62 : Day -23 : Asagaya
「どしたんフユっち? なんかつらそーだねえ」
サアヤを横に置いているかぎり、それなりに満足そうなマフユであったが、彼女の内側を侵食しているもののおそろしさは、1ミリも揺るがない。
全身から、ビシビシと奇妙な音が聞こえてくる。
それがどんな理由で生じた音かはわからないが、すくなくとも生き物の身体から聞こえるべき音でないことだけは確かだ。
「あたしの身体はさ、もう人間じゃなくなってんだよ。女の子には気持ちわるいかもしんないからさ、そう思ったら遠慮なくどっか行ってくれ」
「なに言ってんの、フユっち! 私たち友達でしょ。友達見捨ててどっか行くとか、ありえんてぃーだから!」
カシャン、カシャン、カシャン。
なにかのシャッターが下りて、割り当てられている各機能が動作チェックする。
マフユの身体に、なにが起こっているのか。
「あらあら、困った子ね。だから例の手を奪ってこいと、あれほど言ったのに。そうすればわたしと同じものを、あなたの身体に埋め込んであげられたのよ?」
奥から姿を現したのは、巨体。
サアヤは一瞬、その正体を見誤ってから、再確認のため問いかける。
「も、もしかしてアサガヤ親子の……リホさん?」
「あーら、ご名答。アサガヤ親子をご存じなんて、あなた通ね?」
「うるせえ黙れ、フィリピーナ。……心配しなくても、待ってりゃもってくるよ」
疼痛があるらしい、脂汗を流しながら言うマフユ。
サアヤの回復魔法が、かろうじて痛みを和らげる。
──ここは最初から、境界に片足を突っ込んでいた。
店内の喧騒は、マフユたちが閉じこもるVIPルームまではあまり届かないが、すぐ外で悪魔たちが狂乱し、乱交し、発狂する、その嬌声と断末魔が交互に遠く響きわたるのを、サアヤもなんとなく察している。
LGBTの極楽にして、BDSMの地獄。
リホという女は、その重々しい身体を揺すってマフユに歩み寄り、突然、踏みつけた。
「ちょ、なにするんですか、リホさん!」
「ここで暴走されちゃ、かなわないんでね。……縛っておおき、コピーども」
「イー!」
部屋の隅から姿を現したふたりに、おどろいたのはサアヤだった。
チューヤがいれば、二度びっくりだろう。
遠い昔に倒したはずのキキ、そして先刻チューヤが倒したばかりの福森が、身体の半分を悪魔に乗っ取られた状態で、下僕として働かされていたからだ。
「残りのフロッピーディスクってやつか。だいぶ使い倒してやがんな」
吐き捨てるマフユ。
ケートの研究所から盗まれ、マフユが何枚か入手したものを、友人のキキにわたした。
彼女はそれを呑み込んで自分のコピーをつくり、夜魔キキーモラとして国津石神井高校の地下を支配していた──そんなこともあった。
もうひとりは、彼女の兄である老け顔の福森。
フロッピーディスクによってコピーされる、という顛末は同じらしい。
魔改造されて強化された凶鳥フケイの羽根をむしり、それでマフユの身体を壁に縫いつけていくキキ。悲鳴をあげる兄に頓着せず、作業をつづける。
もちろん彼らに、まともな精神、思考回路は残っていない。ただ従順に、主人の言葉だけを聞くようにしつけられている。
「さて、それじゃお嬢さん、ちょっと仕事を手伝ってもらいたいんだけど、よろしいかしら?」
リホの言葉に、自分を指さすサアヤ。
マフユは目を見開き、怒りを示す。
「ふざけんな、てめえ、それはあたしのだ。あたしのだぞ!」
「うるさいわね、べつにとって食やしないわよ。……安心なさい、たいせつなお客さまだもの」
リホはサアヤに視線を転じて、やさしく言う。
サアヤはしばらく考えたが、昭和の偉大の芸能人の誘いを断れるほど心がデキてはいない。
彼女は立ち上がると、努めて軽い口調で、
「だいじょぶだよ、フユっち。ちょっと行ってくるね」
そのままリホといっしょに部屋を出る。
「サアヤ!」
壁に縛られたマフユには、いやな予感しかしない……。
「おせえんだよ、チュースケ」
薄暗い室内、天井の通風孔から出てきた男に、マフユは吐き捨てるように言った。
忍者モードのチューヤは、静かにマフユに歩み寄りながら、
「サアヤみたいなこと言わないで。これでもダッシュできたんだから」
700メートルにおよぶアーケードは、いまや悪魔の捕食場だった。
阿佐ヶ谷駅と南阿佐ヶ谷駅は、阿佐ヶ谷パールセンターという商店街でつながっている。雨が降っても、このふたつの駅のあいだであれば、ほとんど濡れずに移動できる。
そこそこ強い敵も出現する、半境界化した阿佐ヶ谷パールセンターを、チューヤは最速で駆け抜けたと自負している。
「だれがダッシュで来いっつったよ、あたしはマッパで来いっつったんだよ」
「マッハだろ! マッパできたら逮捕されるわ!」
部屋の外の人影が動いた気配。あわてて声をひそめるチューヤ。
マフユを束縛する黒い羽根には、見覚えがあった。
どうやら例のフロッピーディスクで、何匹かの悪魔を復活させ、奴隷化させているようだという情報を共有する。
一枚ずつ、羽根をむしる。マフユの角質化した鱗のような皮膚を貫通するほど、悪魔の羽根には強い力がある。
「で、マフユはなんでサンダルフォンの足が欲しいんだ?」
「つええ力があるからだよ。そんくらいの力がないと、あたしのなかの力が、抑えられねえんだ……」
ピシピシピシッ、とマフユの内部から変な音が響いている。
どこまでも、彼女はおかしい。
「なにをしたんだ? おまえの身体……」
「コードネーム・ドラゴン。蛇の王だ……!」
「キキー!」
チューヤの背後に迫っていた敵を、マフユの腕が一撃で粉砕した。
ハッとしてふりかえったさき、じゅうぶんに中ボスで通用するレベルのキキーモラが、瞬殺されていた。
チューヤはゾッとして、マフユを顧みる。
南阿佐ヶ谷の店で見たときもそうだったが、マフユの強さはおかしい。どう考えてもチートだ。
アラハバキも、キュベレーも、マフユの力をもってすれば独力で打倒できるのではないか? 彼女に敵はいるのか?
そのくらい桁外れの強さには、もちろん強力なバックラッシュがひそんでいた。
力を解放すればするほど、コントロール不能の「暴走」のリスクが高まる。
どうやら、そういうことらしい。
「なんなんだよ、それ。渋谷んときのオーバードーズで懲りたんじゃなかったのか」
「むしろ学んだよ、中途半端がいちばん良くねえってな」
立ち上がるマフユの身体が、ふらりと揺れた。
支えようとするチューヤの腕に、マフユの指が食い込む。
「触んな。殺すぞ」
……キカイのカラダ。
チューヤの意識に、そんな言葉が浮かんできた。
マフユは侮蔑的に笑い、そのまま出口へ向かった。
彼女の冷たい皮膚の意味が、すこしだけ解き明かされた。
肉体全部が機械になっているわけではない、それはわかる。
そうでなければ、あんなにおいしそうにリョージの鍋を食うはずがない。
だが、部分的にキカイのカラダに置き換わっていることは、もはや疑う余地がない。
タイプRの肉体はそもそも別の姿に変身し、いわば「変態をモットーとしている」ようなところもあるが、機械はその一線を越えているようにも思われる。
サイバネティクスという単語は、人口に膾炙している。
機械と合体して強化された肉体をもつヒーローもいる。サイボーグと呼ばれる。
──彼女に「暴走」されたら困る、とリホは言っていた。
そのためにサアヤを人質にとっておいて、うまく使い倒してやろうという戦略を、彼女は立てていた。
だが、それは同時にサアヤに「説得」のチャンスも与えていた。
人間に対する影響力が皆無のチューヤとちがって、彼女は圧倒的人間力によって「ひとの心を変える」力がある。
彼女をだましたと言われている「むかしの知り合い」が、特別VIPルームには集まっていた。
そこにいたのは、ダイダラボッチの白泉校長や、ブラフマーの朴訥亭主。
なんとアラハバキは、彼らと並び立つ「原初神」なのである。さらにいえば、地母神キュベレーも……。
古い仲間として、このままク・バウ・アーが消え去るのは惜しい、新しい業態転換を模索するべきではないか。
「そんな話吹き込んだの、あんた方でしたか! よろしくないですな、まったく!」
中心に立つサアヤが、取り巻く原初神たちに対して説教をくれている。
チューヤがまず見たのは、そんなエキセントリックな光景だった。
「いや、われわれは良かれと思って……」
「お黙りなさい!」
サアヤの仲介によって、むかしの古い知り合いの正体が割れ、リホも正気をとりもどし、平和的な解決に向かって一歩を踏み出したようだ、と思われた──そのとき。
「ガァアァアーッ!」
先刻、南阿佐ヶ谷の店を破壊したのと同じ衝撃、しかもそれを何倍にもした破壊力が室内に猛烈な衝撃波を伝えた。
校長などの働きで、なんとかサアヤたちは守られたものの、彼らのレベルでは太刀打ちできない敵が迫っていた。
「あたしの……サアヤを……かえしてもらうぜ……」
ゆらり、と這いこんでくるマフユ。
──正気じゃない。
全員が直感していた。一同、ただちに臨戦態勢にはいり、全兵力をマフユに向けた。
戦いが、はじまった。
それは衝撃的で、短い戦いだった。
レベルが10以上、離れていると、たまにそういうことがある。
戦いにならないのだ。
そのレベルで、マフユは敵を蹴散らした。
自分のガーディアンであるはずのアラハバキを、みずから引きはがし、相手といっしょに殴りつけるという蛮行は、もはや彼女が「桁外れ」の状態にあることを認めざるを得ない。
アラハバキは強力な防御力で致命傷を避けたが、それでも甚大なダメージであることは明白だった。
反撃どころではない、防戦一方のアラハバキ側に、加勢せざるを得ないと判断した。
「やめろ、マフユ!」
まさか、アラハバキを倒すためではなく、守るためにこの力を行使することになるとは思わなかった。
そもそもキュベレーから依頼されていたのは、アラハバキを倒すことではなく説得することだったから、この選択はまちがいではない。
暴走するマフユをまえに、チューヤはキュベレーを中心とする悪魔たちの陣容を整えた。
一体、飛び抜けた能力をもつ悪魔を召喚することで、陣営としての強さは一段階以上、上がる。
その戦力なら、アラハバキに対しても勝てるはずだと踏んで、キュベレーと交渉した。
しかしまさかアラハバキを上まわる、マフユという悪魔に対峙して戦端を開くことになろうとは、想定の斜め上だ……。
「てめえ……どういうつもりだ」
マフユの肉体が、急速に「闇」に侵食されていく。
彼女の自我が保たれていると信じることは、もはやできない。
「退け。でなければ、戦う」
「上等だ……消してやんよ」
悪魔使いVS悪魔人間。
激突は数合。──ひかえめにいって、彼らは「本気」だった。
相手を殺すつもりで、本気を出さなければ自分が死んでいた。その自覚はある。
暴走マフユは、ことさらに容赦なかった。
すさまじい攻撃で、チューヤを殺そうとした。それはサアヤという女を奪い合う、古来連綿と人類史を彩る「女のための戦争」をほうふつさせた。
──こいつ、本気か。
「まずいな、これ……負ける」
チューヤという悪魔使いがここまで生きてこれたのは、彼の戦況判断が冷徹なまでに正確だからだ。
最初の印象を更新するまでもない、いまのマフユの強さは桁外れだ。
サアヤに盾になってもらう戦法を考えはじめざるを得ないかな、とチラッと思った瞬間、べつの解法に逢着した。
──キュベレー。なんだ、そのスキルは?
チューヤの召喚した場所で、キュベレーは小さな「キューブ」を弄んでいた。
キュベレー、キューブ、立方体。
いかなる連想が働いているのか、いまは追及している暇がない。
キュベレーは事実、チューヤたちよりも高レベルではあるが、相手はそれを上まわる……ようにみえる。
それでも誇り高き地母神キュベレーは、余裕をもって、つまらなそうに言った。
「幻獣を使いな。ア・バオ・ア・クゥだ」
言われるままキュベレーのスキルを駆動する。
瞬間、現れた透明な幻獣はマフユの足元に取り憑き、ぐるぐると回転しながらその頭上へむかう。
彼女は一瞬、ハッとしてなにかを振り払うしぐさをするが、ぬるりとすり抜けた幻獣は頭頂から抜けて消えた。
──マフユの暴走モードが解除された!
「どうなってんだ、これ」
重なるチューヤとマフユの傍白。
「ふん、伊達に長生きしちゃいないさね」
キュベレーは、にやりと笑った。
その神名は、古代メソポタミアの伝説的女王クババ(ク・バウ)につながるとされ、同じ土地には人類最古とされる神殿ギョベクリテペがある。
古典の系脈は深く連関し、それは未来へとつながる。
ドバイの観光名所アル・ワスル・プラザが意味するのは「つながり」。言語のないはるかな過去から、その地には豊かな人間生活があった。
アラビア半島が育てた人類の「出アフリカ」。
クババは、キューブ。
その象徴的な立方体は、宇宙の知恵だ。
サイバネティクスとは、キュベレーからつながる「知恵」のテクノロジーなのである。
それはあまりにも古い知恵だった。
いまはもう、新しい知恵に塗り替わっているようだが、キュベレーという古い神の名のもとに、その知恵は「情報」というみえない幻獣を使役した。
「サイバネティクス……?」
一見なんの関係もなさそうなワードが、ふしぎにつながっている。
とりあえずキュベレーは、サイバネティクスに干渉できる「固有スキル」を有するようだった。
どうやらサイバネティクスで駆動されていたらしいマフユのステータスが、いろいろな意味で「解除」される。
暴走は解けたが、能力そのものはあまり変わらない。
──戦闘再開。
キュベレーのおかげで、どうにか「戦える」程度にレベルの差は埋まった。
だが、手加減できない。マフユを殺さなければならない。あるいは自分が死ぬかだ。
チューヤはこの戦闘の意味を、正確に理解しなければならなかった。
数ターン後、蛇の王は、ゆっくりと後退した。
互いのダメージが、ある程度、蓄積されていた。──このまま戦えば、どちらかが死ぬ。
最初からわかっていたことだが、その戦いを避ける最後の権利を有し、ぎりぎりで行使したのは、マフユだった。
「サアヤに免じて、きょうのところは見逃してやんよ。だが、つぎはねえぞ、チューヤ。もしまた、あたしのまえに立ったら……殺すからな」
ドラゴンが舞い上がる。
もてあました身体を狂わせていい犠牲者を探して、北へ。
瀕死のリホから、サンダルフォンの足を引き抜いた。
マフユがこれをあきらめたことの意味はよくわからなかったが、やらなければならないことは理解していた。
いつのまにか店のまえに立っていた唐沢に足を引きわたし、チューヤはサアヤとともに南へ向かった。
ストックからキュベレーの姿は消えていた。
もちろん合体などできるはずもなく、レベルを上げて再会を果たすか、あるいは。
「ママは帰宅したよ」
ク・バウ・アーの店に残って、掃除をしていた男が言った。
チューヤは眉根を寄せ、短く反問する。
「え、どちらに?」
「あんたに関係ないだろ。若造、ママは男がきらいなんだよ、若くても年寄りでもね。……もしママに好かれたいなら、方法はあるよ」
果物ナイフを手に、にやり、と不気味に笑う男。
彼は男なのに……ここにいる全員、男のように見えるのに、おそらく彼らは男ではない。
チューヤは相手が笑顔なので、なるべく自分も笑顔をつくりながら、論理的にその結論を拒絶して身を引いた。
そちらの世界に踏み出すつもりは、さすがになかった。
ぽつねんと放り出される、南阿佐ヶ谷。
気がつけば、境界化は晴れている。
方途を失した男の夜が更ける。




