24話 居酒屋の大将がおかしい
――桃華視点
このセルに関数を入れて……標準偏差が出るようになったから、これで変動計数も。よし、出来た! 後はこの値がグラフに対応してくれるか……うん、ばっちり! これで来週に値を入れて行けば完成!
葵先輩と同じ部署に配属されて一週間、ずっとつきっきりでお仕事を教えてくれた。おかげでなんとか基本的な事は出来るようになれた。
それよりもお仕事自体は辛くなかったんだけど、ずっと横に居てくれるから、緊張しっぱなしだった。
先日、社会人として初めてのお給料をもらった。もちろん家族にも気持ちを分けてあげたけど、大半はGWの為に取ってある……葵先輩とおでかけの為に……うふっ!
ファイルの保存を終えたと同時に業務終了のチャイムが鳴った。するとあちらこちらから賑やかな声が聞こえて来た。やっぱり皆さんもGWを楽しみにしてたんだ!
「お疲れ様~! 遂にGWだぁ!」
そして隣にいる葵先輩からも声が上がった。ひょ、ひょっとして私とのお出かけを楽しみにしてくれてます!? い、いえ、GWはみんな楽しみにしてるものだからそんな浅はかな考えはやめ――
「あれ? 妙に浮かれてるわね? いつもなら『こんなに休みなんて要らない、二日で十分だ』なんてアンチ社会的な事を言ってるのに」
梓先輩がPCの画面をパタンと畳みながら声をかけて来た……そ、それじゃあ、やっぱり! はふぅ……嬉しいですぅ……はっ!? お、落ち着かなきゃ、ま、まずは今週のお礼をしっかり言わないと。相当足を引っ張ってしまったし。
「葵先輩、今週はつきっきりでのご指導、ありがとうございました!」
立ち上がり頭を下げた。ほんと、迷惑かけちゃったなぁ……。
「いえいえ、とても飲み込みが早くて既に俺も助けれているぐらいですよ!」
もう、優しんですから! そんな謙遜しなくても……ああ、やっぱりいいな、葵先輩っていいなぁ~。
表情は変えずにデスクの上を片付けていたけど、内面はもうぐにゃぐにゃだった。しかも、葵先輩が私の歓迎会を開いてくれると言ってくれた。
危うく、天に召してしまう所だった……。
でもそんなやりとりをしている二人を見ていると。なんだろう、少しもやっとした気持ちになった。葵先輩って誰からも好かれるけど、梓先輩に対しては他の人と違う気がする……。
もちろん、彼氏さんである店長さんが居るんだけど。けど……何か。
少しだけ心の奥に何か引っかかった感じがあった。とても自然に会話してるし、葵先輩も気を使っていないその様子に。
これってやっぱり嫉妬なのかな……。
そんな事を心の中で思っている内にこれから向かうお店が決まったみたい。
「そうだな、大将のとこにしとくか。じゃあ行きましょうか、『飲まれるまでは飲まさない』に」
えっと……明らかにお店の名前がおかしいですぅ……また変わった人が出て来そうな予感がしますよぉ……。
駅前から一つ脇道に入ると先ほど言っていた看板が目に付いた。どうやら焼き鳥屋さんみたい。私、こんな居酒屋さんて来るの初めてだぁ……なんか社会人って感じがする。私も大人の階段上ってるんだなぁ……。
二人に続いて店に入ると、とても耳に残る声が飛んで来た。
「おや、葵さんと梓さんじゃないですか、お久しぶりですねえ……それに見知らぬお顔が。そうですか、この時期ですから新人さんですね。お~ほっほっほ!」
やっぱりぃぃ!! 中性的な声色の男性の方がいらっしゃいましたぁ! しかも何か喋り方が変! 奥の店員さんは少し引きつったように笑ってるけど……第一インパクトが強過ぎます! 私の中では店長さん以上ですよ!?
見た目は普通のおじさんっぽいんですけど……。
店の中を改めて見渡すと既に席は埋まっていてカウンターが空いているだけだった。きっと葵先輩はカウンターが好きだからあの席になるのかな?
「ああ、3人だけど、席ある?」
「何を言っているんですか。葵さんのお願いとあればどうとでもしますよ。ほら、そこのお客さん、サービスしてあげますからカウンターへ移りなさい」
なんか丁寧な命令口調でお客さん退けちゃった!? いいんですか、そんな事して……。あ、でもお客さん達はノリノリで移動してる……何だろう、なにかセリフを要求してるけど。何かのキャラを演じてるのかな……?
ダメ……理解が追い付かない。ちょっと聞いてみよう。
「あ、あの、葵先輩……?」
葵先輩は察してくれて『この街、変わった人が多いから』と思っていた通りの言葉が返って来た。そうですよね……これって普通じゃないですよね?
改めて自分の生きてきた感性が正しい事を再認識出来た。
席について飲み物を決める事になったけど、お酒を飲んだ事がないからメニューを見ても良く分からなかった。
モ、モスコミュールって何だろう……なんか回転しそうな名前だけど……。
結局、良く分からずじまいだったので、葵先輩と同じ物を頼もうとしたら大将と呼ばれる先程の男性から声がかかった。
「お待ちなさい、貴女、お酒を飲んだ事がありませんね? それなのにビールは敷居が高過ぎます、まずはカクテルになさい。それと少しづつ飲むのですよ? お酒はジュースではありませんからね。お~ほっほっほ!」
最後の甲高い笑い声は一体なんなのでしょうか……。とりあえず私の飲み物は決まったみたい。続いて梓先輩は葵先輩と同じくビールを頼んでいた。飲んだ事はないけど確かに苦いって良く聞く……でも、私だって子供じゃないんだから飲めるもん! ピーマンとか食べれますし! 後で注文させてもらおっと!
飲み物が届き、乾杯をすると二人はジョッキを持ちビールを口に付けた。ちょっと梓先輩が男性みたいな感想には驚いたけど私も手に持った赤い色をしたお酒を口に運んだ。
喉を通ると何とも言えない消毒液みたいな味が微かにして小さく咽てしまった。甘いのは甘いんだけど……こ、これがお酒かぁ……。
「こほっ……こ、これがお酒の味なんですね。なんか、ちょっとふわってなります……」
少し体が浮いた、といったら大げさだけど小さな浮遊感みたいなものがあった。そっか、これが酷くなると酔っ払うんだ……。
葵先輩は今の分でお酒はやめといて次からはソフトドリンクをと勧めてくれた。だけど私もビール飲みます! と、とりあえずこれを全部飲んでから。
9割ぐらい残った赤い液体を見ながら心に誓った……お酒、あんまり美味しく無いなぁ……。
その後もお仕事の話や私が異動した話などで盛り上がった。梓先輩と葵先輩は早いペースでお代わりをしてだんだん饒舌になっていった。私のグラスには……まだ半分も残ってる。うう、私も二人と同じ物が飲みたいよぉ……。
お酒は中々進まなかったけど私と葵先輩が出会った時の話をしたりするなど、ちょっぴり恥ずかしかったけど少し嬉しかった。まだ一週間前の話だけど懐かしく感じちゃう。
「すみません、ちょっとトイレに行ってきますね」
葵先輩は席を立ち、少しだけよろけながら店の奥へと向かって行った。その様子を眺めていると梓先輩がニヤニヤしてるのに気付いた。
「と、う、か、ちゃん! さっきから嫉妬してたでしょ? お姉さんには分かるんだよ?」
「はふっ! い、いえ、そ、そんな事は!?」
バ、バレてる!? あ、相変わらず凄い嗅覚をお持ちですね……。
「えへへ~、葵が居ないから言うけど……あたし、あいつの事好きなんだ~」
「え……そ、それって……」
顔を赤らめ、目が座りだしてる梓先輩がとんでもない事を口にした。
胸が急激に締め付けられた。梓先輩には店長さんが……だ、ダメですよ! ふ、二股なんて!
「うふふ、そんなに悲しい顔しないで。私には愛するダーリンが居るから。桃華ちゃんの恋は邪魔しないよ。でもね……ダーリンに出会ってなかったら、ちょっとやばかったかな~」
おちゃらけているけどその顔は完全に恋する女性のものだった。お酒が回っているのだろう、いつもの感じより3割増しぐらいで言葉が軽いものになってますよ……。
「実はね、私が新人の時、葵に駅まで送ってもらってたんだ~。『夜道は危ないから』って。1歳しか変わらないのに。でもその時にはもうダーリンと付き合っていたし、葵ももちろん知ってたんだけどね~」
店長さんがダーリンという一人称に変わっているのはさておいて、話の続きが気になる。
「ある日の仕事の帰りなんだけど、ダーリンに葵と歩いている所見られちゃって。良くしてくれてる会社の先輩が居る事は話してたんだけどぉ、ダーリンもちょっと嫉妬したのかな? 葵に意地悪したの~」
その時にはまだ葵先輩と店長さんは出会った事が無かったのかぁ……それでそれで!?
「ほら、ダーリンて見た目あんな感じでしょ? 私達の前に立って葵に冗談混じりでからんじゃたの。もちろん、私には目線で合図は送ってたけどね~。でもそこで葵はとんでもない事をしたの」
まさかの葵先輩と店長さんの対決ぅ!? 殺されます! あ、でも今生きてる……ど、どうなったんですか?
ここまでのお話で私の気持ちは棚に置き、梓先輩の話が聞きたくて仕方無かった。だって……女の子だもん……。
「熊のような体の相手に向かって言ったんだよ。『こいつには大好きな彼氏が居るんだ! その彼氏さんを悲しませるような事は俺が断じてさせない! 俺が相手になってやる。梓、お前は早く逃げろ!』ってこんな事を言ったんだよ~。相手は格闘術のエキスパートなのにねえ~」
格闘術のエキスパート……やはりただものでは無かったんですね。それに……葵先輩、かっこ良過ぎますぅ~!
「もちろんダーリンもちょっと脅かすだけのつもりだったし、一般の方に手なんて出す人じゃ無いのは私も知ってたんだけど……まさかの男っぷりを見せられて。そんな仕草にダーリンも私もガツンと来ちゃって」
そんな過去が……それで店長さんは葵先輩の事を可愛がってるんだ……。
「ほんと危なかったよ? 独り身だったらコロっていったよ。桃華ちゃんみたいにね!」
うう、コロっといきました……。
「だから、あたしは葵の事が好きなんだ~。ダーリンも同じくね! あ、変な意味じゃないからね! はは、この話、初めて人にしたよ。頑張ってね、桃華ちゃん。貴女になら葵、あげちゃう~!」
そう言って抱き付かれた……う、嬉しいんですけど、ちょっとお酒臭いですぅ!
「おいおい、梓、鈴宮さんに絡むんじゃない」
お手洗いから帰ってきた先輩が少し困った顔を向けていた。
「そんな事ないよぉ~、ねえ桃華ちゃん! 女の子同士だもんねぇ~」
「は、はい。だ、大丈夫です!」
「さっきの話は秘密。頑張って、応援するから」
耳元で小さな声で囁いてくれた。嫉妬していた自分が恥ずかしくなった……ありがとうございます。梓先輩!
その後も賑やかな時間が過ぎ、いつの頃か梓先輩はテーブルに突っ伏してしまった。撃沈したみたい。飲まれちゃってる……よね? 大将さん、お店の名前が実行出来ていませんよ?
葵先輩も時間を気にして最後の一杯とビールを頼み、残った料理を食べながらゴクゴクと飲みだ出したのだが、途中でジョッキを置き、私の目線に気付いたみたいで声をかけてくれた。
「どうしました? あ、ビール飲んでみたいですか?」
はいぃ!! 飲んでみたいですぅ! さっきのカクテルは頑張って全部飲みましたから!
首を縦に振り、飲みたい意思を見せた。
気付いてくれた事に嬉しくてついジャスチャーで答えてしまった……まるで子供みたい。は、恥ずかしい……。
「じゃあどうぞ、一口にしておいた方がいいですよ。梓はパカパカやってましたけど、苦手な人は苦手なものなので」
そう言うと半分程になったジョッキを差し出してくれた……あ、あれ? 葵先輩の飲みさし……か、間接キス!? 間接キスになっちゃう! で、でも大丈夫、の、飲み口を合わせなければ……。
「あ、は、はい。い、い、いただきまふ!」
噛んじゃった、え、ええい! いただきますね!
ジョッキを両手で持ち上げるととても冷たかった。どうやら凍ってるみたい。そのままゆっくりと口に運んでビールを飲んでみたけど……。
単純に美味しく無かった。さっきのカクテルよりも……口の中が変な感じだよぉ……。
「ううぅ……苦いですぅ……」
僅かに瞳に涙が溜まった。ビールは私にはムリですぅ……。
「はは、まあ、慣れれば美味しいんですよ。じゃあ、そろそろ行きますか。じゃあこれを飲み干してから」
おもむろにジョッキを持つと残っていた分を全部飲み干した。私がずらして飲んだ唇の後に綺麗に乗せて……。
葵せんぱぁ~い! 折角避けて飲んだのに、それ綺麗に間接キスしちゃてますぅ!




