものの、舌が悲鳴をあげていた。


(酷く甘いキノコなんてのは無しだっ!)



 シフォンケーキにはクレーム・シャンティとバニラアイスクリームを添え、パウンドケーキはそのまま切り分けて、そしてアールグレイの紅茶で優雅に……きのこ。



 きのこ……。



(紅茶じゃなくて番茶かほうじ茶にすればよかったな)


 それなりのアールグレイを美味しく飲みながら、ちらりとゲテモノケーキに夢中の御乱心の姫を見る。


「うまいぞ♪ こいつは凄いぞ♪」


 ほくほくの笑顔で直径17cmのシフォンケーキと21.5×8×7cmのパウンドケーキをどんどん平らげて行く食欲魔女を見て、喜んで良いのやら、頭を抱えたくなるような、なんとも複雑な気分だった。


「キヨちゃんも食べる?」

「絶対にいらない」

「えー、とおーっても美味しいのに♪」


 脇でほんのわずかに目元と口を引きつらせた妹の表情は、実に忘れ難かった。興味本位で欠片を食べてみたようだ。


(それが通常の反応だよな。明日香、お前の味覚は間違っていない)

 

 目前でげっ歯類のようにケーキを頬張る女性の味覚が心配で堪らん。




 つと、近寄って来た妹が切り出した。


「ねえ、お兄ちゃん。今度の女性はどうなの?」

「今度の女性って?」

「もー、隠さなくったっていいじゃない。早百合さんって人」


(ああ、ただの勘違いってやつだな)


「それは友人の彼女だ」

「え!? 何々、寝取っちゃうの♪」


(こら待て、明日香。不穏な発想と早とちりはいかんぜよ)


 少し訝しげに妹に視線をやると、彼女は元気溌剌(はつらつ)、目が爛々(らんらん)と輝いた……豚になっている。巷で評判らしい美女はどこへ行ったのやら。


(蝋燭が吹き消せそうな程の鼻息とはな。どうしてこう残念さが花咲いてしまったんだか)


 遠い記憶の彼方へ去ってしまった可愛い妹を思い起こし、俺は頭を抱える。


「あー、もしかして、いい感じで友人関係が絶体絶命の窮ー地♪」

「お前はどうしてそう早とちりをする。早百合から聡介のことで相談されただけさ」

「聡介さんって――ああ、男前の人ね」

「あらやだ、めくるめくるどろどろの愛憎劇が繰り広げられちゃいそうなのかしら? いやん、お姉さん興奮しちゃう♪ ぐふっ、ぐふっ」


 キノコケーキへ手を伸ばすのをやめ、紫穂が身を乗り出し、頬を赤らめつつ此方を見た。


(面倒なのが食い付いてきた……。何処だ、何処に餌があった? キノコを退ける程の餌が何処に!)


「それは一切無いから安心しとけ」

「あら、そう。男と女と男で争って男がああして、もう、いやん、鼻血が出そう」


(人の話を聞いていない上に、何を想像しているっ!)


 身悶えるように、感極まって震えるように、楽しくて仕方無い様子でごろごろ転がる変態は脇に置いておこう。


「そんなわけで明日香、早百合とはお前が楽しみしているようなことは何もない」

「へー、じゃあ、ひさみさんは?」


 ん?



 ……



 ――!

 

 

 不意打ちに時が止まってしまった。


(な、何でそれを? 誰にも言った覚えは……ない)


「はは……誰だ、それ?」


 我ながら動揺を隠すのが下手だと言わざるを得ない。

 にやにやとした笑顔の妹に、冷や汗が止まらない。


「もう、嘘が下手過ぎだな、お兄たん♪」


 それから妄想で遠くへ行ってしまった主賓を余所(よそ)に、がっしりと腕を組んで来た妹から質問攻めに遭うのであった。


(もう帰りたい……)


次回の話は、さらさらっと読み流して頂くのが良いと思います。

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