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誰が描いた?【マンガ・アニメ制作のリアルを描く業界ドラマ】  作者:
ARC V ー 「誰が描いた?」

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第80話 「つぎのページ」

 「ページ」という言葉には、どこか不思議な引力がある。

 最初のページがあれば、二枚目のページもある。そして当然、いつかは最後のページがやってくる。けれど、読者がそれを最後まで読み終えたからといって、すべてが綺麗に完結するわけじゃない。続きはどうなるんだろうと考えたり、ふとした瞬間に内容を思い返したり、あるいは感化されて自分でも新しい何かを作り始めたりする。

 だからこそ、一枚のページというのは、一つの終わりであると同時に、新しい始まりの場所でもあるのだ。


 YLSスタジオの夜は、いつも通りの静けさの中で更けていった。

 窓の向こうでは、遠くの街灯りや車のヘッドライトがぽつぽつと点滅している。昼間のぎらついた景色とは違って、夜の街はどこか境界線が溶けかけたように柔らかい。室内の照明は必要最低限の明るさに落とされており、デスクの上に落ちる液晶モニターの光が、部屋の主な光源になっていた。

 エアコンの低い風の音。デスクトップPCの冷却ファンが回る音。そして、ときどき思い出したように響く、上書き保存のクリック音。

 聞こえるのはそれだけだ。

 特別な記念日でもなければ、差し迫った締め切りに追われているわけでもない。ただの、どこにでもある普通の夜。でも、だからこそ、この静まり返った空気こそが、この仕事場の「らしさ」そのもののような気がした。


 一ノ瀬直哉は、ノートPCの画面からふと目を離して、軽く首を傾げた。

 肩が少し重い。長い一日だった。とはいえ、今日のタスクが全部片付いたわけじゃない。大がかりな作業ではないけれど、データの最終チェックや、ちょっとした微調整がいくつか残っている。直して、上書き保存して、それで一つの区切り。

 直哉がふと顔を上げると、向かいのデスクでは橘レイが相変わらずペンを動かしていた。

 今日の朝一番にはまだ完全な白紙だったキャンバスの上には、今ではもう何本もの線が引き並べられている。作品と呼ぶにはまだ気が早い段階だけれど、それでも彼女の原稿は、確実に前へ進んでいた。

 昼よりも少しだけ。夕方よりも、ほんの数ミリだけ遠くへ。地味で、執拗な積み重ね。


「……終わった?」

 ソファの方向から、眠気の混じった声が降ってきた。

 振り返ると、相変わらず毛布をぐるぐる巻きにした蘭華ひよりが、首だけをニュッと覗かせてこっちを見ていた。夜になっても、彼女のミノムシスタイルは健在らしい。もはや毛布が彼女自身の体の一部か、あるいはこの部屋の生態系に組み込まれているようだった。

 レイは画面から目を離さないまま、短く答えた。

「終わってない」

「まだある?」

「ん、まだある」

 いつも通りの、短いやり取り。でも、直哉はそれを聞きながら、無意識のうちに口元を少し緩めていた。

 昨日も、先週も、もっと前からも、この部屋では全く同じ会話が何度も繰り返されてきた。終わったと思ったら、まだ続きがある。一冊完成したと思ったら、すぐ目の前で新しい原稿が待っている。

 物を作るっていうのは、大怠いつもそんなことの繰り返しだ。


 仕事場はまた元の静けさに戻っていった。

 誰も急いでいないし、無理に結論を出そうともしていない。それぞれが自分のデスクに向かい、自分のペースで手を動かしている。

 窓の外では、夜がだんだんと深くなっていく。

 街の明かりは消えないし、道路を走る車の影も途切れない。信号機は規則正しく色を変え、誰かの一日が終わり、また別の誰かの一日が地続きに続いてしていく。

「まあ、宇宙人たちも同じですしね」

 ひよりが毛布の中からぽつりと言った。直哉は少しだけ視線を上げて、苦笑いした。なんとなく、次のセリフの予想はついていた。

「今度は何? 彼らも残業中なの?」

「違いますよ。彼らはね、明日の分の研究データをまとめて着々と準備してるんです。まだ終わりじゃありません」

「まだ続くんだ」

「当然です。学会の連載レポートですからね。打ち切りにならなければ、これからもずっと続きますよ。銀河スケールの長期連載です」

 直哉は思わず吹き出してしまった。

「それは大変だね。人気サークルじゃん」

「プロですからね。ファン層が宇宙規模なんです」

 ひよりは満足そうに鼻を鳴らすと、また毛布の中にズブズブと埋もれていった。結局のところ、彼女が一体何の連載の話をしているのか、最後まで誰も分からなかった。たぶん、ひより本人だってそんなこと考えていないのだろう。

 でも、それで何の問題もなかった。仕事場の空気が少しだけ緩んで、また静かな沈黙が戻ってくる。


 カチ、とレイの左手がキーボードを叩いた。

 コントロール・エス。耳を澄まさなければ聞こえないくらいの、小さな打鍵音。ただそれだけのこと。

 画面のデータが、今日何度目か分からない更新を記録する。でも、その地味な一クリックの積み重ねこそが、今まさに新しく生まれようとしている作品の血肉になっていくのだ。


 直哉は自分のモニターの端っこを見た。

 新しいページ。新しいファイル。新しい仕事。

 でも、それは完全なゼロから湧き出た無ではない。そこには間違いなく、昨日までの時間がしっかりと残っている。

これまでに引いてきた古い線。無意識のうちに出てしまう絵のくせ。名前のつかない停滞の時間。そして、とっくに完結したはずの古い同人誌たちの小さな残響のゆくえ。

そういうすべての断片が、混ざり合いながら今日へと繋がっている。だからこそ、次のページを開くことができるのだ。何も無い暗闇から突然生まれるわけじゃない。ずっと前から歩いてきた長い道のりの、ただの続きとして、それはそこに存在している。


 窓の外、夜の静けさがゆっくりと世界を包み込んでいく。

 部屋の中では、またいつも通りの地味な作業の音だけが続いていた。

 ゴールなんてものは、まだ遥か先で見えやしない。でも、直哉の胸には、焦りや不安のようなものはちっともなかった。それは、この物作りの旅路に終わりがないからじゃない。

 いつだって、自分の目の前には「つぎのページ」が待っていると分かっているからだ。


 レイがまた、静かにペンを動かし始めた。

一本の線が画面に加わり、さらにもう一本、丁寧なストロークが重ねられていく。

誰もそれを特別なことだなんて思わないし、大げさに褒めることもしない。ずっと昔から、この部屋ではそれが当たり前の日常だったからだ。でも、だからこそ、その変わらない職人のような後ろ姿が、直哉の目には少しだけきれいに見えた。


モニターの片隅で、カーソルが静かにパチパチと点滅している。

まるで、これから新しく始まる何かを、じっと待ち構えているかのように。

いつも通りの静けさに満ちた夜。YLSスタジオの灯火は消えない。

彼女たちの原稿は、まだ見ぬ未知の物語に向かって、今も静かに、地続きに回り続けている。


HALAMAN SELANJUTNYA. (次頁へ続く)


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