第七章 二人の決意
「さて、そうなると荷物の運び出しやら、必要なものの用意の話になりますね」
「ああ、そうだのぉ。頼むとするぞ、死神」
「ここでは単なる執事にございます。 石田とお呼びください……」
「がっはっは、そうだったのぉ。 では石田まずは……」
いつものように桜に押し切られた石田さんは、不本意そうな表情は浮かべるものの、執事としての意地か先週の殺し合いが嘘のようにまるでお得意先と仕事をするように会話を始める。
その話は専門的な用語が多く、あまり役に立ちそうに無いと判断した俺と桜は、その場を石田さんに任せ一心の部屋から立ち去ることにした。
真剣に話す様子のゼペットは、いつものふざけた態度は微塵も感じられない。
なるほど、あれが世界を驚愕させる技術を持つ男、ギブソンプライムの顔なのか……確かに、あれなら桜を任せても大丈夫そうだ。
そんなことを思いながら、俺は少し視力が悪くなったといっていた桜の手を取り、桜は少し恥ずかしそうな表情を見せながら、扉を閉めて外へと出る。
扉の閉まる音がいつもより大きく響いた。
その後。
話すこともなく唯々黙り込み気まずい雰囲気を醸し出しているのだが、それでも桜は部屋に戻ろうとせず、俺は桜の進路に身を預けながらフラフラと屋敷内の放浪に付き添う。
お互いに言葉はない。 別段起こっているわけでも恥ずかしがっているわけでもなく、話すことは山ほどあるはずなのだが上手く言葉に言い表せず、ちらちらと互いに互いの姿を横目で盗み見る。
そんなやり取りをしばし続けていた。
「……ごめん」
階段を上り下りするのに多少の疲労を覚え、ドアに刻まれたさくらのへやという文字の斜め下に小さくはなまるが書いてあることに気がつく程度に時間が経った頃。
いつまでも続くかとも思われた沈黙を破ったのは桜であった。
「……何がだ?」
「体の事……黙っててごめん」
「別に、つい昨日までベッドの上で眠りこけていたんだ……言うタイミングも無かっただろ?それに、そういう問題を言いにくいというのも分かる」
「……うん」
「ただ」
「?」
「……つらいときは笑わなくていい……お前を守るために俺は居る……だから、もうお前は仮面をかぶり続けなくてもいい。自分にだけは嘘をつくな」
「……うん」
桜はそう、一度だけ頷くと……甘えるように俺にそっと寄り添ってくる。
着物とコートのこすれる音が小さく耳をくすぐり、桜の小さな手がそっとぶつかる。
その手は、とても冷たくて……。
「……つらいよ……やっぱり」
その声は、凍えているみたいに震えていた。
「……」
「君の声が聞こえづらくて、君の優しいにおいが分からなくなってきて、君の……君の全部を覚えてるのに……全部わからなくなってくるんだよ」
「大丈夫だよ桜……全部取り戻せる。運命も命も」
「……うん」
無責任で、重みも論理性も可能性も確証も何もない前向きなだけの思考回路。
だけど、ここまで転がり続けながら歩いて来たんだ。
失敗なんて……あるわけがない。
「私……絶対に死なないよ」
「え?」
気がつけば、俺達はさくらのへやでも俺の部屋でもない……何もない屋上へとやってきていた。
「手術の失敗なんかで死んでたまるもんですか!心臓が止まったって、頭がつぶれたって……食らいついてだって生きてやる……。 生きてやるんだからぁ!!」
桜は俺の手を振り切り、策から身を乗り出してそう叫ぶ。
「死んでたまるかああああ!!」
泣いていたのか、拭った着物の袖からは小さく滴がこぼれ、桜はもう一度今度は両手を上げて大声で叫ぶ……。 それは強がりでも、仮面をかぶっているわけでもなく、面と向かって不安や恐怖に立ち向かう決意を固めていた。
「強くなったな……」
この一月、桜は本当に強くなった。いや、正確には、人間臭くなったという方が正しいのかもしれない。
今までは村の為、父の為……人形のように生き、そして死のうとしていたのに。今では行きたいと涙を流し、かつその恐怖に立ち向かっている。
その変化は小さなようでとても大きく。
「さっ!行くよ!真紅!」
「え?行くってどこに?」
「決まってるよ!訓練!」
「なっ……だってお前、体の感覚は……」
「私の体が直る前に、ファントムは必ず襲ってくるんだよ!
その時に少しでも戦えるようになってなきゃ」
「それだったら、俺が守って……」
「だとしても、足手まといになるわけにはいかないよ!」
「……」
「君はずっと、私を守ってボロボロになってる。今まではなんとか無事だったけど、次はどうなるか分からない」
「何言って……」
「君が私に生きてほしいみたいに!私は……きみに生きてほしい!」
「?」
「私だけが生きてたって……君が生きてなきゃ、私が生きている意味がないよ……私が、私が生きている意味は、君なんだよ!」
桜は顔を赤くしながら、俺の隣でそう俺に気持ちを叩きつける。
「あ……ぅ」
「私に生きろって命令したのも、最後まであきらめるなって言ってくれたのも全部君!」
「……はい」
「だから……私を生かした責任!!最後まで取ってよね!」
「は……はい」
桜の勢いに押され、俺は思わずうなずいてしまう。
と。
「わかればよろしい、という事で今日も特訓するよ!」
何が何だか分からないまま、俺は桜に手をひかれ、俺は渋々特訓場へと向かうことになる。
最後まで足掻く……そのためにはできることはなんだってやる……。
その意気ごみはうれしいのだが。
「うっしゃ―!やるぞーー!」
あまり彼女には強くなってほしくないと思う自分がいるのも確かであり、二律背反の思いを抱えながらも、桜のやる気をそぐこともできずに渋々と桜に手を引かれているのであった。
◆
「二時の方向に標的補足! ファーストッ!アクトッ!!」
「……ほぉ」
桜の射撃訓練を見て、俺は小さく感嘆する。
触角聴覚を失い、視力を失ってもまだ桜の射撃制度は落ちることなく。
「……お?」
「ついでに龍人君のゴーレムにシューーート!」
「……」
それどころか前よりも格段に上がっている。
「うん。何か今日は調子がいいよシンくん!」
「そうか……だがあんまり無茶はするなよ」
「大丈夫!なんか今日はいつもの頭痛もないし、調子は絶好調だよ!」
十五の少女がハンドガンを連射して楽しそうに笑っている……というのはどうにも考え物の状況であるが、しかし……。この反応速度に制度であれば、クローバ―の性能を考えれば十分調律師の人間とも渡り合えるだろう。
……しかし、この短期間で一体どうやって?
確かに一般人に比べれは筋が良かったが、それでも天才と言うだけではここまでの成長は説明できない。
いくらなんでも、この上達速度は異常だ。
「うなーー!」
「あはは……」
疑問を覚えながらも、俺は桜の射撃を見守る。
トレーニングメニューはすでに一般兵の基準を終えており、命中率だけなら軍でスナイパーの役割を任せられるレベルだろう。
連射速度とリロード速度はまだ常人の域を出ないが、もはや初めてあった時とは比べ物にならない程、冬月桜は心も体も……強くなっている。
静寂が潜み、支配をする冬月家の森は、今日ばかりは祭りのように騒がしい。
響き渡るのが銃声だけだというのに祭りという表現はおかしいが、桜の表情を見ていると、人の命を奪う音も、祭囃子に聞こえてくるから不思議である。
もともと銃が好きというのもあって、桜が射撃訓練をするときは決まって楽しそうに標的をうがつ。
しかし……今日の桜はいつもよりもはしゃいでいた。
まるで、何かにせかされて無理をしているような……そんな印象を俺は覚えた。
「そろそろスナイパーライフルの練習でも始めてもいいと思わないかな?真紅」
二十三個目のマガジンを抜き取り、桜は得意げな顔をして俺に次のマガジンの催促をする。
だが。
「駄目だ。今日はもう終わりにするぞ」
俺はその催促を断り、術式を停止させる。
「え!?どうして?こんなに調子がいいのに!?もしかしてマガジンが足りなくなるから?」
確かにそれもあるが。
「そろそろ疲れただろ。それに、指見てみろ」
「指?……あ」
桜の指は、十の反動により耐えきれずに皮膚が裂け、赤いものが少し滲んでいた。
「これぐらい平気だよ!いま、痛覚もほとんどないんだからまだ続けても……」
「俺が疲れたんだ……」
少しだけ俺は語気を強めて俺はそういうと、桜はビクンと肩を震わせる。
「真紅……怒ってる?」
「はぁ……少しな。指を出せ、桜」
「……はい……」
桜は少しうなだれてそっと指をだし。
俺はため息を突き、上目遣いの桜の手を取り。
そのうっすらと血の滲んだ細く白い指を……そっと舐める。
「ふ!?ひゃいい!?」
変な声を出して、桜は真っ赤になり、俺はかまわずに懐からハンカチを取り出す」
「手持ちはこれぐらいしかないが」
小さくても手持ちのハンカチを千切って人差し指に少しきつめに巻いていくと。
桜はそのたびに小さく震えては、
「ん……あ」
と、可愛らしい声を漏らす。
「良いか桜」
「……は……はい」
「いくら痛みを感じにくいからって、絶対にそれに頼った戦い方をするな」
「……」
「分かったか?」
「……うん」
「破ったら、怒るからな」
「うん……分かったよ、真紅」
はしゃぎすぎたのを親に叱られたばかりの子犬のような表情で、桜はコクリと小さくうなずく。
「 体もこんなに冷えてる。今日はもう帰るぞ」
「……うん、ごめんね真紅……でも私。 早く強くならなきゃって思って」
「焦る気持ちも分かるが、焦ってもどうにもならない時もある……。今はゆっくり、だけど確実に成長していくしかない」
「はい」
桜は反省したようにしょげた顔でうなずき、疲れて足元をふらつかせながら、冬月の城へと戻って行く。
木々は、桜の様子を案ずるかのようにひそひそとざわめき。 それにつられて、雪でさえも木の上から降りて桜の様子をうかがいに来る。
それだけではない。 しんしんと降る雪も、木々の鳴らす葉の音も、桜の無事を祈っているのだ……。
助からないわけがないんだ……。
だから、無理なんてする必要はない。
例え、運命が桜を殺そうと迫って来たとしても……桜を知るすべての人間が、その運命を否定しているのだから。




