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第七章 狩人に連れ去られてきた森で虎狩りをさせられてる件

「さてと」

俺は最期の幹にナイフで文字を刻み終えてから一息をつく。

人生初の術式による罠を張ったせいか、普段なら森に罠を仕掛けるのに一日も掛からないはずなのに、今回に限っては三日以上掛かってしまった。

余計な術式を大量に書き込んだのも原因の一つだ。

「まぁしかし……」

この罠さえあれば、ファントムと対峙したときも有利にコトを進めることが出来るだろう。

森は幹を削られたことを怒っているのか、少しばかり不機嫌そうに身を揺らし、俺はそれをなだめる様に撫でてから、帰路に着こうと持っていた荷物を持って立ち上がる……日は落ち始め夕暮れ時。

桜も石田さんももう帰っているころだろう。



一仕事終えたからか、珍しく腹がなる。思えば昼の騒動から桜の射撃訓練のどたばたのせいで、俺は昼から何も食べていない……それに加えてこのなれない作業で体力を使い果たしたのだ……腹が減らないわけが無い。

今日の夕飯はなんだろうか。

久しぶりに感じた空腹は、同時に夕飯を想像するという心躍るイベントへと変更され、俺はイメージを膨らませながら、少し足早に冬月家の城へと歩を進める。

こんなに夕飯が楽しみなのは久しぶりだ。


がしかし。

「ぬ?」

こうやって楽しみが出来た瞬間にそれを奪われるというのは、人生のお決まりのようなものであり、それは俺に対しても例外ではないのであった。



「ぐっはっ!?」

首根っこを引っ張られ、俺はその場に後ろに倒れる。盛大にずっこけたのと、完全に思考能力をくだらないことに費やしていたために反応が遅れて、結局醜態をさらすことになった点については反省の余地がある。

しかし、そんなことよりも今すべきことは。

「何をしやがる……」

目の前の怪獣をどうやって追い払うかが問題だ。

俺の首根っこを引っ張ってそのまま見事に投げ飛ばしたのは、やはりというかこいつしか居ないというかカザミネであった。

「腹が減ったといったね!だったら私が食わせてやるからつきあうさねシンクン!」

一言も口に出してないし、嫌だ。

今日という今日は何が何でも帰還して石田さんの料理に舌鼓を打ちたい……そうだ、俺は帰るんだ。

そう訴えかけようにも、洋服の襟をつかまれて思いっきり引かれているため、首が絞まって死にかけのスズメほども声が出ない。


半ばあきらめの感情が流れ込み、押し流されるように俺の頭の中に浮かんでいたものが消えていく。

人というのはこうやって理不尽な環境に順応していくのだろう。

そう改めて人間の体は良く出来ていると実感し、こうやって俺は森を北に三キロ程ひきづられて行った。


「さあついたよ!」

「う……うぅ、この、カザミネおまっ」

「?何ねてるっさ。たかが三キロほど歩いただけで貧弱ものっさねえ」

俺の中で、何かが切れる音がした。



あっという間の出来事だった、彼の体は倒れている状態から一度跳ね上がり、気がつくと背後にたっていて、私の両こめかみにシンクンの突き出された右中指第二関節と左中指第二関節が万力のような力でねじ込まれていた。 後のカザミネ談。



「あだだだだだだだだだだだ!?」

「何か言うことは?」

「ごめんなさい!!」

「勝手に拉致して?」

「ごめんなさいごめんなさい!?」

「十五分間窒息で生死の境をさまよわせて」

「申し訳ないことをしたと思っております!!?」

「最期に言うことは?」

「反省してません!!」

思わず頭突きが飛び出した。


「おおおおおおおぉぉぉう……目から火花が。目から火花が飛んだっさ……」

「ったく。で?一体なんでこんなところに拉致してきたんだ?ってかここはどこだ」

「ひどいっさ……お嫁にいけなくなっちゃったっさぁ、ひとでなしー」

「黙って質問にだけ答えろ」

「こ、ここは雪月花村から北にある雪月花村とジャルジャンの間にあるタイガの森中腹っさ。このまま北北東にまっすぐ行けばキュシュキルに、更に行けばチクシにぶち当たるさね。まぁ、相当遠いから歩いては無理だけど」

「何?タイガの森中腹……ということはまだ森が続いているはずだが」

見たところ、このあたりには木々がまったく見当たらない……ミコトの家のようなアラス……にしては大きすぎるな。

「あぁ、ちょいと準備が必要だから、動物たちがあんまり来ないレナの上にきたっさね……」

「レナ?……ってまさか」

「そうさね、ここはレナ川の真上っさ」

「この一体が全部川?」

氷が厚いせいでまったく気付かなかったが、確かに足元の20センチ程度に積もった雪を払うと、雪月花の森のような凍った土ではなく、完全な氷が現れた。


今更ながらこの極寒の地ロシアの異常性に気付かされる。

「なーに行ってるっさ、あんたらが町に通ってる道だってレナ川っさよ?あの川下っていってヤクーツクまで行ってるんじゃないかい」

「!?」

今更になって気付かされる真実に俺は驚愕する。

しかし良く考えれば、ヤクーツクから雪月花村という人里離れた場所へ向かうのに、どうしてこんなに広い道路があるのか疑問に思ったが……なるほど、ロシアの土地が広いからじゃなくて舗装されていたわけじゃなくて元々川だったところが凍って道になったのか……。

妙に納得である。

「まぁ、それは置いておいて……お前はここに何しに来たんだ?」

「むぅ、君があの付近の森に罠なんて張りまくるからこっちは商売上がったりなの!で、狩猟際も近いのに奉納する大物が捕まらないから、こうやってこんな場所までハンティングまで来たんじゃないかい!」


カザミネは頬を膨らませてそう抗議する……。

「あぁ……そうか……それはすまなかった」

「桜を守るためだから仕方はないけどね、でも私も切羽詰ってきちゃったから今日は手伝って貰うよん!」

半ば強引にそうカザミネは胸をはり、俺はやれやれとため息を了解の代わりにする。

いつもなら切って捨てるのだが、こうなったのも元をただせば俺のせいなのだ……少し誘い方が強引なところはムカつくが……こちらの勝手に付き合って貰っているのだから、これぐらい手伝わないとバチがあたるというものだろう。


俺の意図を読み取ったのか、カザミネは満足そうに笑顔を作る。

「覚悟は決まった見たいさね!」

「あぁ。 で、今日は何を捕まえるんだ?」

「んー。トラ」

「は?」

「シベリアトラを一匹狩るっさ」

「トラって……確か世界的にも保護しなきゃいけないってんで禁猟指定をされているんじゃ……」

「あーその点は大丈夫さね」

「ばれなきゃ犯罪ではないのか」

「ちがわい!!しっかりくっきりロシアのお偉いさんに一年に一回この時期に一匹だけ狩ることを許されているんさ!」

「なに?桜じゃなくて?」

「一応世界的に保護されてる動物だからね、こればっかりは雪月花村だけのルールというわけにはいかないから、しっかりと許可をもらって狩っているさ!見損なわないでよね!」

どうやら無法者のような扱いを受けたことが気に障ったのか、カザミネはすねたような表情をする。

「そうか、それは悪かった。だが、トラといったら肉食獣だろ……猟銃も持たずにどうやって狩るんだ?」


先も言ったとおりカザミネの装備は鉈一本に弓矢のみ……あとはハンターナイフがあるが、これは動物の皮をはいだりするものなので戦闘に使用するようなものではない。

「まさかとは思うが」

「もちろん。トラに真っ向勝負をいどむさね」

「やっぱり原始人か」

「ふんす!」

「げふっ!?」

見事なストレートパンチが俺の腹にめり込み、またも呼吸困難の苦しみを味わう。

「まったく、これだから素人はこまるっさ、いいかい?森の中で猟銃なんて構えたら一発でトラに食い殺されるよん。銃を持ってたら、狩れるものもかれないさ」

「……というと?」

俺はカザミネの言っている意味が良く分らず思わずそう問いかけると。

カザミネはその言葉に、入れば分るとだけもらして森へと入っていき、俺はそれに続いて、森へと入っていった。



森へ入った瞬間、俺はカザミネの言葉を理解する。

「……見られたな」

「ね?いったでしょ」

カザミネは小声で勝ち誇ったような台詞を吐くが、俺は何も言えず、術式を付与した目で視線の方向を見やる。

何も無い。

しかし確実にそこにはこの森をすべる王者が存在するのを肌で感じる。

その王者はこちらの様子を唯興味ないように見据えている。


トラは賢い。 リスクの大きい狩りをすることなく、人間を襲うことはまれである。彼らは人間を襲うと己の身にも危険が及ぶことを知っているため、必要に迫られなければ人を襲うことは無い。

そう、だから銃を持たないのだ。

カザミネが背負っている武器は、おおよそトラを狩るものではなく、森を分け入って進むのに必要なものだけ。


だからこの森に潜む王者は、唯森を横断する客人として、俺たちを見張るだけで何をする訳でもない。

「……トラは銃が理解できているっさ。だから猟銃を持っているのがばれたり、火薬のにおいとかがばれると、すぐに後ろからガブリ……さね」

息を呑む。

術式を起動した俺でさえも、この森の中でトラの視線を感じるより先にトラを見つけることが出来ない。

それどころか、いまだに一度もトラの姿を視認できていない。

……そう、この森は奴の結界そのもの。

この森の中で獲物を捕らえ、食らうことのみに特化した存在なのだ。

故にこの森の中でトラから身を守る方法は、己が彼らに対し害をなす人間でないということを偽ること。

だからこそトラを狩る唯一の手段が肉弾戦とカザミネは言ったのだ。

「!」

「気取られちゃ駄目さね……」

俺のクローバーは術式によって他空間に飛ばしているため気付かれてはいないようだが……抜いた瞬間背後から一撃をもらうことになるだろう。

「いいかい、トラは気まぐれに相手に姿を見せるときがあるっさ……そしたら、絶対に見失ってはいけないっさ……いいね?」

カザミネはそういうと、俺に一本の鉈を渡す。

砂漠とは違い、狩る動物は少々骨があるが……俺はそのときだけ精神を研ぎ澄ませる。




深き森を歩くこと約20分。

時計を確認するとそれだけの時間しかたっていないのに、既に丸一日森をさまよっているように感じてしまう。


命を握られる感覚。

今襲われたならば、俺たちはトラに気付くよりも早くあの世へと旅立つことになるだろう。

今俺たちがこうしてのんきに歩いていられるのは、トラが俺たちに興味を示していないからであり、故に反撃の機会はその目標を確認したときのみに限られる。


「……っ」

「しっ」

森の近く、一瞬黄色い斑模様が木と木の間に浮かび上がる。

「ようやくおでましっさ」

舌なめずりをして笑みを浮かべるカザミネ……完全に悪役である。

しかしその台詞と行動とは裏腹に、獲物を狩る狩人は自身を一匹の獣と化したかのように身を低く構え、標的から決して目を離さずに殺気をこぼす。

そして。

「うにゃおおおおおおおおおおおおおお!」

「ぶふっ!?」

世にも奇妙な奇声を発しながら、カザミネは跳躍し、俺は不意打ちに噴出しスタートを遅らせる。

手には自分で作ったのだろう、コートの中に隠してあった丈夫そうな棒にナイフを紐で巻きつけただけの簡易な槍を手にしている。森の中を疾駆するその小さな体躯に対し、トラは迎撃行動も回避行動もとることも叶わずに、茫然自失のまま破滅を受け入れる。


昔のロシア人の狩猟方法に、パコールカと呼ばれる狩猟法が存在する。

レナ川を渡るために泳いでいる鹿を、水の中に飛び入り己の肉体のみで狩るという狩猟法であり、達人は一度に200匹の鹿を狩ると記述されている。

とうぜん、俺も含めみんながロシア人特有の見栄が入ったジョークであると信じている。


しかし、今の彼女を見れば、おそらくその考えは彼方へと消えうせるだろう。

30メートル離れた森の奥。

木々生い茂る森の深く。

その中を、彼女は枝一本触れることなく目標へと跳躍する。

その姿はまさに風。


その異常な速さに、生物最高のハンターといわれるトラでさえも、見えていながら己の命を刈り取る狩人の姿を認識できずにいる。


これが狩人。


気がつけば、俺の前を行くカザミネは、目標の頚椎へと槍を突き立てんと跳躍をして。




その命を絶つ。


その手際は、もはや芸術的と称しても過言ではないだろう。

それほど美しく、それほど残酷な手際で、一撃の下カザミネはトラの命を刈り取った。

「いよっしゃーーー!」

雄たけびを上げるカザミネはそれはそれは嬉しそうに両手を挙げて高らかにガッツポーズをし、今まで見たことも無いくらいすがすがしい笑顔を俺に向けて微笑み、俺はその様子を称えながらも一つの疑問を胸に抱く。


果たしてこの狩りに、俺は必要だったのか? と。


                   ■


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