第七章 桜と命の行く末
華麗な彫刻を施された獅子かたどる巨大な扉を、俺は礼儀も作法もわきまえずに蹴り破る。
その扉は、喜ぶかのように大きな音を鳴らして皆に主の帰還を伝え、城の者たちはこぞって主を迎え入れる。
「深紅様! ご無事で!? カザミネ様は?」
この状況にいろいろ聞きたいこともあるだろうが、そんなことを言っている場合ではない。
「話は後だ!ゼペットは!!」
「え……あ、はい。すでに手術の準備を整え、二階フロア医療室にてお待ちです」
「分かった……ありがとう」
何かを聞こうと口を開く石田を無視し、俺は階段を上がり、医療室の扉を開く。
目の前に飛び込んできたのは、手術の用意が完備された急造のオペ室。
消毒の臭いが鼻を突き、白い光に少しだけ目を細めると同時に準備を進めている謝鈴が視界に入る。
「何をしていたのです深紅!?って……ど、どうしたんですかその……」
「話は後だ!ゼペットは?」
「え……あ、主なら」
「ここにいる……急げ、時間がないぞ」
ゼペットは神妙な面持ちのままそう語り、カルテを片手に俺を睨む。
どうやら、ゼペットは何が起こったのかを察していたらしく、俺はそっと桜をベッドへと乗せる。
「え?主何を……確かに予定時刻より少々遅れていますが……時間はまだ」
「……シェイ。 今すぐ様子を診察しろ」
「へ?」
「早く!」
「は……はい!?」
左腕の術式を起動し、謝鈴は急いで桜の腕を取り、状態理解の術式を起動する。
どれくらい長いのかと、気が狂いそうになる。
……一瞬の幕間。 ゼペットも難しい顔をしてその様子を見つめ続け、俺は一言も発することが出来ずに固唾をのんで結果を待つ。
と。
「っ……停止が思った以上に進んでいる……主、このままでは……」
「やはりか……シェイ!今すぐ手術に取り掛かるぞ!このままでは日をまたぐまで保たんぞ!時間が惜しい、吸入ではなく静脈麻酔だ……すぐにプロポフォールを!それと、同時に停止した部位の交換も行う、Br-3s36とH-6s12を持て!」
「は……はい!」
「っ……そんなに進行しているのか」
「…………相手はファントムか」
「あぁ」
「相当の無茶をしたようだ……自らの機能を、異常に食わせて強制的に停止させている。今は眠っているだけだが、このままでは二度と目覚めんぞ」
「なっ……助かるのか!?」
「確率は低いのぉ……だが、死なせる気は毛頭ない」
ゼペットはそう語り、俺に力強く笑いかける。
「外にて待て。 お前に今できることはそれしかない」
「…………桜を頼む……」
俺は唯、そう言う事しかできず、ゼペットに従い廊下に出て、扉を閉める。
扉を閉める瞬間見えた桜の顔は雪のように白く……。
これが、瞳に焼き付けられる冬月桜の最後の映像なのではないかという下らないイメージを振り払い……入るときには気付かなかったソファに腰を下ろす。
多分謝鈴が用意したのだろう……少し消毒の臭いがするその緑色のソファは、この赤い廊下にぽつんと存在し……まるで外界から遮断されているような感覚に陥る。
外界から遮断された感覚は、嫌でも自分の頭に変な想像を膨らませてしまい……。
まるで、ロシアに舞い降りる初雪が黒と灰色の世界を白で塗りつぶしていくように、俺の思考も占領されていく。
……もし。
もしもだ……。桜が目覚めなかったら、俺はどうすればいい。
また正義として刃を振るうか?
兵士になり、忠を尽くすか?
それとも……何もかもを忘れて、普通の暮らしと言うものを始めるか?
……答えは全部ノーだ。
刃を振ろうにも……俺と言う刃の持ち主は冬月桜であり。
忠を尽くすと決めた者は、冬月桜……ただ一人。
普通の暮らしをしようとも……。
そんな物……隣にお前がいなきゃ……手に入れる意味がない。
「あぁ……そうか」
俺の中の桜は……もうこんなにも大きな存在になって俺のほとんどを埋めていて。
気が付けば、俺は桜がいなければ 生きることも出来なくなっていた。
……そう、だからきっと、冬月桜の死は不知火深紅の死と=でつながる。
それだけ俺は、桜にイカレテしまっているんだ。
「桜…………」
唯々……名前を呼ぶ。
あの笑顔をまた見たい。
また、町を二人で手を繋いで歩きたい。
変な映画を見せられたって良い。
また、思いつきの行動に振り回されることが出来るなら……それはどれだけ幸せか。
何だっていい……たとえ世界を敵に回しても……それで桜が助かるなら何でもしてやる。
俺の中で桜は……もうそれだけ大きくて……そこにもし穴が開いてしまったら……不知火深紅にはもはや何も残らないのだから。
「……はぁ……俺にはもう……お前しかいないんだよ。だから……だから絶対帰って来てくれ……桜」
そう言葉を漏らして思考を止め……視線を扉へと戻す。
と。
「桜様のご容体は……いかがですか?」
左側から声が聞こえ、振り向いてみるとそこには石田が神妙な面持ちでこちらを見つめていた。
「石田……あんたいつから?」
「つい先ほどです……なにやら思い悩んでいたご様子だったので、お声をかけるのを控えていたのですが……」
「え……そうなのか……」
ただ単に自分が気づかなかっただけか。
「やはり、芳しくないのでしょうか?」
「……あぁ」
俺は石田に森で起こったことをできるだけかいつまんで説明すると、石田は難しい表情のまま……そうですか。
とだけ呟き、桜については何も言わず冷静なまま綺麗な体勢で扉を見つめ続ける。
「……冷静だな……」
いつもはあれだけ騒いだり泣き出したりしているのに。
「……ふふ、冷徹……ですかね?主人の生きるか死ぬかの瀬戸際に」
「……いや、唯意外だっただけだ」
「そうですねぇ。慌てるのも、涙するのも……思う相手に伝わってこそ意味があります。
その相手の抱える相手が死であるならば……その悲運に共感しようとも意味はありません。
ですから、唯々できるだけ冷静に……信じることが、最良の選択だと思っただけですよ」
「その考え方は……なんか珍しいな……」
「そうでしょうか?」
「あぁ……普通はそんな風には生きられない。人は、そこまで感情をコントロールは出来ない」
「……ふふ。別にコントロールをしているわけではありません。すべての感情に嘘も偽りもありません。ただ、今は信じるしかないじゃないですか……」
石田はそう笑顔を俺に見せるが……その表情は硬く……その握られた拳は震えていた。
「……そう……だな」
俺達がうろたえていては意味がない……。
桜は……桜は~死~と戦うと決めたのだ……。
だったら、俺達が桜を信じてやらなくてどうする……。
絶対大丈夫さ……。
何故ならお前は……俺が選んだ女なのだから。
その後、ファントムに襲撃されてはぐれてしまったカザミネが、泣きじゃくりながら謝罪の言葉を並べてやってきて、そのすぐ後に長山に救出されたボディーガードたちが皆疲れきった体を引きずってミコトと共にやってくる。
互いの無事を喜ぶ会話がなされるのは二言三言……これだけの作戦に誰一人かけることなく生還を果たしたことは奇跡に近く、本来ならば飲んで暴れる大宴会をすることになってもおかしくないのだが、今回ばかりは皆が皆、手術中とかかれた扉の前で祈りを捧げる。
桜。 お前はいつの間にか、これだけの人間の中心にいたんだ。
友達を欲しがっていたあの頃とは違う。
みんな待ってるから、早く戻って来い。
■
時間は刻刻と過ぎて行き……ここ最近の疲れのせいか、皆静かに瞳を閉じて寝息をたてる。
時間はどれだけ流れたかは分からず……それでも俺だけは眠らずに桜の無事を信じて扉の前で待ち続ける。
と。
「……手術は終わりました」
白い服を赤に染めた謝鈴が扉から現れ……俺に向かって声をかける。
「!」
「中にどうぞ」
謝鈴はその相変わらずの静観な顔つきのまま俺を部屋の中へといざない…… 俺は案内されるがまま、部屋の中まで入り、ベッドの元まで歩いていく。
桜が眠るのは、窓の傍。 外の風景が一番きれいに見える場所。
桜の隣にはゼペットが立っており……。
俺に気付くと、ゆっくりとその唇を動かす。
……ぞくりと 背筋に凍るような寒気が通る。
緊張している……。
最悪の結果を伝えられる恐怖と……最高の結果を伝えられる期待がひしめぎあって……
時がゆっくりと流れていく。
息がつまり、ゼペットの唇から目が離せない。
鼓動がその一瞬で早まり……額から汗が噴き出す…………。
神様……お願いだ……。
祈るしかない……無駄だと分かっていても……。唯々俺には祈ることしかできず。
そして……鼓膜はゆっくりと、ゼペットの言葉を受け取る。
「……え?」
「……だから……手術は成功だ」
「…………………」
ゼペットの表情は笑顔であり、謝鈴も嬉しそうにこちらに微笑んでいる。
心臓の鼓動が早くなることで、俺の傷がずきりと痛む。
……嘘でも、幻でもない。
これは現実であり、そして……。
「よかった……」
冬月桜は……この世界に存在していた。
安心したのか?俺はその場にへたり込み……。
頬を伝う……何かを感じる。
とても温かいと思ったら、すぐに冷たくなって床に落ちていく。
それを何度も何度も繰り返すうちに、それがなんなのか、俺はようやく思い出す。
あぁ……これが涙か……。
初めて知った。 涙は、うれしいときにも流れるもんなのだと。
「良かった……よかった…………。ありがとうゼペット……ありがとう」
其れしか言葉はなく。
唯々……俺は涙を流し続けた。
「おいおい……そんなところで座り込んでいてどうする。早くその眼で無事を確認せんか」
其れをみかねてか。
情けなくへたり込む俺にゼペットは苦笑して俺を立ち上がらせ、背中を押す。
そこに居るのは……白い雪のような衣装に身を包んだ、白銀の髪を持つ、小さな少女。
気を使ってくれたのか、振り返ればゼペットの姿はそこにはなく。
俺はそんな気遣いに一つ二つ照れ隠しに憎まれ口をたたいたのち……桜へと向き直る。
余命一ヶ月。
その中で彼女は自分の人生を生きることを知り。
本当の幸せの意味を知り。
そして……運命に抗うことを知った。
そして、桜は生き延びた。
様々なものを失い……其れよりも多くのものを得たこの一ヶ月。
思うことは腐るほどあり……言いたいことはさらに存在する。
「まぁ……だけど」
そっと桜の髪をなでて、桜にこの言葉を贈ろう。
「誕生日おめでとう。 桜」
言葉と同時に、大広間の時計は鐘を鳴り響かせ……。
同時に背後の扉の向こうから、割れんばかりの大歓声が思い出したかのように沸きあがる。 どうやらゼペットがみんなに桜の無事を伝えたらしい。
そんなみんなの声が原因か、はたまたとても良い夢を見ているのか、桜は俺の握った手を優しく握り返し、幸せそうな笑みをこぼした。
いろいろなことがあったが、なんにせよ。
本日12月25日……0時00分……冬月桜は、運命に勝利した。




