終章
本当に助けを求めていたのは、田中くんではなく、かず君だったのかもしれない。
つまり、まもってあげるべき相手は、かず君だったのか。
だとしたら、あたしは。
かず君は、知りあった時から両親を亡くしていた。
交通事故で、一人助かったと後から聞いた。知っているのは多分、同級生ではあたしだけだ。小学2年生の時にお母さんから聞いた。
亡くなったかず君のお父さんの弟である、今の家に引き取られたのは3歳の時。
その翌年、あたし達は幼稚園で出会った。
その同じ年、かず君ちには弟が生まれて、彼はとても喜んだ。
普段からボーっとしているかず君と、いつも笑顔のかず君ちのお母さんを見ていたあたしは、彼のキツイ人生を知った時も、どこか受け流してしまった。だってあの家族には、そんな暗さが微塵も感じられない。
それにその頃のあたし達は、教室でもあまり話さなくなっていた。つまり、あたしにとって、そんな話は他人事だったのだ。
思っていたよりも、いい加減で冷たい自分に、今更ながら気分が悪くなる。
翌日。
あたしはケーキを持って、病院に行った。クリスマス間近なので可愛いケーキがいっぱいあって、だけどクリスマスのせいか、その全部がホールケーキ。一番小さいサイズを選んだのだけれど、病室にナイフってあるのかしら?
ま、いっか。いざとなったらかぶりついて貰おう。
3階の廊下を歩いていると、途中でかず君のお母さんと会った。
「瑞希ちゃん」
「こんにちは」
「昨日はありがとう。本当にごめんね」
人の良い笑顔で、急いであたしに近寄ってくれる。何がありがとうで、何がごめんねなのかわからない。ただ、とても感謝をされているという事はわかった。
あたしは、少し緊張して尋ねた。
「一志くんの具合は、どうですか?」
「大丈夫よ。色々と検査をしたけれど、全部問題はないって。普通なら24時間で返されるのだけれど、私、頼み込んでもう一泊お願いしたの。やっぱり心配だから。お医者さんは苦笑いしていたわ。本人は全く普段通りよ。瑞希ちゃんが来てくれたら喜ぶわ」
お話し好きのおばさんが、不必要なくらいに明るく答える。
あたしは昨日の夜の事を思い出した。
あたし達が学校に着いた時、かず君はどこにもいなかった。だけど靴はある。おかしい。
捜していたら先生に見つかり、みんなで捜す事になってしまった。それから10分後、校舎裏の隅にある用具小屋の中で、うつぶせに倒れているかず君を、桑原くんと先生が見つけた。周りには色々な道具が散乱していた。そこは飼育委員や緑化委員が使う用具をしまっている小屋で、普段は鍵が掛って誰も入れない場所だった。
三人の先生達は大騒ぎになった。軽くゆすっても叩いても、大声を上げても目を覚まさない。救急車を呼ぼうと言う事になった。
あたしは血の気が引いて、喉が渇き、鼓動が速くなった。冷や汗が垂れ、目眩がして、耳鳴りがしてきた。
かず君が、あの、無表情な目を開かない。
……おきゃくさんが、かず君を、連れて行っちゃった?
あたしの、代わりに。あたしが、目を見たから。
かず君と同じ、あの、無表情な目を見たから。
その時、まさに消防に電話をかけている最中に、かず君は目を覚ました。『森川! 大丈夫か!』『頭が痛いか? 吐き気はどうだ?』『上から物が落ちてきたのか?』とか、もっと大騒ぎになった。かず君は床に寝転がったまま、焦点の定まらない瞳で返事ともつかない返事をしている。
あたし達三人は、皆固まって動けなかった。その光景をただただ、立ちすくんで見ていた。
先生達の判断で、念のため救急車には来てもらう事になった。すぐにかず君ちにも連絡を入れた。
体を起して座ったかず君に、桑原くんが耳元で囁いた。
『一志、どうしたんだよ?』
『よくわかんない……頭が、ぼーっとして』
本当に、心配になるくらいボーっとした顔をしている。田中くんも、桑原くんも、かず君のこの様子に、何かただならぬ物を感じていた。
熱があるのかもしれない、とあたしは恐る恐る、かず君の額に手を伸ばした。
『……っ!』
静電気だった。冬だからしょうがない。だけど、あまりにも強い痛みだった。だって火花まで見えた。
けれどもあたしが咄嗟に手を引っ込めたのは、それだけが原因じゃない。
彼の額が、凍るように冷たかったのだ。
驚いてあたしはかず君を見た。あたしの様子に、男子二人も息を飲んでいた。
かず君の目は無表情で、あらぬ方向を見ている。
そう言えば普段から、かず君の体温は低かった。それに冬の寒い中、床で寝ていたら体も冷えるだろう。でもこれは、そんなレベルではない。
あたしは何も聞けなかった。
それどころか、触れてはいけないものに触れてしまった様な、後悔すらあった。
やがて来た救急隊員に、かず君は先生に付き添われて連れて行かれた。
小屋に落ちていた彼の携帯にあたしが気付いたのは、その後だった。
「ねぇ、瑞希ちゃん。変な事を聞いてもいい?」
おばさんにそう言われて、あたしは我に返った。
「はい」
「一志……最近の様子は、どうだった? 普段と変わったところは、なかったかしら?」
少し緊張した様子で、こっちを窺うようにあたしに尋ねる。
タイミングが良すぎて、まるでこっちの事情を知られているようで、あたしは内心飛び上がった。
咄嗟に思い浮かんだのが、皮肉にも、かず君の無表情。お、落ち着いて、アレを見習って……。
「……多分……無いと、思いますけど……同じクラスじゃないから、学校ではあまり話さないので、よくわかりません」
「そうよねそうよね。分からないわよね、ごめんなさいね」
おばさんは取り繕うように、手を顔の前でパタパタさせて笑った。その動きに何の意味があるのか、そっちの方がさっぱり分からない。
でもおばさんの表情と雰囲気に、何か引っかかるものを感じた。
「……一志くん、最近、変わったところが、あったんですか?」
するとおばさんは、少し戸惑ったようにあたしを見つめた後、ホッと溜息をついた。本当は、こうやってあたしに尋ねて欲しかったみたいだった。
「……あの子の両親が亡くなったのは、12月22日……丁度、冬至の日なのだけれどね。その日が近付くと……あの子……なんていうのかしら、いつにも増して、大人しくなるの」
その衝撃の事実に、あたしは目を見開いてしまった。
かず君の両親の命日が、冬至の日?!
「性格はあの通り、穏やかなままなのだけれど、命日が近付くとね、一人でいる時間が増えたり、大きくなるにつれて、どこにいるのか分からない日が増えたりして、ね。小さい頃は、押し入れの中にいたりしたからすぐに見つかったのだけれど」
おばさんは苦笑しながら話すのだけれど、それを聞いているあたしは愕然としていた。
頭の中では、パズルのピースが、勝手に少しずつ、パチンパチンとはめられていく。
「それが命日を過ぎると、スッキリしたようにいつもの様子に戻るのよ。いつもの、あの、どこかボーっとした感じに、ふふ」
おばさんはさも可笑しそうに笑った。
それは、息子の事を愛してやまない、普通の母親に見えた。
あたしはゴクっと生唾を飲み込んだ。
この人達の日常を、壊しては、いけない。
「……やっぱり、思い出すのかな?」
絞り出すようにあたしがそう言うと、おばさんは少し切なそうな顔をした。
「私達には決して言わないけれどね。3歳だったから、覚えているのでしょうね」
そしてあたしを見て、思い切ったように言った。
「……ねぇ瑞希ちゃん。私はちゃんと、あの子を愛せているのかしら? 何か、不安にさせているのかしら?」
泣きそうで、不安そうで、真剣な顔のおばさん。あたしは無意識に半歩下がった。
……そんなの、分からないよ。
だってあたしは、おばさんちの子じゃないもん。
……でも、多分、
「……一志くんは、お父さんとお母さんの事がすごく好きだと思います。……あ、あの、このお母さんの事です」
そう言ってあたしは、目の前のおばさんを指さした。随分失礼。お母さんに見つかったら怒られちゃう。
するとおばさんは一拍置いて、明るく笑いだした。
「ありがとう。子供に気を使わせちゃって、駄目な大人ね。あ、瑞希ちゃんはもう子供ではないわね、ごめんなさい」
子供ではない? まあ、そうかも。
合わせて笑っていると、おばさんはふと真顔になって、呟くように言った。
「これからも、一志がどこで倒れても、私は必ず駆けつけるわ。……世界のどこで、倒れても」
おばさんは、本気でかず君を、愛している。
大丈夫じゃん。
「あの、かず君って携帯を持っていますか?」
「え? どうしたの突然?」
急に口調と話題を変えたので、おばさんはびっくりしてあたしを見た。
「昨日、飼育小屋で携帯が落ちているのを見つけて、かず君のかなぁって思ったんです。ほら、学校って持ち込み禁止だから、怒られたらいけないと思って、あたし持ってるんですけど……」
「あらぁ、一志じゃないわ。だってあの子、持たせてもすぐに壊すのよ? 何でか知らないけどね、一週間ももたないの。三機目で諦めたわ。契約も解除よ。塾もやめたし、必要ないもの。あの子、電化製品を操るのも得意だけれど壊すのも得意でね、」
「どうして壊れるんですか?」
長々と喋り続けるおばさんを遮るように尋ねると、おばさんは肩をすくめた。
「どうしてでしょうね? 電気でも発しているんじゃないの?」
言って、自分でウケたらしい。大声で笑い出した。ここ、病院の廊下なのに。
しかも、間違った事、言ってないし。
「お邪魔しまーす」
「あれ? 来たんだ」
「うん。さっき廊下でかず君のお母さんに会った。これ、ロイヤルのケーキ」
「……やったぁ」
かず君がふにゃっと笑った。
……でもその顔って……。
「ほんとに嬉しい?」
「嬉しいよ。だって、みーちゃんが食べたかったんでしょ? それ」
やっぱり。適当な笑顔だと思った。つまり、自分が食べたい物を買って来たんでしょ、って事?
……その通りよ。
「だってかず君の好きなもの、知らないんだもの」
「俺、何でも好きだぜぇ」
「知ってる。だから知らないんじゃん」
「あははは」
六人部屋の窓際ベッドで、かず君は明るく笑った。
同室には一人しかいない。今は不在。
あたしは鞄から取り出したものを、かず君のベッドの上に置いた。
「これ、かず君の携帯」
かず君は黙ってそれを見下ろした。顔が見えない。
「……」
「いつから壊れていたの?」
「……さあ。忘れちゃった」
「使える?」
あたし達に、画像を見せたみたいに。
野瀬先生に、間違い電話をかけた時みたいに。
「使えないでしょ。壊れてんだもん」
顔を上げたかず君の明るい笑顔と、あっけらかんとしたその声は、愕然とするほど予想外だった。まさかここで笑うとは。
あたしはじっと、かず君を見つめた。
かず君は笑っているけど、目が無表情だ。
じゃああの時、何故この携帯は動いていたの?
その一言が、聞けない。
「先生の携帯は、どうやって壊したの?」
やっとの思いで別の事を尋ねたけど、
「適当に」
かず君はいとも簡単に、あっさりと返した。当たり前だと言うように。
ふわぁー、とあくびをする。
「みーちゃんは? 佐々木先生の件、どうなった? 大丈夫?」
淡々としたその台詞に、目の前のかず君は、昨日までのかず君と同一人物だ、と認識が出来た。話が合っている。
あたしは少しホッとして、緊張が解けた。
「……うん……学校から、電話したんだ」
佐々木先生は、カラオケにあたしが居ない事を知ると、街中を歩きまわって捜してくれた。家にも電話をしてくれたけど、お母さんには何も言わなかったらしい。
かず君が救急車に乗った後の学校で、あたしに会った先生は、怒る事をしなかった。ただあたしを抱きしめて、泣いた。
誰もいない場所で、先生はあたしを抱きしめて、ひたすら泣いた。
『……先生。そうやって泣いてばかりじゃ、駄目だよ』
いつもなら雰囲気に負けて、もらい泣きをしてしまうあたしなのだけど、その時は、涙が一つも出なかった。
その日一日で、あたしはあまりにも多くの事を、経験しすぎたからなのだと思う。
心が疲れて、少し麻痺していた。
『大人でしょう? 大人はいつも、子供より強くなくちゃ駄目なんだよ。子供の前で、弱さを見せちゃ駄目なんだよ』
泣いている先生は、あたしの肩から顔を上げない。
涙であたしの服が濡れたら嫌だな、と思った。ちゃんと自分のハンカチで顔を拭いているのかしら。そんな事を冷静に、頭の片隅で考えていた。
『だって大人が弱かったら、あたし達子供は、何を拠り所にすればいいの? ただでさえ毎日の生活が、まるで綱渡りみたいなのに。あたし達は、自分のバランスを取ることで精いっぱいなの。そんな時に周りの大人が弱かったら、綱は揺れる一方じゃない』
受験。苛め。裏サイト。好きな人の笑顔。
時々自分でも持て余す、行き場のない激情。大人への怒り。クラスメイトの目。友達の顔色。
あたし達の生活は、毎日が神頼みだ。朝の占いランキングが欠かせない。
だから、お願い。
『先生でしょう? 強い綱を、あたし達に頂戴よ』
本当は、大人になっても、こんな生活に変わりは無いのかも知れない。
泣き続けている先生の温もりを体に感じながら、あたしは思った。
「ねぇかず君。小一の時、あたしの事助けてくれた?」
ふいにあたしは聞いてみた。
ケーキの箱の中を珍しそうに覗きこんでいたかず君は、びっくりしたように顔を上げた。
「え? 何の事?」
「……ううん、何でも無い」
その時、入り口に、二つの顔がピョコンと出た。
「あ、いたいたー」
「無事か? 生きてるか?」
うるさい凸凹コンビだ。
気のせいか、田中くんの顔は晴れ晴れとしていた。
「はい、お見舞い」
「ありがとー。明日退院なのに悪いねぇ。あ、ロイヤル」
げ、そこは今日、ホールケーキしか無かったのに。それを二個も食べるの?
「うん。プリンを四つ買ってきた。美味しいんだよ。あれ? 瑞希ちゃんもロイヤル?」
……プリン?
……そっか、その手があったわ! 何も無理してケーキを買う事は無かったんだ。
すると桑原くんが、ベッド脇に置いてある、あたしのお土産を覗き込んだ。しまった。
「……コレ、どうやって一志に食わすつもりだったんだ?」
呆れたような、バカにしたような声。っていうか既にバカにしてるっ。
「き、切ってに決まってんじゃん」
「ナイフは? フォークは? 皿は?」
「……」
「僕が売店で買ってこようか?」
優しい田中くんが、助け船を出してくれた。
「いいよ、めんどくさいでしょ。みんなでかぶりつこうぜ。ね、みーちゃん?」
全てお見通しのかず君が、その船を壊してくれた。くぅっ。
ケーキを囲んでプリンを食べながら(結局ケーキは、各自プリンのスプーンで崩して食べる事にした)、あたし達は改めて、例の事を報告しあった。
「パソコンはあいつんちに戻したぜ。DVDは潰して捨てた。な、圭太」
「ん」
「わざわざ戻したの? 何で?」
プリンを口に入れたまま思わず聞いた。あ、またお母さんに怒られちゃう。
「下手に捨てても、足がつくかも知れねぇし。あの妖怪が持ってき忘れるから」
「コードを付けたままにしとくからだよー」
あたしは呆れながら言った。
「おきゃくさんがコード引っ張っちゃったのって、パソコンも引っ張れると思ったからじゃない?」
「……見てたの?」
田中くんが、目を丸くした。
「引っ張って行くところを、瑞希ちゃん、見てたの?」
六つの目が、一斉にあたしに注がれる。ギクっ。
「え……っと、コードだけ、引っ張られていく、地面だけ、見ていた」
あたしは幼児みたいな片言喋りになった。
怖くて、かず君の顔を見れない。
「危ないじゃん。目は見なかったの? 大丈夫だった?」
田中くんが更に追い込む、じゃなくて心配してくれる。
「見てたら連れてかれて、今頃ここにはいないだろ」
桑原くんがぶっきらぼうに言った。Kの口調が、これ程ありがたかった事は無い。
そうだね、と田中くんが肩をすくめながらも安心した様に言い、あたしも安心した。桑原くんは田中くんにバーカ、と言い、かず君は黙々とプリンを食べていた。
「裏サイトが閉鎖されるんだって」
突然田中くんが、思い出したように言った。
「え?」
「先生達が、運営している会社に申し入れたんだって。何日か前にクラスの女子から聞いた」
「え、聞いてないよ、あたし」
「嫌われてるんじゃね?」
途端にあたしはギクッとなった。
「大ちゃん」
田中くんが、少し焦ったようにたしなめる。明らかにあたしの顔色が変わったのだろう。珍しくKが、地雷を踏んだ、みたいな顔をしている。あたしは口の中のケーキが、急に味気のない物に変わった。
するとかず君が、あたしの隣でケーキを削りながら、何でも無い事のように言った。
「ああ言うのって放っとくと、どんどんエスカレートするもんね。教師が関わってたってバレる前に潰しとくの、いいかもね」
……え?
教師が、関わっていた?
あたし達三人が、かず君を見つめる。かず君はチラッと皆を見ると、ケーキの大きな塊を口にほおり込んで、もぐもぐと丸いほっぺたで咀嚼しながら言った。
「僕、野瀬先生の携帯を触った時に見たんだ。佐々木先生の悪口、ほとんど野瀬先生が書いてたよ」
……なっ………
「なんだって?!」
田中くんが顔色を変えた。
かず君はそちらを見もせずに続けた。
「だからさ、そーゆーのが楽しい人だったんだよ、野瀬先生は。相手を追い詰めて行って、皆の前では、その人の味方のフリをする。周囲のとの繋がりを絶たせて、世界は野瀬先生だけ、みたいな状態を作る。それが得意で、好きな人だったんだよ。DVの典型らしいよ?」
ゾクっとする。あの日、コピー室で、先生に言われた言葉を思い出した。
『何が起こっても、僕だけは、菅野さんの味方だからね』
そして不意に、とんでもない考えが頭をよぎった。
まさか先生は、あたしの悪口もサイトに書き込んでいたんじゃないだろうか?
「……サドっつってなかった?」
桑原くんが、どこか的外れな突っ込みをする。
「サドの一種じゃない?」
丁寧に返すかず君は、あくまで優しい。
その時、かず君があたしを見た。その無表情の顔を見て、あたしはギクッとなった。
かず君、やっぱりその時、あたしの悪口も見たんだ!
じゃあ、あのノートの悪口も先生が?
でもだとしたら、どうしてあたしに目をつけたの?
それに、あたしの悪口だけすぐに削除されるって言った、こはるちゃんの話は、どうして?
頭が、ぐちゃぐちゃに混乱する。落ち着かなくちゃ。とにかくもう、先生はいなくなったんだから。
そこへかず君のお母さんが帰ってきた。沢山のお菓子やジュースをさげてきてくれて、男の子達は一気に盛り上がった。病院だと言うのに、ちょっとしたパーティーみたい。かず君のお母さんも一緒になって、楽しそう。
あたしは顔だけでも、何とかそれに付き合った。胸の中には色々な感情が渦巻く。
途中で、ふと、ベッドの上のかず君の携帯が目に入った。そして思いついた。
あたしの悪口、消してくれたのは、かず君かもしれない。
あの、壊れた携帯で。
面会時間も終わりに近づき、おばさんが、大量のゴミを部屋の外のゴミ捨て場に捨てに行こうとしたので、あたしが代わった。だって一応女の子。
やっと一人になれて、考える。
とりあえず、裏サイトや携帯の事は後で考えよう。今はもっと優先させるべき事がある。
両親の命日が、冬至だった。
その冬至が近付くと、塞ぎ込むかず君。
冬至が近付くと、歩き出すおきゃくさん。
この二人は、繋がっているのではないだろうか?
根拠なんて全く無い。証拠も何にも、無い。
でもあたしは連れて行かれていない。今、ここにいる。
かず君の心が、おきゃくさんと、シンクロしてしまったのじゃないだろうか?
かず君は、おきゃくさんに、囚われてしまっているんじゃないだろうか?
もしそうだとしたら、あたしは、
何か間違った事を、してしまったのではないだろうか?
冷たい汗が背中を流れたその時、廊下の端にある捨て場から戻る途中、田中くんが立っていた。
「あ、あのさ……」
「何?」
「……言いたい、事があって」
恥ずかしそうに、気まずそうに、だけど何かを決心したように、俯き加減であたしに言う。
……え? まさかこのタイミングで告白?
なんてね。あははは、ごめんなさい。
それでもドキドキしながら次の台詞を待っていたら、田中くんは、しばらくしてやっと言った。
「俺、瑞希ちゃんがいなかったら……」
ん? いなかったら?
今の僕はいない、とか? 寂しくて耐えられない、とか?
あははは、だからごめんなさい。
「多分、あの時先生を殺してた」
ドキン、とした。
驚いて彼を見つめていると、田中くんは顔を上げた。
その顔は、ハッとするくらい柔らかなものだった。
「ありがとう……止めてくれて」
『狂っちゃダメ!』
そっか。あれ、口に出して叫んでたんだ。
あたしは胸が掴まれる、思いがした。つまり、キュンとした。
なんて真っ直ぐで、優しい笑顔なんだろう。
そう。あたしは、この笑顔を、まもりたかったんだ。
自分の為だけではない。
「今度は僕が、必ず君を助ける。やっぱり……まもるから。絶対」
だから違うんだってば。あたしがあなたを、まもるんだってば。
そう言おうとして、やめた。
だって田中くんは、すごくスッキリした顔で、窓の外に視線を向けている。
だから、いっか、って思った。
ヤになっちゃうなぁ、もう。
かず君がおきゃくさんにシンクロしてても、おきゃくさんがかず君にシンクロしてても。
あたし達は、やるべき事を成し遂げたのだから。
それぞれがそれぞれに抱えているトラウマを、克服したのだから。
これでいいんだ。
二人で、並んで歩いて、病室に戻った。部屋はわざとらしい程、日光がさして明るい。
まだ盛り上がっている三人を見て、田中くんが嬉しそうに混じっていった。
そんな彼らを、あたしは入り口で眺める。
まさかこのあたし達が、昨日あんなことをやったなんて、誰も思わない。
先生が居なくなった事はまだ、誰も気付かない。
こんなに明るい中では、まったく現実味が無い。
「野瀬先生は今、どこにいるんだろう?」
あたしは戸口に立ったまま、小さく呟いた。誰にも聞こえない筈の、独り言。
その時、かず君が、こちらを振り向いた。
途端にあたしの、時が止まった。
無表情の、あの眼。真っ暗で、吸い込まれそう。
かず君が人差し指を、すぅっと、口の前に立てる。
そしてあたしを、じっと見つめ続ける。
丸いほっぺたで。
いつもの、見慣れた、
無表情の、奥にある、
笑いを含んだ、あの眼で。
完結です。このような駄文をお読みいただき、ありがとうございました。
なんともオチがもやっとするお話ですが、当初からこの予定でした。
最初に決まっていたのは、教師の学校でのセックスシーンと、圭太のトドメの様子、そして最後のシーンでの、一志の表情です。
主人公ちゃんは、作者の小説の中で、一番頑張った子だと思います。一番、悪い子でもありますが。
子供だって、窮鼠猫をかむ、です。皆様、心しましょう(笑)
はたしてこの小説のジャンルが、学園なのか青春なのか恋愛なのかホラーなのかは分かりませんが(つまりどっちつかず?)
少しでも、皆様のお暇潰しのお役に立てたのなら、嬉しいです。ありがとうございました。
それでは次回作も、宜しくお願いたします。
出来たら、軽い恋愛ものを書きたいなぁ。でもその前に、別作のオチを早くみつけなくては……
戸理 葵