プロローグ 魔王、定時の鐘を鳴らす
俺の一度目の人生は、会議室で終わった。
剛田大悟、五十二歳。株式会社トチギ重工業、人事部長。倒れる三分前まで、俺は役員会で吠えていた。議題は「第三工場閉鎖に伴う人員整理」。要するに、四百人の首切りだ。
「四百人には四百の家庭があります。整理の前に、配置転換と出向の枠を洗い直させてください。三ヶ月ください。必ず数字を合わせます」
「剛田くん。君は人事部長だろう。会社を守るのが仕事じゃないのかね」
「会社というのは、建物のことですか」
俺は言った。言ってから、視界が暗くなった。
「会社とは人です。人を捨てて守った会社に、何が残るんですか」
最後まで言えたかどうか、自信がない。床が近づいてきて、誰かの悲鳴が遠くで聞こえて、それきりだった。過労と心労による心筋梗塞。後で知ったわけではないが、まあ、そんなところだろう。三十年間、人を採って、育てて、守って、たまに守りきれなくて、最後は自分の心臓の管理を怠った。人事考課をつけるなら「他者評価A、自己管理D」。うちの査定基準なら昇進はない。
だから、目を覚ました場所が豪華な玉座だったときも、俺は真っ先にこう思ったのだ。
――ああ、これは何かの人事ミスだな、と。
「復活、おめでとうございます! 四百年ぶりのお目覚めです、魔王デルガドール陛下!」
玉座の間にひしめく、角の生えた者、翼のある者、骨だけの者。魔界の臣たちは涙ながらに俺を迎えた。姿見に映った俺は、黒髪に金の瞳の、三十代半ばに見える偉丈夫だった。角が二本。肩幅は現役時代のラガーマンのそれ。五十二年連れ添った腰痛の気配が、どこにもない。
転生というやつだった。先代魔王デルガドールの肉体に、俺の魂が「中途採用」されたらしい。魔界の復活の儀とやらは、要するに空席になった役職への補充人事だ。それなら話が早い。俺は引き継ぎ資料を要求した。
そして、絶句した。
魔王軍の勤務実態は、俺が三十年見てきたどんなブラック企業よりも徹底していた。休暇制度、なし。給与、なし――「魔王への忠誠は無償」だそうだ。退職、原則死亡時のみ。懲罰、基本的に処刑。四天王は互いの失点を報告し合うことが主業務と化し、末端の魔物の逃亡率は年二割。おまけに人間の王国との戦争が四百年、だらだらと続いている。
「これは軍じゃない。倒産寸前の会社だ」
俺の、二度目の人生の職務が決まった瞬間だった。
復活した魔王が最初に発布したのは、進軍命令ではなかった。城門と食堂と全部署の掲示板に貼り出された、一枚の布告だ。
魔界労働基本法
一 働く者は週に二日休むこと
二 働きには必ず対価を払うこと
三 処刑を廃す 命は魔界の資本である
四 失敗は罰する前に原因を直すこと
五 困りごとは魔王に直接申し出てよい
最初、臣下たちは布告の前で震えていた。新手の粛清の予告だと思ったらしい。四天王筆頭の鬼神ヴァルガスに至っては「陛下は戦意を失われた」と決闘を挑んできた。俺は転生特典らしい規格外の魔力を攻撃には使わず、奴の斧を千回受け流してから面談室に連行し、三時間かけて強みと課題を棚卸しした。以来ヴァルガスは訓練部長として誰よりも早く体育館の鍵を開けている。
三年が経った。
魔王城には定時の鐘が鳴る。鐘と同時にゴブリンたちは工房の火を落とし、食堂には日替わり定食の匂いが立ちこめ、掲示板には有給取得率と求人票が貼られる。待遇を聞きつけた亜人や獣人が山を越えて「入社」してくるので、城下町は三年で倍に膨らんだ。戦争はどうしたかというと、こちらから打って出るのをやめたら、前線が勝手に静かになった。向こうの王国も、こちらを攻める国力が尽きかけているという話だった。
国力が尽きるとどうなるか。俺は知っている。しわ寄せは、必ず現場に行くのだ。
その夜、山脈の向こうから嵐が来た。
そして嵐と一緒に、彼女が来た。




