哲学的ゾンビ
「『大友 愛理』さんだったよね? ちょっといいかな?」
食堂で食事をしていると幼女を連れた『早乙女 紗希』に声をかけられた。
周りにいた他の班の生徒達がざわめく。
紗希がこうして朝の食堂へ顔を出すだけならまだしも、私のような一般の学生に話しかける事なんてめったにないからだ。
「……何かしら?」
紗希なんかと関わりたくはないが、流石に目の前に立たれて声をかけられては無視するわけにもいかない。
「ご飯食べてからでいいから2-7に行ってくれないかな?」
「2-7に?」
「うん。そこで大事な話しがあるからさ。お願いね」
そうとだけ言って紗希はすぐに私に背を向けて歩きだした。
ちょっと、いくら私に興味が無いからって説明くらいはするべきじゃない。
「待ちなさいよ。大事な話しって何?」
「待たないよ。大事な話しは詳しく2-7で話される予定だから楽しみにしておきなよ。じゃねー」
私の言葉に一瞥もすること無く手を軽く振り、食堂から紗希は足早に出て行った。
自分が興味のある人以外には一切時間を割きたくないってことか。
相変わらず協調性のないことで。
……あー駄目だ駄目だ。
あんな奴のせいでイライラするなんて損よ損。
私とは違う生き物なんだから気にするだけ無駄だって割り切らないとね。
あんな奴の事よりもまず、なぜよりにもよってあの地獄を経験した2-7に行かなきゃいけないのよ。出来れば近寄りたくもないんだけど。
でも紗希に言われたなら行かない訳にはいかないわよねぇ……。
紗希は特殊は立ち位置にいる。
この閉鎖的な状況下である学校で自由行動が認められているだけでなく、ただの学校の生徒であるはずなのに『人類最終永続機関』の関係者達は紗希を腫れ物に触るかのように慎重に接しているのだ。
だからそれを見ている他の生徒達も紗希にどんなふうに接しればいいのかと迷っている。
自分達と同じテロに巻き込まれた被害者のように接するべきか、それとも白いガスマスクの研究者達と接するようにするべきかと。
どう関わるべきか方針が定まらない今は、紗希には極力関わらないというのが生徒達の間での暗黙の了解なのだ。
そのことから、あまり紗希の意向にそぐわないことはしない方が良いだろう。
例えば私が感情的になって今の紗希の話しを無視なんてしたら、紗希が怒らなくても周りからの目が『何で紗希を怒らせるような事をするんだ』と厳しくなる。
紗希が私なんかの行動にいちいち怒ったり笑ったりする訳が無いのにね。
なんだか結果的に紗希のいいなりのようで少し不快に思いながらもさっさと食事を終わらせ私は2-7へむかう。
そして教室のドアを開け思わず舌打ちが出そうになった。
教室内には燃えるような赤い髪をした長身の女性、『クレア』がいたのだ。
クレアは私を見て怪訝な顔をしたがすぐにその顔を引っ込め、笑顔で手を振ってくる。
ドアを開けたポーズで固まっていた私は、クレアを警戒をしながらもとりあえず教室に入る。
「おはよう。……あまりそう警戒しないでくれないか? 私達はもう君達に危害を加えるつもりは無いんだぞ」
どこか疲れたようにクレアが言う。
確かにあの地獄を生き延びたその日の夜に研究者達が「生き残った君達には一切の危害を加えない」とは言っていたが、まさかそれだけで信じる事なんて不可能だ。
クレアもそれが分かっているのか表情は笑っているがどこか影がある。
この様子じゃ『警戒しないでくれ』というのも言ってみただけなのかもしれない。
「別に、警戒なんてしてませんよ」
「そうか。それは悪かった」
クレアはすぐに謝罪してくる。
……思えばクレアは『カール傭兵団』とやらの隊長だ。
私のような生徒の警戒なんてお見通しなのだろう。
それなのにこんなに素直に謝罪されてしまうと居心地が悪い。
「……それで、なんで私は2-7に呼ばれたのですか?」
出来るだけ会話をしたくはなかったが、この居心地の悪さを何とかするため会話を続ける。
一応、立場的にクレアが上のようだし敬語は忘れない。
「ん? 紗希から説明されていないのか?」
「全てがどうでもいいと思ってる紗希が私なんかに説明してくれると思ってるのですか?」
「そうか? 紗希は高希や椛に丁寧に色々と説明をしていると思うが?」
確かに紗希は高希と椛には比較的人間らしく接している。
だが、それはあくまで人間らしくである。
「あれは友達という存在には親切にしないと駄目だって学んでいるからやってるだけですよ。親切心からじゃなく、友人だからそうするべきだって紗希の中でシステムが組まれてるだけです」
「システム?」
「つまり紗希はこれまでの経験と学んだ道徳、あと好奇心だけで動いているので友人ではない私には説明とかそういう時間のかかることはしてくれないのですよ」
「それは少し言い過ぎじゃないか?」
「クレアさんは紗希の事を知らないからそう言えるですよ。紗希は、言うなればあれですね。……え~と、確か『哲学的ゾンビ』って言うんでしたっけ?」
私は中学校で友達との話題を増やすために読み漁った数多くの本の中で1度だけみかけた単語を口に出す。
「ゾンビだって?」
「外でヴァーヴァー言ってる奴らとは違いますよ。私も『哲学的ゾンビ』を詳しくはしらないけど、紗希の心は少なくとも人間ではないです」
「……紗希の心か」
紗希の心と聞いて、クレアは少し眉をしかめた。
「その様子じゃクレアさんも紗希の心になにか引っかかるものがあるみたいですね」
「あぁいや、別に紗希が機械のようだと思ってるわけではないぞ?」
「誰も機械なんて言ってないですよ。……でもそうですね。機械っていうのも的を得てるかもしれません。でも私はそんな人の役に立つような便利で上品なものだとは思えません」
「……私は紗希と関わってまだ1月も経っていない。よければ、同じクラスだった愛理から見た紗希を教えてくれないか?」
クレアは真剣な表情で私に言う。
何故クレアは紗希にここまでの興味を持っているのか分からないけど、ここでクレアのような『立場』がある人物に紗希の危険性を伝えられるのなら丁度いい。
「クレアさん。私はこれまで、沢山の人達に好かれる為に人の顔をうかがったり人の喜怒哀楽を察知して場の流れ・空気をうまく読んできたつもりです。だから、人の感情とかそういうのはよくわかるって自負しているのですが、そんな私でも紗希からは喜怒哀楽どころか少しの感情も感じないのです」
「何も感じない? 私から見たら確かに怒ったり泣いたりと激しい感情は見えないが、それでも笑ったり慌てたりしていてとても感情がないとまでは思えんのだが」
「まぁ、一見したらそうですよね。だけど私は確信をしています。紗希の『楽しい』も『嬉しい』も『悲しい』も全部演技なんだって。……分かりやすい例えだと、『猫や犬とかを見て周りの人達がかわいいって言ってるから、自分は特にそう思わないけど同じようにかわいいって言っておこう』って感じですかね」
「なるほど。すごく分かりやすい例えだ」
感心したようにうなづきながら言うことからクレアにもなにか似たような経験でもした事があるのかもしれない。
「で、紗希の場合はそれが全部なのです。全部を無視してもいいと思ってる。でも現実問題すべてに無視はできない。だから紗希は『他人の感情・反応・行動』を真似してるだけ。紗希の笑顔も慌てたような仕草も全部が他人を真似た演技。中身はいつもからっぽなんです」
「だが、紗希はこのクラスで自分の命を盾にお前達を助けたじゃないか。からっぽな奴にそんなことが出来るのか?」
クレアは紗希が銃を口に含み自分の命を人質にして2-7のクラスメイトを助けた時の話しをする。
確かに『他人の行動』を真似しているだけの奴や、自分以外どうでもいいと思っているような奴ならそんなことはしないだろう。
でも、紗希の場合は少し違う。
「紗希は自分の命だってどうでもいいんです。紗希はあの時、笑っていました。それこそからっぽな証拠です。あぁいう時、人はどんな表情をするのか分からないからとりあえず紗希は笑ったのです。そして私達を助けたあの行動理由はこれまでに学校で学んだ道徳や日本の人道が『困ってる人を見たら助けましょう』だったから紗希はそう行動しただけで、そこに人を助けるための『勇気』も、死んでしまうかもしれないという『恐怖』もありはしなかったはずです」
紗希はあの時、ただただ私達の命を助けただけ。
だから私達が生きていても特に嬉しいとも思っていないのだろうし、例え私達全員が死んでいても今と特に変わらないだろう。
私はそう確信している。
「酷くて正しい事を言うなぁ」
教室のドアが開き、紗希が教室に入って来た。
「紗希!? あのこれは陰口とかそういうものじゃなくて、これは私が無理やり余計なことを聞いただけであって愛理さんは悪くなくてですね!?」
分かりやすく慌てながらもクレアは私を庇うようなことを言う。
……確かにいくら紗希の危険性を伝えるためだからといっても、はたから見たら今の私の話は陰口だと思われてもしかたがないな。
「別に慌てなくても大丈夫ですよクレアさん。ほとんど正解ですしね」
「……紗希」
「はーい心が綺麗な紗希ですよー」
何が『心が綺麗』だ。
なにもないから綺麗に見えるだけだろうに。
「相変わらず白々しいわね」
「黒よりは白の方がいいでしょ?」
紗希はそう言って笑う。
だがやはり、それは表情や声などが笑ってるように見えるだけだ。
「なんだ? 黒と白? オセロの話でもしているのか?」
そんな『笑っているだけ』の紗希の後ろから誰かが現れる。
灰色の髪を後ろでひとまとめにした女性で、右手には何故か槍を持っていた。
だがそんな槍よりももっと目を引くものがその女性には備わっていた。
「う、ウサミミが……」
灰色の髪と同じ色のウサギの耳がその女性の頭の上でピョコピョコと動いていたのだ。
『人類進化薬』で髪の色や眼の色は変わるが、中には動物の特徴が現れる人もいる。
私も犬のような尻尾がある人や鱗がある人をチラリと目撃したりしているが、改めて本物の動物の特徴を持つ人が目の前に現れると流石に動揺が隠せない。
「なんだ貴様は? 初対面の人に『ウサミミ』と言うなんて失礼ではないか」
いやそんなウサミミつけてる状態でありながら真面目な調子で『失礼ではないか』とか言われても困るんですけど……。
というか『ウサミミ』は失礼にあたるの?
「おぉレベッカじゃないか!」
ウサミミと真面目な対応のギャップに私がどう反応するのが正解か模索していると、今迄気まずそうに黙っていたクレアが声を上げた。
「え、クレアさん!? クレアさんがなぜここに!?」
ウサミミの女性もクレアに気付いたのか驚いたように声を上げた。
「それは勿論同じチームになってもらうからさ」
そこに紗希が聞き捨てならない事を言った。
「同じチームって?」
「あれ大友さん、クレアさんから話を聞いてないの?」
「そのクレアさんからは紗希から聞いてないの? って言われたんだけど?」
「あー……。うん。不幸なすれ違いってやつだね!」
紗希は悪びれずに言う。
腹立つ。
いや、紗希に怒っても意味ない。
イライラしては駄目。ここは平常心よ平常心。
「そんなのどうでもいいから、はやくチームってどういうことか説明しなさいよ」
「うーん。説明してあげたいのは山々何だけどね? ちょっと僕やらなきゃいけない事があるからすぐ行かなきゃならないんだ。あとで教えるよ」
「……はぁー。わかったわよ」
自分から教える気は全く無い訳ねこいつは。
「紗希。やらなきゃいけない事とは何だ?」
私がため息をついて紗希から話を聞くのを諦めていると、今度はウサミミの女性と話しをしていたクレアが問いかけた。
「うん。あれから1時間は確実に経っているのに2-7に何故か来てない人がいるから迎えに行くんだ」
「……なるほどな。手伝うか?」
「いや、クレアさんはここで待っていてくれないかな?」
「わかった」
「じゃ、そう言うことだから大友さんまたね。あっ、レベッカさんは置いて行くから」
「人を荷物みたいに言うんじゃない」
レベッカと呼ばれたウサミミ女性は紗希のものいいに不満げだ。
よかった。紗希が連れて来たからまた常識が無かったり性格に難の有る人なのかと思っていたが対応が普通の人のそれだ。
ウサミミをつけていて、鎧みたいな服を着ていて、さらに槍を常に右手に握っているが普通の人みたいで本当に良かった。
「はーい気をつけまーす。……あぁそうだ、さっき大友さんの話、『ほとんど正解』って僕は言ったよね?」
紗希はレベッカと呼ばれる女性に適当に返事をした後、ついでとばかりに私に声をかけて来た。
私としてはもう無視をしてもいいかなとすら思っていたのだけど、紗希の言いかたが少し気にかかる。
「そういえば言ってたわね。それが何?」
「僕が君達を助けた理由。あれはね、君が言う『学校で学んだ道徳や日本の人道』ってやつじゃなくて、『友達が命をかけて君達を助けようとしたから』だよ」
そうして紗希は私に自身の可愛らしい顔を向け、優しげで魅力の溢れる笑みを見せながら言葉を止めずに続ける。
「だってそっちの方が人間らしいでしょ?」
紗希は今度こそ教室を出て行った。
……これは私のわがままだが、紗希には『人間らしい』とか言ってほしくないな。




