第六章 悪を執行する
騒がしい朝食を終え、食休みを取り、いつものように俺たちは過ごした。
このまま昼寝でもしてしまえば、今日一日がいつものように穏やかに過ぎ去ってしまいそうな午前中。
しかしそれが過ぎ去れば、日常は胡蝶の夢のように崩れ去り、非現実的な時間へと身を投じなければならなくなる。
覚悟を決めて、俺たちは覇王を迎え撃つ。
その日の雪はまるで踊るように乱れて吹く風によって、四方八方と空間を舞いながら地面へと積もっていく。
午前中は静かだった森も、何かの気配を感じているのか?それともこれから行われる予感に身を強張らせているのか?吹き荒れる吹雪に静かに頭を垂れている。
そんな雪の中、俺達は緊張感のない会話をしながら、指定された場所で覇王の到来を待つ。
約束の時間まであと数分。
強大な敵の到来を森はまだ告げず、静まり返った冬月家の森の中で俺達は黙してその時を待つ。
と。
「来た」
その言葉と同時に、その場の空気が変貌する。
乱れていた風は、その迫りくる覇気から逃亡するように同じ方向に吹き、雪は服従するかのようにしんしんと地面へと降り注ぐ。
自然でさえも、その大軍を恐れ、従えてしまうほどの覇気。
それはまるで、かの征服王の大群の中にいるかのような重圧が加えられ、聞こえる筈のない軍勢の行進音が、俺の中でそれぞれ頭の中に木霊する。
……ようやく理解した。
唯一、世界に対して宣戦布告をした男。
ジスバルク・ゼペットと言う男の全力を。
「……待たせたのぉ。して、用意した返答を聞かせてもらおうか? 冬月桜の首を差し出すか?」
怪物。
その形容をして、首を横に振る者は恐らくはいない。
その覇気その威圧。その眼光だけでも人が殺せそうだ。
「ありえないな」
そんなものと俺は対峙している。一歩も引かずに、脳内で相手を殺す方法を構築する。
「ふ……ふはは……だろうのぉ。よもや、こんなにも早く貴様と死合うことになろうとはのぉ、死帝よ……これも神の導きか?」
「そうね……こちらとしては想定外の上に部外者の相手までさせられて……疫病神がついているとしか思えないわ」
俺の代わりに桜が軽口を叩く。
横目で長山をみると、隣で控えていた謝鈴が今まで閉じていた瞳を開き、長山を射抜く。
「どーやらあっちのお姉さんはやる気満々のようだぁ」
透き通るような緑色の瞳は、主人の押しつぶすようなそれとは違い、針のように鋭く、一人の人間に突き刺さる。
「……主、敵との会話は情を生み、戦闘に支障をきたす恐れがあります。 障害をさっさと取り除いてしまいましょう」
「ほう……血の気が多いねぇ、姉ちゃん」
「否定はしないさ、万物よ。 私は主の右腕。主の為ならば鬼神の称号も喜んで受け入れる」
長山の挑発をいなし、謝鈴は背後に刺した大剣を抜く。
「邪魔するものは全て斬る……それが、私の役目だ」
殺気は長山龍人一点に向けられ、長山は苦笑をして刃を一本引き抜く。
「はっはっはっはっは、準備は万端か。よかろう、始めるとするか……死帝、不知火深紅よ!!」
覇王は怒号を飛ばす。
その声はもはや嵐。叩き伏せるような感覚は錯覚ではなく本物。
うなだれていた針葉樹たちはいっせいにその身を震わせる。
自然さえもその怒りには恐怖し、大気でさえもその存在感にひれ伏す、故に覇王。
生れ落ちた時から定められた王の資質。
飲み込まれたら一瞬でつぶされる。
これはまさに、百獣の王に蟻が戦いを挑むようなもの。
だが、百パーセント負けるというわけではない。
唯一の救いは、奴が人間であるという事。
そこには油断もあれば隙もある。
勝機があるとすればそこ……ゼペットの慢心……。
そこを突き……一瞬で片を付ける。
「ゼペット。始める前にこっちも一つ頼みたいことがある」
「ふむ、何だ?」
「……俺が勝ったら、桜の病気を治せ」
「……なるほど」
ゼペットは一瞬だけ表情をこわばらせ、すぐにまた口元を吊り上げ、納得したようにうなずく。
「死者を出さずに、この場を収めて正義を実行するつもりか?死帝よ……だが、そんな甘い考えで」
その言葉を言い終える前に……俺はゼペットの間合いまで踏み込み、クローバーの銃口を喉に押し付ける。
「ぬっ……」
「これでも、腕が鈍っていると思うか?」
ゼペットはすかさず後ろに飛んで距離をとり、不適に笑う。
「…………いんや、良い目だ、迷いがない。それでこそ我が望んだ戦いよ……しかし良いのか?貴様はもはや、正義ではなくなるのだぞ?」
「……俺は、桜の命を守るだけ。その為なら、どんな犠牲もいとわない」
迷いなどない……たとえ桜の存在が多くの命を奪う結果になろうとも、俺は桜を守ると決めた。
それが悪だと分かっていても、自分を壊す感情だとしても……。
「俺は正義なんてものよりも桜が大事だ」
自分の覚悟を、己が内に打ちつける。
「……むぅ、成程手強いな。いいだろう、その約束。果たすと誓おう。
だが」
覇王の表情から笑みが消失し、俺は反射的に後方に飛び、間合いを取る。
……覇気の質が変わった……。
「それは我とて同じこと!我が民の為ならば、世界でさえも敵に回す覚悟がある!」
ふざけた様子などどこにもなく、ゼペットは初めて、構えを取る。
「!?」
それだけ、唯それだけのはずなのに、その場の空気が張り詰める。
「真紅……勝つよ!この戦い!」
だが桜は、そんな中でも真っ直ぐにジスバルクゼペットを見据えている。
俺の背後ではなく、俺の隣で。
桜は自分の運命に反逆する。
だからこそ俺は……。
「悪を執行する」
そう言葉を漏らして、ジスバルクゼペットとの戦いの火ぶたを切り落とす。




