第六章 浅い踏み込み
「……な」
ゼペットによる一撃。
その一撃を粉砕した真紅は、驚愕に言葉を漏らす。
不知火真紅の拳をあの状態から回避することは不可能であり、ゼペットはその術式の神秘により、防ぐことも叶わず粉砕されるはずだった。
しかし、真紅の腕には、そのような感触は伝わることなく、ただ、放った拳が空振ることも敵を穿つこともなく、空中で制止をしていた。
「……バカな」
雪の煙が晴れて行き、真紅の心臓は跳ね上がる。
自分の腕が今どうなっているのか? そして、この覇王はいかにしてこの必殺の一撃を止めたのか?
その疑問を抱えながら、不知火真紅は晴れていく雪塵の中……それを視認する。
「……っ!化け物め」
不知火真紅の腕は、突き出されたはずのゼペットによって掴まれていた。
「……あの一瞬で術式施行範囲を割り出して、攻撃を食い止めたか……」
もはや驚きではなく、純粋な恐怖が真紅の全身を駆け巡る。
その状況判断能力、そして彼の直感……。
比喩ではなく、この男が本物の化物であることを、全身をもって不知火真紅は認識する。
……しかし、その驚愕はゼペットも同じである。
「ぬぅ」
ゼペットが真紅の腕を握ったのは本能的に危機を感じ取ったからであり、手首まで術式の範囲が及んでいなかったのは、唯の偶然である。
ただ進撃を止めようと手を握ったら、たまたまそこに術式が付与されていなかっただけ。
もし術式の範囲が肘辺りまで付与されていたら、今頃ゼペットの胸には風穴があいていた。
「……なんという術式か」
人形師は気づく。 自分が恐怖を覚えていることに。
目前の黒き死神に。
黒いコートに血をまぶしたかの様に赤みを帯びた黒い髪。
そして、影のように不確かで鋭い殺気。
これを死神と呼ばずしてなんと呼ぼう。
余裕など寸分たりともあってはいけない……。
何故なら、超人的な力を持とうが、ゼペットは人間。
一瞬でも気を抜けば……いともたやすく刈り取られるのは自分の方なのだ。
腕を掴む際に、小指を掠めた腕は、弾丸も通さない彼の体をいともたやすくえぐり取り、血が流れていく。
その様を見ながら、事実をゼペットは悟り。
「ふ……ふはは……ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
内より燃えたぎるような喜びに身を震わせ、込み上げる笑いを止めることもせずに大声で笑う。
「!?」
突然の変化に真紅は疑問符を浮かべながら、ゼペットの動向を見守る。
「……楽しい……楽しいぞ!これほど楽しき血沸き肉躍る舞踏は久しぶりぞ!戦の神……いや、これほどのエンターテインメントを演出したデュオニソスよ!!望み通りデュオニシア祭をも超える演武を感謝の意を込めて捧げよう!」
「……っくっ!?」
ゼペットはそう意味不明な言葉を放ち、同時に真紅を掴んでいた腕を離す。
「!?」
「行くぞ死帝よ!!今さら何が来ようと文句は言うまい!!全身全霊、全策略を持って!我を叩き伏せてみよ!このジスバルクゼペット!そのことごとくを踏みつぶしてくれようぞ!」
怒号が響き、ゼペットの拳が不知火真紅へと走り。
「……やれるものなら、やってみろ!」
それに呼応し、ゼペットの拳に真紅は白銀の一閃をかぶせる。
クローバーの銃身と、ゼペットの拳が交錯し、辺りに火花を散らしては撃音をかき鳴らす。
力任せに拳を振るうゼペットの拳を真紅がクローバーでいなすように弾き飛ばし、ゼペットを穿とうと右腕はわずかな隙も見逃さずに、一瞬で食らいつく。
だが。
「ぬるいわぁ!」
そのことごとくをゼペットは回避する。
身体能力と反射神経は人の領域をとっくに凌駕し。
直感はもはや天啓に導かれていると言っても差し支えないほど。
其れゆえに、真紅とゼペットの攻防は、膠着をする。
ゼペットの拳を剛とするなら、真紅の拳は柔。
直線から走る拳を蛇行するように受け流し、その腕をからめ取るようにゼペットを翻弄する。
彼の動きは文字通りいびつであった。
一見隙だらけの構えに、先ほどの疾走からは想像も及ばないゆるい体捌き。
しかし、それだというのにゼペットは捉えることも出来ない。
一方真紅は直線的な機動読みやすい動きの死角を突くように軌跡も見えぬ一撃を、叩き込み続けるもその全てをゼペットは反射神経のみでギリギリのところで回避し続ける。
「ちっ!?」
勝負は互角。
相手の動きの読めないゼペットは、死神の攻撃をすべて触れる瞬間ギリギリのところで回避する。
死神は相手の動きを読み取り、疾風怒濤に打ち込まれる拳を、白銀に輝くクローバーの銃身でいなして防ぎきる。
膠着状態は長引く。
既に二十を超える拳がまじわり。
降り注ぐ雪でさえも、二人の間に割って入ることなど不可能であった。
「っ!……なんて、戦い」
響く音は雷鳴に近く、近寄るだけで背後の桜の肌が裂ける。
まさに天災。
大地を揺らし、木々をなぎ倒しながら、止まることのない殺し合いが続く。
ふと打ち合いが止まり、両者は間合いを取った。
「!?主よ、その武術どこで会得した!」
その合間に、ゼペットは忌々しげに目前の死神に言葉をかける。
「……!ジューダス・キアリーだ」
それに対し、真紅が面倒くさそうに投げかけると。
「……そうか」
そこに一瞬……いや、それよりも短い時間の隙が生まれ。
死神は冷静に、残酷にその隙を突く。
「ファースト・アクト!」
紫電をまとった二つの点が、ゼペットの瞳へと走る。
「!?ぐっ!」
いかにゼペットと言えど、瞳ではファーストアクトの破壊力を受け止めることは不可能であり。
そして刹那にも満たない隙であろうとも……あの魔弾が回避を許すわけがない。
故に、ゼペットはその攻撃を自らの両手で防ぐことしかできず。
「防ぐことは分かっている……」
「!?」
一足で間合いまで踏み込んだ深紅に対し、目でその姿を追うことしかできなかった。
「終わりだ……人形師!!」
不知火真紅は、その無防備なゼペットの腹部に渾身の一撃を叩き込む。
……が。
「おしいのぉ」
その一言と同時に、真紅の体は吹き飛ばされる。
「ご……ふぅ」
術式による幾重にも張り巡らされた防護障壁をたやすく粉砕し、真紅の体へとダメージを与える。
「ふ……ぅ!?」
「真紅!!」
消えかけた意識を、悲鳴に近い桜の呼び声により強引に手繰り寄せ、真紅は体制を立て直して雪の上に着地をする。
「真紅!?大丈夫!?」
「……あぁ、大した損傷はない……だが」
真紅はゼペットを睨む。
彼を吹き飛ばしたのは、ゼペットの脚であった。
当然のことながら、真紅がゼペットの脚を警戒していなかったわけではない。
……ただ純粋に、今の一撃はゼペットに自分の動きが見切られたことの証明であった。
「くっ!あと一度!!」
真紅はあきらめずに、もう一度ゼペットの元へと走り、拳を繰り出す。
が。
「お前の動きは覚えた……もうその拳は通用せん」
「ぐっ!?」
その右手は空を切り、カウンターに合わせて走る膝が、不知火真紅を突き上げる。
「真紅!」
遅い。
桜の声も真紅の反応も間に合うことなく、その散弾銃を束にしたような破壊力を持つゼペットの脚を、真紅はなす術もなく受け入れる。
「……グ……フ……」
鈍い音が響き、真紅は大量の血液を掃出し、空を舞う。
だが、それでは終わらない。
「うそ……いや……やめて!?やめてえええ!」
空に浮いた真紅の体……ゼペットはその無防備な体に術式をまとった一撃を走らせようと腕を振りかぶっている。
当然即死。
障壁は未だ修復されてはおらず、生身の体である真紅はいともたやすく壊れるだろう。
だからこそ冬月桜は走った。
術式を刈り取ればまだ、真紅は死ぬことはない。
だが、間に合うはずもなかった。
「ジューダスキアリーであれば、初撃で我を殺していただろうのぉ」
別れの言葉がゼペットはどこか寂しそうな言葉を紡ぎ。
「……ふん!!」
その一撃を深紅に走らせる。
「いやあああああああああああああああああああああ!!」
絶叫がこだまする。
だが、その腕は無情にも振るわれる。
しかし。
「油断大敵って言葉……知ってるか?」
真紅はその身を反転させ、完全に無防備なゼペットの眼前に銃口を走らせる。
「きさま!?」
真紅が見せた微笑みは、まさに死神の異名が良く似合い。
「ファースト・アクト!!」
容赦なくゼペットの左目を打ち抜いた。
「っぐあああああああああああ!?」
拳は真紅には届かず、ゼペットは自らの左目を抑えて一歩後退する。
「っぐ!?」
しかし、損傷は真紅の方が大きい。
雪の上を何度も転がり、よろけながら体制を立て直す。
足元はふらつき、息は荒い。
だが、それでも寸分たりとも戦意を失ってはいない。
「……死帝よ……なかなかやるの」
「……あぁ、まさかこれを外すとはな」
ゼペットの左目は大きく切れ、血が流れ続けているが、目じりを大きく入り裂いただけであり、視力を失わせるまでには至らない。
「ふん。だがどちらにせよ、この戦いで左目はもう使い物にならん。痛み分けよのぉ」
ゼペットは依然楽しそうに笑が、真紅には聞こえていない。
「はぁ……はぁ……はぁ」
息は荒く、意識もほとんど消えかけている。
「真紅!? これのどこが痛み分けなのよ」
「桜……下がってろ、まだやれる」
「…!?でも」
「貴様が出てきたところで何ができるのかのぉ?逃げずにこの戦いを見据える意志は評価するが、己の領分も見極められぬところはまだまだガキよのぉ……退け。今前に出れば、主はこの男の命を奪うことになるぞ」
「っ!言わせておけば……!」
「桜!!」
怒りの表情を見せた桜を、真紅の声が止める。
「……真紅」
「……カッコ悪いところを見せた……お前を守るとか言っておきながらこのざまだ。信じられなくなっても無理はない」
「っ!そんなことない!」
「そうか……それならもう少しだけ、俺を信じてくれるか?」
真紅の瞳は、悪あがきをしようとしている瞳ではなく、真っ直ぐと桜を見つめており、桜は一度困ったような表情をした後。
「……勝てなかったら、一日説教してやるんだから!」
不知火真紅を信じる。
「……あぁ、覚悟しておく」
苦笑を互いに浮かべて、桜は後ろにそして真紅はゼペットの元へと歩を進める。
「まだ勝つ気でいるのか?まさかまだ、この期に及んで拳で競おうとはせんよなぁ」
……ゼペットは余裕の表情を見せて顎をさすり、真紅は嘆息を漏らす。
「やはり……気づいていたか」
「無論」
「いつからだ?」
「……残心と敵付と言ったとき、万物は反応せなんだが、貴様はすぐに意味を理解したからのぉ」
「そうか」
「まぁ、確信を得たのはついさっきだがのぉ……言ったはずだぞ?すべての策を持って挑めと。 早くしろ」
「……あぁ、そうだったな」
しかし、真紅はどこか渋るような表情をする。
「何を迷う!!抜かないなら抜かせるまでよ!」
「っ!?」
ゼペットは苛立ちを浮かべながら右腕をだし。
「我! 覇王 也!!」
I am Iscandarを発動する。
現れた無数の兵士が各々武器を手に取り不知火真紅を見据え、殺気を叩きつける。
「その牙を剥かねば!姫もろとも死ぬぞ!」
怒号を発し、ゼペットは軍勢をひきつれて真紅へと走る。
その進軍は津波に近く、すべてを飲み込もうとたった一人の、傷だらけの守護者へと向かって走り寄る。
「……貴様がなぜ、その拳を使いこなせないか……その理由は身長ではない……貴様は常に、踏み込みが浅い!故に、必殺の一撃も回避する隙を生み出してしまう……。
貴様の踏み込む距離」
ゼペットは拳を振りかぶり、その右腕にすべての英雄たちを宿す。
「!?あの密度の術式を、腕に収束!? だめ……駄目真紅!!逃げて!」
「……大丈夫だよ、桜」
「それこそ…………剣の間合い!!」
この言葉に呼応するかのように、守護者はようやく牙を剥く。




