第五章 桜と添い寝
ぱたん。
と静かな音が響き、俺と桜は人差し指と中指を浅く絡ませたまま、桜の部屋に入り。
「カチリ」
桜はいつものように悪戯っぽい笑みを零して、部屋の鍵をかける。
「今日は君と二人っきりがいい」
桜は確認をするようにそう小さくつぶやいて、俺はその言葉に一瞬どう反応したらよいか分からなくなる。
「あ……と、なんていうのか……俺、こういう事初めてだからよくわかんないんだが」
「ちょ!?な、何を言い出すのかな君は!?そ、それじゃまるで私が慣れてるみたいじゃない!?」
「む?そうなのか」
「わ!私だって初めてだよ!……も、もう、き……君が変なこと言うから、なんか私まで恥ずかしくなってきたじゃない!?」
先ほどまでの泣きっ面はどこへ行ったのか?桜は困ったような表情をして、顔を赤くして怒ったような素振りを見せる。
どうやらさっきまでの桜はただ単に、これからすることをきちんと理解していなかっただけらしい。
「ったく、お前は本当にかわいいな」
「ちょ……な、何いってんの!?もう、真紅なんかへんだよ?」
「あぁ、少し疲れている」
「そ……そうなの?じゃ、じゃあさっさとねよっか」
「あぁ」
「じゃ……じゃあ、わ、私が先にお布団に入る……から、真紅が後に入ってきて」
「ん?あぁ」
桜はいそいそと布団の中に入っていき、頭まで布団をかぶって中でもぞもぞとうごめく。
「……」
何をしているのだろうか。
「桜、入るぞ?」
「だ!?駄目! こ、こっちにも心の準備があるから!」
「そ……そうなのか?」
「う……うん!そうなの!」
桜は布団の中からそっと顔だけをのぞかせ。
「……あの、え……エッチなことしないって約束する?」
その表情はやけにつやっぽく、俺の心臓はさらに早鐘を鳴らす。
「バ……!?バカ桜!?そ、そんなことするわけねえだろ!?」
「……本当?」
だからそんな子犬みたいな目で俺を見るな……今の自分の発言に自信が持てなくなる。
「わ……分かった。うん……信じてるからね」
「あ……あぁ、絶対にしない」
「うん」
桜は安心したような声を出した後……二三度布団を上下させ。
「どうぞ」
布団の右端に移動して、半分俺の入るスペースを作り、自分の眼よりも下を布団で隠したまま、小さくつぶやく。
「あぁ……では、お……お邪魔します」
俺は、慣れない手つきで柔らかい布団を持ち上げて、そっと桜の隣で横になる。
「ふ……ふえ?」
と、ふと桜の手が布団の中で俺の手にふれあい、桜は驚いたような声を上げる。
「ちょ……駄目!?やっぱり駄目真紅!?は……恥ずかしいよ、心臓が……すごくドキドキして痛い……せ、背中向けて!」
「む……わかった」
こんなに慌てる桜は新鮮さと、少しばかりの理不尽さを覚えるが、こちらとしても桜と似たような心境の為、自分の平常心を取り戻すためにも、俺は体を桜とは反対方向へと向ける。
「っ!?」
と、何かが俺の背中に触れる感触がして、不意打ちに俺は体一度小さく振るわせる。情けない話だ。
「……お、おちついたか?」
自分の事を棚に上げて、俺は桜にそう質問すると、桜は小さくうんと頷く。
「い……良い!深紅から私に触れるのは禁止だよ!?いいっていうまでこっち向いちゃダメ!」
それは添い寝とは言わないんじゃないだろうか?という疑問は飲み込み、俺は桜の体温を感じていた。
背中からでも桜の体温と心臓の音は伝わってくる。
桜も何か考えるように数度うなりはするが、結局言葉に出来ないようで、静かな時間が訪れる。
「……」
「……」
桜の呼吸をする音が聞こえ、俺は何故かその音だけで肩に乗っていた疲労感が洗い流されていく。
「……ん……真紅」
と、桜が小さく俺の名前を呼ぶ。
「なんだ?」
「……おやすみなさい」
「……あ。ああ」
約束してしまった手前、桜の寝顔を拝むことは出来そうにないが、きっと桜は今笑ってくれている。
今の俺には、それだけで十分であり、俺はゆっくりと瞼を閉じる。
◆
「……ん」
瞳を閉じて、私は眠ろうと頑張ってみる。
「……ん~」
だけど。
「眠れない」
原因は分かっている。後ろにいる真紅の体温のせいでドキドキと胸が高鳴って体が熱くって……眠るどころじゃない。
なにより、顔が見えないと……どんな顔してるのか気になって……。
「う~」
真紅は寝ちゃったのかな?私がこんなにドキドキしてるのに、一人だけいつものように……。
「ふぇ……」
そうだとしたら、なんだか悔しいなぁ……まるで私に魅力がないみたいじゃないか。
「……う~……真紅……もう、寝ちゃった?」
隣の真紅に声をかけてみるけど……返事はない。
「まさか君……本当に寝ちゃったの?」
いや、獣みたいにガバーってこられても困るけど。
……好きな人と添い寝してるのに……どうしてそんなに冷静でいられるの?
「も……もしかして、本当は私の事……なんて、どうでもいいのかな?」
そもそも、好きなのって私だけだったりして……。
さっきの事も全部優しい嘘で……私を慰めるためだけなのかな?
「……だったら……いやだな……」
なんだか泣きそうになる。
自分がこっちを向くなと言ったわけだけど……
そんな命令無視して、ぎゅっとしてくれるぐらいいいのに。
「……むぅ……だんだん頭にきた」
仕返ししてやる。 罪状は、私にドキドキしなかった罪だ!
「よいしょっと」
私は布団の中で、一度寝返りを打ち、真紅の大きな背中とぼさぼさの髪の毛を見つける。
ふむ、いいこと考えた。
そっと彼を起こさないようにその肩をもって。
「うしょ」
少し引く。……と、真紅は赤ん坊のようにこてんと仰向けになる。
「…………」
まるで、死んでしまったように寝息をたてる真紅の顔はこうやって眠るのが本当に久しぶりという事を物語っていた。
「……むぅ……そんな表情したって、許さないんだからね」
そっと私は、彼の頬に人差し指をそっと触れさせる。
「ふに……ふにふにふに! 奥義・どっきょー! なーんちゃって」
フニフニとした感触は気持ちよく、私はしばらく真紅の頬をつんつんして遊ぶ。
「……ふふ……カッコいいなぁ……真紅は」
眠りにつく姿も猛々しく……それでいて知的で優しい。
まるで全身を黒い毛並で覆われた狼……。 いや、獅子だ。
「この人が……私が愛した人」
確認をするように、私は無意味にそう呟いて、そっと今度は手の中でそっと頬をなでる。
「……ん」
「きゃっ!?」
突然寝返りを深紅が打ち、正面に彼の寝顔が現れる。
「わ……わ……わ!?」
ひ……卑怯だ!?こんな穏やかな寝顔見せられたら……わ、私、心臓のドキドキが止まらないじゃない!
「う……あう」
真紅の寝息が聞こえ、そして私の心臓の鼓動も、真紅が起きてしまうんじゃないかと心配に成程大きくなる。
「………べ……別に私から触れちゃいけないとは、言ってないよね……そ、それに、手を繋ぐくらいなら」
そっと、私は力なく私の胸の前に投げ出されている手を取る。
「ふえ!?」
彼の手は氷のように冷たく、そして傷の跡が手で触れただけで分かるほど生々しく残っている。
「お疲れ様、いつもありがとう」
戦い疲れた守護者の指と、自分の指を絡まらせるように、私は真紅の手を握り、そっと手にキスをする……と。
「ん……さ……くら?」
うっすらお深紅は目を向けて弱々しく言葉を発する。
「あ……ごめんね……おこしちゃった?」
「いや……その、手」
「ふえ!?あ、これ!?……うん、私が触れる分には問題ないでしょう?」
「う……まぁ」
「もう……なぁに?」
「……う」
「何しちゃおっかな~?」
「なっ!?いや、桜」
もう、彼の顔を見ているだけでドキドキする。 それならいっそのこと、どこまで彼にドキドキできるか試してやる。
こうなりゃやけだ!
「そーだ……えい!」
ボスン……という音がし、私は真紅の胸にすっぽりと収まる。
氷のように冷たい彼の体が、私で溶かされていくのが分かる。
「さ……さくら?お前……なんか変だぞ?」
「も~……疲れてんの……だから、ぎゅっとして?」
「……はぁ」
真紅は少し戸惑ったような表情をした後。
反則なくらいカッコいいため息を突いて。
「ふ……ふえええ!?」
思ってたよりも力強く私を抱きしめる。
「ちょ……真紅……く……苦しいよ……あぅ…………うぅ……でも……なんでだろう。とっても……とっても、安心する」
とくん とくん とくん
心臓はもう限界と叫ぶように大きくなり、私は真紅の胸にそっと顔をうずめる。
「……あ。なんだ」
そこで、ようやく気付いた。
「君も、すごいドキドキしてたんだ」
私のなんか比べ物にならないくらい……彼の胸は激しく震えていた。
なぁんだ。 よかった……ちゃんと私にドキドキしててくれたんだ。
「……えへへ」
「……どうした?桜?」
「ん~ん……大好き。真紅」
「……あぁ……俺もだ桜」
……あぁ、本当。 幸せ。
彼に包まれて、彼に名前を呼ばれて……。
そんな幸福と安心を覚えると、私の瞼は、重りを載せられたかのように重くなり。
今夜は良い夢を見れるサービスチケットを持ったまま。
私はゆっくりと彼の中で……列車に乗り込んだ。
彼と二人……行き先は不明でも。
私はきっと。 どこにでも行ける。




