琥珀色の甘い紅茶 後編【婚約者の歌で毒から救われました】
こんにちは、砒霜です。
ご覧いただきありがとうございます!
この話は後編なので、もし前編を読んでいないなら前編から読むことをおすすめします。
琥珀色の甘い紅茶 後編
賑やかな会場を後にし、ルシアンは静かな廊下へと足を進める。
最初は心配させまいと、普段と変わらぬ優雅で力強い足取りを意識していた。
しかし、人気のない静かなエリアへと深く進んでいくにつれ、胃を焼いていく猛毒の激痛が、容赦なく彼の体力を削ぎ落としていった。
冷や汗が全身から吹き出し、深く息を吸い込めば、その刺激でお腹の激痛が跳ね上がる。
ルシアンには、お腹を動かさないよう、胸だけで浅く、小さく呼吸を繰り返すのが精一杯だった。
きっと、もうセリアのもとに帰ることはできないだろう。
(まだだ……まだ、セリアが追ってこられるような場所で倒れるわけにはいかない…)
果てしなく続くかのような、広大な王城の回廊。歩けば歩くほど、思うように動かない身体は鉛のように重くなっていく。
ルシアンは静まり返った廊下の壁を伝いながら、一歩、また一歩と這うように進み、必死に距離を稼いだ。
やがて視界は激痛でチカチカと赤く染まり、ついに身体の震えが止まらなくなった。
どれほど歩いただろうか。
ついに身体が、限界だと悲鳴をあげた。
入り組んだ廊下の深い曲がり角で、ついに一歩も進めなくなり、壁にもたれかかった。
「ひゅ、っ……ぐっ……」
喉の奥から、獣のような苦しげな声が漏れる。その瞬間、喉の奥から押さえきれない何かがこみ上げてきた。
「けほっ、かはっ……っ、ゲホッ!!」
素早く手で口元を覆うが、小さな咳とともに溢れる鮮血は、指の隙間から容赦なく溢れ出した。
咳をすれば、息を吸った時のような、あの耐え難い激痛が襲いかかってくる。
ボタボタと重い音を立てて血が滴り、淡いミントグリーンの美しい礼服は、みるみるうちに赤黒いシミに汚されていく。
その時、静まり返っていた廊下に、激しい足音が響いた。
「ルシアン……!?」
約束を破り、ただならぬ胸騒ぎに突き動かされて彼をずっと追いかけてきたセリアが、角を曲がった瞬間、息を呑んだ。
ルシアンが、愛する婚約者が、苦痛に顔を歪めながら、血を吐いている。
セリアの喉から声にならない悲鳴が漏れた。
「……っ、うそ……ルシアン……」
ルシアンは、ようやく追いついたセリアを見て、血に染まった唇で弱々しく笑った。
セリアに何か言おうとしたが、もう声を出すことはできなかった。
優秀なレオンなら、今頃裏で犯人を潰してくれているはず。
それに、俺は守るべき人を守れた。
その事実に緊張の糸がプツンと音を立てて切れる。
意識が朦朧とする中、セリアに向かって伸ばされた彼の手は、彼女の頬に届く前に力を失い、床へと落ちた。
「……ルシアン? ルシアン! しっかりして!!」
セリアが触れた彼の手は、冷や汗でぐっしょりと濡れ、生きている人間のものとは思えないほど冷え切っていた。
セリアが必死の思いで回復魔法をかけても、彼の体温は下がっていくばかりで、その効果は全く感じられなかった。
「ルシアン……お願い…目を開けて……私を置いていかないで……私、まだあなたに大好きって言ってない……!」
絶望の淵に立たされたセリアの頭の中に、その時、あまりにも鮮烈なフラッシュバックが起きた。
幼い頃、畑で歌いながら笑っていた、農家のおばちゃんの言葉。
『――本当に大切な人が、理不尽な死に直面したとき、それを引き戻すための、古の魔法なんだ。
この歌を歌うと、本当に元気になる気がするんだ。
でも、これを使うと歌い手も膨大な魔力を失っちまって、数日は目覚めないのさ――』
あの時はただのお伽話だと思って笑ってしま
った。でも、この歌に本当に効果があるのなら。
(…ルシアンがいない世界なんて、死ぬのと変わらない。私の命に代えても、ルシアンは私が絶対に助けるから……!!)
セリアは涙を流しながら、ルシアンの冷たい手をギュッと握りしめ、あの古の歌を、静かに歌い始めた。
すると突然、彼女を中心に、太陽のような温かく眩しい光が溢れ出し、廊下を眩いほどに照らし出した。
蛍のような光の粒子が無数に立ち上り、二人の衣装を優しくなびかせる。
その奇跡の光がルシアンを包み込むと、血の気が引いた彼の肌にみるみるうちに温かさが戻っていった。
しかし、礼服を汚した赤黒い血のシミや、セリアが彼を抱きしめたときに移ってしまったドレスの汚れは、二人の生々しい死闘の記憶を刻みつけるかのように、そのままそこに残り続けた。
ルシアンの命が繋ぎ止められたのを見届けた瞬間、全ての力を使い果たしたセリアは、糸が切れたように崩れ落ち、暗く、深い眠りへと落ちていった。
それから数日後。
王城の静かな一室で、ルシアンは深い眠りから目を覚ました。
視界が白くぼやける中、あの廊下での耐え難い苦痛や、溢れ出して止まらない鮮血の記憶が脳裏をよぎる。
俺は確実に死んだはず、そう思ったルシアンがふと横を見ると、そこにはベッドの傍らに設置された寝台で、静かに眠り続けるセリアの姿があった。
「セリア……!」
ルシアンは跳ね起き、彼女の元へ駆け寄って手を握りしめた。
「ルシアン起きたか? とりあえず、お前が無事でよかったよ。」
扉が開き、レオンが部屋に入ってきた。その目は充血し、隈がある。彼が寝不足であることは誰が見ても、一目瞭然だった。
「レオン……俺は、死んだはずじゃないのか? それにセリアは……?」
ルシアンの問いに、レオンは一瞬だけ痛ましげに目を伏せ、それからルシアンの肩を優しく叩いた。
「お前を救うために、セリアはヴェルネ領に伝わる古の歌を歌った。
おかげでお前は回復したが、その代償として、セリアは魔力を使い果たして眠っている。
あの事件から数日経ったが、まだ起きないんだ。
……お前が倒れる前、俺に伝えてくれた例の内通者は、証拠の薬包を処分する前に取り押さえることができた。」
「そうか……レオン、ありがとう。
第一王子として、セリアの婚約者として、
本当に……感謝する」
ルシアンが心からの敬意を込めて微笑むと、レオンは少し照れくさそうに呟いた。
「お前がセリアの婚約者でよかったよ」
「レオンが、初めて俺のことを認めてくれたな」
「……やっぱり、今の無しで。
…俺はお前の声でセリアの目が覚めると信じてるよ。
父上達を呼んでくるから、お前はセリアを起こしながら待ってろ。」
レオンが部屋から出ていったあと、ルシアンはもう一度セリアの手を強く握り、祈るように彼女の顔を見つめた。
「お願いだから起きて、セリア。君のいない世界なんて、俺には生きる意味がないんだ」
すると、その願いが通じたかのように、セリアの長い睫毛が微かに揺れた。
パチッと、少し潤んだ瞳が開く。
「……ん……あ、れ…ルシアン…?」
「セリア! 目が覚めてよかった…」
ルシアンの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、彼女を壊れ物を扱うように、けれど力強く抱きしめた。
「よかった……本当に、本当に生きていてくれてよかった… 俺のためにこんな無茶をしたから……」
「ふふ…あなたの方が無茶してたでしょ。」
眠りから覚めたばかりのセリアは、まだ少し状況が掴めない様子だったが、ルシアンの涙と温もりに、自分が彼を救い出せたのだと理解して、泣き笑いのような表情でその背中に手を回した。
「助けられて良かった。大好きだよ」
「俺のほうが大好き。セリアのためなら毒だって喜んで飲むよ。」
「もしも次、そんなことしたら、一生口をきいてあげないからね」
愛を伝えようとしたその言葉は、セリアにバッサリと切り捨てられてしまった。
ふと、ルシアンの肩越しに視線をやったセリアは、窓辺に飾られた花瓶に目を留めた。
そこにあったのは、あの夜会会場の片隅で萎れかけていたはずの、一輪の薔薇だった。
かつて弱々しく、枯れかけていたその花びらは、今はまるで朝露を浴びたかのように瑞々しく、生命力に満ち溢れた美しい大輪を咲かせている。
セリアがルシアンの命を繋ぎ止めるために歌った、あの古の歌――その奇跡の魔力が、彼だけでなく、あの場にあった薔薇をも蘇らせていたのだ。
(光の加減なんかじゃ、なかったんだ)
セリアは心の中でそっと微笑み、目の前で愛おしそうに自分を見つめるルシアンの胸に、もう一度深く顔を埋めた。
その感動の瞬間を破るように、扉が勢いよくガチャリと開き、レオナルド国王やフローラ王妃、そしてルナ王女やエドワード伯爵夫妻たちが部屋に雪崩れ込んできた。
「ルシアンの目が覚めたって!?」
親たちはルシアンだけでなくセリアまで起きていることに気がつくと、涙を流しながら安堵の表情を浮かべた。
「お兄様もセリア姉様も、お互いのために無茶しすぎ! 」
ルナは怒りながらも涙を拭っている。
その様子を、レオンは少し離れた壁にもたれかかりながら、いつものように腕を組んで見守っていた。
ルシアンはレオンと視線を合わせると、優しく、深い信頼の笑みを送った。
レオンもまた、小さく満足げに頷き返し、
「……妹のヒーローとしては、ギリギリ合格点だな」
と、嬉しさを隠すように小さく呟いた。
毒を盛った貴族は、レオンたちの連携によって、夜会に出席していた貴族達の誰にも知られずに破滅させられていた。
自分のもとに引き寄せたセリアの手を、ルシアンは今度は絶対に離さないように、優しく、そして強く握りしめる。
二人の絆は、どんな猛毒も引き裂くことのできない、本物の強さへと変わっていた。
私の初小説である
本作を読んでいただきありがとうございました。
ちなみに、作中でルシアンが飲んだ、
『琥珀色の紅茶』に仕込まれていた
毒の正体や、私のペンネームの意味に
ピンと来た方がいらっしゃれば、裏の繋がりを
楽しんでいただけるかもしれません……
前編と後編に分かれたこの小説はいかがでしたでしょうか。
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また気が向いたら、この2人のお話を書きたいと思っております。ぜひまた読んでくださいね。




