39話 新人ちゃん、社会人としてあるまじき行為を取る
――桃華視点
ラッシュアワーの通勤電車から降りてコンビニに寄り、お昼ご飯を買った。清音ちゃんは高校生だから平日のこの時間帯にはシフトは入っていないみたい。まあ、当然と言えば当然なんだけど。
「今日からまた葵先輩と……いけないいけない! お仕事とプライベート一緒にしちゃ! でも毎日会えるのは嬉しいなぁ~」
正直、葵先輩と会えるならお休みなんて要らない。ずっとお仕事しててもいいかも。あ、でも休みが無いとおでかけとか出来ないし……かといって休みの日を全部私が独占する訳にはいかないし……。
でも束縛するのは嫌がられちゃうよね……適度な距離感が大切だとは思うんだけと、す、少なくとも会社以外で週に一回は一緒に居たいなぁ……。
捕らぬ狸の皮算用をしつつ会社へと向かった。そもそも休みの日にデートなんてGWの時しかしてないもんね……。
オフィスの扉を開けて席の方を見ると梓先輩が何か叫んでいるのが見えた。何だろう……それに葵先輩と見た事の無い女性が――んあっ!? だ、抱き付いた!?
誰……その人誰ですか!? こんな公衆の面前で! それに酷いですぅ、休み明けからこんなショッキング映像を……。
近づくと女性は葵先輩に体を擦り付け、当の葵先輩は直立不動だった。
葵先輩は抵抗すらしていない……。そうですか、そんなに心地良いんですね?
「……葵先輩、何、してるんですか……」
葵先輩と目が合ったので挨拶も無しに問いただした。ちょっと声が低くなっちゃったけど、流石にこの状況で明るい挨拶は出来ないです。
「違うんです! 鈴宮さん! 課長っもう離して下さい! 良からぬ疑いがかけれていますから!」
「え~、なに? 良からぬって。私はあお君の事好きなんだから~問題無いよ~」
胸の奥が痛くなり、焦燥感が襲って来た。
この人が課長……さん? まるで沙織を彷彿とさせるようなナイスバディに加え、言葉使いは少し幼い感じだけども大人の魅力が出ている女性……そして葵先輩に『好き』って言ってた……わ、私がずっと言えないないでいた言葉をこの人が……。
取られた……私がぐずぐずしてるから……。
「……っ」
社会人として絶対してはいけない事だと思う。でもその場に居られなかった。そのまま来た道を足早に戻った。
オフィスを抜け、会社の外に出てしばらくスピードを落とさずに歩いた。
「やっちゃった……無断外出に無断欠勤……」
人を避けるように歩いているとかつて襲われた裏道に居た。そこで足を止めて無意識に呟いていた。
あの人が課長さんか……無理だよ、絶対に勝てない。次元が違い過ぎるよぉ……。
「あっ! 居た! 桃華ちゃん~!」
後ろから梓先輩の声が聞こえた。
「もう、探した――」
言葉の途中で梓先輩の胸めがけて飛びつき顔を埋めた。
「梓先輩っ! 取られちゃった、葵先輩がっ……私が、私がぁ……ぐずぐずしてるからぁ~!」
そのまましばらく梓先輩の胸の中で嗚咽を漏らした。
「大丈夫? 落ち着いた?」
お仕事中だけど店長さんの喫茶店へと私達は足を運んだ。
「すみません……私……」
社会人としての行為じゃない。きっと怒られる。ううん、きっとそれだけじゃ済まな――
「大丈夫よ、ちゃんと課長には新人教育の一環での外回りって言ってあるから。それに外回りと言えばさぼっててもバレないしね」
そんな社会人の裏ルール的な事を言ってのける梓先輩の後ろに、圧倒的な威圧感をまとった巨体が現れた。
ここまでの存在感を出される方はただ一人。店長さんだ。はち切れそうなTシャツからは悲鳴が聞こえてきそうであり、その上からは可愛らしいこのお店の店名『CHICK』ことひよこさんが見える。
「お前ら……仕事はどうし――」
「これも仕事なの! 打ち合わせ! ああ、忙しい忙しい~」
店長さんが困った顔をして一つため息をついた。すみません、誰がどう見ても完全にさぼりです……。そんな茶番劇も早々に切り上げ、梓先輩は真剣な表情を向けて来た。
「課長の事、先に伝えておくべきだったね……あのね、桃華ちゃん、落ち着いて聞いてね?」
梓先輩は私の目を見てゆっくりと話してくれた。その仕草に私も静かに頷いて返答の代わりとした。
「……さっきの状況を見て貰ったから分かると思うけど、課長は葵の事、好きなの」
「ひぐっ!」
再び胸が締め付けられた、苦しい……やっぱりあの言葉に嘘偽りは無かったんだ。
「それに、ずっと前から言ってる、少なくとも私が入社した時にはすであの調子だったよ」
そっか、私、勘違いしてた。取られたんじゃない、私が横取りしようとしたんだ。
「課長の仕事の能力は葵も尊敬しているし、私も認めているの。それに容姿も見た通りの完全に女性のトップと言っても過言じゃないわ」
「お、おい、梓、お嬢ちゃんが――」
「薫……いいの、遅かれ早かれ分かる事だから」
梓先輩は店長さんの名前を呼び、少しだけ見つめ合った。すると店長さんはそのままカウンターの奥へと戻って行った。
今までの話で分かった事がある……私に勝てる要素が無いという事が。沙織と甲乙つけがたいスタイルに清音ちゃん以上の活発さと甘え上手、そして長年の付き合いとあのアプローチ力……完全なる敗北、何一つ勝てる気がしない。となるとやっぱり取る道は一つだよね……。
「私……諦め――」
「なくていいの!」
今まで優しく話をしてくれていた梓先輩が強く言い放った。不意を突かれたのと声の大きさに思わず体が強張ってしまった。
「それとも桃華ちゃんはそんな簡単に諦められる程度しか葵の事を想ってなかったの!? まあそれならいいわ、さっさと諦めた方が身の為よ。それに葵にも迷惑だしね」
失礼な話だけど言い方にカチンと来た。胸の奥から沸々と湧いてくるものがある。
「そんな事無いです! 私は葵先輩の事が大好きなんです! 誰にもこの気持ちは負けません!」
「その割には随分弱気じゃない。ちょっと他の女性にちやほやされた姿を見ただけで諦めるって言う程度じゃない。そんな気持ちで言われてもたかが知れてるわ」
即座に反論してくる梓先輩に対し、あまりの感情の高ぶりに思わず席を立ち睨みつけた。もう、自制出来ない、先輩後輩とかじゃない、一人の人間としてこの人に言い渡したい!
「本気です! 私はどんな人よりも葵先輩の事が好きなんです! 出会って間もないけど誰よりも一番っ! そして私にとってはかけがえのない最高の人なんです!」
涙がこぼれそうになったけど思いの丈を打ち明かした。
「……じゃあ、頑張らないとね?」
先程の挑発染みた言い回しとは打って変わり優しい笑みを向けながらそう伝えられた。梓先輩は……わざと……。
「課長は相当手強いよ? さっきまでの桃華ちゃんのように弱腰じゃ相手にもならない。それに葵は課長の事を苦手とは言ってるけど、どうなるか分からないのが男女の定めよね? もしかしたら押しに負けて二人がくっつくかも知れない。でもね……」
固唾を飲んで梓先輩の言葉を待った。これほどまでに時間の流れを緩やかに感じた事は無いよ……。
「葵はあなたの事が好きなんだからね。ま、流石に薄々は気付いているでしょうけど」
「ふぇ?」
間抜けな声と共に喫茶店内に静寂が訪れた。お客さんも居ないのでただただ静かにゆっくりと時間が流れた。でもその言葉を伝えてくれた当の梓先輩も固まっていた。
私の脳内はもはや大パニック状態。もう何が何だか分からない……。
「……ねえ、本気で気付いてないの? 冗談でしょ?」
口をパクパクさせながら梓先輩の言葉を聞いた。先ほどの感情は嘘のように消え、別の感情が怒涛のように押し寄せて来てもはや呼吸が上手く出来ない。
絡まる口を頑張って開き、言葉を紡いだ。
「しょ、しょんな、ことって……だ、だって、お、お泊りした時も――」
「なぬ!? お泊り!? あんた達、そんな事してたの!? ちょっとあたしの熱い語りなんて要らなかったじゃん! で! 詳しく聞かせてもらいましょうか!? その話!」
「ひゃぐぅぅ、あ、あの、そ、それは、その……」
しまったぁ! 口が滑っちゃったぁ!! だ、だってあまりに衝撃的な事が、そ、それよりもほんとに葵先輩って私の事、好きって思ってくれてるんですか!?
その後、私から質問する隙間など無くお昼過ぎまでお泊りデートの時の話をさせられた……。
「はふぅ……尊いわぁ……」
梓先輩が天井を見ながら悦に浸ってる。ところで今日のお仕事の方は大丈夫なんでしょうか……正直何もしてないんですけど。
お昼時となったのでお客さんも何人かお店に出入りしており、店長さんは忙しそうにしていた。一人で作業している為それなりに時間がかかるんだけど、みなさん静かに待っている。急かす人なんて居ない。まあ、店長さん相手にそんな事出来ないよね……。
「そんなシュチエーションなのに……桃華ちゃん、押しが弱過ぎるよ! あの日だったかも知れないけどね、どうせ初めては――」
「梓、そこまでだ。声が大きい」
スキンヘッドが怪しく光る店長さんにたしなめられ、少し頬を赤くしている。でも、その件は私も少し考えました……。
「と、ともかく、今までの桃華ちゃんの押しじゃダメ。じゃないと完全無欠の課長に本当に取られちゃうよ?」
「そ、それは困ります! で、でも……強引に行って嫌われたりしたら……」
「まあ、確かにその純粋さも武器の一つだろうけど……うん、ここはやっぱり形成事実を作るしかないね」
「形成事実? な、なんですか!? そ、それで私に興味を向けてくれるのなら頑張ります!」
「うむ! その心意気や良し! 形成事実というのはね……」
形成事実と呼ばれる内容の確認をした所、私にはハードルが高過ぎた為、辞退させてもらった。
というか、それ、ゴールです……。
「さあ~て、そろそろ会社に戻ろうか!」
お昼からは梓先輩に付き、お得意先を回った。外回りというのは初めてだけど梓先輩は2件程回って簡単に契約を完了させていた。
「凄いです……梓先輩って」
「ん? まあ、今日はたまたまだよ。それに葵や課長の方が私より上手だしね」
はぁぁ……私、超実力派の先輩や上司の下でやっていけるんだろうか……。まだ私何一つロクに出来ないですよ……。
「それに今回の契約が上手くいったのは桃華ちゃんのおかげでもあるよ。だって桃華ちゃんの胸に気が行ってたみたいで簡単に話まとまったし」
うう、なんかそういうの嫌ですぅ……。
「ま、私が美人というのも大きいだろうけどね!」
そして羨ましい……自分に自信が持てる人って。私、実はこの胸がコンプレックスだったりする。だって大き過ぎるんだもん……。周りから常に視線が向けられているような気もするし、なにより肩も凝るし、運動もしにくいし……。
「ほう、羨ましい悩みですなぁ? そして私に喧嘩を売ってる?」
「え!? わ、私、胸の事を口に出して……」
「やっぱりそんな事を思っていたんだ?」
ひゃあぁ! 鎌をかけられた~! 酷いですぅ、騙すなんて~!
「まったく、でも勉強になったでしょ? それに、今度課長にも一緒について行くといいよ。とっても参考になるから」
いくら恋のライバルとはいえ、会社では上司と部下。今日のような事は絶対しないし、課長さんの下でしっかり勉強しないと! いつまでもひよこさんしてたら葵先輩にも迷惑かかっちゃうもんね!
いろいろとありがとうございます! 梓先輩は厳しく優しくて……とっても素敵な先輩です!




