七章 気を取り直して正しいデートを再開しましょう
「えへへへ、すごいいい人だったねあそこのおじさん。まさかただでアベルを譲ってくれるなんて!」
「ああ、よかったな」
俺は喜ぶ桜の頭を一つ撫で、町の道を歩いていく。
時刻はまだ十時頃、早朝に比べて人の量も目に見えて減っており、
つい数分前に廃業確定となったあの悪徳ガンショップのような場所にはもう入らないように注意して、俺と桜は町の風景を楽しみながらゆるゆると散歩をする感覚で町をのんびり歩く。
時代を感じさせる古びた建物と、最新の灰色のビルが入り乱れて立ち上るこのロシアのはずれの人々は、町を表すかのようにさまざまな服装やファッションの人間が歩いており、ライトアップイベントが今夜にあるということもあって気分が舞い上がっているのか、以前来たときとは違い一つ歩を進めるごとに重ねられるように自然と道行く人の会話が耳に飛び込んでくる。
東京では、誰も口を開いていないのにとてもがやがやと騒がしく感じるという現象が起きるし、車の音はけたたましく空気が悪い……それに比べるとここの人の数は多くも無く少なくも無く……丁度いい。
かといって決して貧しいわけでも田舎というわけでもない。
ふと上空を見上げれば、でかでかとブランドの名前が書かれた看板や、ロシアでは有名なデパートの看板、少し視線を下げても数分に一つはコンビニエンスストアが見つかる。
音を聞けば、片側二車線の凍結した道路も、車が騒がしく休むことなく俺たちを追い抜いていき、さらには遠くではかすかに電車の走る音が響く。
田舎よりも騒がしく、都会よりもゆとりがある。
そんなのんびりした町が、俺のイメージだ。
まぁ、とは言ったものの現在のロシア情勢のぐらつきというのはやはり大きいもののようであり、視点をもう一つ下に移動する。
そこに居るのは、ぼろぼろの服を身にまとった子どもが、物乞いをする姿や、年老いた老人が道に横たわる姿。
子供は大きくなると、いつしか低い視点を忘れてしまう。
やはり上もあれば下もあるということであり……俺は少しばかり、ジェルバニスのことを思い出す。
「?どうしたの?真紅」
「いや……少しジェルバニスのことを思い出していた」
「ジェルバニス?」
「ああ、別に奴のやり方を賞賛するわけではないが……あいつは、このロシアを上も下も無い平等な世界に変えたいと思っていたんだよな」
あの時、俺はジェルバニスのその理想を不可能と切って捨てた。
しかし、全ては無理でも……少なくともジェルバニスを殺さなければ何人かの人間は救われたのかもしれない。
そう思うと、なぜだか少し胸が痛む。
「真紅、後悔してるの?」
「していない。おれの行動は正しかった……ただ、もしかしたらの話を思い浮かべただけだ」
出来ることなら俺だって……全員を救いたい。
だけどそれは無理だから……俺は正義の味方になった。
リスクも、報酬も全て織り込んだ最善を行く道を選んだ。
だが、ジェルバニスは
それに納得できないがゆえに、桜の遺産という奇跡の聖杯に賭けたのだ。
俺とあいつの違いはそれだけ。
だからこそ……彼が守りたかったものを目の当たりにして、センチになってしまったのだ。
「そっか。やっぱり真紅はやさしいね?」
「そうか?」
「うん」
桜はそれ以上何も言わずに、町を歩き色々な店のショーウインドウに再び目を輝かす。
「……」
桜の言ったやさしいの意味は分からなかったが、俺はそれ以上深く考えることはせずに桜の後をついていき、今度は若者向けの店が集中した駅前にでる。
晴れということもあってか、町を行く若い人々がやけに視界に入り、そしてそれは相手も同様なようで、道を行く日本人と白い髪の少女は珍しいのか、住宅街と違ってかちらちらとこちらをのぞき見る人が多い。しかも、どう控えめに見ても友好的なまなざしではない。
むぅ、こんな状況では桜も居づらいだろうし場所を変えようか……。
「なぁ、桜……」
「ねえねえ!あのお店って何だろうね!?あ、あっちに本屋さんがあるよ!」
「え……あぁ、そうだな」
どうやら杞憂だったようだ。
思えば桜は雪月花村から出たことが無い。
そんな彼女にとって都会の雰囲気が漂う背の高い建物が並ぶ場所は見るもの全てが未知の物であり、道行く人の視線など気にしている暇も無いようだ。
「あ!真紅!あそこいっていい?」
そんな桜の関心を大きく引いたのは、見たことも食べたことも無いだろうファーストフードの王様でも、道で異様な動きをする若布色の不思議なぬいぐるみでもなく。
桜が興味を示したのは小さな小洒落た女性服の専門店だった。
「……ほう」
別に珍しいものではないが、桜はショーウインドウに飾られたマネキンが身に着けているフリルのついた可愛らしい服が気に入ったようで、俺を引きずるように中に入っていく。
中はいかにも女性服の専門店といった内装であり、中にいる客は、入ってきた黒コートのアジア人の男に奇異の目をいっせいに向けてくる。
奇異の目にさらされるのは慣れていたはずだったが、女性からの視線というのがここまでいたいものだとは思わなかった。
って言うかここ……ランジェリーとかも置いてるじゃないか……。
くそ……十五の少年にはこの空間は精神力とかその他もろもろが削られていく。
「ほらほら!これこれ」
しかし、どうやら桜はもう服にしか興味関心が向いていないらしく、楽しそうに笑いながら外にあったものと同じ服を自分に重ねて見せる。
「似合うかな?」
「え……あ、おぉ」
重ねて見せたのは可愛らしいフリルのついた青色の服。
そういえば桜は基本的に白を基調とした服を多く着ているため、普段あんまり他の色を身にまとっている姿を見たこと無かったが。
似合う……とてつもなく似合っている。
「変?」
「い……いや、そんなこと無い!す、すごい……似合ってる」
「本当、え……じゃ、じゃあ着てみようかな……やっぱり変でも笑わないでね」
「あ……あぁ」
どうしよう。
幸せだ……。
俺は今、とてつもない幸せに飲み込まれている。
先まで気になっていた奇異の目も……その他もろもろの今までの不安やら何やらが全て消えてしまうほど……俺は今桜との時間に魅入られている。
「!?」
更衣室に入り、桜が中で服を着替える音が聞こえる。
それだけで俺は心臓が高鳴り、桜がどんな姿で目前に現れるのかを想像して心臓は早鐘を打ちながら頭は期待をしている。
あぁ、待っている時間は苦痛だが、その苦痛でさえも今は心地よい。
本当に俺は桜にいかれているらしい。
「真紅?いる?」
「あ!?ああ」
「開けて良いよ」
中から声が響き、俺は緊張しながら更衣室のカーテンを開ける。
と。
「……」
そこに居たのは、胸の辺りが少しばかり足りず、服が不自然な形になってる桜がいた。
「……ふっ」
「あああああ!ひっどい真紅!?笑わないっていったのにうそつき!」
「い……いやすまん。 ただ、胸が」
「分かってるもん!わかってましたもん!どうせ小さいですよ!どうせ胸小さいですよ!!」
桜は自覚があったのか、半べそで俺のことをぽかぽかグーで殴ってくる。
自分でもどうかと思うが、なぜかこんな状況も楽しんでいる俺が居るわけで、とりあえずひとしきり桜の反応を楽しんだ後、おっとりした店員さんに聞き、サイズが桜に合った服を探してもらう。
そして。
「こ、今度笑ったら殺しちゃうからね!」
物騒な台詞を三度はいた後、今度は桜自らが更衣室のカーテンを開けてその姿を見せる。
「……」
絶句。
そこに居るのは本当に冬月桜なのだろうか?
なんというか……身にまとった衣は美しいというか。
可愛らしいというか。そこ似る少女は、まるでどこかの写真集にでも乗っていてもおかしくないような可愛さを誇っており、今まで奇異の目を向けていた人間全てが、羨望のまなざしで冬月桜を見つめていた。
白い髪も、青い瞳も、雪のように白い肌も全てが全て桜の外見をそぐものには繋がらず……2000ルーブルの洋服がまるで天衣無縫のように輝いて見える。
「……や、やっぱり変かな?」
「そ!?そんなこと無い……すごい、すごい似合ってる」
「ほ、本当?」
お世辞も何もない、この姿を見てなんとも思わないほど俺の瞳は腐っていないつもりだ。
「そ、そっか。じゃあ買っちゃおうかな……えへへ」
桜の顔は赤い。
当然俺の顔も赤い。
「気に入ったのか?」
「……」
こくこくと桜は首を縦にふり。
「だって……真紅が似合うって言ってくれたから」
そう、俺にだけ聞こえるようにそうつぶやいた。
……あぁ、まったく反則だ……。
「ありがとうございましたー」
店員のさわやかな声に見送られながら、俺と桜は店の外に出て、また目的も無くぶらぶらと町を回る。
「いい買い物したね……真紅」
桜はまだ赤い顔のまま、楽しそうに紙の袋につめられた購入した洋服を大切そうに両手で抱えている。
「……ふっ」
なんだか、おもちゃを買ってもらった子どものようで、俺は少し苦笑を漏らす。
「な……なにかな!?」
「いや?可愛いなと思ってな」
「か!かっかわかっわ!?」
「落ち着け」
こんなに慌てふためく桜というものは案外はじめてみるかもしれない……。
なんだか小動物を扱っている感じがして面白い。
「もう、からかわないでよね」
「悪い悪い」
頬をむくれさせながら桜は俺にそう苦言をていし、俺は少し反省して桜の頭を撫でる。
「えへへ……ありがとうね。真紅」
「ん?」
「今日……君と二人でこうやって一緒に居られて……私、とっても幸せ」
「……さく」
「あ!あああ!あっあれは、ほら、なっなんか面白いお店があるよほらー!」
桜はそういった後、恥ずかしさをごまかすように顔を赤く染めたまま、走って店へと入っていく。
「やれやれ。それはこっちも同じだ」
俺はそんな桜に一つ照れ隠しにため息を漏らし、ふと思う。
あぁ、こんな時間が一日中続くのか。
それはとても幸せで……俺は、空を煌煌と照らす太陽に、柄にも無く感謝の言葉を心の中でつぶやいた。




