第五章 たった一つの本物
引越し作業が終了したミコトの部屋。
とはいっても、必要最低限のものを私の家の部屋に移動しただけのため、ミコトの家にはお酒や占い道具などが散乱しており、整っているというには程遠いが、それでも家という機能はまだ保たれており、ミコトは私を真ん中のテーブルに座らせると、棚からティーセットを取り出し、お湯を沸かし始める。
どうやら、片付いていないものは占い品やお酒といった趣味のものばかりらしく、日常生活に必要なものは割と片付いているらしい。
そんな新たな発見に意識を奪われていると。
「どうしたの?ぼーっとして」
ミコトにそう心配そうに声をかけられて、私は意識をミコトに戻す。
「う……んーん!なんでもないよ。ただ、ミコトの部屋に来るのは初めてだったから」
「ふふふ、そうね。まぁ、当主様をお招きするような部屋じゃないことは確かだからね、お気に触ったかしら?」
「まさか。友達の家に遊びにくるなんて初めてだから。ちょっと緊張しただけ」
「そう……良かった。 はいどうぞ」
手に持ったティーカップからは、ほのかに香るアプリコットの香り。
そういえば、ミコトは感覚を生まれつき持っていないのに、どうしてこんなにおいしそうなお茶を入れたり、あんなにおいしい料理を作ることが出来るのだろう。
そんな疑問を浮かべながら私は一口紅茶をすする。
うん。 香りも味も絶品。
ほのかに頬を緩めて、ミコトにとてもおいしいことをアピールする。
するとミコトも、それに返事をするかのように微笑みを返し、自分も一口紅茶をすする。
ほんのりとしたティーブレイクタイム。
思えばここ最近ずっと緊張の糸を弦楽器のように張り詰めてばかりだったため、体がとっていた緊張状態を、椅子に浅く腰掛けなおすことで解除する。
「あらあら、すっかりリラックスしちゃって」
「なんか……すっごい疲れがどっと来たよ」
「それはそうよ……心労・肉体的疲労……どちらをとっても随分とたまってるはずよ? 普通の兵士だって、一日中拳銃を撃ち続けてたら相当な疲労になるはずなのに……あなたそれを毎日休まずやってるんですもの」
あぁ、そうか。
シンクンはそのことを見抜いてたから、今日はここまでにするって言ったんだ。
本当に敵わないなぁ……そして……やさしいな。
「ひゃうっ!?」
「?どうかしたかしら?当主さん」
「ふえ!? う、んーん!なんでもないよ」
まただ……また心臓が跳ね上がった。
病気なのかな。
「そう?それなら良いけど」
ミコトは少し怪訝な顔をしたあと、まぁ良いわとつぶやいて胸元からあるものを取り出す。
それは、一瞬何か分からなかったが、よくよく見てみると縦長のカード……。
数字が振ってあるため、タロットカードのようだ。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか?占いを」
ミコトは楽しそうにタロットカードをシャッフルし始め、いつもの不適な笑みではなく、明るいポーカーフェイスにてゆっくりとカードを机の上においていく。
「で?何を占って欲しい? これからのあなたの人生?それとも、誰かの人生?」
あ、自分のだけじゃなくても良いんだ……。
私の人生はもう短いし占ったとしても結果は見えているし。
ふと、私は頭の中で彼のことを思い浮かべる。
……私が死んだ後、彼はどうなってしまうのだろう。
もし私のせいで、彼が不幸になってしまったら。
いや、私のせいでなくても……彼の生き方は、常に自分の幸福を捨てて生きる生き方だ……自分を犠牲にして誰かを救うという……壊れた生き方だ。
そんな彼が……いつか幸せをつかめる日が来るのだろうか?
……もし、それが知れたなら。
私はきっと安心して彼の前から消えることが出来る。
「……ミコト。じゃ、じゃあシンクンのこれからを占ってみたいな」
瞬間。
「……まるで恋する乙女みたいね」
「!!」
ミコトのあきれたような一言に心臓が破裂するんじゃないかと思うくらい跳ね上がり。
ドキドキと血管が揺れるほど脈打つ。
私は何を言っているんだろう私は何を言っているんだろう私は何を言っているんだろう!?
なんで私のことをミコトに相談しに来ているのに、シンクンのことばっかり考えているのだろう!?
そうだ。
最近いっつもシンクンが私の心の中にいる。 ほかの事を考えたくても、大事なことを考えたくても、いつも彼は無断で私の心の中に入ってきて私の意識を埋め尽くす。
あぁ、なんだか腹が立ってきた。
どうして私が彼にこんなにドキドキしなくてはいけないのだろう。
……好きだなんて、ありえないのに。
あぁ、今度は胸が痛み出した。
本当に……私はどうしちゃったんだろう。
「…………どうやらあなたは、未来じゃなくて今について悩んでるみたいね」
ミコトはそんな私の様子を見て、タロットカードを回収して胸元にしまいこむ。
「え?」
その言葉の真意は分からず、私は黙ってミコトの顔を見ると。
「……何が不安なの? あなた」
ミコトは真剣な面持ちで……私の心をみる。
「不安って訳じゃないよ……でも、なんだろう。私にも良く分からない。
ただ、なんだか最近。私は全部作り物なんじゃないかって思うの。 この感情も、この性格も……冬月家当主って言う肩書きも……全部が全部、お父さんが用意した役で……全部自分で作ったものじゃないんじゃないかって……人形劇の人形のように、全部が全部お父さんに操られてるんじゃないかって思って」
「……自分の感情や行動が、自分でやってるつもりが、本当は誰かの手のひらの上でもてあそばれているだけと感じるのね……」
私はミコトの言葉に一度だけうなずく。
と。
「……ふふふ、この年の女の子には良くあることよ。 そんなことで悩んでいてたなんて、心配していた彼が少し哀れに思えてきたわ」
ミコトは少しだけ苦笑をもらして私の頭を撫でる。
「あなたは人間なのよ。その心も、体も、いくら父親だからといって縛ることは出来ない……あなたの心はあなたのもの。 絶対不可侵領域……誰かが操るなんてできっこないわ」
「……でも」
「それでも心配なら、深紅のことを思い出して」
「ふえ!?なななな!?なんで!?」
「ふふふ、あなたが不知火深紅に感じている感情は、きっと他の人たちとは違う感情だと思うわ……それがどんな感情かは、私には知ることが出来ないけれでも……でも、きっとそれは特別な感情」
……確かに。
「そこで質問なんだけど、あなたのお父さんは不知火深紅を知っていたのかしら?」
「へ?」
ミコトの質問に私は首を横に振る。
だってシンクンたちが来たのはお父さんが行方不明になってからだ。
名前も顔も知るはずが無い。
「じゃあ答えは簡単ね」
「?」
「あなたのお父さんは、不知火深紅のことを知らなかった。だというのに、あなたは不知火深紅に対してだけ特別な感情を抱いている……それはつまり、不知火深紅への感情は間違いなくあなたがあなた自身から生み出された感情よ」
……一瞬。私の中で何かがぼろぼろと崩れ落ちていく感覚がする。
眼からうろこが落ちる……とかそういうレベルではなく。
根底から全てが覆されるような……日の光が、雲の隙間から差し込むような。
それほどすばらしい言葉が、空っぽだった私の心を満たしていくような感覚が全身に回る。
「……あ……ぅ。 そっか」
「だから安心しなさいな、当主さん。 あなたの心は誰にも縛られてないのよ」
ニコニコと笑うミコトに、私は小さくうなずき返し……ありがとうと言葉をミコトに送って残った紅茶もよそに森へと飛び出す。
「本当に……夫婦そろって朴念仁なんだから」
空は快晴。久しぶりに見た太陽は私を燦々と照らし、私はそれに負けないように駆け足で冬月の城へと戻る。
確かに、ミコトは一つ勘違いしていたが。
それでも、私は確かな答えを手に入れた。
不知火真紅は、私のなかで唯一特別な存在なのだ。
その感情だけは自分だけのもので。何にも縛られていない。
「ははは……あはははははは!」
それだけがただただうれしくて。
そして……とっても悲しかった。
「……はははは……はは……ははは……」
あぁ、どうして私はこうなんだろう。
どうして私は……。
泣いているのか笑っているのかもう自分でも分からない。
踊っているのかそれとも振り回されて足元がふらついているのかも分からない。
何もかもが中途半端で。
何もかもが矛盾している。
だから、お日様の光は冷たくて。
私を撫でる雪はとっても暖かい。
闇は明るく。光は暗い。
……そんな感覚が私を襲う。
あぁなんだ。
とっくに私は……壊れてたんじゃないか。
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