第五章 真紅と桜 浴場二人
「ただいまー」
さて、結局最後まで一発たりとも当たらなかった桜の銃弾ではあったが、桜はどこか満足そうな笑顔のまま、冬月の城へと帰還する。
「……お、おかえりー」
「長山か、丁度いい。桜を頼む……俺は少し休む」
出迎えたのはたまたまエントランスにいた長山であり、俺は都合が良いのでそのまま長山に護衛を変わってもらうことにする。
「あいよ任しときな、ああ、言う必要もないと思うが、一応森もここもオールグリーン。異常なしだ。あとミコトちゃんからの伝言で、飯は一時間後だってよ」
「了解だ長山」
ふむ、飯は一時間後か……だったら今日使った武器の手入れをした後に……余った時間で入浴を済ませるとするか。
そう一人思案し、いつものように階段を上って屋上へと向かう。
「ん……」
瞬間。全身に悪寒が走る。。
なんだ? 今誰かがとてつもない所業により、俺を罠にはめようとたくらんでいる気がする。
ふと疑問に思い、後ろを振り返ると長山がなにやらにやけ顔で桜と話している。
長山のあの顔。
あれはいつも長山がよろしくないことを考えているときに作る顔だ。
嫌な予感がする。
俺の第六感はすぐさまエマージェンシーコールを頭の中に鳴り響かせ、俺は逃げるようにそそくさと屋上へと避難する。
さっさと入浴を終わらせて……夜の見張りを開始しよう。
■
武器の手入れにはいつものことだがさほど時間はかからない。
こなれたルーチンワークをいつものように行い、磨かれた銃の銃弾を取り除き、必要な分だけ補充する。
使用したのは45口径が少しと、桜の使用したクローバーの特殊弾丸マガジンざっと三十個分。
数字にしてみれば大きく見えるかもしれないが、もともと主武器として扱っているもののため、マガジンストックを用意するのにはさほど時間は必要なかった。
ものの二十分で作業を完成させた俺は、マガジンを保管してコートにしまう。
さて、長山が変なことをもくろむ前に、さっさと風呂を済ませてしまおう。
そう立ち上がり、俺はゆるゆると階段を下りていく。
■
一応、他の人間が入っていないかを確認した後で、浴場の扉をあける。
扉を開けると湯気は煙のように俺を包み込み、乾燥した風にあおられて乾きすりむけた肌に染みいる。
湿度も温度も違う、いわば別世界。
その湯気たちに身をゆだねると……いつしか全身に張り巡らされていた糸がふやけてしまったかのように緩む。
普通、五里霧中となれば人間は不安を掻き立てられるはずなのに、浴場の湯気の中ではその法則は通用しない。
それほど、湯とは人間の心をつかんで離さないすばらしいものなのだ……。
あぁ、なんというか。 こうやって風呂場にいるときだけは安心するな。
気を抜いてはいけないのは分かっているが、もともと身体の疲れを癒す場所であるため、緊張感を維持することが難しい。
それが温泉ともなればなおさらだ。
これだけ広い湯を、俺が今日一番で独り占め……少なからず心躍る。
「まぁ……しかし、のんびりもしていられない」
あと三十分ほどで桜の護衛を交代しなければならない。
あぁ……できるなら一時間二時間と浸かっていたいものだが……。
そういいながら俺は、湯に体を預け、伸びだした岩に背中を預けて一つ、眼を閉じる。
あぁ……染み渡る。
術式をかけているとはいえ、外の体感温度は零度からマイナス一度……。
お世辞にも暖かいとは言えず……俺は冷え切った体が芯まで温まっていく感覚と、血管が広がり、どくどくと心臓が景気よく体中に血液を循環させる音を静かに聴いている。
……と。
「あれ?誰か入ってきたの? カザミネ?みこ……」
え?
聞き覚えのある声……。
いや、むしろいつもそばで聞いているその声の主。
心臓が高鳴り、俺は見なければ良いのに反射的にその声の主のほうへ振り向いてしまい。
無防備にこちらに向かってくる裸の桜を直視してしまう。
「……んなっ!」
「真く……いやっ!なななんでここに!っきゃあ!?みみ、見ないで!」
「……!?」
心臓の鼓動は限界ぎりぎりまさにマックスハート。
なんとも感じていなかったときに見ても心臓が跳ね上がりすぎて口から飛び出るかと思ったというのに、こんなにいかれてしまっているときに見てしまったのだ。
や……やばいやばいやばいやばいやばい……。
体が動かない、緊張の糸がほぐれると言うのは完全に大嘘だ。
緊張しすぎて全身が硬直してしまっている。
おおお、落ち着け俺……とりあえず反射的に岩陰にカバーしたから桜の視界から完全に外れることが出来た……あとはこのまま桜に眼を瞑ってもらって外に出ればオールオッケーだ……。
「えええ、えと、シンクンなんでここに」
「い、いやだって、今は男湯の時間だし……って言うかお前靴はどうした。外にくつななな無かったぞ!?」
「ふふっ!?ふええ!そそ、そんなはずは」
「ととと、とりあえず俺は先に上がるから!?暫くしたら出て来い!?いいな?」
「わわわ!分かった! ……あ、シンクン!」
「な……なんだ?」
「……見た?」
「いいいいや!?煙でほとんど見えなかった!」
「そそそ、そっか、よかった!?じゃ、ごごご、ごめんね!!」
「お、俺こそすまん!じゃあな! 」
風呂から上がり、俺はすぐに扉を開けて外に出る。
と
「……なっ!?」
あかない。
力を入れても叩いても、扉はまるで空間に固定されて閉まったかのように、まるで術式か何かで接着されてしまったかのように動かない。
びくともしないとかそういう次元ではない
まるでこの扉が、壁に置き換えられたかのような感覚。
「……どうしたのシンクン」
「……やられた。 扉が開かない」
「ふえええ!じゃじゃ……じゃあ、私とシンクン。 ここで二人っきり!?」
「……いいいや、まだ露天風呂の方がある。 俺はそっちにいるから……」
そういって、露天風呂の扉を開けようとするも。
「……なんでだ……」
同じように露天風呂も空間に固定されたかのように動く気配がない。
「……」
心臓がまた二つなくなりそうだ。
こんなところで桜と二人きり……しかも裸だなんて。
心臓が張り裂けて口から飛び出てきてもおかしくないぞ……。
どうする?どうする……。
と。
「し……シンクン」
「え?」
桜は岩陰に隠れて顔だけをこちらにのぞかせて、俺の名前を呼び。
相変わらず顔を赤く染めた状態で。
「と……扉が開かないなら、しょうがないよ。 い……一緒に入ろう……。
そんなところにいたら、シンクンも風邪引いちゃうし」
そんなことを言って来る。
「いい、いやしかし!?」
「だだっ。大丈夫!こうやって岩の対極にお互いいれば……そそ、そこまで恥ずかしくないし! それに……シンクンのこと……信じてるから」
……頼む桜、そんなことを言わないでくれ、俺の心臓がまた一個なくなる。
「ほ、ほら早く!」
「あ……あぁ」
…………暫くの間沈黙が続く。
桜も俺も無言で湯につかり、気まずい空気の中、俺は桜が何を考えているんだろーとか、どうして扉が開かないんだろーとか色々くだらないことを考えて、自分を落ち着かせる。
「ふぅ」
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
もしかしたら数分かも知れないが……正直パニックから今の平常心に戻るのに、相当な時間を要したようにも感じられる。
「ね、ねえシンクン」
ふと、その沈黙を破るように、鈴を転がしたような声が浴場に響き。
その音に俺の心拍数はまた上昇する。
「な……なんだ、桜」
余計なことは想像するな俺。……無心だ。無心になるのだ。そうすれば。
「えと……私の体……どうだった?」
いきなり何を言ってるんだこの娘っ子は!
「え!?いやいやいや、別にそんなに見てない!!」
ただちょっと……思っていたよりも細めで心配になったとか……胸が意外に大きかったとか……。
って何を考えているんだ俺は!? バカか。
「そ、そっか」
そして再び沈黙が訪れる。
なんだったんだ今の質問は……なんか、桜は納得していない反応だし。
何かもっと気を利かせた台詞をはいたほうが良かったのか?
ああぁ分からん。 桜には友達として接して欲しいといわれたって言うのに、これじゃあまったく駄目だ……。
「はぁ……まったく、何が正解なんだよ」
一人ぼやいて、俺は頭をかく。
気まずいし何を話せば良いかもわからない。
というか、俺は今までどんな風に桜と接していただろうか?
あぁ……普通って一体何なんだ?
「そういえば……さ」
「ああ」
再び沈黙が破れ、俺は今度はしっかりと応対をする。
よし、今のは多分今までどおりだ。
「ごめんねシンクン。私に気を使わせちゃって」
「え?」
「私が変なこと言ったから……ずっと悩んでたんだって、龍人君に聞いたよ」
「いや、俺のほうこそ悪かった。 勝手に……あんなことして。 お前を困らせた」
「……別に、シンクンを困らせようと思ったわけじゃないの。ただ……その……君は正義の味方なのに……一生私の護衛なんてやったら。きっと君を縛ることになると思ったの」
「え?」
俺は今、なにやら変なことを聞いた気がして素っ頓狂な声を上げて聞き返す。
「一生そばにいて欲しい……それは君の正義じゃない……私なんかの為に、君の人生をめちゃくちゃにしたくなかったの……だから、忘れてっていったの。君、律儀だから本当に寿命が延びたとき……本当に君が私の為に人生を投げ捨てたら取り返しがつかないから……一応。ね」
どくり……と心臓が跳ねる。
え、つまり忘れて欲しいというのは、一緒にずっといて欲しいという契約であり。
……あの夜のことではない……ということか?
ばしゃんと、自分の顔を湯に打ち据える。
大きな水柱が立ち上る。
「ふえっ!?だだだ、大丈夫シンクン!?」
「だ……大丈夫だ」
くそ、とんだ勘違いだ!?いや、あの様子だと桜は俺の感情に気づいた訳ではないようだ。
ってことは……振られたわけではない!?
「えと、私変なこと言った?」
「いや、何も言っていない。 あぁ何もいっていない……気を使ってくれてすまない。 だがな桜」
「え?」
「俺は、楽しいんだ。 お前を守ることが……。命令だからお前を守っているわけじゃない。ただ、自分が楽しくて……お前を守りたいと心から思うから、お前のそばに一緒にいると応えたんだ……」
「え……あぅ……だ、駄目だよシンクン。 私なんかと……一緒にいちゃ」
ふと、俺は気になることが出来た。
今桜は、私なんかといった。
思えば最近桜の様子はおかしい。
……あの一言のせいで気づくのが遅れたが……なぜだか最近、桜は自分を卑下するような言動が目立つ。
今までアドルフヒトラーのような独裁者だったのが、今では日本の総理大臣よりも腰が低い……というか自分に自信が持てていない。
「……桜、何かあったのか?」
「え?」
「なんか、最近変だぞ?」
「そ……そんなことないわ!」
「嘘が下手だな」
「……うっ」
桜は一度押し黙り、しばらくの沈黙が流れた後。
「ねえシンクン」
そう、桜は小さく俺に質問をしてくる。
「白いって何色かな?」
?
「しろは、お前の髪の色とか、雪の色とか」
「それってさ、どんな感じに見えるの?」
「どんな感じ……そうだな……まっさら、何も無いイメージ……清潔とか美しいとか……余計なものが感じられない色だな」
「……そっか」
「どうした?」
「ううん。なんか最近疲れてるのかな……ここ最近、自分の感覚に自信が持てなくて」
一瞬、嫌なイメージが頭をよぎり。
「感覚がなくなってきてるのか?」
と、聞き返す。
「ううん!?違うの!大丈夫だよ、ちゃんとしっかりしてるよ」
「?」
「唯ね、時々私の見ている風景と、君の見ている風景は同じなのかなって感じちゃう。 青ってどんな色なのかとか……甘いってどんな味なのか……うれしいって感情はどんな感情なのか……本当に自分が感じてる心の動きで良いのか……不安になるの」
「?……そりゃ、人それぞれ感覚とか感じ方とか違いは生まれると思うが」
「違うの、そういうのじゃなくて」
桜は困ったように一人でまた考えるそぶりを見せ。
「早くここから出ないと!私のぼせてきちゃった!」
突然話を強引に区切り、水滴が水を叩く音が響き渡る。
どうやら桜は立ち上がったらしい。
「え、本当か……それは」
大丈夫なのかというよりも早く、桜は一人浴場から上がり、さっさと出口へと向かう。
「お、おい。だから扉は開かないって……」
と。
かちゃり……という音と共に扉が簡単に開く。
「……え?」
「簡単な接着術式がかけられてたみたい……うん。シンクンはもう少しのんびりしてて。 私……犯人の予想大体ついちゃったから」
ぞくり……と桜の表情が一瞬とても恐ろしくなり、俺はその場に硬直する。
「あぁ……なるほど」
こんないたずらをする奴は一人しかいない……。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ。
断末魔の叫び声が響き渡る。
「なむさん」
何でこんなことをしたのかは不明だが、おかげで変な誤解も解けて俺も胸のわだかまりが取れ、のんびりと湯につかる。
今日はなんだか、温泉の効能が、十二分に体に効きそうだ。
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