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花散郷  作者: 花壁
序 春来る
1/8

新月

 天上の都に喧騒の春。紫がかった雲を引き裂いて、それは肉体を現した。『翼』の模倣機械・飛空ひくうの少年パイロットは肉眼で敵影を捉える。鋼鉄の『鬼』は宿した翼を開いた。刃のような鉛色が鈍く輝き風を切って、高速で分隊に接近する。各機散開。飛空は高い機動性を維持するために、最低限の装備しか搭載していない。各計測器も精密だとは断言できないものだったが、地上の都を脱した人間には充分だった。今までは、と少年は忌々しく思う。天上の平和という神話はこの日崩れ去ったのだ。少年は先行する機の援護体制に入る。格闘戦では分が悪いが、速さは飛空が上だ。たとえ人知を超えた異形であっても、自分が乗っているのは曲がりなりにも『翼』だ。二度も負けはしない。いつか来ると言われた災厄である、鬼の天上進出のために飛空部隊が編成されたのだ。照準を合わせる。先行機の機銃から放たれた弾が連続で鬼に命中したのを確認。先行機、離脱。鬼がぐるりと反転し、少年と隊列を組む数機を捕捉する。鋼鉄に反射した夕焼けのきらめきが飛び込んでくる。鬼の上昇距離、速度を即座に手元の計算機で算出。それに従い飛空腹部の電子誘導弾を射出。命中。鬼は吠えていた。痛いと叫ぶかのように翼をはためかせ、その身体の鋼は剥がれ落ちていった。まるで人間だ、と少年は嫌悪した。『翼』だけでなく痛覚まで真似をしているのか、と怒りに似た感情が沸き上がった。大気が震えて、その煽りを食らって飛行速度が低下していることも少年の苛立ちを増幅させた。胸が悪くなるような淀んだ空気が漂っている。早く旋回して後続の攻撃に繋げなければならない。少年は燃料計を一瞥する。この機体が燃え上がる前に、燃料切れで落ちる前に、敵を落とす。飛空は弓の陣形で鬼へ迫る。先頭の機が機銃を掃射。少年も再び照準を合わせる。射程内。しかし少年が誘導弾を発射しようとした瞬間、鬼の体から発せられた光線が、一撃を加え離脱する僚機を焼いた。圧倒的だった。少年は即座に無線からの指示に従い陣形を組み直す。


 鬼は歌っていた。少年は操縦席の中で、その声を聞きながら異質なものへの恐怖にただ震えていた。他方で敵の姿を神々しいとすら思った。自分が戦っているのは、やはり人間なんかではない。相手が何を言おうと、話など通用しないのだ。呼吸をするのも苦しいほど、体の至るところが重たい。頭に付けた四本の接続器はきりきりと脳を刺激して、少年が意識を失うことを許さない。鬼の歌は輪唱のように広がって衝撃波となり、飛空の翼をいくつももいだ。主画面から僚機を示す印が次々と消えていく。それに伴って無線から流れる飛空乗りの悲鳴や祈りの言葉も沈黙に変わっていった。鬼はその手から剣のようなものを生やし、僚機へ接近する。援護をするにも距離が開いている。守れない。剣が飛空を叩き切った。こうなったらある弾を撃ち尽くして、機体をぶつけるしかない。少年は諦念から無謀な賭けにでた。


 しかし彼は最後に希望を見出だした。主画面上で、味方機を示す青が現在地点に向けて接近している。表示される機体番号から、僚機が飛空ではないと知れる。その名は、と少年は呟いた。唐桃万里からももばんり。美しく勇敢な、『月の舟』一番の『羽衣はごろも』ーー人の手に入れた『翼』の操縦者。少年は操縦桿を握ったまま、万里に祈りを捧げた。彼の強い瞳に打たれたときの衝撃と憧憬は死の間際にあってもありありと思い出せた。龍に最も近い人間である万里ならきっとあの鬼を鎮めることができる。唐桃万里! 彼の名の響きは、少年の死さえ祝福した。さようなら、万里。僕は少しも怖くはない――鬼の剣先が操縦席ごと少年を貫いた。


 最後の飛空が落ちたことを、青の表示の消滅が告げた。空に薄気味悪い沈黙が訪れる。白く優雅な体躯の、羽衣が射出される。上昇しきったことを確認してそれは翼を開く。月の船と空を繋ぐ『翼』は、人の身体と同じように手と足を、鬼と同じように鋼鉄の身体を持っている。かつ儀礼によって命を吹き込まれた、神気を纏ったものである。ゆえに鬼と戦う力があるとされるのだ。羽衣の到着があと少し早かったところで、飛空の分隊は救えなかった可能性が高い。鬼が放つ障気は羽衣に乗っていても感じ取れるほどのものだ。装備の簡易な飛空では乗り手を障気から守ることは難しいし、報告された鬼の能力は過去よりも格段に上がっていた。空に散った者たちへ祈るように、羽衣は空を滑る。その動力として、飛空とは違い燃料を必要としない。人がなにかを信じる心を食うのだ。心というのは思い、と言い換えても良い。機体の姿勢が安定し、加速。

 「万里」

 後部座席に座る八雲やくもは彼の主人である万里の名を呼ぶ。死の空に万里と二人きり、『翼』の中にいる。万里の周囲にはいつも多くの人間がいて、彼に救いを求めた。万里の毅然とした強さ、羽衣への敬虔な姿勢に八雲は惹かれた。八雲の名は、万里によって与えられたものである。彼の人生はその祝福から始まったと言ってもいい。そして八雲は、付き人の身でありながら、ある種の愛情をもって万里を見ていたことは間違いない。だからたとえ戦いの中であっても、万里と共にいられることは八雲にとって大きな喜びだった。

 「羽衣は、龍を信じなくても動く。こいつは祈りに応えるわけじゃない」

 淡々とした万里の呟きに、八雲は内心ぎくりとする。信仰を持たない人間が羽衣を操縦することはできないはずなのだ。ましてや舟で人のために祈りを捧げてきた万里がそんなことを言うとは思ってもいなかった。万里も自分の行動に迷うことがあるのだろうか、と八雲は考えた。彼は羽衣での飛行に際して、戸惑いを感じたことはあまりない。万里が信じるものを八雲も信じる。二人の間にはそれで充分なのだ。

 「それでも俺はお前と飛び続ける。きっと、いつまでも」

 万里は19歳になる少年である。この年になってもいまだ『啓示』を受けずに羽衣の乗り手-ー透明な少年であり続けてきた。いつまでも、永遠に。その言葉は羽衣の乗り手とは相容れないものである。万里が心の奥底にある弱い部分を自分にだけ見せていると思うと、一層八雲は彼を愛しく思うのだった。

「僕は……ずっと貴方の側にいます」

 接続器に繋がった手は万里へ届かない。万里も何も言わない。二人の間を割くように警告音が鳴る。敵影補足。

 「来たぞ」

 鬼が手から光弾を発射する。万里の反応のほうが一瞬早かった。羽衣を回転させて回避。八雲は手動で信号を入力する。羽に仕込まれた鉄の弾を敵に向けて掃射。鬼に数発かすったが、旋回される。しかしその動きは万里の想定内だった。長剣を握った羽衣が、鬼に高速接近。鬼も同じ長剣を作り出して羽衣の攻撃を受ける。残った仕込み弾を発射。距離を詰めた分敵の移動が正確に出せる。万里は操縦桿を素早く動かす。鬼の心臓を剣先が捉える。軽い衝撃が操縦席に伝わる。

  鬼は血を流していた。辺りの瘴気が濃くなる。人間の真似にしては上出来だと万里は思った。しかし、八雲の目の前の画面に表示された情報は、ある不可解な示唆をしていた。目の前の鬼から生体反応を感知。本物の人間がそこにいると羽衣は言っている。

 「人間がいる……鬼の中に?」

 「たとえ何であっても、倒す」

 羽衣は剣を構えなおして、鬼へ向かっていく。鬼の胸部装甲を破ると、その中に操縦席にあたるものがあると認められた。人が中に入っている。八雲が羽衣へその映像を送る。そこに映っていたもの——それは二人を驚愕させた。八雲によく似た顔立ちの青年が眠っていた。大人が羽衣の領域たる空にいるということに、万里は強い衝撃を受けた。同時に彼はまた、自身の永遠観を否定されたような気がした。あの青年が飛び続けた少年の成れの果てだとしたら、という不吉な予感が万里の頭を支配した。鬼とは何か、羽衣は何と戦っているのか。答えのない疑問を万里は振り払った。後部座席の八雲は操作の手を震わせながらかすれた声を出した。

 「これは……僕?」

 「映像を落とせ。俺たちはこの鬼を倒しに来た。惑わされるな」

 鬼は鋼鉄で青年を覆うと、瘴気を噴出させた。羽衣の力が徐々にそがれていく。自由な飛行を奪われた羽衣の胴体に鬼の拳が炸裂する。操縦席が激しく揺れる。鬼の衝撃波が羽衣を追撃。羽が落ちていく。

 「八雲、ここで負けるわけにはいかないんだ。八雲!」

 万里は放心の八雲を呼んだ。接近して戦うことは八雲の状態を考えても難しい。万里は後部座席から反応が無いと見ると、副画面を呼び出した。損傷の激しい羽を切り離し、火器制御を万里が手動で行う設定へ命令を書き換える。減速はしているが、まだ羽衣は飛べる。戦えるということだ。羽衣脚部を開き、小型銃を取り出す。もっと速く飛んでくれ。万里は主画面上の敵の印がこちらへ接近しているのを見ながら操縦桿を傾ける。八雲は気こそ失ってはいないが、鬼の中の光景を受け止め切れていないようだった。万里は羽衣の高度を上げながら撃つ機会を狙う。八雲は手を組んで響きの美しい言葉を口にした。神への祈り、龍への賛辞だ。彼が一緒にいてくれなければ羽衣は飛ばせないのだ。羽衣を通して、八雲の絶望が万里の精神を侵食していこうとする。唯一羽衣に同乗することを許した八雲に、万里の声は届かない。彼は鬼の中の青年を直接撃って勝利を掴もうとした。鬼の心臓を狙って数発発射。八雲は祈り続ける。


 その時、空が金色に輝いた。羽衣を蝕む障気が一瞬にして晴れ、神気で満たされていく。まばゆい光が空を割き、虚空を出現させる。万里は目を見開き、あるものを見た。白い龍――それは悠々と空を駆けていく。羽衣の操縦者を守る神の姿だ。羽衣は鬼と共に無へと引きずり込まれていく。奇しくも龍の鱗と同じ、白い羽が音を立てて崩れる。まだだ。戦いは終わっていない。万里の執念と闘志を嘲笑うかのように無が羽衣の腕を折った。ふと我に返った八雲の絶叫は轟音にかき消され、羽衣と鬼は空から完全に姿を消した。程なくして、月の舟上空に平穏が訪れた。空は白み、朝の涼しい風が雲を押していく。龍は空を泳ぎ、その身を光の粒子に変えていく。



 『兄様、兄様』

 意識がある。生きている、というよりは死んでいないといったほうが正しい状態だ。身に覚えのある感覚だった。夢のような非現実の世界に呼ばれたのだ。今回は誰かに体を支えられている。背中に腕を回すと、相手が華奢で無駄な筋肉のない体つきをしていることが分かる。とはいっても、この世界で会える者など一人しかいない。そして万里は彼をよく知っていた。陽の光の眩しさに目を開けると、光が閉じこめられた蒼い瞳がじっと万里を見つめていた。蕾と花、少年と青年の狭間――未来への希望。そうしたものがこの蒼い瞳の全てだった。そして彼のぞっとするような美貌が、この弟に対する万里の目を塞いだ。龍と空を繋ぐはずの羽衣で敵と戦うことだけを生きる理由とする兄、精神世界の中で華やかに成長した弟。つまるところ万里は弟を受け入れることができなかった。血の繋がり以外は何も交わるところがないと思っていた。何もかも弟とは違う。少なくとも万里は、弟のような無垢な感情は持ち合わせていなかったし、何か戦いのような、破滅的なものに向かって生きていないと自身の存在意義を見いだせなかった。そして彼は八雲が自分を慕う理由もないと戸惑っていた。戦いの道具として万里と共にいたい、という意は持っていないはずだった。刹那的に戦い、信仰も持たず、愛をはねのけることしかできない人間など、何の価値もないのではないか。そんな万里が羽衣に乗ることで何を見いだせるのか。

海里かいり。俺たちは本当に生きてるのか?」

 半分は否定されることを期待していた。しかし生きていなければ戦うこともできないのだ。どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。いつの間にかこの世界にも命を持ったものが増えた。悲しいくらい美しい場所に変わりつつある。

 『兄様は死なせない』

 海里の言葉はいつになく、どんな約束よりも強く聞こえた。生と死を選ばず、精神世界を通じて万里を守るのが自分の存在意義だ。そんな言葉の代わりに海里は万里を抱きしめる。風もないのに桜がひらひらとその花弁を落としていき、音もなく積もる。冬はとうに去り、海里にもまた春が巡ってきたのだ。季節は静かに循環する。命もまた、廻る。

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