第27話 音声データ奪取作戦Ⅵ 犠牲無き選択
「野々宮! お前、なんてタイミングで来るんだよ!」
レコーダーを停止させた野々宮が、俺の悪態を聞きながら申し訳なさそうに頭を掻く。
「チッ! まだ仲間がいたか! けどまあ、それはもう使えないんだよなあ! 再生出来るのは一度までだからさあ!!」
「……え? どういうこと……?」
「実は、本物じゃないデータは一回再生すると消えちまうらしいんだ。お前のそれが本物じゃなければ、もう証拠としては……」
そんな俺の言葉を聞き、野々宮はレコーダーを見つめながら「そういうことか……」と呟いた。
「納得したみたいだなあ! いくら足掻こうとお前たちは負けなんだよっ! 無駄な努力、ご苦労様でしたあ!!」
再び、財前が勝ち誇って高笑いをする。だが、その顔が信じられないとばかりに歪んでいくのを俺は見た。
「……どういう、ことだ? なんでまた再生出来るんだ!?」
野々宮が再生ボタンを押したことで音声の続きが流れ出す。
財前だけじゃない。その場にいる全員が困惑した顔で立ち尽くしていた。
『えっと、一時停止しただけならデータは消えないの?』
『いえ、私たちのデータは消えました』
『じゃあ録音したやつなのか? そもそも、野々宮はここ以外のどこで手に入れて……』
全員の視線が野々宮に向けられる。
視線を受けた野々宮は顔色を変えずに答えた。
「偽物じゃない……本物のデータのコピー……。だから一回で削除されない……」
『……え? 野々宮くんはハッタリをかましているんですか? だってそんな……』
『ううん。おにぃが流した音声は本物ですよ。別行動時に手に入れてたみたいですねー』
野々宮の言葉に黒咲が顔をしかめ、財前の顔から血の気が引いていく。
この二人の反応……有栖が言ってることの裏付けなのか?
「ふざ、けるな……! マスターデータをコピー……? そんなこと出来るはずがないだろっ! だってそれは――」
しかし、そこで財前の声が止まった。まるで続きを言うのに躊躇するかのように。
「……言えないよね? だってこれ、『財前グループが管轄しているメインサーバーにしまわれていた』んだから……」
「おいおい、ウソだろ!?」
「本社のサーバー……!? そんなところに隠していたんですか!?」
「それがホントなら、あたしたちが見つけるなんて出来っこないよ!」
財前家の管理してるサーバー。つまり、大企業の本社そのものに隠してただ……?
ふ、ふざけんな! そんなの一学生じゃ手の出しようがねえじゃねえか!!
そもそも、企業のサーバーに『盗聴された音声』を入れるとか悪手すぎだ。
おそらくバレないと思っての行為なんだろうが、外部に漏れ出ないように隠蔽してたと思われても仕方ないやり方だぞ。
下手をすれば、会社が組織ぐるみで隠していたとも捉えられる。そうなった場合、財前家、いや財前グループが受けるバッシングは計り知れないレベルだ。
「ですが、野々宮くんは厳重に保管されていたデータをどうやって入手したのですか?」
「確かに! まさか、大企業相手にハッキングしたとか言わねえよな?」
外部との連絡に制限がかかり、榊坂家の表立った力も借りられなかったはずだ。
なら、実は榊坂家が水面下で協力していたか、個人のハッキングで入手したとしか考えられない。
俺たちの疑問に野々宮が静かに頷いた。それはハッキングを肯定するってことだ。
「馬鹿な!? あり得ない!! うちの会社のセキュリティがどれほどのレベルか分かっているのか!? 海外のハッカーどもが侵入することすら叶わなかったんだぞ! それを一生徒如きが行っただと?」
財前が意味がわからないと髪を掻きむしる。さすがの俺もそれには同意だ。
「顔無き探索者。……おれについたあだ名……」
「その名は……!」
「美鏡知ってるのか!?」
「はい。その界隈では有名なハッカーの名前です。悪徳企業ばかりを狙って情報の漏洩を行うことから、義賊的な扱いを受けていました。しかし、ここ数年は目立った活動をしていなかったはず……」
ここ数年ってことは、ちょうど野々宮が榊坂家の執事になった頃だな。
榊坂家から禁止されたか、本人が更生したかってところか?
「……そういうこと。おれはこれを公表するつもり。……そうなると財前家がどうなるか……分かるよね?」
「……ぐぬぅああぁああ!! 貴様ァッ!!」
「み、帝様!」
野々宮の挑発的な言葉に怒りを爆発させる財前。それを一歩前に出て留めたのは、それまで無言で控えていた黒咲だ。
主人を押し留めるのは遺憾なんだろうが、ここで割って入らないと不利になると悟ったか。
「不躾ながら言わせて頂きます。ここへの不法侵入やデータの窃盗。挙句、弊社への不正なアクセスによるハッキング行為。こちらにも訴える材料がいくつもあります。互いの痛み分けにしては、双方が被る損失が余りにも大き過ぎるのではありませんか? 皆様はそれを考慮していらっしゃるのですか?」
確かに……。まだ学生とはいえ、これは立派な犯罪だ。
例え友明たちの冤罪が晴れたとしても、あいつらが戻ってきたそこに、俺たちがいられることは出来るのだろうか?
「そっか。あたしたちどうなるの……?」
「みんななら大丈夫……犯罪を暴くための行為だから、きっと学園長が弁護士を立てて減刑してくれる……」
「じゃあ、お前はどうなるんだよ?」
「おれは……グループ企業のサーバーにハッキング……データを不正に入手した。正当性があっても擁護出来る範囲は超えてる……」
企業のサーバーにハッキングをした。人様の家に勝手に入り、中を荒らしたのとは訳が違う。
その結果、野々宮は全世界にまで影響を与える事件を起こそうとしている。
あとから学園長が知ったところで、世界的な犯罪者となった野々宮の擁護は叶わないのかもしれない……。
「それって野々宮くんは捕まっちゃうってこと!?」
『竜胆さん……彼だって、それを承知でデータを手に入れたのです。私たちにはもう……』
野々宮の覚悟はそれほどまで……けど、こんな展開は。
「二人の退学を取り消すためだけに自分の人生を棒に振るだと? ……はは……っ! なんなんだよ……なんなんだよお前はさあ!? おかしいだろお!!」
「……おかしくない。二人はおれの友達だ……! この件で、お前が笑って終わるのだけは許さない……!」
友達として、この暴挙が我慢ならないからやった。野々宮はそう宣言する。
榊坂家の執事だからじゃなく、今回の件の協力者だからでもない。
一人の友人として、野々宮は自分を犠牲にしてでも二人を救うつもりなんだ。
だけど財前。お前にはそんなことも理解出来ないよな?
自己犠牲という精神が、他人を貶めることで笑えるお前にはわからないだろうさ。
それを理解出来る俺は――。
「ふざけんなっ!!」
そう野々宮に向かって言い放った。
「……もりずみ君?」
「俺はお前を信じてリンクを切ったんだ! こんなことをさせるために信じたんじゃねえぞ!!」
「ちょ!? 駿先輩落ち着いてってば! おにぃがそのデータを手に入れなきゃ、こっちが泣き寝入りしてたんですよ? 仕方ないんですって!」
「わかってる! けど、野々宮一人が犠牲になる結果なんて認めない!」
無茶苦茶な言い分とか百も承知だ。
けど、納得出来ないことに目をつぶるつもりなんてサラサラない。
まして、まだなんとかなる可能性が俺の中にあるんだ。それが潰えない限りは選択を続けてみせる。
俺はもう、あの日のように後悔して泣き崩れたくないんだよ!
「さあ財前、取り引きをしようじゃねえか!」
「取り引き……だと?」
「ああ。お前の犯罪を全部見逃す代わりに俺らの犯罪も全部見逃せ!」
「……はあ?」
「もりずみ君、何を……?」
野々宮も財前も意味がわからないと眉を潜める。
「言ったまんまだ。メイドの黒咲だっけか? あんたが言った通り、痛み分けをなくそうって提案してんだよ」
「それは願ってもいない申し出ですが、貴方様にメリットがないのではありませんか?」
「だからこその取り引きだろ? さっきのはお互いの罪を相殺しようぜって話だ。んで、お次は証拠の音声データ。これを公開しない代わりに……俺たちとリンクバトルしろ!」
「駿ちゃん!?」
俺は財前を指差し、二つ目の取り引きを持ちかけた。
「……ははっ! お前は何を言ってるんだ? 僕がそんなのに同意するとでも――」
「同意しなきゃ音声を公開するだけだ。俺にはこれ以上の案が浮かばねえ。それでダメなら、俺は野々宮の思いを汲むための選択を取る。……財前、てめえはそれで良いんだな?」
「……くっ!」
俺は一切の揺らぎなく財前を睨む。
野々宮を犠牲にする気なんて毛一本もねえさ。
ここで決め手となるのは度胸だ。こっちが臆さないことで、財前が俺の望む答えを取るように誘導させる。トランプの駆け引きみたいにな。
「さあ、どうするよ?」
「なるほど。バトルの結果で退学を取り消す魂胆か?」
財前の呟きに「ああ」と俺は短く返事をする。
「…………いいだろう。お前の思惑に乗ってやるよお!」
「じゃあ、交渉成立だ!」
俺と財前は互いに笑みを浮かべる。
あの野郎にも考えがあるんだろうが、今はこの状況に持っていけたことを喜んでやるよ。
「ダメ……! もりずみ君たちにそんなことをさせる訳には……!」
「なあ野々宮。お前勘違いしてないか? お前一人が犠牲になって友明たちが戻れば、全部丸く収まるとか思ってるだろ? ……違うんだよ。そこにお前もいなきゃ、あいつら心から笑って過ごせねえんだよ!」
「あ……」
「あたしも駿ちゃんと同じ気持ちだよ! 愛奈ちゃん言ったもん。みんなが笑顔で終われるハッピーエンドにしようって。今回だってみんなの笑顔で終われるはずだもん!」
「もりずみ君、りんどうさん……」
自己犠牲……。俺も歌恋もあの事故以来、自己犠牲をいとわなくなっていた。
俺は誰かを守るために自分の身を犠牲にし、歌恋は我慢を重ねることで自尊を犠牲にする。
けどそれで誰かを泣かせたら、結局、誰かの心を犠牲にしてんのと変わんねえんだよ。
だからこそ、野々宮にまでそんな思いを負わせる訳にはいかない。
「……そうだ。リンクバトルの約束、念のため録音させてもらうぜ。また捏造されちゃあ困るからな。野々宮、録音を頼んでも良いか?」
「う、うん……」
「そっちも良いか黒咲?」
「問題ありません。こちらは準備出来ています」
野々宮がレコーダーを黒咲がパポスを構えるのを見て、俺は宣誓を始める。
「明日、五月八日。守住駿と竜胆歌恋は、財前帝と黒咲菖蒲のバディとリンクバトルで戦う。時間は放課後だ」
「なら場所は中央のスタジアムだ。より多くの生徒に観戦してもらおうじゃないか!」
「良いぜ。このリンクバトルは退学を賭けた戦い。この試合で財前たちが負けた場合、大庭友明と心音愛奈の退学を取り消してもらう」
言って俺は目を閉じる。念には念を……少しでも可能性を広げてみるか。
『駿ちゃん……うん』
俺は歌恋にだけ意思を共有し、息をそっと吐きながら目を開けた。
「…………逆にお前たちが勝ったら、俺と歌恋は退学になっても構わない」
「もりずみ君……!?」
「駿先輩、何言ってんですか!?」
『あなたという人は……!』
野々宮と有栖が驚いた声を出し、美鏡も内心で苦言を告げる。
財前も目を見開いて俺の顔を唖然とした表情で見ていた。
「……本気で言ってるのか守住?」
「ああ。退学を賭けた戦いって言っただろ? 歌恋もそれで良いか?」
「うん!」
「歌恋先輩まで!」
歌恋も俺の思いを汲んでくれた。
俺たちの胸には決意の二文字が刻まれている。もう、退くという選択肢はない。
「以上が、明日のリンクバトルの内容だ。財前! お前はこれに依存はないか?」
「ああ、もちろんだ」
俺たちの退学が条件として加わった。そのことに気を良くした財前の返事には迷いがなかった。
財前の別邸を出た俺たちは学園までの道を歩く。
戦闘音はもう聞こえない。豪田の奴もすでに撤退したんだろう。
『知りませんからね! 財前たちが上位ランカーだと知っておいてあんな約束をして! 負けたらどうするんですか!?』
『だからすまないって言ってるだろ。てか、負ける気なんかないっての。……野々宮兄妹も色々すまんかった』
『おにぃの決断が無効になっちゃっいましたもんねー』
『それでもおれは感謝してる……戻ってきた二人が悲しむことまで考えてなかったから……』
野々宮が愁いを帯びた顔で空を見上げる。俺もそれにならって顔を上げると、空には薄っすらと一番星が輝いていた。
「駿ちゃん! あたしがんばるよ! 絶対に勝とうね!」
「ああ! この勝負、二人で絶対に勝つぞ!」
俺と歌恋は夕焼けの空に拳を振り上げた。
この空の先にいる友明と愛奈のためにも、財前との勝負に必ず勝つと誓いを立てて――。




