燃え尽きぬ文明
共テまでもう200日切ってるの!?終わった。。
炎だけで構成された門を一歩潜った瞬間、それまで確かに感じていた灼熱の熱気は嘘のように和らぎ、代わりに人々の生活音や市場の喧騒、鍛冶場から響く金属音、どこか遠くで子ども達が笑い合う声が風に乗って耳へ届き始めると同時に、先ほどまで目の前に広がっていた静まり返った灰炎都市とはまるで別世界のような光景が視界いっぱいへ広がっていき、サクは思わず足を止めながら、これが数百年前の都市そのものなのだという事実を改めて実感していた。
都市は、生きていた。
巨大な龍脈炉から供給される赤金色の光が幾重にも張り巡らされた導管を巡り、住宅区や工房区、研究区画、交易市場に至るまで絶え間なく流れ続け、それぞれの施設では役割の異なる結晶装置が稼働しており、建築物そのものが呼吸をしているかのような律動を刻んでいるため、一見すれば魔法文明でありながら、その本質は極めて高度な工学文明にも近い発展を遂げていた。
鍛冶師達は炎ではなく龍脈そのものを炉へ流し込み、赤く輝く鉱石へ極めて精密な加工を施しながら武具や生活用品を生み出しており、研究者達は巨大な結晶盤へ何百枚もの魔法陣を書き写しながら龍脈流量を計測し、旅人達は各地から持ち帰った植物や鉱石、古文書や異国の工芸品を広場へ並べ、それを囲む人々が楽しそうに話し合っている光景は、まさに一つの文明が最盛期を迎えている証そのものだった。
「……すごい」
サクの口から自然と言葉が零れる。
「ただ発展してるだけじゃない」
「皆、楽しそうだ」
アカネは静かに頷いた。
『この街はね、戦うためじゃなくて、繋ぐために作られた街だったの』
『旅人が帰ってきて、新しい知識を持ってきて、それを皆で研究して、また次の旅人へ託していく』
『だから毎日、誰かが笑ってた』
サクは広場を見渡す。
確かに、この都市には「英雄」はいない。
誰か一人が世界を救っているわけではなく、職人も、学者も、料理人も、子どもも、旅人も、それぞれが自分の役割を果たすことで都市全体が機能しているという、不思議な一体感があった。
その時だった。
広場の噴水近くで遊んでいた子ども達の姿が、一瞬だけ黒く滲んだ。
ほんの一瞬。
まるで水面へ墨を一滴垂らしたような黒い波紋が身体を覆い、その直後には何事もなかったかのように笑い声が戻る。
「……え?」
サクだけが振り返る。
しかし、周囲の人々は誰一人として反応しない。
「今、何か……」
「確認できません」
リルは即座に周囲を走査する。
「龍脈正常。魔素流量正常。住民の生体反応正常……ですが」
一瞬だけ声が止まる。
「映像記録へ、〇・二秒程度の欠損を確認しました」
「欠損?」
「本来存在していたはずの時間が、消えています」
その言葉にグレン老人の表情が僅かに曇る。
『始まったか』
彼は静かに空を見上げる。
赤く澄み渡っていた空の一角だけが、まるで古い絵画を無理やり削り取ったように色を失っていた。
『歴史侵蝕』
『最初は誰も気付かぬ』
『だから止められぬ』
その言葉が終わるより早く、今度は市場の一角が音もなく揺らいだ。
露店がある。
旅人が歩いている。
商人が笑っている。
その全てが、一瞬だけ数百年後の廃墟へ変わる。
崩れた建物。
割れた石畳。
錆び付いた導管。
人影の消えた市場。
そして次の瞬間には、また元の賑わいへ戻っていた。
「……今の、見えたか?」
サクが小さく呟く。
アカネは静かに頷く。
『昔は、もっとゆっくりだった』
『最初は月に一回』
『それが一週間に一回になって』
『毎日になって』
『最後は、息をするたびに世界が壊れていった』
サクの胸がざわつく。
世界が滅ぶ。
そういう話ではない。
世界が「忘れられていく」。
そんな感覚だった。
リルが低い声で呟く。
「違います」
「これは単なる崩壊現象ではありません」
「存在情報そのものが削除されています」
サクは眉を寄せる。
「削除?」
「例えば一冊の本から一文字だけ消せば意味は変わりません。しかし、それを何万回、何十万回と繰り返せば、やがて本は何も読めなくなるでしょう」
一拍。
「この文明は、滅ぼされたのではなく」
演算結果が表示される。
「『世界から存在したという記録そのもの』を消され始めています」
ゾクリ、と背筋が震えた。
その瞬間。
何かが笑った。
誰もいない。
しかし確かに。
耳元でも、遠くでもない。
世界そのものの向こう側から。
『……また見つけた』
子どもの声。
男とも女ともつかない声。
あまりにも近く。
あまりにも遠い。
サクが振り返る。
誰もいない。
だが、広場中央へ立つ一本の時計塔だけが、先ほどまで存在しなかった黒い文字でゆっくりと汚染され始めていた。
文字ではない。
魔法陣でもない。
世界のどの言語にも属さない、意味を持たないはずの記号列。
しかし、それを見た瞬間、リルの全演算が停止する。
「——閲覧禁止情報」
機械である彼女の声へ、初めて明確な焦りが滲む。
「視認を中止してください!」
「何なんだ、あれ!」
「分かりません!」
「ですが、本機の基底演算領域へ直接干渉が発生しています!」
グレン老人が杖を強く地面へ突く。
ヴァルガが都市全体を揺らす咆哮を放つ。
アカネが反射的に剣へ手を掛ける。
その全てよりも早く。
時計塔へ浮かんでいた黒い文字列は、一瞬だけ形を変えた。
それは。
まるで誰かがこちらを見返しているかのような、一つの「目」に見えた。
そして次の瞬間。
何事もなかったように、歴史は再び動き始める。
誰も笑い声を止めない。
市場は賑わっている。
鍛冶場では槌の音が響く。
世界は正常だ。
――サク達以外にとっては。
そしてサクはまだ知らない。
自分が今見た「あの目」が、この世界の終盤で対峙することになる”世界そのものを観測し続ける存在”の、ほんの一欠片に過ぎなかったことを。
その頃、現実世界では誰も知らぬまま、新たなワールドアナウンスが静かに準備され始めていた。
世界は再び、一段階深く動き始める。




