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山嶺の彼方から朝日が昇る。


すべてに等しく訪れる朝は、国外れの温室にも、穏やかな光を投げかけてくれた。


聳える木生シダの下、天蓋越しにもよくわかる日光に目を細め、魔女は起床する。東洋見聞の文献を参考にして作ったスリッパを履いて、壁際に向かう。


透明な硝子を何枚も継ぎ合わせた天井を見上げ、側のハンドルを回す。


きりきりと年季の入った音を立てて、天井の一部が開口した。柔らかな空気の揺らぎを感じて、魔女は大きく伸びをする。


今日は少し目覚めるのが遅かった。長い夜で水を欲しているであろう植物達に灌水するため、準備を始める。


天蓋へ戻り、全裸になる。作業着とタオル、石鹸を手に、きっちりと天蓋の入り口を塞いでスプリンクラーを動かす。


常温の水が飛沫を上げ、植物達を潤す。ついでに魔女も朝風呂を済ませる。


植え込み材が十分に水を吸ったことを確認して、スプリンクラーを止める。タオルで自身の水気を拭き取り、いつもの質素な服に着替える。


温室に殆ど来客が無いから出来ることだ。公衆浴場のある街まで下りるのは面倒だし、視線が怖い。温室で済ませられるのなら、それが一番だ。


タオルを天蓋を吊る縄に掛けて干す。身支度が済んだら、胃が空腹を訴えた。昨日熟しているのを見つけた果物を食べよう。


使い慣れた園芸鋏を取り、温室の各所を回る。ヒャクメクワの幹になった花序やワニイチゴの集合果を集めて、軽く洗う。採りたてを一口。甘みは強くはないけれど、街で売っている果物とは違う爽やかさがある。これはこれで美味しい。チーズと合わせれば、立派な朝食だ。


天蓋のそばに誂えた食卓まで戻る。お茶も用意しよう。今日はハッカが美味しく飲めそうな気分だ。アルコールランプに火を灯し、湯を沸かす。沸々と浮かんでは消える泡を眺めながら、今日の作業を確認する。


朝のスプリンクラーは終わった。早いうちに乾燥標本を整理して、ヤシの枯葉を取り除いて、動物たちにも餌を与えて、池の水質を確認して……。


やる事は沢山ある。朝食を食べたらすぐに動くべきだろう。湯に乾燥したハッカの切れ端を入れて、チーズと果物を齧る。


冷たい風がそよぐ。


微かな雨の匂いを感じて、天を見上げる。いつのまにか暗雲が立ち込め、温室に影を落としていた。


先程までそんな気配は無かったのに。傍のネムを見ると、葉をわずかに広げている。植物は察知していたようだ。


雨が吹き込むほどの嵐ではないだろう。硝子窓は開けたままにして、作業に取り掛かる。


しばらく園内をせかせかと走り回る。キンケイショウの蕾は問題なく育っていて、バラは少し剪定が必要そうだ。外の天気は優れなくとも室内の温度は保たれているのかゾウガメも元気だし、クジャクの巣も確認した。さて抽水植物の管理を、と胴長靴に足を通すと、光が瞬いた。


雷鳴が鳴り響く。


随分と荒れてきた。外の花壇に悪影響が無いといいが。スコップを片手に池の外周を回り込む。


雨の香りが吹き込んできた。


辺りを見回す。非常口が開け放されていた。不用心な、と魔女自身しか心当たりが無いにも関わらず呟く。


扉を閉める。


がたり、と、茂みの向こうで物音がした。


身を竦ませる。この温室に、いや、この付近一帯に、人間は魔女以外にいないはずだ。何より先ほどの物音は何か、家具を倒した音だ。植物に悪影響があったかもしれない。


天蓋の元へ走る。


呻き声が聞こえた。


「お、おこして」


倒れたサイドテーブル。散乱した朝食。のたうち回る芋虫……のような何か。


スコップを構えて、近付く。革製の拘束服に身を包んだそれは、伯鳥嘴の面頬をこちらに向けて叫んだ。


「あ!そちらの貴婦人、どうか手をお貸しください!我輩、不自由な身でして!」


籠っているのに大音量の声で助けを求められる。


「その前に、この質問にだけ答えて。何をしに来たのです」


スコップを下手に言い放つ。のたうつ男は一変、哀れげな声で呟いた。


「雨風をしのぎたくて……」


冷たい風が、再び吹き込んできた。


恐る恐る魔女は近づく。


「何かおかしな事をしたら、承知しませんよ」

「ご安心を!見ての通りでありますから」


そう言って、革帯で硬く巻かれた両腕を掲げる。


それでも挙動を注意深く観察しながら、魔女は男の背中に手を回し、重い上体を起こした。


「その姿で、どうやって歩いてきたのですか」


魔女は疑問を口にする。


「それがそれが、この拘束具はかの有名な王立工房で作られたものでして、必要な時に着用者を戒めるという優れものなのであります!」

「必要な時って」

「例えば……たまたま見つけた温室のたまたま開いていた扉から中に入って物色している最中に、誰のものとも知れない果物を見て食欲が沸いた時とか」


魔女は周囲に散乱した果実を見渡す。


「……つまり、泥棒なのですね」

「ち、違います!盗んではおりません!勝手に侵入したのは本当ですが」


雨風をしのぐというのはあくまで、ここに入る動機だったらしい。立派な犯罪者だ。やはり油断は出来ない。


「素直に正門から入って申してくれれば、木の実ぐらいあげましたのに」


もとより、多くは腐り落ちる。それなら来訪者に分ける方が良い。だというのにこの闖入者は、悪手を取ったようだ。


「申し訳ございません」


再び男は床に転がる。うつ伏せのまま謝罪を続ける男を、もう一度魔女は起こす。


「とりあえず、空腹なのでしょう?お腹を満たしてください」


人里からも程遠い、樹海のほとりに体の不自由な男を放るほど薄情ではない。


白銀の庇が魔女を向き、


「恩に着ます、貴婦人!」


革帯が解け、大きな手が魔女の手を取った。思わず魔女は仰け反る。


「急に、動かないでください」

「失敬」


魔女が非難げにそう呟くと、男は魔女の手を引き立ち上がる。慣れた所作に面食らいつつ、魔女は裾を軽く払った。


「あ、ありがとうございます…」


魔女が例を告げると、男は照れたように庇を擦った。


遍歴の騎士なのか、流れの泥棒なのか。


少し足りない青年なのか、無垢な少年なのか。


春雷と共に訪れた男を見つめ、魔女は訝しげに目を細めた。




差し出された朝食の残りを、男は瞬く間に平らげた。面頬の隙間に放り込まれていく木の実を眺めながら、魔女はお代わりが必要か考える。


「この、果物!」


指先まで包帯で包まれた手をクワの汁で染めつつ、男ははしゃぎ声を出す。


「あまり見かけない姿形ですが、野趣溢れる味わいで実に美味い!深山のキイチゴか何かでありましょうか」

「これはヒャクメクワという植物の花序です。山脈を越えた南方の原産で、」

「南方!」


男は首をかしげる。


「そんなに遠くまで来てしまったのでありますか……」

「この温室で育ったものです」

「あ、なるほど」


なんとも歪な会話を交わす。


騎士とも病人とも囚人とも知れぬ風体の男は、温室の天井を見上げ、感心したようにため息をついた。


「森のほとりに斯様な施設があったとは。魔女殿の実験室でありますか」

「ま、魔女?」

「人里離れた奥地で、植物に囲まれ暮らす麗しい貴婦人……とても現世の方とは思えません」


芝居かかった口調だが、素直に褒められている気もしない。魔女は少し悩み、答える。


「確かに、魔女の端くれではあります」

「おお、やはりやはり!」

「でも、大したことは出来ません。私の仕事は此処の管理。それ以上のことは、何も」


何か期待のようなことをしているのなら、はっきりと告げなければならない。魔女がこの男に対して出来るのは、こうやって果実を恵むことぐらいだ。


「ここの管理!」


しかし男は、言外の思惑など気にも留めず、大声を上げる。


「魔女殿一人で、でありますか?」

「ええ……」

「掃除や剪定だけでも骨が折れると思いますが」


男は隆々とした腕を組み、唸りだす。何となく男が言い出しかねない事を察して、魔女は身構える。


「あの、お手伝いとかは結構」

「果実の礼です!何か力仕事や雑用などがございましたら、何なりとお申し付けを!」


やはり。


迎撃も出来なかった自身を恨みつつ、苦笑いを浮かべる。もっとも、申し出自体は有難い。ただ男に仕事の一部を任せるのが不安なだけだ。


「有難いことですけど、作業中にまた動けなくなってしまっては、私も助けられるかどうか」

「不思議な事を仰いますな。世のため人のために行なっている善行を、この拘束服めが縛める道理などないでしょう!」


堂々と男は告げる。その道理がよくわからないのだ。しかし男もただで引き退るような性質ではないということは、この十数分でよくわかっている。


「……では、少し滞っているお仕事を、手伝ってもらってもいいですか?数時間ほどかかりますが」

「問題ありません!喜んでお手伝いたします!」


そう言うが早いか、男は席を立つ。大きく揺れた机から二ナナシが転がり落ちそうになった。慌てて受け止める。


「それでは、指示を!」

「わ、わかりました……」


どちらが指示されているのかわからない。男に急かされるように、魔女は席を立つ。


「池の方へ行きましょうか」

「池」

「はい。水質と鉢の確認をしましょう」


そう告げて、再度男の服装を確認する。


潜水服のようにも見える拘束具からは何本もの革帯が垂れ下がり、あまり動きやすそうには見えない。ただ、継ぎ目が無い分防水性は高いように思える。


「水に入っても、問題はありませんか。その、替えの服などは持ち合わせておりませんので」

「無問題であります」

「でしたら、さっそく」


シリンダーと試薬を取り、男と共に池へ向かう。熱帯原産のスイレンやハス、ミズイモの類を中心に植栽した人工池の縁で、挙動不審な様子の男に声をかける。


「気になる植物が?」

「何もかもが気になりますな!」


息荒く男は答える。


「博物誌の世界のようです」

「ふふ、設立者が聞いたら喜びます」


魔女もまた、嬉しくなって微笑む。池の中を覗き込みながら、男が一点を指差した。


「やや、あの植物は見覚えが」

男が指したのは大きな浮き葉を広げたオニバスだった。南方の抽水植物だが、ある程度低温にも耐えるため、この地の温室でも冬を越すことができる。


「どこか、植物園で見たのでしょうか」

「いえいえ!以前遠征に……」


革帯が男を縛めた。水面を見つめたまま立ち尽くす男に、動揺した魔女は声をかける。


「あの」


魔女の呼び掛けに応じることもなく、微動だにもしない。刺激するのは危険だと魔女は直感し、距離を置く。


傍の男を気にかけながら、シリンダーに粉末を入れ、水を掬う。水色が綺麗な緑色に変化した頃、男の拘束が解けた。


「あ」


呆けたように男が声を漏らす。自身の腕と魔女の顔を見比べ、恥じらうように顔を覆った。


「も、申し訳ございません!ああなんたる失態。手伝うと言っておきながら」

「構いませんよ。僅かな間でしたし」


とは言いつつ、取り乱した男を宥めることに内心必死だ。縛める必要があったということは、何やら心境に変化があったのだろう。下手すれば、魔女に矛先が向かうほどの。


油断ならない。


魔女は男に注意しつつ、池の中に足を踏み入れる。


「水質は問題ありません。鉢を動かしてもらいましょうか」

「はい!」


先程よりも妙に意気良く、男は返事をする。そうしてざぶざぶと水に入る。


「ぬ」


男が水面を見下ろす。


「魚ですかな?」

「何種類か放しています。それと、カメやサンショウウオも居ますよ」

「ほお」


まじまじと水底を見つめる男。なんだか子供のようなその姿が、騎士じみた外見とひどく不釣り合いだった。


キカガクヒシとミズイモの鉢を引き上げ、根元の様子を観察する。


ここにやって来た時は根腐れを起こしていた株だが、何とか新芽を出すまで持ち直してくれたようだ。お見舞いの肥料を埋めて、再び池の中に戻す。


「もういいのですか?」

「はい。経過は良さそうです」

「見ただけでわかるものなのですな」


魔女らしい方法もあることはあるのだが、目で見て土を触る方がずっと植物の機嫌はわかりやすい。そう説明したところ、騎士は顎に手を当て首を傾げた。


「植物の、機嫌」

「少し擬人化した表現でしたね。でも、そうとしか形容しようがありません。植物は意外に顔に出るんですよ」

「ふーむ」


殊更混乱したのか、男はため息をつく。


「顔……」


そう呟いて、近くのカスミフジの枝を引き寄せる。


「葉っぱ、でしょうか」

「葉に出る不調もありますね。黄変などは気をつけるべきです」

「なるほど。ならばこの木は健康優良なのでしょう!青々としている」


男の言葉が面白くて、魔女は少し微笑んだ。


「さてさて、次は何をすれば良いのでしょう」

「枝打ちをお願いできますか?」

「おお!得手分野であります」


そう言って、男は佩いた剣の柄に手をかける。急いで魔女は呼び止める。


「剣ではなく、高枝切り鋏を使ってください」

「タカエダキリバサミ」

「はい。伸びすぎた枝を切るので、こちらが便利ですよ」


使い慣れた枝切り鋏を見せると、男は声を弾ませた。


「これは……なんだかカッコいい道具でありますな!」


枝切り鋏を受け取り、刃を開閉する。


「どの枝を切れば良いのでしょうか」

「あそこのヤシの、垂れ下がった葉を切ってもらえますか」


池のほとりに聳えたゾウゲヤシを指差す。枯葉が中々落ちずに困っていたのだ。


「あのままでも良いのですけど、少し見栄えが」

「なるほど!では早速」


真っしぐらに男はヤシに向かう。はるか頭上の葉との距離感を測るように数歩、根元で逡巡する。


「うーむ」


少し悩んだのちに、鋏を閉じる。こぎみよい音を立てて、ヤシの枯葉がパサリと男の頭上に落ちた。


「ぬわ」

「大丈夫ですか?」


枯葉の下敷きになった男に声をかける。

男は葉を除けると、繁々とそれを見下ろした。


「枯葉とはいえ、なかなかの重さがありましたな」

「このヤシは特別葉が大きい種です。でも、タビビトノキに比べたらまだ可愛いものですよ」

「タビビトノキ?」

「温室の南寄りにあります。ここからも見えますよ」


木々の合間から見え隠れする巨大な草本を指差す。魔女の示す方向に目をやり、男はまたもや興奮したように声を弾ませた。


「あれですか!」

「タビビトノキは根元から生えているので、葉の手入れは楽なんですけどね。あれはあれで蜜が多くて」


魔女の言葉も耳に入らない様子で、男はタビビトノキの方へ駆けていく。あまりにも挙動が激しい男に肝を冷やしながら、なんとか見失わないように魔女も後を追う。


「魔女殿!」


タビビトノキの根元で男が騒いでいる。庇の先は、葉柄の合間から覗く苞に向いている。


「鳥が、花に悪さを!」


魔女もまた頭上を仰ぎ見る。


オオハシが花苞をこじ開けようと躍起になっていた。


「ああ……」

「良いのですか?」

「ええ、構いません。彼はここで暮らしている鳥です。少しくらいなら、蜜や花を拝借しても問題はありませんよ」


そう告げると、途端に男は周囲を伺いだす。テラリウムのそこかしこから聞こえてくる音が気になり始めたようだ。


耳を澄ませば、鳥の羽ばたきの他に足音、咀嚼音、囀りがとめどもなく響く。


「……魔女殿一人で寂しい暮らしだと思っておりましたが」


じっくり音を聞いた後、男が呟く。


「意外に賑やかですな」


その言葉に、魔女は頷いた。


「ええ、本当に」


それから、男に再び枝打ちの指示を出す。魔女では届かない木の枝を何ヶ所か始末し、落とした枝や木の葉を細断する。害のない葉はカメやトカゲにあげた。


「可愛いものですな!」


男はタカロカイの葉をゾウガメに差し出した。魔女の何倍も長く生きているゾウガメは、闖入者を不思議そうにじっと見つめている。その足元では、トサカトカゲが葉を引きずってその場から離れようとしていた。


「それにしても魔女殿」


タカロカイをもぎり取られて手持ち無沙汰になった男が、思い出したように声をかける。


「果物以外の食事は、何か食べているのですか?もしや、彼らを……」

「いえいえ!時々は街に出て、薫製肉などを買いますよ」


街と聞いて、男は押し黙った。組まれた腕に革帯が巻きつく。


「街、ですか」

「ええ。鳥で一時間ほどかかりますが」

「鳥?」

「馬がわりに、クジャクに手伝ってもらっています」


恐る恐る応対する。鳥に興味を示したのか、男は声を弾ませた。


「クジャクがいるのですか」

「はい。雄が一羽」


魔女の背後でハサミランの茂みが騒ついた。瞬時に男が、帯びた剣の柄に手をかけた。男の発した殺気に思わずたじろぐと、二人の間に茂みから走り出たクジャクが割って入った。


甲高く、クジャクは威嚇の叫び声を上げる。青光りする喉をさすると、二、三歩退いた。


「あの、剣から手を離してください」


入れ替わるように、魔女が男とクジャクの間に立つ。男は柄に手を添えたまま、魔女に尋ねた。


「いやあ、初めて見ました」


佇まいとは対照的に、暢気な声だった。


「馬の代わりに騎乗するとは聞いていましたが」

「あの」

「あっ、失敬」


男は両手を横に、直立不動の姿勢を取る。気が立っているのか、巨鳥は蹴爪の付いた脚で地を引っ掻いた。それを見て、男は先ほどの威勢は何処へやら、どこか情けない声を出した。


「おおう」

「人見知りなのです」

「警戒心が強いのですか。その辺りは馬に似ておりますな」


男が腕を伸ばす。薄汚れた包帯の甲を目前にして、クジャクは瞬膜を瞬かせた。


「悪い人じゃないよー」


裏声で男はクジャクに敵意がないことを示す。はっきり言って、逆効果だ。


昂り始めたクジャクを宥めるために、ハンカチで頭を覆う。


「落ち着いて」


長い首の、滑らかに輝く羽毛を撫でるとクジャクは膝を折った。何とか大人しくなった巨鳥を見下ろし、男に声をかける。


「あまり、刺激しないでください」

「敵意が無いことを伝えたかったのですが」


首をかしげる男の前で、安堵と虚脱の嘆息をもらす。こんな有様では、きっと馬にも乗れないのだろう。とんでもない騎士様もいたものだ。


「魔女殿は動物を御することも出来るのですか」


感心したように男がぼやく。声に反応したのかクジャクが首をもたげ、一声鳴いた。


熊手を渡して、ジガヤの搬入を手伝ってもらう。温室内で放し飼いにしている生物の寝床や餌になるのだ。


「彼らは、植物に悪さをしないのですか」


ジガヤを抱え込み、匂いを堪能した後に男が聞いた。


「先程の鳥たちもそうですが、ここにはリスやネズミもいるようなので」

「幹に穴を開けて住居にする種はいますが、根を害する種はここにはいません。動物自体、数える程しかいませんよ」

「幹に穴?そこから駄目になってしまうのでは」

「植物は結構、強いんですよ。あそこの木を見てください」


この温室の中心にそびえる、巨大なバオバブを指差す。太鼓の胴のような幹には無数の穴が空き、そこからひょっこりとムササビが顔を出した。


「あの木は殆どがらんどうなんです。それでも、毎年花実をつけて、葉を落とす。生きているんです」

「ほお……」


ムササビが飛びたち、茂みに潜り込んだ。堅果を見つけたのだろう。適度に食べてくれれば、植物が縦横無尽に蔓延ることも防げる。


この施設は植物の保存収集のために作られた。その業務をこなすためには、ある程度「管理」が必要になってくる。受粉や間引きによる維持を、動物が手伝ってくれるのだ。

ふと、男の面頬を見る。


庇の向こうにあるのであろう目は、バオバブの梢を見つめていた。


「ここは、美しい場所であります」


溢れた言葉には、先程までの子供じみた高揚は含まれていなかった。


「魔女殿」


ざっと音を立て、騎士は居住まいを正した。その姿勢に何か真摯なものを感じて、魔女もまた居住まいを正す。


「な、なんでしょうか」

「我輩、もっともっとこの温室のことを知りたいのです」

「それなら、時間が許すのであれば他もご案内いたしますよ」

「ここで働かせてください」


思いもしない騎士の言葉に、魔女は二の句が継げなくなる。


働く、ということは、何かを対価にしなければならない。ここの管理者が魔女である以上、魔女が職員に対価を渡さなければならないのだが、魔女が用意できるものは何もないのだ。


いや、それ以前に。この男を、雇えるのか。


「騎士様はその、どちらかに奉公なされているのでは」

「我輩、訳あって元の主家に戻るわけにはいかないのであります!」


堂々と、騎士は告げた。尚の事頭が痛くなってしまう。主君と何があったのかはわからないが、勘当されると言うのはよっぽどの事ではないか。魔女は額に指を添え、考え込む。

雨の打ち付ける音と、鳥達の騒ぎ声が響く。


「……働くのなら、相応の対価が必要でしょう。でも、私は何も差し上げることが出来ません」


魔女がそう告げるや否や、騎士は片膝をつく。


「貴女の知識を対価に」


騎士の言葉を、魔女は理解することが出来なかった。知識といっても、少し本を開けば載っている程度のことしか魔女は分かり得ない。そんなものが、対価になるのだろうか。


「此処の全てを、我輩にご教授ください!植物の名前、育種、同定、その他諸々、全てを!」


篭った声が段々と大きくなっていく。既に戒められている腕は、軋むほどに帯が食い込んでいた。


庭師にでもなりたいのかしら。


半ば現実逃避じみた考えが、脳裏を過る。


「……労働に見合う対価とは思えませんが、それで良いのですか?」

「構いません!」


騎士は断言する。


魔女は白銀の面頬を見つめ、諦めたように溜息をついた。


この男はまだ、信用出来ない。だが男を今現在も戒める拘束服くらいは、信頼してもいいだろう。


「では、貴方を……」


魔女は一旦言葉を切り、


「仮雇用しましょう」




一夜明けた「仮雇用」の騎士は、予想以上によく働いてくれた。


これまで随分と時間がかかっていた枝打ちやごみ処理など重労働が僅かな時間で片付き、魔女は改めて人手がある事の頼もしさを知った。


何より、話し相手がいる生活は随分と久しぶりで、楽しい。


色々な意味で危なっかしい騎士だが、彼がいる事で魔女は安堵もしていた。


「魔女殿」


素焼き鉢を抱え、騎士は接木をしている魔女の元に駆け寄る。


「植え替え用の鉢であります」

「ありがとうございます」


傍に鉢を置き、騎士は大きく仰け反る。体操のような動きに、くすりと魔女は微笑む。


「少し、疲れましたか」

「む。いやいやなんの」


そうは言うが、なおも体操はやめない。


「こんなに働くのは久しぶりであります。だからこう、体がのってきたと言いますか」


騎士は腕を前に伸ばした。拘束服の帯がひらひらと揺れる。


「この服を支給されてからは、あまり自由にも動けないので」

「……脱ぐことは出来ないのですか?」

「ちょっと難しいかと」


地べたに座り、騎士は拘束服の襟首を探る。兜と服の隙間から、脊椎に食い込む金具と爛れた皮膚が覗いた。


思わず魔女は声を漏らす。


「あ……」

「この通りでありますからなあ」


何でもないように、騎士は笑う。魔女はというと、愛想笑いを浮かべる気にもなれなかった。一体誰が、この騎士をここまで縛めているのだろうか。


「えっと」


なんとか魔女は口を開く。


「では、お体はどのように清めているのですか」

「濡れた布巾でもあれば、服の隙間から拭うことが出来ます!そうでなくとも、案外服の中は快適なのであります」


どこか得意げにそう告げられる。工房謹製、流石の技術だ。もっとも、それだけの技術力を持つ国など、魔女は数カ所しか知り得ない。


「騎士様は、生まれはどちらなのですか」

「この森のほとり、名だたる聖霊の騎士団を抱える王国……の、片田舎であります」


照れているのか、騎士は庇を掻いた。


王国は、ここから樹海を挟んで東に位置する。もしや、樹海を踏破してきたとでもいうのだろうか。


獣が跋扈し、深部には魔王すら潜むという、この森を。


「王国の出身なのですね」


動揺しつつも魔女は会話を続ける。


「ここは帝国領ですが、もしかして都を目指していたり」

「いえ!特にあてもないのです」


そう告げて騎士は慌てて言葉を訂正する。


「い、今は勿論目的があります!魔女殿から全ての知識を学ぶこと!そのために我輩はここにいるのです!」


騎士は襟を正し、立ち上がる。


「魔女殿。次の使令を」

「そうですね」


鋏をしまいながら、魔女は考える。接木も終わった。植え替えの前に、日が高いうちに出来ることを済ませておきたい。


例えば、日用品の買い物とか。


「街に出て、買い出しをしましょう」

「街」


帯が騎士を縛めた。街に何か嫌な思い出でもあるのか、この話題が出るたびに騎士は縛められている。


魔女一人で行った方が良いだろうか。


結論を出す僅かな間に、騎士が口を開く。


「ええ。我輩もお供いたしましょう」


騎士の腕を見ると、既に帯は解けていた。安堵しつつ、次なる不安に襲われる。


騎士に、クジャクの扱い方を教えなければいけない。




ひとまずは、魔女が馭することにした。アプローチにクジャクと騎士を出して、温室の戸締りを確認する。


鞍をつけたクジャクの背に横座りする。魔女が腰掛ける時はおとなしかったクジャクだが、騎士が現れると途端に羽毛を逆立てた。


「二人乗り出来るのですか」


クジャクの機嫌などつゆ知らず、暢気に騎士はぼやく。


「一応、鞍に取手が付いているのですが、バランスは取れそうですか?」

「馬なら慣れているのですが……まずは練習ですな!」


騎士が鞍に手をかける。一瞬クジャクは尾羽を跳ね上げたが、魔女が喉を撫でると足踏みをしたのちに身を伏せた。


手綱に手を伸ばした騎士の腕に挟まれ、魔女は少し緊張してしまう。


「今回は、私が馭しましょう」


たわませた手綱を取る。魔女が声をかけると、クジャクはのそりと立ち上がった。流石に二人分の体重は応えるようで、なんとも鈍重に並足をする。


謝罪のつもりで魔女は頭を撫でる。帰ってきたら目一杯果物を食べさせよう。


「うーむ。日が暮れてしまいますぞ」


そう騎士が呟いた途端、クジャクは駆け出した。二人は前のめりになり、手綱を強く掴む。


「はは……!」


必死でクジャクを減速させようとする魔女の背後で、騎士は愉快な笑い声をあげた。


「いやあ、爽快でありますな魔女殿!」


いつのまにか、クジャクの主導権は騎士に渡っていた。手綱を取り返すような危険を冒すわけにもいかない。


誰かが馭するクジャクに乗るのは、久しぶりだ。


観念して、魔女は早駆けを楽しむことにした。




街が近くなるにつれ、クジャクは減速し始めた。


「どうどう」


慣れた手つきで騎士がクジャクの首を撫でると、首の羽根が逆立った。心を許しているわけではないらしい。


「街では降りましょう」


そのまま進もうとする騎士を諌める。騎士がクジャクから降り、続いて魔女の手を取る。


「ありがとうございます」


礼を言うと、騎士は照れたように庇を触った。騎士団や宮廷では日常茶飯事だろうに、随分と照れ屋な騎士だ。


打ち解けるためにクジャクを騎士に任せ、魔女は行きつけの店で食材を買う。顔見知りの女店主が、心得たように麻袋を持ってきた。


「用意しておりますよ。ご確認ください」

「感謝します」


ずっしりと重い麻袋の口を開く。温室では手に入らない燻製肉や粉が詰まっていた。


足りるだろうか。


遠くで何事かクジャクに語りかけている騎士を一瞥し、店主に相談する。


「あの、これからは頻度が増えると思います」

「承知いたしました」


代金と心付けの薬草を渡して、麻袋を抱える。騎士とクジャクの方へ向かうと、向こうから駆けてきた。


「持ちましょう!」


その申し出に有り難く甘える。麻袋を渡すと騎士は軽々と抱えた。


「他に御用は?」

「少し、顔を見せなければならないところがあります」


街の中心部へ向かう。壮麗な館を遠目に見て、騎士は足を止めた。


「ほお」


麻袋に回した腕に、帯が絡まる。


「ここは……」

「月に一度は領主に会わないとならないのです」

「領主?それはまた何故」

「生存確認、といいますか」


奇妙な一行の姿が遠目にも見えたのか、衛兵が近づいて来た。


「殿下、そちらの御仁は」


もっともな兵の問いに、魔女は言葉を詰まらせる。身元もしれない不審者を雇ったとは言いにくい。


「えっと彼は、新しい……にわ」

「弟子であります!」


はっきりとした騎士の言葉に、兵はたじろいだ。でし、と訝しげに反復し、敬礼する。


「殿下の弟子とは、失礼いたしました」


そう告げて、館の方へと戻っていった。


騎士は去っていく兵と魔女の顔を何度か見比べる。


「魔女殿、我輩はこのクジャクと打ち解けなければなりません!」


突如騎士が宣言する。驚いて麻袋に隠れた面頬を見つめると、さらに騎士は続けた。


「ですので、しばらくこの辺りを散歩します!心配ご無用、堀より外には出ません」


気遣っている。


そう感じて、魔女は目を伏せる。


「それでは……すぐに戻ります」


軽く頭を下げ、館の門をくぐる。


途中、振り向くと騎士が再びクジャクに跨ろうとする後ろ姿が見えた。威嚇するクジャクと隙を伺うように身を低くする騎士を遠目に見て、魔女はほんの少し、口元を緩ませた。




広間に通された魔女は、無骨な作りの椅子に腰掛ける。慌ただしい足音に耳をすませていると、程なく領主が現れた。


「申し訳ございません。ろくな準備もなく……」

「いいえ、いつも急に来る私が悪いのです」

「それも本来なら、私が向かうべきですのに」


よろよろと領主はおぼつかない足取りで、椅子を探し腰掛ける。


魔女が来る以前から、馬に乗ることもなかったという。高齢の領主に温室まで安否の確認のためだけに通わせるのは、酷な話だ。


「それに今は、不穏な噂も聞きます。ここまでの道を殿下お一人で往復するのは」

「不穏?」


騎士を雇い入れたことを伝えるよりも、領主の言葉が気になった。思わず聞き返してしまう。


「王国の騎士が一人、行方をくらましたのです」


魔女の顔が強張る。


一人、思い当たる人間がごく身近にいるからだ。


「……確かに行方不明とは不穏ですが」

「ただの騎士なら、噂にもならないでしょうな。近衛騎士団のうち、聖墓に入ることを許された三人の騎士。その一人が失踪したのです」


それも。


領主は言葉を切り、固唾を呑む。


「王を斬りつけ、遁走したとか」


魔女も思わず身を竦ませる。


まるで、謀反ではないか。


「ただこの話、ひと月も前の出来事らしいのです。その間箝口令が敷かれていたのか、はたまたただの流言なのか」


領主は唸る。例え流言だとしても、内容が内容だ。領主としては民を安心させるためにも真相を掴みたいのだろう。


「……逃げ込んだ先が樹海なら、人狼にでもなってしまったではないかと思うのです」


どちらともなく、ため息をついた。


温室の側に広がる国境の樹海は、魔性が潜む未踏の地だ。例え腕に覚えがある騎士であろうと、単身で踏み入れれば、再び人里に出られる保証は無い。


だからきっと、あの少し抜けたところのある不自由な騎士と件の騎士は別人なのだろう。


「護衛をつけましょう。何かあってからでは、遅いのですから。それに温室の方も、一人では不安でしょう」

「ああ……その事なら、心配ありません。今日はクジャクで駆けてきましたので。それと、最近人を雇い入れたのです。おそらく」


そこまで告げて魔女は考え込む。腕は立つだろうが、あの拘束服のせいで、いざという時には頼りにならないことがあり得る。


「使用人ですか?」


押し黙る魔女から言葉を引き出すように領主が問う。


「はい。とても勤勉な方で、助かっております」

「そのことも、お伝えいたしましょうか」


魔女は身を竦ませる。伝える先は一つしかない。


「……いいえ。きっと、興味もないことでしょうし。お時間を取らせてしまうだけです」


目を伏せる。


魔女が誰を雇おうと、向こうには関係のないことだ。




街の隅でクジャクに突かれている縛められた騎士を見つけ、温室に帰って来たのは星が瞬き始める頃だった。


鞍を取り外すと明らかに機嫌が良くなったクジャクは、魔女の手を甘噛みして、温室の茂みに入った。


「まだまだ時間がかかりそうですな」


どこか忌々しげに、騎士は呟く。


「魔女殿の前ではあんなにも可愛らしいのに」

「まずは、側にいることに慣れてもらう必要がありそうですね」


思うに、騎士は距離感が無い。最初はある程度の距離を取って、相手を観察することから始めた方が良いだろう。


そう告げると、騎士はクジャクを凝視し始めた。そういう意味ではない。


視線に気づいたクジャクと火花を散らし始めた騎士を余所に、肉の下準備を始める。温室の香草や塩をすりこめば、しばらくは持つ。これを燻製や瓶詰めに加工すれば更に長持ちするはずだ。今は食い扶持がもう一人増えたため、様子見が必要だが。


麻袋から肉を出し、サイドテーブルに置こうとする。いつのまにか立てかけてあった剣が目に入り、魔女は固まる。


そういえば、街に行く前には既に帯剣していなかった。少しでもクジャクの負担を減らそうとしたのだろう。騎士の心遣いに気付き、魔女は微笑む。


「……剣は、どちらに置きますか」

「んー、錆びないところであればどこでも!」


こちらを一瞥もせずに、騎士は返答する。剣を手に取り、魔女は置き場所を探す。


ふと柄に目を落とすと、何か汚れのようなものが見えた。既に錆びているのでは無いだろうか。


柄に手をかけ、引き出す。


手応えとともに、赤黒いものがこびり付いた刃が顔を出した。


ぱらりと汚れが切片と化して落ちる。即座に魔女は剣を納めた。


「魔女殿」


影が落ちる。


振り向くと、拘束服に縛られた騎士が、魔女を見下ろしていた。


「それに、関心でも」


剣を抱き、魔女は答える。


「いいえ」


騎士の面頬を見つめる。


庇の向こうには、顔も目もわからない、ただ暗闇ばかりが広がっていた。


魔女は剣を元の位置に立てかける。途端、騎士は再びクジャクに向き直り、距離を測り始めた。


領主の言葉が脳裏をよぎる。


あれは、何を切った際の汚れなのか。


それを問う勇気は、魔女には無かった。

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