38話 疾風怒涛の甘えんぼ課長
――葵視点
GWも終わり、世のサラリーマン達は現実へと引き戻され、日常が再開される。そしてGWもお仕事をしていた皆さんには心休まる時間が流れる。そんな日本の仕組み……お疲れ様です。
会社へ向かう道中に憂鬱な気持を抱きながら歩いているが、俺は仕事が嫌な訳では無い。むしろ気になって仕方が無いぐらいだ。それでも憂鬱になる原因……上司である課長が今日から出社するからだ。
「はぁ……課長帰って来るんだよなぁ……今思えば忙しいながらも平和だったな」
会社を眺め小さく呟いた。だが徒歩5分の距離は俺に考える時間をそうは与えてくれない。気が付けば会社が見えてきた事だしシンキングタイムは終了のようだ。
鈴宮さんが配属された為、机の配置換えを行ったのだが移動していない机がある。
課長の席だ。流石に留守の間に勝手に触る事など出来ないので保留としてあるのだが……。
改めて課長のデスクを眺めると大量の郵便や書類が山のように置かれていた。すでにデスクの上に乗せる事が出来無くなったせいか、横に添えられた大きなかごにも山盛り書類が刺さっている。
あれを処理するには一体どれ程の時間を要するのか……考えただけでも寒気がする。
「おっはよ~、葵! どうしたの元気無いじゃん! 五月病にでもかかっちゃった?」
朝からハイテンションで挨拶をしてくるのは梓だ。十分この休みでリフレッシュしたようで生き生きしてる……絡むのが面倒なぐらい。
「ああ……今日から課長が来るからな。それに見ろ、あの書類の山を。もはや連峰だぞ?」
「あ、うん、出来るだけ見ないようにしていたけど、立派になって……」
二人して課長のデスクを眺めた……きっと、少なからず俺に振られるんだろうな。
「しばらく鈴宮さんを梓に任せる事になりそうだ……」
「うん、そうなりそうね。ところで桃華ちゃん、課長を見たらきっとびっくりしちゃ――」
「二人共~、久しぶり~! 元気にしてたぁ~?」
背後からかかった声は社会人としての口調とは思えないまったりとした物であり、緊張感の欠片も無い。まあ、まだ始業前であるから固い事は言わないが、今の状態の課長はこの口調だからやりにくい……。
とはいえ上司が挨拶して来てくれているのに無視などする訳にはいかない。隣に居る梓とアイコンタクトを取り、同時に振り向いた。
『おはようございます、結城課長』
結城のぞみ、俺と梓、そして鈴宮さんにとっても直属の上司に当たる女性であり、年は俺より二つ上。長い髪に出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるスタイルの持ち主で非の打ちどころが無い。少し垂れ目でもあり、それがまた大人の魅力を発揮している。
「もお~! 二人共固いよ~! 特にあお君は『お久しぶりです、課長に会えなくて寂しかったです』とかは無いの~?」
まったく似ていない声真似を交えて一人芝居をしだした。この人、黙って居れば完全無欠の美貌を持っているのだが、スイッチがOFFの時は幼児退行してしまうのが非常に厄介だ。
「課長、それはセクハラです」
「うえっ!? ひ、酷いよぉ……久しぶりに会ったのにぃ。あずにゃん、あお君がイジメるよぉ。パワハラだよぉ」
ハラスメント返し梓に抱き着いて嘆いているが、当の梓も困り顔だ。それに俺の呼び名もどうかと思うが、あずにゃんってなんだ? あずさプラスねこのコラボなのか? いい大人なのに恥ずかし過ぎる名前なんだけど。
「上司の久しぶりの会話を無下にした上に、パワハラ……賞与と昇給に甚大な影響を及ぼしちゃうかも~」
「ちょっ!? それの方がパワハラじゃないですか! 梓! なんとかしてくれ!」
「えっ!? わ、私? あ、あの課長、流石に会社で抱き付くのは――」
「あずにゃんは夏のボーナスで欲しい物とか無いんだぁ……無欲なんだねぇ~」
「葵! 課長がハグをご所望よ! 私の為にされなさい!」
「おい!?」
綺麗に手の平返しやがった……梓め、しかも目がマジだ。ねえ、これも完全にパワハラだよね!? だから課長は苦手なんだよぉ……覚えてろよ、梓ぁ。
棒立ち状態の俺に課長が抱き付いているが、梓を睨んでおいた。すると俺の気持ちを察したのか、手を合わせてぺこぺこしている。今度ラーメン奢れよ!?
「んっはぁ~あお君成分補給~、しゅりしゅり~ぎゅいんぎゅいん~」
「変な効果音まで付けないで下さい。もういいですか、それよりもデスクを見て下さい、大変な事になってますから」
「まだ始業前だから~見ない~。んふふふっ、癒される~」
「……葵先輩、何、してるんですか……」
あ、あれ? おはよう、鈴宮さん。なんか初めて聞いたような低温な声色ですけど。お、怒ってます?
ほらちょっとぉ! 課長のせいで鈴宮さん俺にキレてるじゃないですか! やめて下さいよ、これから一緒に仕事して行く人なんですよ!?
「違うんです! 鈴宮さん! 課長っ、もう離して下さい! 良からぬ疑いがかけれていますから!」
「え~、なに? 良からぬって。私はあお君の事好きなんだから~問題無いよ~」
そ、それぇ! だから嫌なんですよ! そう言う事言うから!
「……っ」
鈴宮さんは課長の言葉を聞き、速足でオフィスから出て行ってしまった。やばい……完全に仕事関係にヒビが入った! まずぞ、これはまずい! 俺の、俺の大好きな鈴宮さんに嫌われてしまったぁ……。
「か、課長! 私と新人の鈴宮は朝一から外回りに行って参ります! 葵は今日一日お好きにして頂いていいので!」
急いでカバンにPCや書類を放り込み、一礼して出て行ってた……頼む、梓! 鈴宮さんの誤解を解いてくれ! その為になら俺は犠牲になろうではないか!
「うん? 新人?」
「課長、その件については俺の方から報告します。そ、それにほら! もうすぐ始業時間ですよ!?」
時計の針は後数分で始業時間が始まるまでに迫っていた。
俺からの警告に渋々ながら絡みついていた腕と体は俺から離した。そして着衣の乱れを直しながら先程のたるみ切った表情を一変させ、威厳のある声を出した。
「さて、始めましょうか。しっかりフォロー頼むわよ」
やっとお仕事スイッチがONになったようだ……疲れる、毎朝こんな感じだもんな……。
「これは、こっちと。坂上、その山の書類は見出しを付けてファイリングしといて。その赤い付箋は部内閲覧後私に回しておいてくように。それとこれは……」
俺にバンバン指示を飛ばす課長。だが、ただ飛ばすだけでは無く自分でも処理をしているのが凄い。この人、お仕事モードの時は俺が一番尊敬する人だ。指示、処理能力、対応どれを取ってもこの人には勝てない。
お昼を迎える頃にはデスクの上に会った書類連峰は姿を消していた。まじでこの人なんなの……俺なら徹夜クラスの物量だったぞ? まだデスクの下のかごには手を付けていないが、恐らくすぐに片付くだろう。
「坂上は昼一番は自分のルーティンを処理させた後、また私の方を手伝って欲しいわ。さっき少し確認しておいけど、休み前に食い気味で仕事を完了させてあるようだから今日はルーティンだけでも十分の筈よ。私も明日からフォローに回るから十分遅れは取り戻せるから」
「はい、分かりました。それでは昼一は俺の方の処理を優先させ――」
言葉の途中でオフィスにお昼休憩を伝えるベルがなった。今日の時間の進み方は尋常じゃないぐらいに早かったな……。
「あおく~ん! お昼だよぉ~! 一緒に食べに行こ~」
腕に飛びついて来た……あの、やめてもらえませんかね? この会社、男性社員を俺だけではなくて他にも沢山居るんですよ?
それに、ここは会社なんであだ名呼びはやめて欲しいんですけどね?
お昼休憩は1時間となっており、社内には食堂的な物は無く、弁当などを持ってこない限りは外でのランチとなる。
「私ね~、久しぶりにラーメン食べた~い!」
なっちゃんのラーメン屋さんは課長も大のお気に入りだ。そんな課長は従来通り食券システムで注文する形であり、ちゃんと自分の食べたい物を選べる権利がある。ちなみに梓もだ。食券フリーは知りうる限り俺以外だと鈴宮さんしか居ない。
どうやら条件になっちゃんから弟か妹の称号をもらう必要があるようだ。
「あ~、でも俺、昨日なっちゃんのとこに行ったんで……ひょっとしたら追い返されるかも……」
「相変わらずの食生活なんだね~、私が作りに行ってあげるって言ってるのに~」
「おかしいでしょ? 会社の上司が部下の家にメシを作りに来るなんて……まあ、食生活に関してはおっしゃる通りですが」
なっちゃんのラーメン屋に着くと課長は食券機の前で可愛らしい顔で悩んでいる。その姿に文句を言う奴などいない。むしろこれ幸いとみんな課長を見ている……ほんと美人って得ですよね。
食券機の前に立つ悩まし気な課長に声をかけ、先にカウンターに座っておいた。するとユニフォームである白衣を着こんだ店長さんが谷間全開で声をかけて来た。
「うん? 葵、また来たのか? 昨日来たばかりだろ」
「あ、す、すみません。今日は課長が久しぶりにここに来たいって言うもんで……」
ほら、やっぱり怒られた。
「のぞみが? なんだ出張していたとは聞いていたが帰って来てたのか。仕方無いな、葵、今日は特別に見逃してやる」
やった! とりあずラーメンを食べる権利はいただけた!
だけど、そのままカウンター超しに大きな胸が迫って来た。もといなっちゃんが迫って来た。
「……桃華は大丈夫なのか?」
あ……鈴宮さんの事、忘れて――い、いや、忘れてた訳では無くて仕事に没頭して、はい、忘れてました。で、でも大丈夫です! とりあえず一呼吸おいて、悟られないように……。
「はい、梓が一緒についてくれてますから!」
「忘れてたな? 最低だぞ?」
一瞬でバレた。何故だ……。
「んふっ~! やっぱりなっちゃんのラーメンは美味しいねぇ~!」
「え、ええ……そうですね」
確かに課長が食べるラーメンは美味しそうなんだが……俺が食べているのは麺は麺でもそうめんなもので……喉ごしはとっても爽やかですけど。
なっちゃん、これはちょっと酷く無いかな?
「葵は昨日すでに食ってるからな。今日はそれで十分だ」
ぐすん……俺の考えが甘かったです。ああ、鰹出汁が効いてます……。
「あお君~、一口食べる~? んぐんぐ~」
何故に口の中にラーメンを入れ――ちょっと! 口移しとかしませんからね! そ、そんなうっとりした顔してもダメですよ!
しかし、改めて綺麗な人だ。俺も男だし、こんな艶やかな表情されたらドキドキはしちゃいますから! でも口移しだけはマジで勘弁して下さい!
「ていっ! 葵にラーメンを喰わすんじゃない!」
なっちゃんが後ろから課長の首に手刀を入れ、無理やり飲み込ました……いや、危ないよ? そんな行為は。
「けほっ……もうなっちゃん! あお君とのご飯の邪魔はダメだよ~」
「ラーメンは一人で食うもんだ。食わせるもんじゃない」
「じゃあ、あお君! お仕事が終わったら駅前のホテルで――」
「言わせませんよ!? 勘違いするでしょ!? 多分バイキングの事を言ってるんでしょうけど基本的にメシは一人で食べるものです! セルフです、セルフ! それより早く食べましょう! ほら、お昼休み終わっちゃいますよ!?」
なっちゃんも腕を組み、ため息を吐きながら頭を左右に振っている。まさに俺も心の中で同じ仕草をしてます……。




