82 : Day -22 : Kuhombutsu
ヒナノは「両親ともに日本人ですよ」と言っているし、正しいが、両親ともにハーフでもあった。
よくパリに行くのは、祖父母の実家に近いためである。
父方の祖父はヴァチカンの枢機卿(イタリア系フランス人)で、日本でも名高かったし、母方の祖母はドイツ系フランス人の牧師の娘だった。
ミッション系の名門校に進むことは既定路線だったが、いろいろあって国津石神井高校という練馬の田舎の高校にかよっている。
最近、その父方の祖父が死亡した。
祖母・潤子はひどく悲しむようすをみせ、その後、あまりの深い悲しみのせいで痴呆の症状が進んだのだろう、とヒナノは理解していた。
だがじつは、そこには大きな「呪い」が作用していた──。
フランスの名高い枢機卿を、婿として迎え入れるくらいの名門だった、南小路家。
だが日本の旧家である以上、実権はあくまで日本人の側にある。
──甘やかされて育った潤子は、恋多き女でもあった。
南小路家が家名をかけて、その「不祥事」をもみ消した件については、古い執事に問いただせば答えてもらえるだろうか。
夫ある身でありながら、彼女は恋をしていた。
それも場末の小汚い芸人に。
優秀な人形師であった安藤丸夫(初代)を父にもつ彼は当時、安藤ルパン13マンという名で芸人をやっていた。
鳴かず飛ばずでドサまわり、事実コソドロさえやっていたのではないかと疑われる始末のピン芸人だった。
そんな彼について行き、一時いっしょに「泥棒になる」とまで言い張るところまで、潤子の恋の病は膏肓に入っていた。
そもそも潤子が夫を得るためにフランスにやられた理由が、この芸人との火遊びを端緒としていた。
帰国後、しばらくはおとなしくしていたのだが、偶然は彼らを引き寄せてしまった。
焼けぼっくいに火がついた、という表現こそ適切かもしれない。
現在その過去を、当人がどう思っているかは謎である。
ただ当時、彼女の燃え盛る情熱は、自分の心を裏切ることをよしとしなかった。
だからといって南小路家を捨て去ることもしなかった。
わがままで、よくばりな彼女は、すべてを手に入れると心に決めた。
──そして、行動に移した。
いま、孫娘であるヒナノたちの目のまえに、その悲劇的な現実の末路が横たわっている。
ヒナノは理解しなければならなかった。
自分の祖母が「加害者」である事実を。
まさか自宅の地下の座敷牢に、かつて愛した男を幽閉しているなど、想像できるだろうか?
拉致監禁して何十年かは知らないが、現に彼が死んでしまっても、その霊魂を捕らえて離さずにいる。
彼女の情熱は……いや、情念は、もはや呪詛だ。
全身総毛立ちながら、ヒナノは祖父がむかし、こんな話をしてくれたことを、ふいに思い出した。
──わたしの実家のカスティヨン伯爵家は、現在は骨董商を営んでいてね。
そう、きみもよく遊びに行くね。妹が、きみのおばあさん、わたしの妻に、とてもよく似ている。情熱的な女でね。クロエにも、きみはよくなついていたかな?
そう、気づいただろう。きみのおばあさんに、ほんとうに、とてもよく似ているんだよ。あの長い本名まで、きみはおぼえていたっけね。
ふつうはクロエ・ド・カスティヨン(Chloé de Castillon)で通しているところだが。
かの有名なユダヤ人のデザイナーに名前を貸したのは、ほんとうは彼女だったという説があるんだよ──。
「この地下室は、私の子宮」
──映画『完全なる飼育』より。
監禁された女子高生と、犯人のあいだに愛が芽生える、というプロットのみを踏襲し、シリーズ化された。
監禁から芽生える愛も、あるのだろうか。
だとしても、そんなものを認めるわけにはいかない。
地下室に、すべての秘密が隠されている。
──わたしが死んだら焼き捨ててほしい。
あるとき祖母が、そんなことを言っていたことを思い出した。
そこにある秘密とは、そう、地下室に監禁された者たちの忌まわしい記憶にほかならない。
このような邪悪な祖母、悪魔に取り憑かれた血縁を、いっそ自分の手で楽にしてあげるべきではないか。
いや、決まっている。
それこそが貴顕の義務というものだ。
胸の指輪で、カーバンクルが燃えている。
そう、わたくしは祖母を殺さなければならない……!
「そうか。わかった、できるだけ早く合流する。くわしい話はそのときに」
霊界電話でサアヤとやりとりしながら、チューヤは最低限の情報交換で通話を切った。
ここにはまだ、疲れ切ったマフユがいる。
この状態で放置して移動することはできない、と思っていたが。
「すまねえな、サイシ……」
いつのまにか姿を現した女が、マフユの処置を請け負ってくれていた。
マフユにしてはめずらしく、安心したように身を任せている。
どうやら自分などとは比較にならないほどの「仲間」のようだ。
「かまわない。来週までは動けるようにしとけって、至上命令だってさ」
サイシと呼ばれた女が、壊れかけたマフユを「修理」している。
──露出の少ない黒い衣、身体にぴったりとしたラインは、泥棒か暗殺者、あるいは忍者を思わせる。
頭巾だけは外しているが、長い髪に隠れて表情もよくわからない。
ただ「ものすごくかわいい子」という印象はゆるがなかった。
AKVNのイベントに出演していてもおかしくはない。北国には美少女が多いのかもしれないな、と埒もないことを思った。
……サイシ。
ふと、どこかで聞いたことのある名前だ、と気づいた。
ナノマシンに指示して、記憶の断崖から目的の情報を探し出させ、閲覧したところによると。
「サイシ……? あの、マフユの友達?」
「近づくな。殺されたくなければ」
言ったのはマフユだった。チューヤの身を案じているというわけではなさそうだが、的確な忠告ではあった。
サイシの手には、つねに暗器がある。
いや、彼女が忍者であれば、おそらく肉体全部が武器だ。どんな相手も瞬時に殺せるように、おさおさ怠りない。
「殺されるって……いや、わかるよ。そうだろうね、忍者……暗殺者だよな、あんた。カネをもらって、だれかを殺す」
サイシの動きが一瞬だけ止まった。
──こいつは殺すべきなのか?
マフユと一瞬だけ目線を交わす。
ここで戦闘に突入しなかったのは、ぎりぎりでマフユの心に、人間としての小指のさきが引っかかっていたおかげだろう、と冷静なチューヤは理解した。
「どうしてそう思った? 言ってみな、チューヤ」
「知り合いが、依頼したって言ってた。金町のクビキリジゾウ、始末してもらったって。その首を最終的に届けたの、俺なんだよ」
しゃきん、と抜かれた刃が、チューヤに見えないところで収納されたらしい。
脈絡が整合されれば、敵ではないと伝わる。
マフユはサイシに視線を移し、
「おまえも働き者だな、サイシ」
「ふん、依頼人の事情はどうでもいいわ」
マフユはめんどうくさそうに大仰に嘆息しながら、
「アジアの生臭坊主か。男なんて全員殺しゃいいが、まあ優先順位ってもんはある」
「そうね。最優先は白人だけど」
どんな憎悪が白人にあるのかはわからない。
たぶん知らないほうがいいだろう、とチューヤは冷静に判断した。
サイシは淡々と作業をつづける。
どうやらチューヤのことは一定程度、認めてくれたらしかった。
彼女にとって、マフユの「友人」であるはずはないが、一応、殺されない程度の「知人」であるという事実は、アドバンテージになる。
「これはもう直せない。交換するけど、いい?」
サイシは言いながら、自分の腕を開いた。
ぞっとするチューヤのまえで、異常な光景が展開されている。
「わりいな。おまえのパーツだろ?」
「まだ予備はある。この〝骨〟は、使い勝手いいよ」
骨。たしかに、破損した腕の内装パーツの交換は、骨の交換にあたるのかもしれない。
「あんた、いったい」
「近づくな。最後の警告よ」
サイシが片腕を持ち上げ、チューヤの脳天に人差し指をむけた。
つぎは刺す、という意味だと理解した。するとマフユは意外に砕けた口調で、
「平気だよ、そいつは。無害なムシケラだ。意外に便利だぞ。使えるもんは、使っといたほうがいい」
サイシは意外そうな表情でマフユを眺め、それから軽く肩をすくめた。
チューヤは接近する許可を得たと理解し、数歩、そちら側に寄る。
「……あの、怖いんで睨まないでもらっていい? あと一歩、近づくけど」
壊れた「患部」が見える程度の距離まで近づいたところで、マフユは言った。
「内装を入れ替える。ファフニールは呼べるか?」
使えるもの──利用価値があるとは、つまりそういうことだとチューヤは理解した。
「邪龍ファフニール? ああ、そういや使ってたけど」
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
ファフニール/邪龍/F/13世紀/アイスランド/ヴォルスンガ・サガ/扇大橋
マフユに目で合図され、サイシは彼女の背中に腕を突っ込んだ。
チューヤがおどろくまもなく、ファフニールの死体が引きずり出されてくる。
うながされ、あわてて悪魔全書からファフニールを召喚する。
特異すぎる状況にビビッている邪龍の首根っこをつかまえ、サイシはそれをマフユの体内に突っ込んだ。
「再インストールにしばらくかかる。できればもっと上位の悪魔を使ったほうがいいけど」
「レベルが高すぎるとコントロールがやっかいだ。いまのところ、この程度でいい」
短い会話を交わすマフユとサイシのあいだでは、一種の前提と了解があるのだろう。
チューヤは、期せずしてイケニエに捧げることになってしまったナカマに祈りをささげつつ、一歩離れて問うた。
「それで、できれば説明してもらいたいんだけど」
マフユは息をひそめ、内面を侵食する悪魔を「じゃじゃ馬」のように馴らす。
サイシはしばし無言だったが、やがて言った。
「扇大橋は23区で、いちばんキチガイの多い駅なのよ」
「……やめてあげて」
本来なら猛然と突っ込みたいところだが、相手がそのキチガイ代表選手なみに殺しに来そうなので、控えめにしておいた。
日暮里舎人ライナーの扇大橋駅で、たまたま捕獲した邪龍が組み込みパーツとして都合がよかったので採用した──もちろんチューヤが聞きたいのは、そんな来歴ではない。
マフユはつまらなそうに腕を振り、
「どこだっていい。エサがありゃ食うし、弱いほうが食われるんだ。……悪魔を食って、鳥になった。おまえのおかげで、あたしも踏ん切りがついたんだぜ。あやや」
「その名で呼ばないで。それとも、その姿が好み?」
ゆっくりとふりかえったサイシの表情が、やわらかく美しい「少女」に変わる。
それはキャバ嬢の「店」と「寝起き」くらいの変化だった。
──彩矢。
彼女は生前、そう呼ばれた。
いまはサイシと名乗っている、殺し屋だ。
「生前て、生きてるじゃ……」
サイシは冷たい目でチューヤを見つめる。
「たとえ生きていることを後悔しても、やり残したことはやらないと。魔王に壊されて、泉に逃げ込んで終わりなんて、悲しすぎるでしょ」
「……るるかちゃん?」
ぴくり、とサイシの肩が揺れた。
北欧の魔王がくりひろげた悲劇を、直近のチューヤは解決したばかりだ。
もちろん彼女はるるかではないが、似たような境遇にいたのだろう。
手短にそのときのことを話すと、サイシはマフユに視線を移しながら、
「おもしろい知り合いがいるのね、マフユ」
「どういうことかわかんねーけど、言ったろ、意外に使えるムシケラだってよ」
サイシはゆっくりと、チューヤに視線をもどした。
「……あんたは女の子の恨みに帳尻を合わせてやって、それでいい気になってるんだ?」
「い、いい気になんか、なってないけど……」
しどろもどろに言い訳する。かっこわるいと思ったが、自分がそれほどたいそうなことをしたという意識もない。
するとそれが意外に気に入ったらしく、サイシはいままででいちばん表情をゆるめた。
「ロキさんもそうだけど、たまにはマシな男もいるね」
「ロキ兄と比べるんじゃねえよ。そいつはムシケラだって言ってんだろ」
「そうね。だけどそんなムシケラでも、あのとき、わたしの近くにいれば、すこしは役に立ったかもしれない」
その表情には、永遠の憂いがあった。
──サイシは死人である。
四人の男、白人ふたりとアジア人、黒人に犯され、殺された。
アジア人は実の兄で、言うまでもなくクソ野郎だった。白人はスペイン系のマッチョな大量虐殺者と、アングロサクソン系のインテリ・サイコパスだった。黒人は野獣で、とにかく肉体を「破壊」してくれた。
憎悪対象としての「男」と、比較的罪深い「白人」を「悪」と定義しているが、皮相的な意味しかない。
肉体は生きているように見えるが、じつは半分死人で、ほぼ擬体として活動している。
生身のパーツを使っていることは事実で、殺した相手の骨を一本奪って、自分の体内に取り入れる。最初の四人の骨からはじまり、現在100本を超えた。
206人で終了だという。
「206人……あのう」
人体の骨は206個。
チューヤにその知識はなかったが、彼女が大量虐殺者であることは事実のようだ。
通報案件である。
「信濃町のほうでよ、脳みそがなくなってる事件とかあるらしいぜ」
「派手にすると騒がれるでしょ。骨の一本や二本なら、最近はまじめに司法解剖もしないらしくて、バレないわ」
そうなんだ、あるあるだよね、と同意してやれば仲良くなれるだろうか。
チューヤはそんなアホなことを考えて、首を振った。
マフユを理解する最後のキーパーソン、おそらくサイシは重要だ。




