12話 トラウマのち罪悪感
――鈴宮視点
「咲矢! 起きなさい!」
朝一番、弟の部屋に乗り込んでいる。今日は昨日の雨も止み、快晴である。スマホで天気予報も確認したが、今日は一日を通して晴れの予報だった。
季節は寒くも無く、暑くも無くの良い気候だが、その分お布団が気持ちいいのだろう。私の呼びかけに対して微動だにしない。
「ほう……姉の言葉を無視するか……うりゃあ!」
思いっ切り布団を引っぺがしてやった。ベッドにはダンゴムシのように丸くなっている咲矢が転がっていた。この子は小さい時から寝る時に丸くなる習性がある。
「ちょっとぉ……やめてくれよぉ……日曜の朝からなんだよ……ってまだ六時半じゃないか……」
完全に寝ぼけているようだ、可哀想であるがこれも姉の為と思って容赦いただきたい。
「咲矢、また服を選んで!」
「はぁ? それだけ?」
語尾から察するにちょっと怒っているようだ。ただ、私もそこまで厚かましくはない。ちゃんと対価を用意している。
「今度のGW、短大の友達が暇してるから誰か男の子誘って遊びに行きたいって言ってたなあ~、会社も休みだし~、でも私は男の子の友達って居ないし、知ってると言えば咲矢ぐらいかな~」
「姉上、俺のセンスを必要とするならばいつでも声をかけてくれ! 遠慮は要らない!」
むくりと起き上がり、サムズアップしてきた。尚、上はロンTを着ているが、下はトランクス一丁だ。でもこの子のは見ても別になんとも思わない。でも昨日も先輩のは……恥ずかしさで死にそうになった。何だろう、この差は。
それに対価の件は実はずっと友達から咲矢と遊ばせろと督促がかかっていたのだ。ほんと、友達の弟を狙うとか中々に勇気があると思う。
「姉ちゃんの友達ってやたらとハイスペックだからなあ……社会人のお姉さんかぁ……くうう! 憧れちゃうな!」
大きな独り言を呟きながらも妙にもそもそしている。何をしているのだろうか?
「ところで姉ちゃん? いくら姉弟だからって俺も年頃の男なんだからさ。朝はいろいろと敏感なんで早く出て行ってくれない? 着替えたらすぐ行くから」
「何が敏感なの?」
「姉ちゃん……その言葉、イントネーション違ったらアウトだからな、絶対他所で言うなよ……」
ちょっと本気で注意された感がある。うん、一応心に止めて置こうと思う。
しばらくすると咲矢が部屋に入って来た。目の前の部屋なのに少し時間がかかっていた。どうせスマホでもいじっていたに違いない。
「さてと、昨日はパステル色だったから……今日は天気もいいし、気温も上がりそうだから、少し大胆に行くか!」
「え、そ、そんな、わたしあまり派手なのはちょっと……」
「大丈夫、派手な服なんて持って無いでしょ? 色合いと組み合わせだよ」
確かにそんなに肌を露出するような服は持っていないけど……。
ところで弟が姉のクローゼットを物色する様子、一般家庭では果たしてよくある光景なのだろうか。でも昨日もバッチリのコーデをしてくれたし、私一人では時間がかかって仕方無いから咲矢を頼るに限る!
「よし、今日はこれだな」
半袖の白ニットシャツに薄い茶色の膝上スカートを出してきた。
「両方とも白でも良かったんだけど、まだ真夏程の清涼感は取っておこうと思う。春先ならではのコーデにしてみた。後、余り言いたくはないんだけど……姉ちゃん、怒らない?」
「うん? 怒らないから言ってみて」
何か咲矢に引っかかる点があるようだ。そんな憂いは無い方がいいに決まっている。もちろん了承させてもらった。
「怒らないでね、俺だってどちらかというと言うの嫌なんだからな……。おほん、下着、特にパンツは白色にしておいた方がいい。万一見えた時に、印象が違う」
「なっ!?」
思わすお母さんを呼ぼうかと思ったけど、怒らないと約束した以上、我慢しなくてはならない。それに結構、真剣な目で言ってくれてるし……。この子、いつの間にこんなにおませちゃんに……。
「でも姉ちゃんがここまで惚れ込む相手か、ちょっと興味あるな。今度紹介してくれよ」
「ま、まだそんなんじゃないから! あ、ありがとう! 着替えるね、後、ちゃんと友達には連絡しておくから!」
私、やっぱり惚れちゃってるんだ……しかも身内にもバレバレ……うう、そう言えばお母さんもニヤニヤしてたしなあ。そんなに顔に出ちゃってるのかな。恥ずかしいなあ、いい歳した女性が……。
咲矢の選んでくれた服に着替え、髪を整えた所、時間は7時30分となっていた。下着は……一応履き替えた。
昨晩、悩み悩んだけれどやっぱりシャツを返しに行く事にした。今日はそんなに長居するつもりは無い。あくまでシャツを返すだけ。あまりしつこいと面倒がられれると思うし。
ふふ、私だってそれぐらいの駆け引きは出来るもん! 慎重に、少しづつ距離を詰めて行くんだから! とはいってもまだ少々、時間はある。流石にこの時間に先輩のお宅に伺うと8時過ぎぐらいかな?
そうだ! 店長さんの喫茶店に行こう! 先輩の話を聞けるかも知れないし!
「よし、シャツは持ったし……じゃあ行って来ます!」
颯爽と玄関を飛び出し駅へと向かった。
思っていた通りの時間に会社最寄りの駅に着いた。通勤用の定期があるので電車賃がかからないのでお財布には優しい。今は学生時代のバイト代で繋いでおり、お給料が待ち遠しい。まあ、あまりお金を使う事も無かったので金欠と言う程でもないんだけど。
ふと駅前の噴水がある広場に目をやると、朝早くからお掃除をしている大学生ぐらいの方が三人と、何故かその脇には昨日の迷彩服を着た人が居た。
少しその光景を眺めていると、体に寒気が走った。
髪の色は黒く染められており、印象は違うが、確かにあの時の三人組だったから。
先日の恐怖を思い出し、体が強張った。
お掃除をしている男性達の目には完全に輝きを失っており、まるで傀儡かのような一定の動作を繰り返していた。
私はそのまま逃げるように走って喫茶店に向かった。
古い洋風の喫茶店が見えた。急いで中に入ろうと勢いよく扉を開けると、鈴の音が鳴り響いた。テーブル席はお客さんで埋まっており、カウンターにも7割方埋まっていた。
ほとんど無呼吸で走ってきたので息が……まずは呼吸を整えないと――
「うん? 桃華ちゃん!? どうしたの、そんなに慌てて!」
声をする方を向くとスタイルの良い長い髪の綺麗なお姉さん、梓先輩がひよこエプロンを着て立っていた。
「あ、ずさ先輩……」
そのまま抱き付いた。怖かった……あの人達を見た瞬間、またあの恐怖が襲ってきた。手は震えており、呼吸がおかしい。
「と、とりあえず座って! ほら! 見世物じゃないよ!」
当然お客さんは何事かといった形相でこちらを見ていたけど、梓先輩の一言で視線は無くなった。
「そっか、そう言う事か……」
カウンター席に腰かけ、事情を説明した。さっきから震えは止まらない。
「お嬢ちゃん、俺の特性癒しブレンドだ」
店長さんが大きな手でカップをカウンターテーブルに置いてくれた。
「紹介するね、この前話したあたしの彼氏の店長だよ。ってもう知ってるか。昨日来たんだよね、葵と」
恐怖とは別の感情が舞い込んで来た、恥ずかしさだ。これ……。
「梓、まずは落ち着いてもらえ、お嬢ちゃん、それを飲みな」
震える手でカップを口に運んだ。珈琲が口に入れると不思議な事に高鳴っていた心臓の音が穏やかになっていくのを感じた。優しい珈琲の香りに心が癒される……。
店長は私のリラックスした顔を見て睨んだ。えっと多分笑ってくれたんだと思う。そのまま何かを調理しだした。
「美味しいでしょ? 薫の珈琲は」
薫? 誰ですか? もしかして、店長さんのお名前……ですか? 見た目と名前のギャップが……。
「そうでしょ、見た目はこんなだけど可愛いんだよ。本名は二階堂薫って言うんだよ。覚えてあげてね!」
ひいっ! なんで心の中で思っている事が分かるんですか!? 私、今は絶対喋ってませんよ!?
「ちっ!」
あふ……こ、殺されちゃう……。
「もう、照れないの! 薫ったら! それともこんな可愛いくて、胸が大きい若い子が好みなのかな?」
「……俺には梓が居る」
スキンヘッドがほんのり、いやかなり赤くなってる……梓先輩って猛獣使いだったんですか?
「ふふ、ちょっとは元気が出た様ね、店長、アレ出来た?」
「ああ……ほら、特製パンケーキだ」
大皿がまるで小皿に見えてしまうような手の上に……とっても可愛らしいパンダさんがチョコレートで描かれてる! なにこれ! 可愛い!
「可愛いでしょ? もったいないけど食べてみて美味しいから!」
「は、はい」
断腸の思いでパンダさんにメスを入れた。ふわっとした食感がナイフに伝わった。脇に置いてあるはちみつに少し浸しそのまま口に運んだ。
「おいひい~!」
嫌な事や恐怖は全てふっ飛んだ。私が食いしん坊というのもあるけど、さっき飲んだ珈琲とこのパンケーキの見た目、味が全てを書き換えてくれた。
「薫さん、とっても美味しいですぅ!」
思わず飛び跳ねたくなるような気持ちになった。というか実はイスの上でちょっと跳ねた。
「……呼び名は店長でいい」
そっぽを向いて答えてくれた。お顔は無表情ですがきっと照れてるんだろうな。それにしてもこのパンケーキおいし~!
「桃華ちゃんって可愛いよね? とっても女の子女の子してて。薫? 桃華ちゃんの事、気に入るのはいいけど、体を変な目で見たらどうなるか、分かってるわよね? いま、弾む胸を見たよね?」
店長さんのスキンヘッドが一気に青ざめた……梓先輩って店長さんよりも強いんですか!? す、すみません、私のせいで……。
店長さんと梓先輩が気を使ってくれてすっかり先程の気分から脱した。その後、店長さんからお話を伺った所、あの後、85分で捕獲し、店長さんが直々に指導したとの事だった。
どうりで目の光を失っていた訳だ……。
罪滅ぼしとして無償のボランティア活動を行わせているらしい。大学で講義を受けるのと必要最低限の日常生活以外は全てボランティアに充てられるそうだ。
監視役に迷彩服の方が付いており、逃亡はもちろんの事、私を含め他者に危害を再び加えた場合、闇のルートで存在を消す。と宣告したらしい。
脅しじゃなくて宣告というのが怖いです……店長さん、ほんとに何者なんですか?
「だからもう大丈夫だよ。さっき見たのはもはや全くの別人だから!」
ここまでの恐怖を植え付けられていたとは……先輩達が大丈夫と口を揃える訳ですね。
「ところで今日はどうしたの? 葵なら風邪で寝込んでるみたいだよ?」
梓先輩からの言葉に再び心が締め付けられた。
 




