第七章 タイガー&ドラゴン 胸を当ててるのではありません、不安なだけです
さて、カザミネとともに空き地へと重さ一トンのトラを運び終えて、俺はようやく背中に乗せた獣くさい荷物から開放されて安堵のため息を漏らす。
時間的にはもうとっくに石田さんの作ったフルコースは下げられるか長山に平らげられてしまっている後であろうが、これだけ腹が減っているため、今はもうカザミネが食わせてくれるという上手いものに期待が膨らんでいた。
鹿の肉の丸焼きとかだったらくい応えがありそうだ。
「いやーありがとありがと」
「どういたしまして。 で、約束は守ってもらうぞ。これだけ重いもん運んだんだ、飯を食わせてくれ」
朝から何も食っていないものだからこちらも体力の限界というものがあり、俺は少々荒々しくそういうと。
「わかってるっさよ、ロシアの狩人に伝わる伝統料理をしっかりと味わうがいいっさ!」
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「いらっしゃいませー。 ってあれ?深紅じゃないですか、それにカザミネも」
「……ロシアの伝統料理って……ここか」
結局、カザミネが俺を連れてきた場所はミコトが経営する居酒屋であり。
きょとんとした表情のシェリーをよそに、カザミネは自信満々に胸をはる。
「ありゃ?不服だったかい?私が腕によりをかけて料理を振舞ってもよかったんだけどねん。食材の仕込とかで時間がかかっちゃうから、手っ取り早くここにやってきたわけなんだけど」
「まぁ、腹が膨れれば何でもいいさ」
それに、今回の御代はカザミネが持つといっているのだ。文句もほどほどにしておかなければ、またあの殺人カレーライスの悲劇が再び訪れることになるだろう。
「お二人様ですか?」
「ああ」
「そうさね!」
「ではこちらへどうぞー」
看板娘兼店長であるミコトは当然不在。 体にあいた穴はふさがってはいても、大事をとってしばらく店には顔を出さないことと桜に命令されたからである。
かといって、この店の活気は勢いを失うことは無く、押し寄せる村人たちの波に揉まれながらも、崩れることなく分隊長のシェリーを筆頭に、ボディーガードたちはせかせかと仕事を回している。
少しばかり、ミコトのいなくなったこの店のことを心配してはいたのだが、どうやらこの分には問題は無さそうだ。
俺とカザミネは、いつも座っているカウンターの席に二人並んで座り、俺はとりあえずコーラを注文する。
「……まぁ、好きなものをジャンジャン食べんしゃい!私のことを手伝ってくれたお礼だよん!」
よくわからんが仕留めたトラは大物だったのだろう……気分がいいのか、カザミネはいつもよりもテンションが高い。
「お待たせしましたー。お料理のご注文いかがいたしましょうかー?」
「あーじゃあ」
「から揚げに軟骨に、刺身にマーボー豆腐!」
「ロシアの伝統料理はどこへ行ったんだ」
「いーじゃないかい!ここは飲んで暴れまくるところだよん!」
「やれやれ……まぁ、腹いっぱい食えるなら何でもいいがな」
「ご注文は以上で?」
「あぁ、それで頼む」
「かしこまりましたー……と、そうだ深紅」
「ん?なんだシェリーミコトのことか?」
営業用の板に張ったような言葉遣いから、通常の口調にシェリーが戻ったことから、俺は私事の用件であると判断してそう問い返す。
「ええ、そうです。何でも店長怪我したみたいじゃないですか、その……大丈夫……ですよね?」
「…………あぁ。問題ない。元気に走り回っているよ。まぁしかし万が一のことがあるから家に閉じ込めているだけだ……」
「そうですか……よかった。みんな心配してるって伝えておいてくれませんか?」
「あぁ、了解した。忘れずに伝えておく」
「ありがとうございます。深紅……それと」
「ん?」
「私たちにも仕事を与えてくれて、ありがとう」
「さぁ……なんの話だ?」
「くすっ……本当に、意地っ張りなんですから。それでは、少々お待ちください」
シェリーはそう笑みを浮かべながら厨房へと入って行き、再び俺はカザミネと二人きりに戻る。
「っかー。イロオトコっさねー深紅。まーた女引っ掛けてずいぶんといいご身分じゃないかい? 桜ちゃんの悲しむようなことしたらゆるさないっさよ!?」
「……な、なんだよ。別に引っ掛けてなんていないだろうに」
「いーや、あの子ちょいとばかし君に気があると見たよん」
「またお前はいい加減なことを……大体俺には桜がいるんだし……」
「桜ちゃんがいるから何なのかな?」
「!?」
不意に、カザミネが身を乗り出して俺のほうへと迫ってくる。
「か、カザミネ近い!?」
「君と桜ちゃんは付き合ってるって言っても、まだ出会ってから一ヶ月しかたっていないんだよん?間違いだったってことは人間よくある話さね。それに、本気で君を狙うんだったら、彼女ができたくらいで諦めたりはしないっさね。そう……たとえば」
カザミネの着ている服が少しはだける。
「ちょっとこのお店、暑いさね……くすくす」
「お、おいお前」
からかうのもいい加減にしろと言おうとするが、カザミネの表情は真剣そのものであり、俺は一瞬で顔が赤くなるのが分かる……。
まさか本当に……。
そんな考えが脳裏によぎった瞬間。
「……なーに発情しているのかしら?狩人さん」
首根っこを掴まれ、カザミネは俺から引き離される。
「……み、ミコト!?」
なんでここに……と言おうとするよりはやく。
「なんでここにいるさね女狐……けが人はさっさとお家で寝てることをお医者さんはお勧めするさね」
「あら、私の店の様子を店長である私が見に来ちゃいけない事でもあるのかしら?大丈夫よ、仕事はしないから……今日はそうね、美しい客人……と言った所かしら?」
「いらっしゃいま……あれ?店長!お怪我は大丈夫なんですか?」
「ええ、おかげさまでね。心配かけてごめんなさい。今日は少ししたら帰るから、お店の事よろしくね」
「は、はい!」
「うふふ、働き者で安心するわ、私は幸せものね」
ニコニコと笑いながら、ミコトは俺の隣へと座る」
「まだ絶対安静っさよ、ちゃっちゃとお城に帰るべきっさ」
「あら、別にいいじゃない。そのお医者さんがここにいるんだもの……それに、守護者さんだって二人でお食事よりも三人の方が良いわよねぇ?」
そういうとミコトは俺の腕を取り、そんなことを言ってくる。
「お、おいミコト……何をしているんだお前は」
「あら?いいじゃない。幼馴染なんだし。それに、昔はよくやってくれたじゃない」
「そ、そうだったか?」
「ぬぬぬ、離れるっさねミコト!」
「あらぁ?どうしてかしら?あなただって似たようなことしていたんじゃなくて?」
「あんたがくっついてシン君に女狐の匂いがついたらどうするさね!」
「あら、獣の匂いよりも私のように、艶のある女の香りのほうが、守護者さんも嬉しくなくて?」
「お、おいミコト何を言ってるんだお前は……そしてなぜそんなにくっついてくる」
「……知ってるでしょ守護者さん……私、初めて感覚っていうものを取り戻したのよ……不安でも仕方ないでしょう?」
「……あっ」
「あなたなら落ち着くの……まだ慣れなくて不安だから、感覚って言うものに慣れるまで、もう少しこうして欲しいの……だめかしら?」
あぁそうか……こいつにとっては、外の寒さも、人肌の感触も何もかもがはじめての体験なのだ……そりゃ不安でも仕方が無い……。
「そういうことなら先に言ってくれ……一瞬どうしたのかとあわてたぞ」
「ふふふ、ごめんなさい。だって恥ずかしいじゃない」
「まぁそれもそうだが……しかしなぁ」
「なぁに?」
「いや、なんでもない」
しかし、それにしてもミコトはやけに自分の胸を俺の腕に当ててくる。
幼馴染の頃のように接してくれるようになったのは嬉しいが、やはり年頃の男の子である俺にとってこういうのは少しばかり精神衛生上よろしくない。
いや、ミコトのこの表情を見る限り意識をしているのはきっと俺だけだ……いかんいかん。ミコトがせっかく俺を信頼してこうしているのに、そんなふしだらなことを考えるのは桜にもミコトにも失礼だ。
無心だ。無心になるんだ俺…………。
「なぁにが不安なのっさ!!大根よりもぶっとい肝っ玉の癖してよく言うさね!
シンクンもシンクンっさ!こんなハニートラップに油揚げ乗せたみたいな誘惑にまんまと負けちまいやがってからに!!、桜ちゃんというものがありながら恥ずかしくないのかあぁ!」
そんなことを言われても……。というよりも、何だこの空気は……先ほどまでの穏やかな居酒屋の空気はどこへやら、先ほどまで大声を響かせていた酔っ払いの会話もすっかりなりを潜め、二人の女性から発せられる重圧のご機嫌を伺うように、重苦しい空気が店の中を支配している。
いかん、俺が何とかしなければ……。
「うふふ、殿方の器は女の数で決まるものよ?愛人の一人や二人……いてもおかしくないでしょ?深紅ですもの。ねぇ?それに、あなたさっきといってることが違うわよ、狩人さん」
「むっきーーー!この減らず口が!今すぐにその化けの皮はいでマントにしてやろうじゃあないかい!!」
「あら怖いわね。でも私も引き下がれないのよ、だって幼馴染として彼にくっつく悪い虫は出来るだけ少なくしたいもの」
「その台詞、そっくりそのままあんたにピッチャー返ししてやるさね!桜ちゃんの友達として、この天然タラシに張り付く虫はほうっておくわけにはいかんさね!ここで白黒はっきりさせてやるっさ!」
「あら、やるのかしら?」
「ああ、やってやるさね!」
「素手ごろなんてみっともない真似はするつもりは無くてよ?」
「安心するがいいさ、幸いにもここは物の優劣をつけるには苦労しない店でしょうに!!」
「ふふふ、面白いわね、受けてたつことにするわ……」
「吠え面書くんじゃないよい!」
「その言葉はあなたのほうに似合いそうねぇ」
「お、おい……お前ら、そんな喧嘩なんてしてないで……」
「シンクンは黙ってろ!」
「守護者さんは黙ってて!」
「………………はい」
剣幕に押され、俺は黙って席を立ち、血統の場へと足を運ぶ二人を見送ることしか出来ず、仕方なく出された軟骨とから揚げ、刺身と麻婆豆腐を平らげた後二人の様子を覗いてみると。
「――――!!」
「―――!」
お互いに一歩も譲らずに卓球でスマッシュを打ち合う二人の姿がそこにはあり、俺はこの二人の決着の後、友情が芽生えることを心の中で祈りながら、先に冬月の城へと戻ることにした。
余談だが、二人の戦いはおよそ三時間続いたが決着はつかず、結局二人最後は飲み比べを始め、店の酒を飲みつくしたとかしないとか……結局シェリーから連絡をもらってダウンした二人を俺が背負って城まで送る羽目になるのであったが、向けられたシェリーの笑顔が、先に帰った俺に対しての恨みをはらんでいたというのはいうまでも無く、またそのときの莫大な酒代がすべて冬月家に請求され、桜の雷が落ちたのはまただいぶ後の別の話である。
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