2.死人の彼に命が宿った瞬間
「あー…………何で俺、こんなことになっているんだっけ?」
「グエン様が招待客として、忍び込みたくないと言ったからですよ」
「おい、やめろ。今すぐにやめろ!! それじゃあこの俺様が、こそ泥みたいじゃないか!!」
「あまり変わらないでしょう? その服装だと。大変よくお似合いですよ、グエン様」
いつもと同じく悲壮な顔つきで、隣に立ったズハンがこちらを見て少しだけ笑う。くちびるの端を持ち上げただけだったが、おそらくはそうだろう。
初めて笑顔らしきものを見たなと思いつつ、派手な祝い太鼓を持ち上げる。それには大蛇の皮が張られ、無数の紅白の飾りがぶら下がっていた。
そしてグエンは美しい顔立ちに赤と白の猿の化粧を施され、大道芸人のような水晶と金銀の耳飾りを付け、紺色の簡素な上衣と腰巻衣を履いている。
その紺色に膨らんだ腰巻衣の片足を上げ、グエンは嫌そうに顔を顰めて深い溜め息を吐いた。
「い、嫌だ…………!! これが特に嫌だ、俺!! 何でこんなことになっているんだろうか? 俺ってば」
「グエン様が、お嬢様と会いたくないと仰ったからですよ」
「俺の言葉を曲解したのはお前だろう? ズハン?」
「とにかく何が何でも貴方には、お嬢様の呪いを解いて頂きます」
そこで隣のズハンが深い溜め息を吐いて、その額を押さえた。こいつはいつもと同じく、護衛である証の黒い胡服姿で腰には長剣を下げている。
その簡素な服装が心底羨ましいと、グエンは物欲しそうな目で見つめていた。
「今日はお嬢様の、十八歳の誕生日なのです…………もう、あまり。時間が無い」
「悦に浸っているところ悪いが、俺は。踊りなんてからっきしだからな!? いいか!? 覚悟してろよ!?」
「大丈夫です。本職の方々と混じって適当に踊って下されば。それだけでもういいので」
「お前な……意外と、無計画なのな?」
その呆れたような言葉に、隣のズハンがむっつりと黙り込む。どうやらこれは本気で腹を立てているらしい。この半月ほど一緒に行動していたお陰で幾分、この男の表情が読めるようになってきた。
そして、今現在。
広々とした屋敷の庭園には大きな白い天幕がいくつも張られ、グエンは自分の出番を待っている最中だった。
天幕の中の椅子に腰掛け、またある者は擦り切れた絨毯へと座って、自分の楽器を調整しながらも遠巻きにこちらをちらちらと眺めてくる。
(ああ。一体どうしてこの、死霊使いの俺が。こーんな毛を逆立てた猫どもみたいな、大道芸人の奴らと混ざって猿の化粧をして、こんな衣装を身に付けにゃならんのだ…………?)
グエンはそこでもう一度、深く溜め息を吐いた。そして時は二日前へと遡る────……。
「ええっ!? そんなっ!? それじゃあそのお嬢様は二十歳の誕生日を迎えたら、ぽっくりと死んでしまうのですか!?」
「そうなんです。それなのにグエン殿はしきりにあくどい金貸しの、高慢ちきのお嬢様など。そこらへんの猿のように野垂れ死ねばいいと、そう仰せで・・・・・・・」
その言葉を聞いて、熱い茶を噴き出しそうになった。グエンは慌てて持っていた湯呑みをどこか机の上に置いて、薬問屋で悲痛な声を上げていた。
「おいっ!? ちょっと待てよ、お前っ!? 俺は何もそんなことは言っちゃいねぇよ! いけしゃあしゃあと嘘を吐くのも大概にしろよ!? ズハン、お前はなぁっ!?」
「あーら! でも似たようなことは言ったんじゃない? まったくもう、あんたって子は!」
「でぇっ!? いってぇよ、メイリン!? その牛のような力で俺の頭をはたくんじゃない!」
そこでぴきりと腹を立てた笑顔のメイリンが、こちらの首を抱えてぎりぎりと強く締め上げてくる。グエンはいつもの顔色を更に悪くさせ、声も出ないと言った様子で彼女の細腕をぱしぱしと叩いていた。
そんな兄妹のような、幼馴染の微笑ましいやり取りをズハンが黙って見守っていた。
ここは干した薬草や何かの根などが天井から無数に吊り下がっている、薬問屋である。壁には薬を保管するための棚が並べられ、広々とした土間には干した薬草が詰まっている木籠が並べられ、ぷんと不思議な香りが漂う。
板張りの小上がりにて、ようやく解放して貰えたグエンは先程のお茶を啜り上げて溜め息を吐いていた。
そんなぐったりとした様子のグエンの黒髪頭を、メイリンがもう一度容赦無く叩いてゆく。
彼女は勝気な黒い瞳に愛嬌たっぷりの笑顔が魅力的な、それなりに美しい女性である。この見かけにつられて彼女を口説く命知らずもいるが、大抵は彼女の手料理を食べると永遠に黙り込む。
そんなメイリンは深緑色の地に金銀の刺繍が施された、しなやかなアオザイを身につけてやって来たズハンのためにお手製の饅頭と熱い茶を盆へと載せ、いかにも気遣わしげな表情で茶を差し出す。
茶色い板張りへと座ったズハンは茶を有難く受け取って、啜り始めた。
「それで? ズハン様。そのお嬢様は一体今、おいくつなんですか?」
「二日後の誕生日で十八歳を迎えます。もうあまり時間が無いというのに関わらず、こちらのグエン殿はそのような高慢ちきの、いけ好かない女なんぞ、俺は助ける気がないとしきりに仰せで…………」
「おいおいおいおいおい…………お前、意外と口が回るじゃねぇか、おい? ズハン様よぉ?」
グエンは自分で持ち込んだ栗餡と胡麻の饅頭を頬張りながら、唾を飛ばしていた。今日もいつもと同じく死者を弔うような黒衣姿で、その黒髪も浮浪者のように伸び切っている。
一見すると夜盗のような姿だったが、彼をよく知るメイリンは気にした素振りも見せない。
メイリンは妙な黄緑色の饅頭が詰まった皿を床に置くと、自分も床へと座り込む。その奇妙な物体を見つめて、ズハンが不思議そうに首を傾げていた。
「ズハン様。このろくでなしのグエン以外に、呪いが解ける人物はいないんですか?」
「メイリン。ろくでなしとは悲しいじゃないか。随分な物の言い草だな? お前は? なぁ?」
グエンは饅頭を頬張りながらも、その食べかけの饅頭を振って抗議していた。その行儀の悪さにメイリンはきっと、姉のように強く睨みつける。
ズハンは気にかけた様子も無く、一つ饅頭を手に取ると涼しい顔で話を続けた。
「他の呪術師の方や死霊使いの方に、頼もうかと思ったのですが。旦那様がそのような、得体の知れぬ男たちには、大事なお嬢様を任せられないとそうしきりに仰るのです」
「そうですよねぇ~……だって。死霊使いやなんだのってのは基本的に、その、いかがわしい職業ですもの。信用が出来ないわ」
そこで一つ頷くと、涼しい顔をしたズハンはその黄緑色の饅頭を頬張り始める。それをグエンは怖さ半分面白さ半分といった表情で、そわそわと見守っていた。
しかしズハンは特に何の反応を見せずに、そのまま丁寧に飲み込んでから話を続ける。
「ですがこちらのグエン殿は。立派な農園の生まれです。あそこは仕事ぶりも誠実で実直そのもの。更にはこの御方がどうしても頼み込むなら、持参金つきでお嬢様をやってもいいと、そう旦那様は仰せで、」
「おいおい、ちょっと待てよ!? いくら何でも話が飛びすぎだろう!? なぁっ!?」
「あーら、いいじゃないの! 玉の輿じゃないの、あんた!!」
「でぇっ!?」
そこでばしんと背中を強く叩かれてしまったグエンが、居心地悪そうに背中をぼりぼりと掻き始める。悲壮な顔つきのズハンは手にしていた饅頭を口に含むと、黙々と食べ進めた。
それをぞっとした顔つきで見守るも、ズハンはその視線を意に介した様子も無く続ける。
「それで。身元がはっきりとした、それなりの若い美男子であるグエン殿に解呪も頼みたいのです」
「解呪もって言うなよ、解呪もって」
「あら。でも、私。随分と前に、そのお嬢様に薬草を届けに行ったことがあるんだけど」
そこでメイリンがにっこりと微笑んで、その白い顎に自分の人差し指を当てた。
「彼女、随分とあんた好みの美少女だったわよ? いかにも儚げで優しそうな感じの」
そこでぴたりと、グエンがその饅頭を片手に黙り込む。そんなあからさまな反応を見せたグエンを、ズハンがやや非難がましい目つきで見ていた。
そこへ畳み掛けるようにメイリンが自分の饅頭を振って、とうとうと説明し始める。
「肌の色も抜けるように白くって、いかにも優しげだったわ。声だってとびきり甘くって、長い黒髪も艶々だったし、それにねぇ」
そこでひょいっと自分の黄緑色の饅頭を放り込むと、メイリンはもごもごと頬張りながら話を続ける。
「出るとこも出た、儚げな美少女だったわよ。いいんじゃない? 見るだけでも見に行ったら」
そこでこほんと一つ、グエンが咳払いをする。
一方のズハンは「美味しいです。これはどこで売っているんですか?」と聞いて、もう一つ饅頭をその手に取ると、メイリンが笑顔で「私が作ったんです。良ければお包みしましょうか?」と答えて、お代わりの熱い茶を注いでやっていた。
そんな恐ろしいやり取りにも気が付かずに、グエンがその顔を赤くさせて気取ったように答える。
「あー。それじゃあ、見に行くだけでも見に行ってみようかな? ただし、見に行くだけな!? 解呪を請け負った訳じゃないからな、解呪を請け負った訳じゃ!!」
「分かりました。それでは」
ズハンがごくりと飲み込んで熱い茶を片手に、じっとグエンを見つめる。
「明後日がちょうど、リーファ様のお誕生日ですから。その祝いの席に招待客と紛れてお会いになるといいでしょう」
その提案にグエンは途端に嫌そうな顔をし、持ち込んだ栗饅頭を振り回す。
「んなもん、お断りだよ、お断り!! この俺にまともな格好をして小便臭い笑顔で、おめでとうございます、お嬢様って言わせるつもりなのかよ!? お前は」
「でしたら、どのような形をお望みですか? それに合わせますから何なりと仰ってください」
「甘やかす必要無いですよ、こんな奴。あっ、そうだ」
そこでメイリンが名案と言わんばかりにぽんと、その手を叩いたのだった。
「あそこのお家なら、それはもう、盛大に誕生会が開かれるのでしょう? 何せ滅多に無い娯楽ですもの。あんた、それに紛れて得意の楽器でも弾いてみたらどう?」
その言葉を聞いて呑気にグエンが、自分のすねを掻きながらも饅頭を頬張る。
「あー。いいかもなぁ、それ。さくっと演奏してさくっと挨拶して、帰ってくるやつがいいなぁ~」
「それでは、それで決まりですね?」
「んぁ? んー。まぁ、それでもいいよ。別にそれで」
近頃の悩みの種だったのだ。こちらがいくら何度断り続けても断り続けても、ズハンは涼しい顔で付き纏ってくる。
あの時の出会いからおよそ、半月以上が経っていたが。その間にもズハンはしつこく何度もしつこく、こちらに「お嬢様の解呪をして下さい」と頼み込んでくる。
ここで一度、その美しいお嬢様とやらに会ってみて話を聞いてみるのも悪くは無い。
自分好みの美少女だと聞いてグエンは俄然、下世話なやる気が出ていた。上手く行けば「嫁にやってもいい」と、そう言われていることもあってますます乗り気になる。
(まぁ。思ってたのと違ったら、あっさり断ればいいし。会うだけ会ってみるか)
そうすればこいつも納得してくれるだろう。グエンは呑気に饅頭を貪り食いつつ、無表情のズハンを眺めていた。
ズハンは美しいメイリンから先程の饅頭を包んで貰うと、その白い包みを膝の上に置いて。そして。
「それでは、グエン殿。私に名案があります。手配は全てこちらに任せて貰えませんか?」
ぴーひょろろろ、と鳥のような笛の音が鳴り響いた。
どんどこどんどん、と腹の底を震わせるような太鼓の音に招待客の歓声と、まばらな拍手の音が聞こえてくる。
「あーあ。こんなの、死霊使いの仕事じゃねぇよ。なぁ? ズハン殿? これで大満足か?」
「ええ。とても満足ですよ、グエン様」
「へっ。けったくそわりぃ。あんた、意外と良い性格してるよ、本当に。涙がちょちょ切れそうだぜ」
「褒め言葉として預かっておきますね、グエン様。それでは、また後程」
そこでようやくまともに微笑んだズハンが、愉快そうな表情でこちらを眺めてくる。様を付けないで呼べと言ったのに、嫌がらせのように「グエン様」と呼びかけてくるのだ、この男は。
歩き出していたグエンは猿の化粧が施された顔で振り返って、引き攣った笑みを浮かべる。
「こんな誕生日会、ぶち壊してやるよ。この俺様の、ど下手糞な踊りでな!!」
「せいぜい頑張って下さい、グエン様。失敗して笑い者になるのは貴方様なんですから」
「へっ。本当に良い性格してるよ、あんた。そんじゃあ、また後でな?」
「ええ。貴方の踊りを、宴席で楽しみに見守っていますよ、グエン殿。どうぞお気をつけて」
「ああ。流石に怪我はしねぇよ。すっ転んで、自分の膝を擦り剥くかもしんねぇけどな」
グエンは不敵に笑って足を踏み出した。
(さぁ、出番だ。まったく。ズハンの奴も、この俺に面倒なことをさせやがって)
笛と太鼓の音が響いてくる。
呪われたお嬢様とやらの、十八歳の誕生日の空は美しく青く澄み渡っていた。
舞うは桃の花に、漂うのは馳走と酒の匂い。舞台の上で踊るは可笑しな服装の死霊使いときた。
グエンはその足を一歩踏み出して、他の者らと一緒に背筋をぴんと伸ばす。猿の化粧をしていてもその美しさが分かるのか、年頃の娘達がほぅっと色っぽい溜め息を吐いた。
グエンはちらりと眼前に広がっている招待客達を眺め回していると、後方の宴席に何やら怪しい人物を見つける。
(さては同業者だな? 何故、あんなに分かりやすい服装をしているんだ?)
その人物は黒い頭巾をすっぱりと被って、その手も足も一切出していない。その背の高さから男かと思ったが、長身の女かもしれない。
桃の木が咲き誇る中で、招待客がこちらを食い入るように見つめてくる中でその怪しげな人物は桃の木に寄り添い、こちらをただひたすらにじっと見つめていた。
グエンは教わった手順を頭の中で繰り返しながら、舞台の上で美しく舞っている。
手に持った小さな太鼓を打ち鳴らして、足を交互に出して音楽に合わせて、周りの者らと腕を組んでくるくると楽しげに回って、前方ではぼうっと口から火を吹いている踊り子がいる。
その長い煙管のような、火吹き棒をくるくると回して妖艶な姿の踊り子が、それをきっと優雅に構えて美しく微笑む。
グエンはその怪しい人物に気を取られながらも、何とか恥をかかずに済んだ。
そして、その舞台が終わった後で。
「はーっ! 散々だった!! さーてっと。そのお嬢様とやらとズハンは、一体どこにいるのかねぇ~」
グエンは汗だくになりながらも、静かな庭園を歩いていた。
辺りには真っ赤な梅の花が咲き誇っていて、ふわりと湿った匂いと梅の香りが漂ってくる。
何かと体調の悪いお嬢様を親戚連中やら招待客から引き剥がして、東屋で休ませているらしい。そこで会って話をする予定なのだ。
そして何でも呪具とお嬢様は仲が良く、今回俺がやって来ると聞いて「楽しみね」とそう笑い合っていたらしいが。
(うーん? 俺は、呪具を殺す立場なんだがなぁ~…………分かってんのかねぇ? 今の状況と自分の立場を。そのお嬢様とやらはさ)
歪な双子の姿を思い浮かべつつ自分の頬を掻いて、静かな庭園を歩いていると。
「ねぇ、貴方?」
「んぁ? …………お前は」
見事な枝ぶりの梅の木に腰掛けた、気の強そうな美少女が唐紅の襦裙を纏ってその紅い沓をぷらぷらとさせていた。
彼女は木の上で美しい眉を顰めると、紅を引いた口で話し始める。
「見かけない顔だわ。…………それに、一度死んで蘇った匂いがする」
「さてはお前、例の呪具だな?」
グエンは不敵に笑って腕を組んで、そのあまり高くない位置に座っている美少女を見上げた。彼女は不愉快そうに眉を顰め、こちらを見下ろしてくる。
グエンは挑発するように手をくいっと動かし、来いよとでも言いたげな笑みをわざとらしく浮かべた。
「常人なら、そんなことが分かる筈が無い。お前。人間じゃないんだろう? なぁ?」
「……だから、一体それがどうしたと言うの? 待ってて。今、下りてあげるから」
「へっ。随分と偉そうなお嬢様のことって」
メイリンの奴、俺を騙したのか?
(双子のように、顔立ちもそっくりだと聞いた。確かに色は抜けるように白いが。気の強そうな顔立ちも、その目に痛い衣もあんまり好きじゃない)
期待外れだった。まさか、こんなにもけばけばしい女だったなんて。
(確かに。美しいは美しいが……おいおい、勘弁してくれよ。これならもう、いっそのこと、このまま帰ろうかなぁ~)
こいつは呪具の方のお嬢様のようだが。
(これじゃあ、本体も似たようなもんかぁ~? あーあ。がっかりだ。期待外れだ)
そこでようやく呪具が梅の木から降りて、こちらへと向き直る。おそらく「リンファ」と名付けられた少女は、細い二の腕を組んでこちらを睨みつけていた。
「それで? 貴方は一体誰なの? もしかして、お父様が言っていた死霊使いとやらは────……」
「へぇ? お前。もしかして実の娘のように育てられているのか?」
「ぐっ!? いっ、一体何を…………!?」
そこで「呪具」の白い首を掴んで、片手でぎりぎりと締め上げてみる。苦しそうにこちらを見下ろしてきた「呪具」に申し訳なく思いながらも、手の力を強める。
「悪いな、俺は。解呪を頼まれているんだ、お嬢様の」
「ぐっ……うっ! だからって、いきなりこんな…………!!」
「殺すしかないんだ、こうやって人間のように」
大抵の人間はこのことを知らない。成り代わりの呪具はこうして、人間のように殺さなくてはならない。それで解呪が出来るのだ。
一番たちの悪いことに、死体も人間のように残る。それもすっかり綺麗に焼いてしまわなくては、もう一度蘇ってくるのだ。
「悪い。死んでくれ。俺としてもそのお嬢様が死ぬのは、嫌だ。目覚めが悪い。それに大勢の人間が悲しむからな」
それまで抵抗しようとしていた呪具が驚いたように黒い瞳を瞠って、その両瞳をすっと静かに閉じる。その瞬間ぶわわっと、鳥肌が立った。
(こいつ…………!! 呪具のくせに、愛しているのか。彼女を? その、お嬢様を?)
呪具は生きることに執着する。死ねば命令を遂行できないからだ。
今まで俺が殺してきた呪具は皆そうだった。それでもこいつは何の抵抗も見せない。今までの呪具は逆にこちらを殺そうと、必死に足掻いては呪詛を垂れ流してきたのに。
それなのにこいつは何の抵抗も無く、俺の手にかかって死のうとしている。その、覚悟が意味するものとは。
(何故だ? 何故、生きようとしない? お前は)
思い当たる理由はたった一つ。
(双子のように仲が良いと言っていた。それじゃあ)
それじゃあ彼女が今、俺に抵抗しないのは。双子の姉のような、お嬢様に対する愛なのだ。
彼女に生きていて欲しいとそう願って、その命を捧げようとしている。
(っ下らない。俺はたかだか呪具に、一体何を考え込んでいるんだ? こいつらが人間のような、当たり前の感情を抱くはずが無い……!!)
自分の思考が混乱している。手の力を強めて、一思いに殺してやろうとそう覚悟を決める。するとそこへ現れたのは。
「リンファ!? 何をしているの!? 一体貴方は!!」
悲痛な叫び声が上がる。思わずその呪具から手を離すと、呪具がどさりと落ちて苦しそうに咳き込む。
こちらをきっと強く睨みつけてくるのは、凛とした優しげな美少女で。
本日の主役に相応しく淡い桃色と水色の襦裙を着ており、滑らかな黒髪には桃の花と銀色の簪が差してあった。
自分の時が、止まったかのようだった。
「大丈夫!? リンファ!!」
「ねっ、姉さん…………大丈夫よ、私は。こんなの大したことないから」
地面に座り込んだ妹を助け起こして優しげな顔を歪めた彼女が、こちらへと向き直ってきっと睨みつけてくる。
その黒い瞳は涙で潤んでいて、一瞬で恋に落ちた。
本当に自分の理想を。自分の理想を凝縮したような、そんな美しい女性だった。見惚れて黙り込むグエンに、おそらくはリーファという名の彼女が涙声で続ける。
「貴方が、グエン様でしょう? 解呪をなさろうとしていたのは、見ていてよく分かりました。ですが」
この状況において何て冷静に頭がよく回って、賢い女性なのだろうか。
グエンは恍惚と見つめたまま黙り込んで頷いて、彼女の話を聞いていた。そうとは気が付かずに、リーファが話を進める。
「私に黙って、彼女を殺してしまうだなんて!! お別れぐらい、言わせて欲しいものだわ!」
「姉さん! 落ち着いて? また咳でも出たらどうするの!?」
「大体私はリンファとまだ、一緒に生き続ける道を模索しているというのに────…………!!」
そこで彼女が喉を押さえて、げほげほと激しく咳き込み始める。グエンはさっと青ざめて、地面へと崩れ落ちてしまった彼女の背を慌てて擦った。
「だっ、大丈夫ですか!? 申し訳ありません!! いくら何でも俺が乱暴でした! すみません!」
「ぐっ、だっ、大丈夫です。こんなの、こんなの、いつものことですから……」
弱々しく微笑んで、こちらの手を取る彼女を見つめて決意した。何が何でもこの呪具を殺して、見事に解呪をしてみせてこの美しい彼女と結婚してみせようと。
「ひとまず、俺は。貴女からの依頼を受けることにしますね…………」
「えっ? はっ、はぁ。ですがしかし。グエン様は、乗り気では無かったのでしょう?」
「一体いつ、どこの誰がそんなことを抜かしやがったんですか? 俺は最初から乗り気でしたよ?」
「は、はぁ。そうなんですね…………それでは」
そこで彼女がにっこりと微笑んで、こちらの手を握り締めてくる。なんて可愛くて美しいんだ、まるで天女のようだ。その抜けるような白い肌も艶々とした黒髪も、優しげな顔立ちも。
「どうぞ私に知恵を貸してください、グエン様。私はこの大事な妹を、殺して欲しくは無いのです」
「分かりますとも、リーファ様。どうぞこの俺にお任せ下さい」
本音を言えば、今すぐにでもこの呪具は殺したかった。が。
グエンはにっこりと微笑んで続ける。
「探せばそのような方法も、あるのやもしれません。これからは俺と二人で一緒に、そんな解呪方法を探していきましょうか……!!」
彼女に嫌われては元も子もないのだ。
(そんな方法があるのかは、よく分からんが。努力は必要だ、努力は)
グエンは満足そうに一つ頷いて、ほっとしたように明るく笑う彼女の白い両手をぎゅっと握り締めていた。
いつの間にか背後にやって来たズハンが、不機嫌そうにむくれる呪具を宥めつつ、その口を開く。
「どうやら話は纏まったようですね? グエン様。それなら、明日にでもこの屋敷に来て頂けませんか? お嬢様とここで一緒に暮らして頂きたいのです」
意味が分からないことを抜かしやがるな、こいつと。グエンはそう訝しげな表情を浮かべて、何を考えているかよく分からないズハンを見つめる。
「ちょっと待て。一体、どうしてそんな話に……」
「まぁ! そう言えば仰っていたわ、お父様が! ええっと、その…………貴方様は」
そこで彼女が照れ臭そうに頬を赤く染め、こちらを潤んだ黒い瞳で見上げてくる。可愛すぎて息が止まるかと思った。
「貴方様は。私の、婚約者候補だと。そう、私の父から聞いたのですが……」
「そうです。貴女の婚約者候補です。今から俺は立候補したいと思います」
「グエン様の方こそ、意外と単純な性格じゃないですか…………あんだけ、渋っていた癖に」
そこで腹を立てたのか、渋い顔つきのズハンがとんでもないことを口にし始める。
「お嬢様。こいつ。お嬢様のことを高慢ちきの高飛車な、我が儘な金持ち女だってそう、」
「言ってねぇからな!? ああっ、もうっ! こいつの言うことは全部嘘ですからね!? 何もお気になさらないでくださいよ!? えーっと、リーファ様?」
そこでグエンが恍惚とした表情で、驚く彼女の両手をぎゅっと握り締めて名前を呼んだ。
そんな単純な男の姿を見て、呪具であるリンファと護衛であるズハンが酷く嫌そうな表情を浮かべる。
しかしグエンは気が付いていなかったが、その美しい顔立ちに派手な猿の化粧が施されていたので。リーファはくすりと笑ってその手を握り締め、花が綻ぶような笑顔で話しかける。
「それでは、グエン様。私の解呪を引き受けてくださるのですね?」
「ええ。勿論です、リーファ様。この俺にお任せください。貴女様のためならば、何だってしてみますよ?」
そこでひそひそと、非難がましい顔つきでズハンが呪具のリンファに耳打ちをする。
「リンファ様。半月ですよ、半月!! あの男がお嬢様の解呪をしたがらなくって、俺は半月も付き纏っていたんですよ? 半月も!!」
「ええい、やかましいな!? そこっ! ひそひそするんじゃない!! いいだろう!? 別に!! 解呪するって、そう言ってんだからさぁ!?」
そこでリーファが悲しげな表情となって、そっとグエンを見上げる。
「グエン様…………その。私の、解呪をしたくなかったのですか?」
「あっ、ああっ!? すみません、リーファ様!! どうか、そのお心を痛めぬよう……!! 全部全部俺が間違っていました! 貴女様に出会った今ではもう、そんな過去の俺もはるか遠く…………!!」
「耳障りの良いことを言って、誤魔化そうとしているわね。この男」
「左様ですね、リンファ様。ふわっとさせようとしていますよ、ふわっと」
そこでついに堪忍袋の緒が切れたグエンが、しっかりとリーファの両手を握り締めたままぎゃいぎゃいと捲くし立てる。
「ええいっ!! うるさい、お前らっ!! 俺は真実の愛に目覚めたんだ、野次を飛ばすなっての! 分かったか!?」
「単純だわ、本当に」
「単純ですよね、リンファ様」
少しだけ白い頬を赤く染めたリーファが困ったように笑って、先程の衣装と猿の化粧のままのグエンを見上げた。
「それでは、グエン様。とてもよくお似合いなのですがひとまずはその、お化粧を落として、着替えに行った方がよろしいのでは……?」
「あっ。そっ、そうですよね? その通りだと思います!! 素早く着替えてまた、貴女の下に馳せ参じますね!?」
それを見てまた二人は。
「単純だわ、単純」
「本当に単純ですよね、リンファ様。俺の苦労を返して欲しい……」
「いいだろう? もうその話は。さてと、それじゃあ」
そこで今生の別れと言わんばかりに、グエンは酷く悲しげな表情でリーファの両手を握りしめる。しかしその美しい顔立ちには、べったりと白粉と紅が塗りたくられていた。
「今夜にでも荷物を纏めて、明日。貴女の傍へと引っ越してきますね、リーファ様……!!」
「えっ、えっと。はっ、はい。グエン様。明日、お待ちしてますね……?」
「はー、可愛い。生きし生けるものの全ての中で一番可愛い……!! 俺の天女様です、リーファ様は!!」
「わっ、わぁっ!? ぐっ、グエン様!?」
すっかり興奮した様子のグエンが嬉しそうに笑いながらも、驚くリーファを持ち上げてくるくると回り始める。それを見つめて背後の二人はひっそりと、疲れたような溜め息を吐いた。
そして、ズハンがぼそっと呟く。
「ああ。こんなことなら。最初っから、この男とお嬢様を会わせておけば良かった……!!」
辺りには真っ赤な梅の花が美しく咲き誇っていた。




