15話 パンツ一丁と新人ちゃん
――葵視点
ん……何か声が聞こえる……笑い声?
「葵はあたしの弟だ」
とんでもない言葉が聞こえたぞ? そこのイカレラーメン店長、一体何を吹き込んでるんしょうか!? 鈴宮さんに変な事を言わないでくれませんかね!?
「ま、待って……嘘を教えないで……」
なんかぼ~っとする、さっきのは貧血だったのかな……。
「お、起きたか。それに桃華はもうあたしの妹だからな! これからはなっちゃんじゃなくて『お姉ちゃん』と呼ぶように!」
「は、はい、お、お姉ちゃん……」
おお~い、おかしな性癖を純粋な子に刷り込まないで! そんなプレイ二十歳の子には重過ぎるから! とりあえず話題を代えねば……というよりも何でここに鈴宮さんが居るんだ? 神出鬼没な子だな……。
「と、ところで鈴宮さん?」
なにはともあれ、なっちゃんはスーパー抗体を持っていると自負しているからいいんだけど、鈴宮さんはマスクをした方がいい。多分、手に持っているのはマスクだろう……。
鈴宮さんに促すと、眼鏡をしてないので良く見えないが、白色が顔を覆ったのでマスクを付けてくれたと思われる。目が悪いのは……不便だ……。
「あ、あの、すみません! 私のせいで雨に濡れて風邪引かせてしまって……私、どう責任取ればいいのか……」
なんか泣き声が混じってるように聞こえますけど!? せ、責任って、風邪引いたのは俺がうだうだ考えて着替えなかったからでして! そ、そんなに大層に考えないで!? なんか大切な物を奪ってしまったみたいに完全に罪の意識に苛まれてるし!
どうする……か、看病して貰えばいいのか!? そ、それで行こう!
「す、鈴宮さん!? そんな責任だなんて……じゃ、じゃあ、少し看病していただけますか? まだ食事の途中でして」
ふう、喉が渇いた……うん? 俺、ひょっとしてとんでも発言したんじゃね? 後輩に看病させてる!? 梓には言われたけどまさに鬼畜先輩じゃないか! どこの会社に看病を強要させる奴が居るんだ!
パワハラじゃん……これ訴えられたら確実に負ける奴じゃん……。
い、いや、これはお見舞いだ! そう考えればまだ活路は見出せるし、鈴宮さんの気持ちも晴れる筈だ! 簡単な、簡単な事でいいんだ。それで罪の意識も洗い流される筈!
「えっと……たしかその辺りに飲み物が……えっと、フタが空いているのはどっちですか?」
これぐらいなら頼んでも大丈夫の筈! 眼鏡付けて無いから見えないし、ちょうど喉乾いていたところだ。
鈴宮さんは二本置いてあるペットボトルの一本を手に取り、差し出してくれた。
そっちが飲み差しですか……。
熱で体の動きが鈍いのと眼鏡をかけていないせいで感覚がずれてしまい、あろうことか鈴宮さんの手に触れてしまった。
吸いつくような肌、なんて気持ちいい感触……って! これはセクハラだ!
「ひゃ!」
「す、すみません! 目が悪くて! えっと眼鏡は!?」
枕元に置いてある眼鏡をすかさずかけた。これ以上の失態は死を招く! 社会的に!
し、しかし、頭も痛い……普段は何ともないけど、こんな時の度のきつい眼鏡は辛い……。
鈴宮さんも俺の表情が気になって心配してくれた。でも仕方が無いんです。眼鏡っていろいろ不便でして。鍋とか食べる時はほんと、絶望的ですから。後、温泉とか。
う~ん、頭痛い……。
「じゃ、じゃあ外して下さい! わ、私が運びますので!」
はて? 眼鏡を外せるのは助かりますが、何を運ぶのでしょうか?
鈴宮さんが迫ると俺の眼鏡をそっと取った。そこまでは良かったのだが、胸! 目の前に胸があるから! あの近眼だから遠くは見えないんだけど、近くは鮮明に見えて……白のニットの膨らみが、目の前に……。
「どうぞ、水分補給して下さいね」
ほぼ無意識でペットボトルを受け取った、また手が触れたが今はそれどころじゃ無かった。
ニットって……胸、強調されるよなぁ……。
「あの、坂上先輩ってどれぐらい目が悪いんですか?」
「あ、は、はい、そうですね、裸眼だと視力検査の一番上の奴が見えるか見えないかです」
危な! ずっと胸の事考えてた! くぅ……この天然さに無防備なピュアさ! いいな、いいなあ~。こんな天使みたいな子、惚れちゃうよ……。
その後、視力の事を聞かれたが大いに驚いていた。確かに視力検査の一番大きいのが見えるか見えないだと、裸眼では人の顔の認識はほぼ不可能。15㎝ぐらい近づかなければ。実際、そんな状態になるのはキスでもする時ぐらいだ。
俺と鈴宮さんがその距離に陥いる事は無い。安心安全である。
一通り話を終えると、なっちゃんが作ってくれたおかゆを手に取り口元に運んでくれた。
「じゃあ、眼鏡をかけずにそのままお食事しちゃいましょう!」
え?
「あ、あ~んして下さい……」
意識が飛びそうになった……鈴宮さんが俺に『あ~ん』だと? はは、分かりました。俺、これから死ぬんですね? でも神様、俺は貴方に感謝いたします。こんな幸せをくれたんだから……。
「す、すみません……お、おいしいです」
「なっちゃんが作ったおかゆですもんね! きっと栄養たっぷりですよ!」
違います、味はいたって普通ですし食欲は無いのですが、頑張って食べれば『あ~ん』してくれるんで必死に食べてます。
幸せです……。
名残惜しくもおかゆが無くなってしまい、至福の『あ~ん』タイムは終わってしまった……少し眠たくなってきた。どうやらお迎えが来たようだ……。
「じゃあ、ゆっくり休んで下さいね、私、片付けしてきますので」
「す、すみません、いろいろさせちゃって……」
ああ、最後に素敵な思い出をありがとうございます……。
お腹も膨らんだところで意識が遠のき、視界は暗く染まった。
喉が焼けるように痛く、頭も痛い……そんな最悪な症状で目を覚ました。
「生きてたか……」
中二的な言葉を吐いてみた。まだまだ若いんだから死ぬ訳にはいかない。
「汗で気持ちが悪いな……着替え……いや、軽くシャワーを浴びて……」
ふらふらと歩きながらクローゼットから服と下着を取り出し浴室へと向かった。俯きながら歩いていると先日の洗濯も放置していたことに気付いた。
「ああ……洗濯しないと……というよりも薬……医者に行くべきか……」
我が家に常備薬は無い。あるのは虫刺されの薬ぐらいである。なっちゃん、なんか薬持って無いかな……。
汗でべったりとなったシャツを洗濯かごに放り投げ、ズボンを脱ぎ捨てた。そして、パンツに手をかけようとした瞬間、違和感を感じた。
誰か……居る?
「あうあう……」
小柄なショートカットの女の子。胸が大きくて白いのニットの服がとてもよく似合っている。俺の好みの女性だ。しゃもじを持ちながら口元を押さえている。
えっと、鈴宮さんかな?
キッチンに立つ女性は顔を真っ赤にしてこちらを凝視している。パンツに手をかけた俺を。純粋に事案である。
「きゃああっ!!」
叫び声が部屋に響き渡り、鈴宮さんは目を覆った。
「ひいっ! ど、どうして!? 鈴宮さんが!?」
やっぱり鈴宮さん!? 夢か!? 夢なら覚めてくれて! 頼む!
願いを込めて脱衣所の扉を勢いよく閉めた。
結論、夢では無かった。なんとかシャワーを浴びて、しっかり服を着替えた後にドアを開いたのだが、キッチンにはしっかりと鈴宮さんが居た。
「あ、あの、あああの……」
声をかけられたのだが、完全にテンパっているようだ。噛み倒している。
「は、はい! と、とところで……」
俺も同じだ……。
どうやら俺が寝ている間に買い物に行って昼食を用意してくれたようだ。後輩にそんな事までさせてしまうとは。しかも危うく全裸を見られるところであった……。
シャワーをしてさっぱりはしたが、体調の方はいまいち戻っていない。再びベッドに戻り横にならせてもらった。
「すみません、鈴宮さんに気付かずに……その……」
「い、いえ……わ、私こそ……」
気まずい。非常に気まずい。そして俺はいよいよ辞表をしたためなければならな――
「あの、お薬をなっちゃ――お姉ちゃんから預かって来ましたので、お昼を食べたら飲んで下さい!」
そういって怪しげな箱を見せて来た。処方箋の袋のようだが、多分なっちゃんのものだろう。
ご飯を用意してくれた上に薬まで用意してくれるのなら……少なくとも訴えられる事は無いかも!? そして何気にお姉ちゃんって……。
しかし良かった……そ、そうだよね、アザラシちゃんももらったし。あ、そう言えばアザラシちゃんは何処に付けようか……たばこ取り上げられちゃったし、やっぱキーホルダーというぐらいだし、家の鍵に付けておこうか……。
そんな事を考えていると鈴宮さんがおかゆを持って来てくれた。昆布が乗っている……ふむ。大好物だ。俺はおにぎりの具で昆布が一番好きなのだ。尚次点でシーチキンマヨだ。この具はありがたい。食欲は無いけど美味しく食べれそうだ。
「じゃ、じゃあまずはお食事を……ふぅふぅ」
プルンとした小さな唇がレンゲですくったおかゆを冷ます為に湯気を飛ばしている。今は眼鏡をかけているのでばっちり動作が見えている。
なに、これ。さっきも無かったかな……デジャブ?
「ふぅふぅ……はい、あ、あ~んして下さい……」
「あ、あ~ん……」
うん、美味しい。やっぱり昆布は最高だ。このチョイスをしてくれた鈴宮さんに感謝しなくては。
「とっても美味しいです。ありがとうございます」
その言葉に喜んでくれたのか、とても可愛らしく笑ってくれた。うん、こんな笑顔を独占出来るなんて……。
「ん? どうしましたか?」
「いや、か、可愛らし絵顔だなって……」
ついポロリと本音が漏れてしまった……。
「そ、そんな……あ、眼鏡……かけて……」
みるみる顔が赤く染まって行くのが分かる。もしかして、さっきは眼鏡外して食べてたから見えていないと勘違いしてた? 裸眼でも結構見えてたんですけどね……。
「は、恥ずかしいですぅ!!」
小さな土鍋に入ったおかゆが宙を舞った……あ、やばい……。
「あづうぅぅ!!」
「きゃあっ! 葵先輩!!」
布団の上におかゆが降って来た!? 熱い、熱いよぉ!! うう、土鍋投げちゃダメだよ鈴宮さぁん……。
幸い大きな怪我は無く、ちょっとおかゆがかかった足が赤くヒリヒリするような気がするが、水膨れとかそこまでのレベルではなさそうだ。
「すみません、すみません……私、いつもご迷惑をかけて……」
俯きながら涙混じりの声が聞こえる……。表情こそは見えないが、薄茶色のスカートを強く握りしめている。
「い、いえ、お気になさらずに、さ、さあ、薬を飲もうかな?」
怪しげな薬ではあるが、なっちゃんが用意してくれた物だ。間違いは無いと信じたい。粉薬のようであるが、色が緑であった。あまり見ない色合いである……。
口の中に少し水を注ぎ、薬を投入した瞬間だった。
「……あの、葵……先輩?」
飲みかけていた薬を吐き出した。要因は二つ、この薬、不味いって言うレベルじゃない。毒かと疑いたくなるほどの不味さだ。そして、もうひとつ、今、俺の事を何と呼びました?
「あ、あの……嫌ですよね……」
とても困惑している様子だが、鈴宮さんが言った『葵先輩』という言葉……『先輩』なんという甘美な響きだ……。
直属の後輩である梓はもはやタメ口、もしくは先日鬼畜先輩という不名誉な称号まで付与しようとしやがった。清音は高校生のくせにちゃん付けで俺を呼ぶ、その他、基本呼び捨てだ。
そんな中、鈴宮さんは言ってくれた。『先輩』と……嬉しい、嬉しいよぉ!
「いえ! じゃんじゃん呼んで下さい! 先輩……いい響きだなぁ……」
喜びの勢いに任せて再びくそ不味い薬を気合で飲み干すと、体の感覚が瞬時に鈍くなった。
まじで毒じゃないか……これ?
そう思いながら目の前の鈴宮さんがぼやけて行き、知らずの内に意識を失った。




