64 : Day -23 : Ōkubo
ほぼ新宿駅と一体化しているといっていい周辺駅のひとつ、大久保。
圧倒的な建造物群に埋め尽くされた狂気のエリアだが、駅前から離れればそれなりに情緒もあり、むかしながらの小さな民家がちんまりと肩を寄せ合っている風景も、ないわけではない。
ただし幹線沿いは高いオフィスビルとマンションが交互に並んでいて、見上げればあくまでも新宿摩天楼の一角を形成する。
その高層マンションのひとつに、月塔はあった。
わたしは戦いませんよ、をくりかえす榎戸を引き連れて、マンション内へ。
管理人室などはない、意外に小ぢんまりとした一般的マンション。
そのまま、唯一設置されているエレベータへ。
上のボタンを押すと、13階に止まっている箱が、ゆっくりと降りてくる。
「ほんとうに行くのですか?」
8……7……電光掲示を見上げるチューヤに、榎戸は問いかける。
「ユダヤのルールに介入する気はないですが、最後の腕のことが気になって」
5……4……弥生は最上階に住んでいるということだから、もしかしたら帰ってきたばかりなのかもしれない。
「そうですか。ならば時間の無駄は省きましょう」
そう言って、榎戸は一枚の紙をチューヤにわたした。
2……1……目のまえでエレベータのドアが開くが、榎戸は動かない。
「……こないんですか?」
「読めばわかります」
紙には、こう書いてあった。
1.エレベータに乗る(乗るときは絶対ひとりだけ)。
2.エレベータで、4階、2階、6階、2階、10階と移動する(だれかが乗ってきたらやりなおし)。
3.10階に着いたら、降りずに5階を押す。
4.5階に着いたら若い女のひとが乗ってくる(そのひとに話しかけてはいけない)。
5.乗ってきたら、1階を押す。
6.するとエレベータは1階に降りず、10階に上がっていく(上がっている途中に別の階を押すと失敗する。やめるなら最後のチャンス)。
7.9階を通り過ぎたら、ほぼ成功したといってよい。
「……これ、なんかの都市伝説ですよね」
「ネットのジャンクに、意外な世界の真実が隠されていることもあるものです。……いいですか、ディブクという悪魔は弱い。たしかに直接の戦いにはなりません。だがこの悪魔は、強さではなく、罪深さの戦いを仕掛けてくる。それをお忘れなきよう」
榎戸の顔が、閉じるエレベータのドアに隠れて消える。
まるで捨て台詞のように、ものすごく重要な話を聞かされた気がしたが、いまは考えるよりもやるべきことがある。
チューヤはあらためて榎戸のメモを見直した。
まずは4階だ。
5階で乗ってきた女に、チューヤは思わず息を呑んだ。
若い女、というほどではないが、本来の年齢からいえば若いのかもしれない。
40前後の容貌をしている女は……ミエコさん。
思わず口を開きかけて、ごくりと生唾ごと呑みこんだ。
「そのひとに話しかけてはいけない」。
チューヤは腕を伸ばし、1階を押した。
同時に横から伸びてきた女の指が、13階を押した。
一瞬だけ彼女と視線が合ったが、曰く言い難い違和感だけを残して視線はそれた。
エレベータは上昇を開始する。
チューヤが1階を押したのに上昇したらおかしいが、同時に女が13階を押しているので、機械的に問題のある挙動とも思えない。
1階に降りたい体のチューヤは、なんとなくエレベータの奥に引っ込んだ。
「上がっている途中に別の階を押すと失敗する。やめるなら最後のチャンス」。
もちろん、いまさらやめるわけにはいかない。
エレベータが10階を超えた。
一瞬、空気が緊張した気がしたが、チューヤにはそれ以上の自覚症状はなかった。
……気のせいか?
視界に軽い違和感をおぼえつつ、体感重力の変動に身を任せる。
エレベータは11階に停止し、男が乗ってきた。一瞬、なんだ上かよ、とボヤいたが、背後で閉じるドアをわざわざ止めてまで出ようとはしなかった。
彼にも見覚えがある。……もしかして下郎さん?
思わず呼びかけようとしたが、他人の空似かもしれないと思って自重した。
12階で停止すると、こんどは少年が乗ってきた。
帽子を目深にかぶり、センスのわるいパーカーを着て、ポケットから懐中時計の鎖をのぞかせている。どこかで見たことがあるような少年だった。
彼はエレベータの中央まで進むと、そこに黙って立ち尽くした。
周囲が異世界なのか、リアルなのか、指標がない。
ともかく、いぜんとしてエレベータの挙動そのものに違和感はない。
最上階、13階で止まるエレベータ。
チューヤは一瞬考えたが、ここで降りてみようと思った──その眼前を、背の高いオカマがふさいだ。
弥生先生、と口にしかけて、押し返されるようにエレベータ内にもどされた。
身体は触れなかったが、チューヤの違和感はいよいよ頂点に達しつつあった。
弥生が、自分のほうを一瞥もしない。まったく知らない人間とでもいうかのような態度……ですらない。
あたかも彼という人間が存在しないかのような目線の動きだったのだ。
女も少年も降りる気配はなく、エレベータは下降をはじめる。
5人も乗ると、11人乗りとはいえ、エレベータはそれなりに狭く感じられた。
──つぎの瞬間、照明が点滅した。
それに合わせるように、がくん、がくがく、ががが、っという異音と振動。
数階分を自由落下の速度で落ちてから、なにかに引っかかるように止まった。
「なんだよ、おい。事故か? くっそ……!」
男が乱暴な口調で吐き捨て、壁を殴った。
その腕が、チューヤの身体を突き抜ける。
そこで、ようやく気づいた。
自分の「ボディが透明」であることに。
謎はすべて解けた。
わけではないが、状況は説明できた。
おそらく10階を超えた時点で、チューヤの身体は異次元の存在となった。
だから、その後乗り込んできた者はだれもチューヤを気にしなかったし、近すぎる位置に少年が立ったことも納得できる。
実体としてのチューヤは、この次元に存在しない。
「やっかいなことになってきたな。……ねえ、みなさん?」
あえて声をかけてみたが、案の定だれも反応しない。
当然だ。手で触れようとしてもすり抜けるくらいなのだから。
「くそ、どうなってやがる。警備を呼べ」
自分でやればよさそうなものだが、男は閉所恐怖症なのか、壁に手をついて自分を支える姿勢のまま動こうとしない。
パネルの近くに立っていた女は、おっくうそうに操作パネルの電話マークに手を伸ばし、長押し。
数秒後、スピーカーから呼び出し音。
瞬間、チューヤの電話が鳴った。
ハッとしてポケットに手を伸ばす。霊界電話はこんなとき便利だな、サアヤが目を覚ましたのか? いや、やっぱり頼りはケートだよな、などと思いながら出た瞬間。
「もしもし、こちら大久保のマンション月塔のエレベータ内なんですが、事故が起こりました。至急、対応をお願いします」
「……え? あの」
ポカーンとして、エレベータ内を見まわす。
パネル上のスピーカーホンに口を近づけ、女は苛立ったように、
「だから、こっちエレベータが落ちて、たいへんなことになってるんですよ。一刻も早く救助してください」
「ええと、聞こえますか?」
「聞こえますよ! とにかく救助を、早く!」
それだけ言って、女は不貞腐れたように壁に寄りかかった。
トントン、と携帯電話に触れる。ちょっとした雑音がエレベータのスピーカーから響いて、箱内の男女は軽く舌打ちした。
男が苛立ったように、チューヤに向かって中指を立ててくる。
一瞬おどろいてから、男が見ているのがエレベータの角についている監視カメラなのだと理解した。
通常、エレベータのエマージェンシーコールのつながるさきは、2パターンある。
そのビルに管理人室や警備室がある場合はそこに、ない場合は地域の緊急監視センターに直接。また、管理人室があったとしても不在などの場合、非常ボタンを押しつづけることでセンターにつながる契約になっていることが多い。
だが今回、つながったのはチューヤの携帯電話。謎の電波を通してのみ、エレベータ内の人々とコンタクトできる、ということらしい。
「俺、管理会社じゃないんだけど……」
「え? もっと大きな声で言ってください、なんです!?」
ケータイから口を離してしゃべると、どうやら聞こえないらしい。
あくまでもチューヤの声は、非常電話を通じてのみエレベータ内に届けられている。
「いや、そのですね。大至急、なんとかします。しばらくお待ちください」
そう言って、とりあえずケータイを保留にするチューヤ。
チッと露骨に舌打ちする女。
憎々しげに、再び監視カメラに中指を立てる男。
チューヤは救いを求めるように、さっきから黙って立っている弥生に視線を移し、さらなる違和感をおぼえた。
背の高いオカマ──たしかにそのステータスは弥生に重なるが、どうも印象がちがう。
店にいたときの黒い露出の多いドレスのような服装と、いま全身をぴっちり包み込んでいるベージュのロングコート姿は大きな差異ではあるが、それ以上に表情がすこし「薄い」気がした。
化粧で大きく変わる、という前提はもちろん理解しているが、それにしても。
──だれだ、このひと。
チューヤは結論した。彼女がだれかはわからないが、すくなくとも弥生ではない。
下郎だと思っていた男も、なんとなくそれらしくない。
だいたい、女の顔がミエコに見えることが、そもそもおかしい。彼女は100歳を超える老婆であり、ここにいる女はせいぜい40前後といったところだ。
少年についても、違和感だらけだ。
この顔、態度、アスペっぽさ、なによりポケットの鉄道時計、まさに幼い自分自身にみえないこともないが、だとしたら、ここはどこ、わたしはだれ?
──強さではなく、罪深さ。
榎戸の言葉が脳裏をよぎる。
かなりやっかいなゲームに巻き込まれたことだけは、どうやら確からしい。




