第零話 ”プロローグ”
あの女のことを、わたくしは生涯忘れないだろう。忘れられるものか。
初めて会ったのは、よく晴れた昼だった。亡国の王女が傭兵として雇われに来た。そう聞かされて広間に入ったわたくしが見たのは、当然のように紅茶を嗜み、ヴェルディを従者のごとく従えたあの女だった。
黒髪に一筋、白銀の流れ。棘を思わせる暗色の冠。
あの女は、わたくしの契約者たるマキナ様に向かって、こう言い放った。
「気に入った。我の身を捧げてやる。だから我にも、鎧を作れ」
はしたない、と思った。捧げる、などと。
わたくしが声を上げても、あの女は一瞥をくれたきりだった。
「小娘が契約者か。今は控えておれ」
小娘。このわたくしを。あまつさえあの女は、守護竜たるマキナ様に手合わせを挑んだのだ。囀るな、と、わたくしを吐き捨てて。
だというのに――マキナ様は。
「いいでしょう。お相手させて頂きましょう」
契約者たるわたくしが小馬鹿にされたと言うのに、もの凄く楽しそう。
◇
ドラグネストの試験場で、二人は向かい合った。わたくしの頭は煮えたまま、それでも見ないわけにはいかなかった。
「レディファーストです。お先にどうぞ」
マキナ様がそう譲ると、あの女は唇の端を吊り上げた。
「いいな、貴様。私に勝てたなら――貴様の女になってやろう!」
またしてもふしだらな事を言い放つと、同時に詠唱が奔った。
速い。速いだけではなかった。言ノ葉の連なりに、淀みが一つもない。そして、その詠唱が二つに割れた。主旋律が奔り、わずかに遅れて、もう一つの声がそれを追う。一人でありながら、まるで二重唱。
――後に知ったことだが、マキナ様はあれを 遅延詠唱重奏 という技術だそうだ。一人の詠い手が、主となる声とそれに和する声を、同時に編む。片方を遅らせ、上へ重ねる。
誰にでも出来る技じゃない。あの女、とんでもない高位詠唱者――それも世界屈指の。
美しい、と悔しいけれど思ってしまった。
放射状に魔法陣が花開き、赤い閃光が束になってマキナ様へ伸びる。同時にあの女の身が沈んだ。遠くを塞ぐ光と、近くを断つ剣。遠近を同時に閉じる攻め。わたくしは思わず、立ち上がっていた。
歌いながら、剣まで奏でるなんて。魔法剣士。あの女、そういう化け物だ。
――けれど。
爆風の中心で、マキナ様は片手の杖であの女の剣を受け止めていた。空いた手で、その腰を抱き寄せて。
「これで――貴方は、私のモノですね」
あの女の啖呵が、そっくり返された。あの女の手から剣が落ち、切先が土に突き刺さる。
その距離感は腹立たしいが、勝負はついた。ついたのだ。
なのに――あの女、マキナ様にそっと抱き着き、よりにもよって口づけをしやがりましたわ!
◇
見学席で、リーディア様が真っ赤になっていた。わたくしはといえば、別の意味で頭が沸騰していた。気づけば席を蹴って、走り出していた。
「――なにやってんだ、あの女ぁあ!」
声が、試験場に響き渡った。レイヴンズの誰かが噴き出したのが分かった。構うものか。
◇
……ああ、思い出しただけで腹が立つ。
あの女が「我が主」と傅くこの人が、ほんの数年前まで「あぎゃ」としか鳴けぬ、小さなワンコだったことなど。あの女は知りもしないのだ。寂しい修練場でたった一人、まだ頼りない前足で、途方もない重さの鉄を叩き続けていた、あの日々を。わたくしが甲斐甲斐しくお世話したのだ。
その話をするには、少しばかり時計を戻さねばならない。
言葉も持たなかった、あのワンコの日々へ。
(第一話へつづく)




