1 耳障りな喧騒と、無音の戦場
ウィズダム高校には、「相席」と呼ばれるちょっと変わった制度がある。
同じ机を、誰かと二人で使う――ただそれだけのことなのに、その相手は自分では選べない。
強制的に生まれる“近さ”。
授業中にこっそり交わす小さな会話や、机の真ん中に引かれた見えない境界線。
そんな何気ない日々を重ねるうちに、いつしか特別な関係が芽生えていく。
それはただの席の相手なんかじゃない。
喜びも悩みも分け合う、「青春の証人」。
親友になることもあれば、ライバルになることもある。
あるいは――気づかないまま、誰かを好きになってしまうことだって。
「相席」という言葉は、たった一人との思い出にとどまらない。
それは、この学校に通うすべての生徒が共有する、“あの頃”そのものを指す言葉なのだ。
午後の陽が斜めに差し込み、ガラス窓越しの光が傷だらけの教卓にまだらな影を落としていた。
教室にはチョークの粉っぽい匂いと、思春期特有の落ち着かなさが薄く漂っている。
レミナは机に突っ伏したまま、短い眠りに落ちていた。
ひんやりした教科書に額を押し当てて、わずかな休み時間のあいだだけでも、現実から逃げようとしている。
「ギシッ──」
机の脚が床を引きずる、耳に刺さるあの音。
次の瞬間、机がぐらりと揺れて、レミナの意識は乱暴に引き戻された。
……また。
顔を上げるまでもない。
この“雑な合図”は、彼女の相席――アルタイル専用のものだ。
胸の奥で、心臓が鈍く一度だけ打つ。
慣れすぎてしまったせいか、それはもう痛みというより、感覚の薄れた違和感に近い。
ぼんやりした頭を軽く振ると、長い前髪がさらりと落ちてきて、顔のほとんどを覆い隠した。
表情も、こぼれそうな感情も、すべて。
レミナは何も言わずに立ち上がり、すっと一歩だけ下がる。
通り道を空けるその動きに、迷いはなかった。
無駄も、視線も、そこには一切ない。
アルタイルは気だるげに視線を落としたまま、特に何の感情も浮かべていなかった。
周囲なんてどうでもいい、とでも言いたげな無関心さをまとっている。
長い脚を軽くまたいで、レミナの内側の席へと腰を下ろす。
ふと、彼の体から、日向に干したあとのような石鹸の香りがかすかに漂った。
淀んだ教室の空気とは、どこか噛み合わない匂いだった。
「妹ちゃん、今日もずいぶん早かったんだね」
甘く澄んだ声が不意に二人のあいだへ滑り込む。
シエラがふわりと現れて、レミナの机のそばに立った。
小さな花柄の弁当袋を、まだずれたままの机の端にそっと置く。
「ママ、朝ちょっとバタバタしててさ。
妹ちゃんがあんなに早く出ると思ってなかったみたいで。
これ、ちゃんと渡してって言われたの。ほら、早く食べな?」
そう言いながら、今度はアルタイルへと向き直る。
少し唇を尖らせて、甘えるような、不満を含んだ声で続けた。
「アルタイルくん、ちょっと乱暴すぎ。
入るときくらい、一言くらい声かけてよ。 毎回机蹴るの、やめてね?」
アルタイルはゆっくり顔を上げると、レミナの無表情な横顔を一瞬見つめると。
すぐに興味を失ったように視線を外し、面倒くさそうに眉をひそめる。
「……わかったよ」
それだけの一言。
けれどシエラは、大きな約束でも取り付けたみたいに、ぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、今回は許してあげる」
嬉しそうに笑って、可愛く目を細める。
レミナは二人の方を見なかった。
視線の先にあるのは場違いな弁当袋。指先がわずかに震える。
……また、これだ。
いつだって遅すぎる「気遣い」と、不自然なほど完璧なタイミングの「やさしさ」。
胸の奥がじわりとむかつく。
吐き気にも似た、生理的な嫌悪感が込み上げてきた。
中身なんて見なくてもわかる。
冷えきった牛乳と、固くなったパン。
レミナはゆっくり手を伸ばし――
弁当袋には触れず、机を押さえて、元の位置へと戻した。
そのあとで、つまむようにして弁当袋を持ち上げると、短く腕を振る。
迷いのない動きで、そのまま前のゴミ箱へ放り投げた。
「ポトン」
軽い音がやけに大きく響いた。
教室が一瞬だけ静まり返る。
シエラの笑顔がぴたりと止まった。
白い指がぎこちなく絡まり、みるみるうちに目が赤くなる。
声もかすかに震えていた。
「い、妹ちゃん……ちがうの。ママは……わざとじゃ……」
――始まる。
レミナは、どこか冷めたまま思う。
これは、自分が決して勝てないくせに、逃げることもできない“舞台”だ。
そして、案の定。
次の瞬間――
「あーもう、なんだよそれ。ご飯くらい作ってもらってんだろ? ちょっと遅れただけじゃん。誰があんな早く起きんの?」
「しかもさ、わざわざ弁当まで持ってきてくれたんだろ? 何がそんなに気に入らねーの?」
「ほら、学年一位サマだし? 早起きしてアピールでもしたかったんじゃないの?」
「あーあ、継母さんも大変だよな。シエラもさ、毎日あんな目で見られて……かわいそ」
「ねーシエラちゃん、こっち来なよ。食べないなら放っとけばいいって。あんたのせいじゃないんだからさ、なんで気ぃ使ってんの?」
声は大きくない。
それでも、一つひとつがやけにくっきりしていて、細い針みたいに肌を刺してくる。
致命傷じゃないけど、じわじわと痛む。
レミナはうつむき、そっと自分の手のひらを見つめた。
指先が少し冷たい。
……まただ。
考えるより先に体が動いた。
わかっていたのに。
こうなるって、ちゃんと――わかってたのに。
唇をかすかに噛む。
次こそは。
次こそは、ちゃんと我慢するって――そう思っていたのに。
レミナが言葉を探しきるより先に――
探したところで、どうにもならないのだけれど――
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