第七章 真冬のロシアに咲く桜。 少女にだけ届く誕生日プレゼント
先ほどまで吹雪いていたのに、雪月花の森の中にはちらちらと粉雪が舞う。
木々はこれから起こることを予感しているのか?それとも、いつものように俺たちを見かけて、面白いことが起こるのを予感して喜んでいるのか?
ざわざわと身を揺らして俺たちを見下ろしている。
当然森は以前変わらずそこにあるだけ。決して干渉せず俺たちを見守る腹積もりなのだろう、人の何倍も生きる彼らにとって人間の戦いなど瑣末ごとに過ぎず、ただ面白そうだから興味をもっているだけで、助けようだとかそういう気持ちはまったくありはしない。
まぁでも、お宅らが何を考えようがこちらにとっても瑣末ごと……言葉も考えてることもわかりはしないのだから、非難を受けようが俺は痛くもかゆくも無い。
だから、のんびりと見学しているところ悪いが今回ばかりは、この土地の主のために役に立ってもらう。
「深紅。全員配置についた。いつでもいけるぜ」
背後で相棒が俺にそう声をかけ、俺は無言のまま一人頷く。
「……っ!?な、なんかきてるっさ!?なんだかわかんないけど!?でっかくて、トラよりもやばいのがきてるっさ!?」
「あぁ、さっきからずっと……見えてるよ、カザミネ」
「場所はどこ?龍人君」
「……ここまでは作戦通り、まっすぐ前を単騎特攻猛進中だ」
「み、みんなどうしてそんなに落ち着いていられるんだい!?やばいさね!こいつ本当にやばいさね!」
狩人の勘か、カザミネは迫る悪鬼の存在にその身を振るわせる。
当然だ、あの姿は死神以外の何者でもない……。
だけど。
「……逃げないの?」
最後のカザミネの懇願するような台詞に、俺と長山は無言で頷く。
一陣の風が吹く。
やはりこの土地の気候というのは気まぐれで、先ほどの粉雪は一瞬にして猛吹雪に代わり、俺たちは一度目を細めてそれの到来を視る。
「よう……」
「SAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
変わることないその体は、死そのものを体現したかのようで……。
「相変わらず、亡霊みたいに出てくるな」
長山はそんなくだらないことを冗談めいた口調でつぶやく。
それが引き金となったのか、たまたま偶然か、ファントムは全速力を持って冬月桜へと疾駆する。
その腕は鎌であり、いともたやすく命を刈り取るだろう。
だが、そんな恐ろしい光景だというのに、俺は本当に亡霊みたいだ……なんてくだらないことをつぶやいてしまった。
最後の戦いだというのに、困ったことに俺も長山も、そんな感想しか浮かばないらしい。
ゼペット戦のときのような高揚も、ジェルバニス戦のときのような葛藤もここには無い。
あるのは、一握りの空虚感と……胸を埋める絶望。
だが、それに飲まれることは無い。
なぜなら、希望はすでにつながったから。
だから。
「桜……そういえば一つお前に渡すものがあったんだった」
俺はいつもどおり、相手の虚を突こう。
たとえ亡霊でも……この俺の策は見抜けない……。
「……え?」
「一日早いが、誕生日プレゼントだ」
指を鳴らし、始動キーを誰にも聞かれないように小さな言葉で紡ぎ、恥ずかしいから桜にしか分からないプレゼントを贈る。
それが合図……。
俺にとっては作戦開始の合図を知らせるための狼煙。
しかしそこに眠る意味は、最愛の人にしか伝わらぬ祝福の魔道術式。
その合図を持って、俺は雪月花作戦を開始した。
■
「一日早いが、誕生日プレゼントだ」
その瞬間。私は真紅の作戦を理解した。
走るのは光……。
それは全てを包み込む、ファーストアクトと同じ色の術式。
内容は単純で、読み取るまでも無くそれは唯の信号用の音声付信号段、無駄に加速をつけ
たそれは……紛れも無くファーストアクトの銃弾を、信号弾に変えただけの無駄だらけの
術式。
だけど。
満開の桜。
それは紛れも無く、奇跡だった。
目の前に広がるのは、私だけに見える術式のチリによって造られた寒桜。
針葉樹の木々の上部を術式は覆いつくし、舞い散る桜色の塵はまるで桜の花びらのよう。
そこにあるのは紛れもない桜であった。
あぁ、きっと私は今泣いている。
なんで命を狙われている真っ最中にこんな幸せな気持ちにならなきゃいけないのだろう。
本当に、人の虚をつくのがうまいんだから……。
そんな不意打ちのプレゼントを私はしっかりとその目に刻み込む。
真紅がくれたその寒桜。
単純で不器用だけど、それは本当に紛れも無い奇跡で……。
私はカザミネの手を引いて走り出す。
「……生きるよ!!カザミネ!案内して!」
「!?う、うん!こっちっさ!」
力強くけりだした雪が、私の心を鼓舞する。
彼の起こした奇跡には、全力を持って応えなければならない。
そう心に決意して、私は、私の戦うべきものの元へと走り出した。
■
それは一瞬の出来事であった。
黒きものは目標を視界へと捕らえ、そのまま直進をして肉塊二つを蹴散らした後、目標を
両断する予定であったが。
その一瞬で、標的を見失い。
その身に三度刃を受け入れる。
二つの刃が鈍い音を立ててひしゃげるが、代わりに黒きものの体から黒く生臭いオイルが流れ出す。
「っ!?」
その瞬間に理解する。
この光が、自分の視界を奪ったということと……そして。
この光は、自分にしか見えていないということを。
術式による光。
始祖の目を有し、文字を光として捕らえることができるファントムと冬月桜。
しかし、ファントムと冬月桜との違いは、ファントムは術式以外のものを見ることができないという一点である。
それゆえに、深い森の中でもその術式を見つけることも可能であり、奇襲等を仕掛けるのを容易にしていたのだが……。
裏を返せば、視たい術式を自分で選択できるわけではないということだ……。
だからこそ、術式に囲まれた冬月家の城には攻め込んでこれなかった。
そう深紅は判断し、それは正解であった。
不知火深紅が作り上げた結界は、桜色の術式のチリを必要以上に撒き散らす無駄だらけの
信号弾……しかし、ファントムにとってそれは世界が全て桜色に塗りつぶされたに等しく、EMPグレネードのように、ファントムは視界を失い、数秒間立ち止まり機能を停止する。
たった数秒。しかし。
彼らにとっては、そのものの命を刈り取るには十分すぎる時間であった。
「行くぞ長山!」
「おっしゃあ!!」
折れた剣を補充し、長山龍人は黒き英雄の剣を抜き出し、その鋭さを吊り上げる。
そこには一切の容赦も油断も慢心も無く、あるのは唯一閃にかける思いと、友と戦場を駆け抜ける喜びのみ。
かつての英雄が、それを誉れとしたように。
長山龍人もまた、その誉れを言葉にしてその名を叫ぶ。
「アロンダイト!!」
放たれるのは、黒き一閃。
しかしその刀身は肥大して行き、巨大な 斬撃となってファントムの身をうがつ。
数千の兵士を薙ぎ払ったその大剣は、ファントムの装甲を持ってしても受け切れることができず、ファントムの体躯は姿勢を維持することもかなわずに宙を舞う。
「GSSA!?」
金剛石とて両断するその刃を受けてなお、ファントムはその原型をとどめ、生きていた。黒い液体をまき散らし、ファントムは反撃の体制を取る。
視界を奪われたとしても、攻撃を受けた場所から地点を割出し、敵の位置を予測して敵を刈り取ればいい。
むしろ、敵の視界が奪われていると知っていることは油断につながる。
一撃目を耐えることができれば、状況は性能で勝るファントムが圧倒的に有利になる。
が、それは一対一の戦いの場合に限る話だ。
「どこを見ている」
「………――――――――――!」
叫びは悲鳴に近く、不知火深紅はその一撃を降りぬく。
ファントムは覚えている、その破壊の右手が、己のボディーを問題なく破壊することを。
「サード・アクト!!」
止めることかなわず、ファントムは出鱈目に腕を振るう。
しかし、その右手に、術式が見えぬ状態で挑むのは、単なる自殺行為でしかなく。
「チェックメイトだ!!」
その腕は、貪欲にファントムの二の腕を半分と、脇腹を喰らい貪り。
出された左腕は、不知火深紅の頬をわずかに切り裂いた。




