第七章 死の運命の肩代わり
「っはぁ……」
「え……!?」
小さく、息が漏れる。
俺のではない……桜の物でもない。
か細く、今にも切れてしまいそうで、だけどしっかりと紡がれたその呼吸は。
「はぁ……はぁ……」
「!?……ミコト」
「ミコト!!?」
紛れもなく、ミコトの息吹だった。
「ミコト……ミコト!!」
「……守護者……さん。 私、まだ生きてる……の?」
「しゃべらなくていい……今は……今は命を繋ぎ止めろ!」
「……」
「ミコト……よかった……よかったあぁぁあ」
桜は泣きじゃくりながらミコトの手を握り、まるで壊れたラジオのように彼女の名前を呼び続け、その存在を確かめる。
「……はぁ……ったく。心配かけさせて……あとで説教してやるから覚悟しておけよ」
心臓が修復されて……さらには傷口もふさがっている。
何が起こったのかは分からない。
だが、それでも分かることは、ミコトが生きている。
今はただ、それ以外の事は必要ない。
「桜……立てるか?」
「う……うん」
「今すぐカザミネと長山を連れてきてくれ。あと屋敷まで運ぶ足が欲しい、至急手配を。
「はい……ありがとう……ありがとう真紅!」
泣き顔のまま、桜は涙も吹かずに冬月家の屋敷の方向へと走って行き、雪の森の中へと姿を消していく。
「はぁ……はぁ」
「……どこか苦しいところあるか?ミコト」
ミコトは細くも、しかししっかりとした呼吸をつづけている。
心臓の鼓動は力強く、ミコトの頬は先ほどまで雪の様だったが、いつもの血色良い桜色を取り戻している。
「……血ももう止まっているし、心臓も完全に再生されてる。
活動も正常。 折れた肋骨はまだ治ってないが、もう傷口もほとんど残ってない。
再生の術式のせいで、少し寿命は減ったが……まぁ、それは許してくれ」
まるで奇跡。
術式の力だけでは、これだけの蘇生はありえない。
という事は、他に何かの要因がある筈なのだが……。
「桜ちゃんに……感謝しなきゃね」
「え?」
「桜ちゃんよ……彼女の能力は、術式に作用……するもの……体の機能が失われた分……
その異常が、力を増したのね……。術式の力を……何倍にも引き上げて……いたわ」
「……ミコト。その話は後でもできるだろ。休んでいろ」
「ふふ……それも……そうね。 じゃあ、ここでしかできない話をしましょう」
「おい」
どこか苦しそうに息をもらし、弱々しくそう言葉を紡ぎ、俺がしゃべるのを止めようとするのを静止してさらに続ける。
「……本来、死ぬのは桜だった」
「……?」
「ふふ……あなたと最初に出会ったとき、私はここで、桜が心臓をえぐり出される未来を見た……そしてそれが運命だってこともね」
「な……じゃあお前は、桜を庇って」
コクリとミコトは一つ頷き、赤く染まった袖を揺らして、傷口に術式をかける俺の手にそっと触れる。
「ねぇ、守護者さん?未来を変える方法って、知ってるかしら?」
「未来を変える?……さぁな、神様とか運命とかあんまり信じる人間じゃないからな、変える方法があるなら、ぜひご教授願いたいものだ」
脈拍は安定し、言葉も紡ぐごとに力強さが少しずつ戻ってきている。
もうこれならはなしても大丈夫だろう。
「……意外と簡単なのよ、未来を変えるのって」
「……そうなのか?」
「未来を知る人間が、身代わりになればいいのよ」
「!」
「……運命は確かに、まるでがんじがらめの糸のように人を縛っている。だから、死の運命と言う絶対的な結果と言う世界の流れは、ちょっとやそっとじゃ動かない。
……でもね、その流れっていうのは、別に人一人一人をがんじがらめにして、この着物のように編みこまれてるってわけではないの。
もっと大雑把な物……そう、まるで終着点の無い、雪崩のように……。
ただ私たちを巻き込んで流れるだけ。
だから、身代わりが生まれれば、世界はその人間を殺したりはしない」
まぁでも、死の運命ではない人間が死を背負うには、未来を知っている必要があるんだけどね。とミコトはつけたし苦笑をする。
「……まさか、お前」
「えぇ、私の能力は未来視じゃない……~死の運命の肩代わり~その異常を発動することをためらわないように、私には痛み……と言うものがないの……ふふ……これって……」
「ふざけるな!」
素敵な能力、と言おうとしたミコトの言葉の前に、俺は気づくとそう叫んでいた。
「え?」
「死の肩代わり?そんなことでお前は簡単に命を捨てようとしたのか?」
「……でも、そうしなかったら……桜は」
「……だからって、お前が死ぬ理由にはならない!人の運命を変える力を持って……お前は神になったつもりかもしれないが、お前は唯の人間だ。こうして簡単に触れられて……こんなにも簡単に死んでしまう人間なんだよ……お前には、まだお前が消えたら悲しむ仲間がいて、お前にはまだ、取り戻したいものがあるんだろ!?だったら……そんな簡単に死んでもいいなんて言うな!そんな悲しい運命を……素敵だなんて………………言わないでくれ」
「……守護者……さん」
目頭が熱い。
唯、思うことは良かったという安心と。
ミコトに対する悲しさ。
自分のふがいなさへの怒り。
その三つが頭の中で混ざって……俺はミコトを叱るという愚行に及んだ。
分かっている。
どうしようもないことだったという事は……分かっている。
これは、俺がずっと桜の傍にいなかった結果なのだと分かっている。
だけど。
「ふふ……本当に、あなたは素敵な人ね、守護者さん」
「え?」
「どこまでも合理的なくせに、どこか温かい。こうするしか手はなかった……そう頭では分かっているくせに、ただ、まだ最善の手はなかったのではないかと胸を痛めてる。
本当に優しくて、そして、本当に儚い。やっぱりあなたは、正義の味方には向いてないわ。正義は常に、独善で無ければ壊れてしまうもの」
「?」
「ふふ……ごめんなさい。私また、訳の分からないことを口走っちゃったわね、今のは一応……了解っていう意味の返答よ」
「そうか」
「えぇ……私、ひねくれ物だから、自分の本音も衣で包まないと話せないのよ」
「……お前の場合は衣なんてものを通り越して、鉄板でも巻きつけてるみたいに分かりにくいよ。こんな時くらい……本音だしてもいいんじゃないか?」
「……うん……貴方の言う通り……正直になっても……良いかな」
「あぁ……。そんな顔するくらいなら、全部言って楽になれ。見ているこちがつらくなる」
「……」
「……ぐす……ひっく、怖かった……とっても暗くて……何も……何も見えなくて……」
先ほどまで気丈に振る舞っていたが、ミコトは安心したようにぽろぽろと涙を流す。
「……良く戻って来たな」
「うん………うん……もう……もうあんなところ行きたくない……行きたくないよ」
「あぁ、もう大丈夫だ。お前はここにいる……息吹ミコトは、まだこの世界に存在しているよ」
「うん……ごめんなさい、守護者さん」
「あぁ……今はもう寝てろ。そばにいてやるから」
「うん……そばに居て……ずっとそばに居て、深紅」
ミコトはそういうと一人、静かに瞼を閉じる。
先ほど失われた鼓動は、力強く握られた掌からしっかりと伝わり、その優しい表情は、ミコトがもう大丈夫だという事をしっかりと俺に教えてくれた。
「まったく……本当に無事で何よりだよ。夜桜に、星と酒がなかったら、風情がないからな」
長山みたいな軽口を、俺は安心したからか自然いぽつりとつぶやく。
やれやれ困ったな。
どうやら俺は、ミコトが生き返ったことに安心して、喜んでいるらしい。
今まで、どんなにたくさんの人間を救っても満たされなかったのに、俺は今、一人の少女を救ったことでこんなにも喜んでいる。
「……はぁ」
貴方には正義は向いてないわ。
ミコトの言葉が脳裏をよぎり、俺は一度ため息を突いて、首を左右に振る。
「まったく、その通りだよ」
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