第四十四話 ”暁”(挿絵追加しました)
戦が、思った形にならない。
ヴィルフリート・フォン・アイヒホルツは、山道を抜けた先に広がる平野を見て、奥歯を噛んだ。
城がある。一度は神聖国が奪い、そして奪い返された城塞都市ドラゴノート。その前面に、黒い人型が点々と並んでいた。等間隔に、平野の奥へ向かって、一直線に。
何の意味があるのか、すぐには読めなかった。
兵を出す。先鋒の騎士が山道の出口から平野へ躍り出た、その刹那だった。
キュィイ!っと言う乾いた飛来音と共に矢が、降った。
遠い。あり得ないほど遠い。ヴィルの知る弓の間合いの、優に四倍はある。山道の出口——隊が一本に絞られて吐き出される、その一点に、矢が集まって落ちてきた。
「前へ! 散れ! 一所に固まるな!」
ヴィルは怒鳴った。理屈は分かっている。あの遠矢は、数が薄い。降ってくる矢の密度から逆算すれば、撃ち手はそう多くない。広い面に展開して散らばれば、あの程度の射撃で押し潰される軍ではない。
平野に出て、散る。それが正解だった。
だが、軍が言うことを聞かない。
12000。号令は、端まで届かない。山道を抜けられるのは一度に僅かだ。機動力のある騎士は先へ出られる。重い装備の歩兵は、隘路で詰まる。そして神聖魔術師団——軍団魔法を担う者たちは、鈍い。あれは止まって唱えるしかない術だ。走りながらは、撃てない。
前へ出ろと命じれば、騎士だけが突出する。後に歩兵と術師が取り残される。隊列が伸び切り、その伸びた一点を、また遠矢が叩く。
そして——前へ出きれない理由が、もう一つあった。
後ろだ。
第一次の敗報を、ヴィルは繰り返し読んだ。前から届かぬ矢。そして——後ろから湧いた、鉄の獣。四つ足の巨人が、何処から来たとも知れず、陣の背後に現れて突き入った。それで軍が割れ、崩れた。誰も、その獣が何処から湧いたのかを見ていない。
分からぬものほど、恐ろしい。
何処から来るか読めぬ以上、後背の全周を警戒するしかない。とりわけ、守らねばならぬのは神聖魔術師団だ。あの鉄の獣に対抗できる唯一の手が、軍団魔法——範囲の内にある魔導の核を止める、女神の術だからだ。術師を突かれて潰されれば、獣への備えが消える。
だから術師団を軍の中央に抱え、周りに厚く兵を貼り付ける。後背にも兵を残す。
——攻めに回せる兵が、おのずと足りなくなる。
ヴィルは空を睨んだ。
前には届かぬ遠矢。後ろには見えぬ獣。攻めれば隊列が割れ、守れば前へ出られぬ。一つ一つの判断は、正しいはずだった。なのに正しさ同士が噛み合わず、軍は身動きが取れない。
「ちぃ——こんな陣形じゃ、思った通りに動けん」
呟きが、風に溶けた。
12000。数は味方のはずだった。地を埋める大軍は、それ自体が暴力だ。だが今、その数が重りになっている。大きすぎて、思う形に動かせない。
ヴィルは、1日目の攻勢を諦めた。
「引け。山へ戻る」
無理に平野で展開しようとすれば、伸びた腹を遠矢に裂かれ続ける。それくらいなら、一度山の内へ退いて態勢を立て直す。正しい判断だと、自分に言い聞かせた。
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山の内に退いても、気は休まらなかった。
鉄の獣は、いつ何処から来るか分からない。昼だろうと夜だろうと、陣の背後に湧くかもしれない。それに備える手は、一つしかなかった。
「軍団魔法、展開。大休止の間も決して絶やすな」
神聖魔術師団が円を組み、祈りを唱え始めた。大型の魔晶石を中心に、低い詠唱が地を這う。範囲の内に入った魔導の核は止まる。あの鉄の獣が来ても、術の内であれば動きを封じられる。
それが、神聖国の守りだった。
だが、軍団魔法は安くない。止まって唱え続ける術だ。術師は入れ替わり立ち替わり詠唱を繋ぎ、休む間も細切れになる。兵も交代で仮眠を取らせたが、誰もが浅い眠りだった。
守るために展開し、展開するために消耗する。
ヴィルは篝火のそばで、腕を組んだまま夜を睨んだ。
——勇者がいれば。
ふと、そう思った。
本物の勇者さえいれば、こんな思いはしない。女神の選びし勇者は、軍団魔法を一人で放つ。術師団を円に並べ、交代で焚き続け、削られながら守る——そんな綱渡りは、いらなかった。勇者の一声で済んだ。
だが、今の神聖国に、勇者はいない。
選ばれた者は、まだ現れない。代わりに用意されたのは、女神の選びを経ぬ抜け殻だ。前線には出せぬ。だから軍団で焚く。人の数で、本来勇者一人が担うべき力を肩代わりしている。
その歪みが、この夜の綱渡りの根にあった。
ヴィルは目を閉じた。眠るためではない。考えるためだ。
ドラグロードとの戦いで、かつてこれ程苦しめられた事はない。
新しい守護竜はその姿すら見た者が少ない幼生体だと聞くが、生まれたばかりの幼児がこんな性格の悪い事を考えるとはろくでもない奴に違いなかった。
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異変は、夜が最も深い刻に起きた。
悲鳴が、陣の中央から上がった。
中央。軍団魔法を焚く、神聖魔術師団のいる、守りの最も厚い場所だ。外から敵が入り込めるはずのない、陣の芯。
ヴィルは跳ね起きた。篝火の向こう、円陣の中で、何かが暴れていた。
小さい。人の背丈ほどもない影が、三つ。だが速い。篝火の光が捉えきれぬ速さで跳ね、地を蹴り、宙を舞う。長柄の得物が薙ぎ、術師が崩れ落ちる。一人、また一人。狙いは定まっていた。円を組む術師——軍団魔法を担う者だけを、選んで斬り伏せていく。
「術師を守れ! 囲め!負傷者は引きずってでも下がらせろ!」
兵が殺到した。だが影は捕えられない。地を蹴り、味方の肩を蹴り、互いの足裏を蹴り合って宙で加速する。槍の穂先が空を突く頃には、影はもう別の術師の喉元にいた。
「三位一体とでも言う気か?何者なんだあれは!」
ヴィルは剣を抜いた。抜いて、そして——気づいた。
軍団魔法は、今、焚かれている。この陣の中央は、術の効きが最も濃い場所だ。魔導の核を持つものなら、ここでは動けぬはずだった。
なのに、あの影は動いている。
核を持たぬ生き物か。いや——動きが人間ではない。疲れを知らず、淀みがなく人外の力でもって薙ぎ払う。ディスペルマジックは完璧ではない、それでも能力の低下は発生しているはずだった。
背筋が冷えた。
軍団魔法のただ中で、半ば力を削がれてなお、陣の芯まで届く刃がある。では——術のない場所で、あれが全き力であったなら。想像するのも嫌になる。
影は、頃合いを見て引いていった。来た時と同じ速さで、闇の中へ消えていく。追う兵は、誰も追いつけなかった。
後には、崩れ落ちた術師の躯だけが残った。
目的に対してまっ直ぐで、実直な任務遂行だったと言えるだろう。
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東の空が滲み朝日がようやく訪れる。
ヴィルは、被害を数えさせた。
報告の数字を聞いて、彼は暫く声を出せなかった。
一夜で800近く、戦らしい戦も交えぬまま。
そして——その大半が、神聖魔術師団と魔術師だった。
ヴィルは、並べられた亡骸の前に立った。見て回るうちに、喉の奥が乾いていく。軍団魔法を焚いていた者たちの死体が多過ぎる。偶然ではない。選んで殺されている。
ヴィルは鎧の留め具に手をかけ、胸当てを外し、籠手を捨て、走り出した。理屈が形になる前に、体が動いていた。確かめねばならない。自分の目で。
山腹の影まで駆け上り、木の間から平野を見下ろした。懐から遠見の筒を取り出し、片目に当てる。
城の前に並ぶ、黒い点。
筒の中で、点が引き寄せられた。人の形をしている。だが動かない。鎧の内に、生きた気配が感じられない。金属の、物言わぬ人形。等間隔に、定規で引いたように並び、要所には色の違う個体が混じっている。
——噂に聞く、傀儡の類か。
先の戦いで王室派のミカルが戦ったという白騎士と黒騎士と呼ばれるアイアンゴーレムだろう。
そして、全てが繋がった。
死体の大半は魔術師だった。敵は、軍団魔法の存在を知っている。知った上で、それを焚く者を狙って削りに来た。あの黒い列は距離を測る為のどでかい定規だ。かの国の守護竜はこの戦いに際して足りていない情報を検証する為あの並びを作った.....?
いやそうじゃない、あれはこの先にも策があると教えているんだ。
そして——裏付ける様に我々は、四つ足の鉄の獣すら発見できていない。
遠矢と、3体の小型ゴーレムだけで一夜に800削り取った。守りの要を選んで削られた。そして敵は、まだ切り札を切っていないのだ。
ため息と共にヴィルは、単眼鏡を下ろした。
手の内は、読めた。読めたからこそ分かる。この戦は、勝てない。
ヴィルは頭を掻きむしった。
「こりゃ——切り札の数で負けだな」
底が見えない。盤面の優劣を勘定すれば、答えは一つだった。
「あっちはまだ何か隠してそうだしな。帰るか」
「お待ちください!」
トビアスだった。第一次から戻り、この戦に従いてきた若い貴族が、血相を変えて食ってかかる。
「まだ——まだろくに戦ってもいません!」
ヴィルは、笑った。怒りはなかった。
「あの守護竜は、戦を変えたんだ」
それが、ヴィルの掴んだ核心だった。間合いも、籠城も、突撃も——積み上げてきた戦の常識そのものが、もう古い。あれは個の強さの話ではない。戦そのものの形を、書き換えた存在だ。
「今までのやり方で突っ込んだら、爺さんの二の舞だぜ?」
前の戦で討たれた老将の顔が、ちらっと脳裏に浮かんだ。変わった戦の形に付いていけず、意味も分からぬまま突っ込んで死んだ、武門の爺さん。
「お前も、二度は捕虜になりたくないだろう?」
トビアスが、息を呑んだ。
その一言が、若者にもう一度口を開かせる事を阻んだ。一度捕らえられ、敵将の——あの姫の名で生かされて帰されたあの屈辱を。トビアスは何も言い返せず、ただ唇を結んだ。
ヴィルは、それ以上は言わなかった。
——真の勇者がいりゃあ、な。
言葉にはしなかったが胸の内だけで、そう思った。本物の勇者さえいれば、軍団魔法を焚く綱渡りもいらず、術師を夜ごと狙い撃たれることもなかっただろう。勇者は一人で軍団魔術を行使する、そうすればこの様な負け方はしなかった。
「引くぞ」
誰も、異を唱える事はなかった。
戦は——始まる前に、既に終わっていたのだ。
第四十四話・了
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