2 一方その頃 Aー2
「…あの。」
渡辺さんに手を引かれながら私は校内の廊下を歩く。
後ろにはあの美しい女神さま、いや『ケーシィ』様がついてきている。
渡辺さんは私をあの場から連れ出すと、後は無言で学校の中に私を連れて来た。
「あの、すみません。」
私はケーシィ様を全く気にした様子もなくズンズンと歩いて行く渡辺さんに違和感を覚え声をかけるが、聞こえてないのか無視をされる。
「psdfΩΘfs¥hf%p? jwjfわたせΘffNAOI。」
ケーシィ様も先程から何か言っているようなのに渡辺さんは全く気にした様子がない。
いったいどうしたのだろうか?
この人はケーシィ様の召使いみたいな人ではなかったのか?
「あの!」
私は先ほどよりも大きな声を出し、渡辺さんの私を引く手を逆に引っ張ってみた。
「おぉう!?」
渡辺さんはそこでやっととまる。
あまり強くは腕を引いていなかったが、渡辺さんは力が弱いのか簡単に引き止めることができた。
「おいおい肩外れるかと思ったぞなんなんだコノヤロー。」
そして先ほどのおどけた様子とは全く違った様子で、気だるそうにこちらを振り向いた。
あまりの渡辺さんの雰囲気の変わりように驚かされるが、私にはまず言わなきゃいけない事があるのだ。
「あの、その、私、怪我なんてしてません。」
「あぁそんなことか。知ってるよ。」
「私が倒れていたのは…はぇ?」
思っていた反応と違い、思わず私は間抜けな声を出してしまった。
私の勇気を出した嘘への告白を何でもないかのように受けとめた渡辺さんは、周囲を確認するそぶりを見せた。
…先程からやけに周りを気にしているような気がするけど、なんでなんだろう?
「…よし。んじゃもう俺様はやりたいことやったし、お前ももうどこへでも行っていいぞ。」
そしてなにが『よし。』なのかはわからないが、さっきまで引いていた私の手をあっさりと離しそんな事を言う。
な、なんなんだろうこの人…。
「…なんだ間抜け面さらして? もしかして聞こえなかったのか? 俺様はやりたいこと、つまり目標を達成したからもうお前は必要ない。なのでお前は自由だ。」
目標を達成した?
あれ、この人は私を保健室に連れて行くんじゃ?
いやでもそもそも私が怪我してない事を知っていたのよね…?
じゃぁこの人の目標は私を保健室に連れて行くことじゃないのかな?
それにもう達成されているとも言ってるし…。
そこまで考えて、私は先程までの状況を思い出す。
それは、あの友達だと思っていた4人に囲まれ非難される私だ。
「まさか私を助けてくれたんですか!?」
「カッ! お前を助けて俺様に何の得があるんだようぬぼれるなよモブ程度が。」
だが、私の考えはすぐに否定された。
しかも割と酷い事を言われた気がする…。
「…いいか? 俺様はな。そまつな嘘で被害者面をして強い奴らに媚びて自分より立場の弱いものを攻撃して悦に浸ってる奴が嫌いなだけだ。たとえばさっきの女のように足をけがして歩くのも辛いとかほざいたり、殺されかけた私は可哀想でしょって男どもにとりいったりとかな。だから邪魔してやった。それだけだ。」
渡辺さんは少し考えるそぶりを見せた後に、吐き捨てるようにそう言いながら白いガスマスクをとり白衣を脱いだ。
初めてみる彼の容姿は普通の、強いて特長をあげるなら若干目がくすんでるような、というか腐ってるような男の人だった。
「確かにはたから見たらそうなのでしょうが…。でも、美喜の言い分もわかるんです。私、自分が生き残るために美喜を」
「突き飛ばしたんだろ? 全く。そんな罪悪感を持ってるから付け込まれるんだぞ。こんな世界だ。確かに他人の命も大事だが、人間ってのは『普通』は自分の命が一番に決まってんだろ。一番大事なものを守ろうとして何が悪いんだよ。誰かの命を利用しないと生き残れないんなら、悲しいが利用するのが正解だろうよ。お前は人間として間違った事はなにもしていないさ。そもそも自分の事をしっかり守れない奴が他人を守ることなんて無理なんだしよ。」
その人はなんてこともないようにそう言った。
言ってることはまさに自分勝手。
他人の為に何かやるのは当たり前、やらなかったら非難され軽蔑の眼で見られる。そんな現代に生きる私に、いや私達にはあまりになじみがない生き方ではないだろうか。
でもその言葉は私が一番欲しかった言葉なのかもしれない。
その証拠にその言葉は私の胸にストンと落ちてきて、私の先程まで、いや、あの美喜を突き飛ばした時から感じていた居心地の悪いような、不意に訪れる吐き気に似た気持ち悪さが幾分か和らいだのがわかった。
…そうだよ。一番大事なものは『自分の命』。この人の言うように当たり前だよ。
あの時は美喜だけじゃなく私も死にかけていたじゃない。
私は死にたくなかったのだ。だから行動しただけだ。
この人の言う通りだ。
死んだらそれで終わりなのに、それでも人の為にと動く方がおかしいのだ。
自分の命をかけて他人を救える人なんて、そう何人もいるものじゃない。
渡辺さんの言うことはなにも間違ってない。私は私の命を、一番大事なものを本能的に守ろうとしただけだ。
なら間違ってるのは?
そんなの私を囲んで非難してきた、いままで友達面をしていたあいつらだ!
私は、あいつらにあんなに寄ってたかって非難され軽蔑される程の悪いことはしていない!!
「そうよ…。そうだよ。私は悪くない。悪くないのよ…。自分の命が一番大切なのは普通なこと…。」
私はこの胸の中に芽生えた気持ちを忘れないように言葉にする。
「? ぶつぶつ言いだしてどうしたよ。…あぁそうだ。お前次にあいつらに会ったら『保健室には行かなかったよ』って言っとけよ。」
私が呪文を唱えるように呟いていると、私を罪悪感の鎖からときはなってくれた人が思い出したかのように言った。
「…なんでですか?」
「なんでって、実際に保健室に行ってないだろ俺様達は。行ってないのに『保健室で何をしたんだ?』とかあいつらに質問攻めされてもお前には上手い嘘がつけるとは思えねぇし…それと、あいつらに恩を売る為でもあるか。『私はあなた達のついた嘘を庇いましたよ』ってな。そうだな、『保健室に連れて行かれそうになったけど、本当に連れていかれたら怪我をしていないのがバレてあなた達に迷惑がかかるかもって思って、無理して逃げて来たの。』みたいな感じでいいか。そういえば今頃バカな嘘をついたことを後悔しているあいつらも安心するし、お前に少なからず感謝するだろうよ。」
何でもない事のように、この人は言った。
だけど、その一瞬で考えられた【嘘】には、この後の私を思いやる気持ちが込められている。
あの時のカナメ先輩がついた変でどうしようもない嘘なんかと比べ物にならないような、人の為に、私の為に作られた愛おしい【嘘】…。
きっとこの人はどこまでも先の事を考えているんだ。
「す、すごい…。」
思わず声が漏れた。
「ん!?」
すると渡辺さんはどこか驚いたような表情をした。
どうしたのだろうか?
「고ralt야fndusズニノルナi-hei^ik/:age마」
その声に反応したわけではないのだろうが、ケーシィ様が何か言う。
というか本当にケーシィ様は何を言っているのだろうか?
英語…ではなさそうだし…。全く聞いた事のない言葉だな。
「そういえば、ケーシィ様の案内はいいのですか?」
「ケーシィ様の案内だぁ? …そういやそんな嘘ついてたな。」
「…嘘?」
「おう。俺様は別にこいつの案内してねぇよ。ただ近くにいたからエサで釣って、適当にその場に立たせてただけだ。だいたいこいつ日本語が通じないし、何言ってるか俺様もわかんねぇから意思疎通なんかできやしねぇ。」
「え!? でも話してましたよね…?」
先程までこの人は私達の目の前で得意げに通訳をしていたじゃないないですか!?
「話してねぇよ。あれ全部が話してるふり、嘘だ。因みにゾンビウィルスが空気中にどうたらも嘘だし俺様の『渡辺 正仁』って名前も嘘だ。というかあそこでの俺様は全てが嘘だ。全部こうなるように仕組んだんだよ。…ほらケーシィ。お待ちかねの肉まんやるよ。たまにはてめぇも役に立つな。」
何でもない事のようにそう言った渡辺さん(偽名)は何処から取り出したのか肉まんを持っており、それをケーシィ様に渡した。
「ニクマァン! kjfsdbujvdsgニクマァン!」
ケーシィ様は肉まんを受け取り、そのまま小躍りしながらどこかへと消えて行った。
踊る程肉まんが好きなのかな…?
…じゃない!
あれ全部が嘘!?
『全部こうなるように仕組んだんだ』ということはあの私達に接触してからここまでが全部この人の掌の上だったって事!?
この人は私なんかとは根本的に何かが違う…。
私はあまりの衝撃に言葉を無くした。
「肉まんと叫びながら踊りだすとか気でも狂ってるのかあいつは? …まぁでも話が通じないのも日本語がしゃべれないってのも今回は役に立ったな。おかげで通訳の振りして簡単に話しの主導権を握れた。やっぱ美人ってのはそれだけで武器になるんだな。カカカッ!! 理不尽不平等不条理ばかりだぜこのクソみてぇな世の中はよ!!」
「そうだねぇ。でもそんなクソみてぇな世の中が大好きなんでしょ?」
『カカカッ!!』と個性的に笑う彼の声に後ろから誰かが反応した。
その声に驚き振り向くと、そこにはまた美少女がいた。
ケーシィ様が女神さまのような美しさならこの急に現れたこの少女は悪魔的な美しさだ。
青みがかった美しい黒髪。見ているとそのまま呑みこまれてしまいそうな漆黒の瞳。
何故か学ランを着ていて、全体的に黒のイメージが先行してくる。
その中で首にキラリと光る銀色の首輪が不吉かつ妖艶さを演出している。
「おぉそうだ! 理不尽不平等不条理なんてもんは、才能も容姿も力も知恵もなにも持っていない俺様が【嘘】だけでこの世界ごと全部ひっくり返してやるよ! そんでゆくゆくは俺様が上でふんぞり返っている強者に一発…。」
そこでご機嫌な調子で喋っていた言葉が止まった。
「…。」
「…。」
「…。」
渡辺さん(偽名)と私、そして謎の美少女3人分の沈黙。
「…いつから、いた?」
最初に沈黙を破ったのは渡辺さん(偽名)だった。
「『私は『渡辺 正仁』っていうのですがね。』」
そして、渡辺さん(偽名)の問いに美少女は答える。
「…。」
「…。」
「…。」
「君、僕の呼び出し無視したよね。」
「サラバだ!!」
「逃がさないよ!! レベッカ!!」
「悪・即・斬!!」
逃げ出そうと走り出した渡辺さん(偽名)の背中に、美少女の後ろから現れたもう1人の女性が思いっきり蹴りを叩き込む。
「背骨から聞こえてはいけない音がぁぁぁああああ!!!?」
渡辺さん(偽名)はそう叫び遠くへと転がっていった。
「よしこのまま2-7に拉致るよ! レベッカさん、そいつの言葉には絶対に耳を貸したら駄目だよ! 最悪の場合魂が汚れる!!」
呆然とする私を置いて美少女は女性に指示を出す。
レベッカと呼ばれた女性はいつの間にか縄を持っており、そのまま渡辺さん(偽名)をグルグル巻きにしていく。
「あ、あの、何事ですか?」
先程まで私が到底かなわないと思っていた人があっけなく縄で完全に身動きが取れなくなり、口にハンカチのようなものを詰め込まれ目隠しをつけられるのを見届けてからようやく私はこの状況に質問が出来た。
「ん? あぁ君か。君の人間関係だけどさ、この狭い学校で悪い人間関係があるとそれだけで学校全体の空気が悪くなるから君のイジメ問題は『解決』しておいたからね。これからは普通に過ごしても問題ないから安心してね。」
「か、『解決』ですか?」
「うん解決。いやぁ、僕は人の気持ちがよくわからないからあいつが気づいてくれてよかったよかった。対処はできても気付けなきゃ意味ないからね。…じゃ、伝えることは伝えたし僕達はこれで。」
『解決』という言葉の意味を理解出来ずとまどう私を悪魔のような美少女は無視し、言いたい事だけ言ってどこかへ行こうと歩きだした。
「え? いやあのすみませんちょっといいですか!?」
「…何かな? 時間ないから手短にね。」
私の咄嗟の呼びかけに美少女は歩みを止めて顔だけを私に向ける。
私に向けられる美少女の眼はあの美喜達のように敵意や非難の色は無かったが、他の色もなかった。
ただただ漆黒。その瞳には目の前にいる私どころかなにも映してないような…。
…?
…ん?
なんか美少女の背中に何かくっついてる?
え、なにあれ?
金髪の小さい子共が美少女の背中にしがみついてるの?
え? え? なんで? なんで美少女はそれで普通の顔してられるの?
「なに? どうしたの?」
「あぁいや、え?」
「何でもないなら行くけど…。」
「あぁ待って下さい!!」
もうなにか沢山聞きたい事があったのにしがみついてる金髪の子共のインパクトで色々と飛んで行ってしまった!
でも美少女も声をかけた私をなんだよみたいな感じで見てるし、なにか、なにか言わないと!!
そうして混乱している私の頭にふと、罪悪感に潰されかける私に唯一手を差し伸べてくれ、許しの言葉をくれた人が浮かんだ。
……そういえば、結局あの人は何者なんだろう?
「あの人の本当の名前を教えてくださいませんか?」
そう心の中で思った私は、気付けば声に出していた。
「…あぁそうか。そういえばあいつは偽名を使ってたもんね。」
私の『あの人』という言葉だけで美少女は察してくれたらしく、少しだけ微笑みながらあの人の本当の名前を教えてくれた。
「あいつは『毒島 椛』。この学校で一番のろくでなしで、お人好しさ。」