17 彼も——結局はシエラを選んだ
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あの取り違えられたピンクのノートは、目に見えないくせにやけに確かな“壁”になって、レミナとアルタイルのあいだに立ちはだかった。
あの夜を境に、レミナは完全に音もなく、きっぱりとアルタイルを拒むようになった。
もう、視線すら向けない。
アルタイルが近づくと、レミナは先に目を逸らすか、その場を離れる。
まるで最初からいないもののように、徹底して無視していた。
その距離の取り方はどんな口論よりも、どんな非難よりも、アルタイルにはきつかった。
レミナが変わろうとしたとき、最初に選んだ相手はアルタイルだったのに。
レミナは心の奥でそっと思う。
不器用ながら笑いかけてみたこと。
問題を教えようとしたこと。
あの少し危うくて、それでもどこか温かい距離に、踏み込もうとしたこと。
あれが新しい始まりになると思っていた。
胸の奥の、あの冷たい声がまた囁く。どこか聞き慣れた、皮肉を含んだ声で。
――ほら、やっぱり同じだ。
彼も——結局はシエラを選んだ。
あのピンクのノートがなによりの証拠だった。
せっかく伸ばしかけた触れようとする気持ちはまた現実に焼かれて。
レミナはそれを引っ込めるように、さらに深い殻の中へと閉じこもっていった。
アルタイルもまた、その“壁”をはっきり感じ取っていた。
日を追うごとに表情は曇り、周囲の空気は重くなる。
教室でさえ、誰も大きな声を出さなくなるほどに。
アルタイルは説明したかった。
引き止めて、問いただしたかった。
けれどレミナが完全に彼を遮断している、その態度を見るたびに、言葉はすべて、喉の奥で止まってしまう。
プライドと面子なんてものは時に妙に重たい。
謝ることも、説明することも。
いつも人に囲まれ、見上げられる側だったアルタイルにとってはあまりにも勝手が違っていた。
結局、彼は何も捨てられず、その代わりに、沈黙を深くして、苛立ちを露わにして、
彼自分でも認めたくない焦りと後悔を押し込めるしかなかった。
こうして、夜の自習は、また別の意味で、息苦しい時間へと変わっていった。
ゼロスは二人のあいだに張りついた見えない氷の壁と、日に日に険しくなっていくアルタイルの顔をしっかり観察していた。
状況は完全に詰んでる。
なら、こじ開けるしかない。
ゼロスは目を泳がせながら、小さく笑う。
もう一度、火を入れてやると決めた。
わざとらしく咳払いをして、問題集を手に取る。
そしてレミナの方へ体を向けると、少しだけ声を張った。
いかにも“ちゃんと勉強してます”という顔で。
「なあレミナちゃん、ここさ」
机を軽く指で叩きながら、前の席まで届く声量で続ける。
「なんでこのパラメータ代入するんだ?」
問いかけながら、彼の視線の端は前列の、ぴんと張った背中に固定されていた。
レミナはその小さな違和感に気づかない。
ただいつものように、静かに丁寧に説明を始める。
しばらくして——
「なあ、相席ちゃん」
ゼロスはまた口を開いた。
今度はさりげなく肘でレミナの腕に触れる。
ほんのわずかな動きだが見ている人間には十分すぎるほどわかる距離。
「もう一回ここ見てくれ」
問題を指差しながら、わざとらしく首をかしげる。
「このステップ、飛びすぎじゃね? 俺、ついてけない」
——「相席」。
その呼び方をあえてはっきり響かせた。
その瞬間、前の席から、指を強く握りしめるような小さな「カチッ」という音がした。
――よし、来た。
ゼロスは内心でほくそ笑み、さらに追い打ちをかけようと口を開きかけた、そのとき——
「うるせえな、お前は」
アルタイルが勢いよく振り返った。
こめかみの血管がかすかに脈打ち、目の奥には抑えきれない苛立ちが滲んでいる。
ゼロスを射抜くように睨みつけ、低く吐き捨てた。
「いつまでやってんだよ」
アルタイルの隣で、ずっと静かに座っていたシエラがすぐに動いた。
すっと振り返り、柔らかな笑みを浮かべる。
「妹ちゃん」
声はやさしく、気遣うように。
「ちょっと声、大きいかも。アルタイルくん、最近……少し疲れてるみたいだから」
言葉の端々に、さりげない“近さ”が滲む。
レミナはペンを握る指に、わずかに力を込めた。
視線は問題集のまま。
声はただ事実を述べるように淡々としていた。
「ここは学校です。 勉強する場所です」
やわらかいのに、逃げ場のない一言。
シエラの表情が一瞬だけ歪む。
まだすぐに笑みを戻した。
「そうだけど、人って疲れるときもあるでしょ? 少し休むのも普通だよ」
「ここが休む場所に向いてないと思うなら――」
レミナはようやく顔を上げた。
一瞬だけアルタイルをかすめて、そしてそのままシエラを見る。
声は変わらず、静かで冷たい。
「後ろの静かな席に行けばいいです。 ここは勉強したい人が使う場所だから」
言い切ると、そのまま何事もなかったかのように視線を落とし、ゼロスへの説明を続けた。
ただ、問題集を追うその目だけがほんの少しだけ、焦点を失っていた。
アルタイルは彼女の——自分を完全に切り離すような、どこか突き放す響きすらある態度を見て。
胸の奥を見えない手でぎゅっと掴まれたみたいに、きしんだ。
口元がわずかに歪む。
浮かんだのは自嘲混じりの、苦い笑み。
……なるほど。
あいつにとっては、俺も、シエラも——同じ側か。
「勉強の邪魔をする連中」で、まとめて外に出される側。
ガタンッ——
アルタイルは勢いよく立ち上がった。
椅子の脚が床を引っかき、耳障りな音が教室に響く。
彼は何も言わない。
ただ苛立ちをぶつけるみたいに、自分の椅子を蹴りつけた。
冷えきった空気だけを残して。
振り返ることもなく、そのまま大股で教室を出ていった。
シエラはその背中を見送った。
ぎゅっと下唇を噛みしめる。
目の奥に、執着めいた光が宿る。
——絶対に、手に入れる。
そう言わんばかりに。
彼女はすぐに、自分の柔らかなマフラーを掴むと、慌てて後を追った。
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