05 : Day -27 : Naka-okachimachi
諸般の事情で、ウサコを連れて仲御徒町を歩くことになったチューヤ。
マフユへは怒りしかないが、ともかくウサコに罪はない……こともない可能性は、まだ捨てきれていない。
ぶざまに反語を重ねるほど、めずらしい状況にチューヤは混乱していた。
「おい、あんまりウロつくなよ」
マフユから与えられた首輪をつかんで、チューヤは言った。
当初、人間に首輪をつけて連れ歩くなど人権に対する侵害であろう、などと義憤に駆られたものだったが、実用上、そうしたほうがいいことに気づいた。
ウサコはすぐにふらふらと、見当違いの方向に歩き出す。
確信犯的サアヤといったところがあり、隙をみて逃げ出そうという本能的な衝動があるようだった。
手をつないで歩くという手もあったが、気恥ずかしい。
そこでしかたなく、マフユーの与えたチョーカーのような紐をもった。
その紐だけには、ウサコもすなおにつながれていた。
あらためて、ウサコの全身を眺める。
身長136センチ。五反田のモナほどではないが、かなり小さな生き物だ。
中学生だが、とっくに成長は止まったという。
典型的な育児放棄の家庭で、食べ物は自分で探せ、というロールプレイングのような生活をしていた。
黒目が大きく、きょろきょろと動く。いつも小さくふるえている。
髪の毛は脱色しきって、パサついて、ほとんど白くなっているが、生え際だけは黒い。
手首にはリスカの跡。ためらい傷などではなく、きっちりと盛り上がった、本気で肉をえぐった跡だ。
じっさい肉食動物たちに食われてきたのだから、生半可な傷で済むわけがない、とチューヤは徐々に知っていくことになる。
──ヤクザが組ぐるみで運営する、未成年監禁風俗。
かつては本職が、そんな簡単に足がつくようなゴトを踏むはずがなかった。
脅しのために組関係を騙る連中のしわざであることがほとんどだったが、暴対法などにより追い詰められたヤクザは、いよいよリスクの高いゴトに手を染めつつある。
マフユにとっては敵対組織で運営されていた、裏風俗。
そこから逃げ出して、とっとと遠くに逃げればいいものを、荒川の河川敷でウサギにエサなどやっているから、殺されそうになる。
マフユがいなければ死んでいただろうが、おかげでマフユはまたしても組織内外で命を狙われる立場に追い込まれた。
それで助け甲斐があったならまだしも、知障のウサコの態度、言動はあきらかに「足手まとい」すぎた。
殺されればよかったんだ、と思いながらチューヤに押しつけた、というのが昨夜からのマフユの顛末のようだった。
「……どした?」
チューヤの背後に、ぴたりと隠れるウサコ。
周囲を見まわす。
火曜日の早朝、歩いているのは通勤通学のサラリーマンと学生、開店の早い商店のスタッフくらいのものだが。
商店街から、ややはいった通りの看板に、チューヤは見覚えがあった。
「そーいやオヤジ、上野方面の事件にまわされたって聞いたな」
場合によっては、どこかで顔を合わせる可能性もある。
そもそもウサコを知り合いのところに届ける程度、マフユがやればよさそうなものだが。
──AKVN関係に、必要以上に近寄れねえんだよ、いまはな。
らしい。先週末、やんちゃしすぎた結果だろう。
チューヤはあらためて周囲を見まわし、考える。
このあたりにAKVN関連の施設があるということだろうか?
警察が動くに値する証拠も、いくつか残されているらしい。
どうするか、このさきの行動を躊躇した一瞬に、状況は劇的に変転した。
「わたしの、つばさ、しりません、か」
そんな声が上から聞こえた直後、ぐしゃっ、と目のまえでつぶれる少女。
硬直するチューヤに、点々と返り血。
──飛び降り。
見上げれば、十数階のビル群。
飛び降りたのは、どうやらホテルからだ。
チューヤの視界の周囲にも、呆然と少女の死体を見下ろしている人々が数名。
ほどなく響きわたる悲鳴、絶叫、怒号、喧騒、やじ馬たちのエトセトラ。
助けようと一歩を踏み出したチューヤは、すぐに無駄だと気づく。
首が反対方向に曲がり、耳からは最近じっくり見たばかりの豆腐のような白い脳みそがはみ出している。
つま先に当たる砕けた骨の破片は、もともとつながっていた首の骨らしい。それが飛び出した穴からは、とくとくと髄液と脳漿があふれている。
出血は当初、それほど多くないように見えたが、静かに広がる血溜まりは際限なく側溝に滴っている。
どの要素をとってみても、生存の可能性はない。
119番しようと電話を取り出し、近くにいただれかがとっくに呼んでいるらしいことに気づいた。
必要なのは、むしろ110番であろうが。
それよりイラついたのは、多くのひとが死体にカメラを向けていることだ。
しかし、もっと重要なことに気づいて、チューヤはハッとしてふりかえった。
そこに、ウサコの姿はない。
思わず首輪の紐を手放してしまってから、数十秒と経ってはいないのに。
やっかいなことになってきた──。
同時刻、チューヤの父・中谷は、老人の変死体をまえに「仕事中」だった。
「おい、これ」
新たに配属された見習いに、温度計をわたす。
警察学校で習ったことをやれ。見習いはごくりと息を呑む。
やるべきことは理解している。
検死のさいには、まず直腸温度を測らなければならない。
死後硬直がはじまっており、なかなか足が開かなかった。70歳を過ぎた男性。痩せているが関節が固まって動かなくなっている。
とっくに検死ははじまっている。
遺体を調べた結果は、つぎつぎと調書に記載されていく。
──肛門に温度計が届かない。
鑑識の先輩から声がかかる。
「何度だ?」
「すいません、もうすこしなんですが」
「もういい」
先輩の鑑識が温度計をとりあげる。
遺体の臀部と大腿部に体重をかけて、よっ、と力を込める。
あっという間の出来事だった。
「仕事だぞ。ホトケさんに遠慮してどうする。怖いのか?」
新入りは悔しそうにうつむく。
だれでも、最初はこんなものだ。
むしろ死体にもヤクザにも、最初からあまり恐怖を抱かないタイプのほうが特殊だろう。
中谷はなぜか思い浮かんだ顔に、内心苦虫を噛みつぶした。新入りはそれを自分に対する非難と受け取り、勝手に恐縮している。
──怖い顔をすれば恐怖を感じるべきだ、と理解はしているらしい。
それでも表情のない死体を恐れる気配はないし、笑っていれば幽霊でも友好的になる。
アンタんとこの息子は、ほんとに変な子だよ、だれに似たのかな、と隣の家の女の子から指摘を受けたこともある。
たしかに、考えてみれば変な息子だ。だれに似たんだろう……。
ふところで電話が鳴って、中谷は軽く右手を挙げて部屋を出た。
表示は、まさにその息子からだった。
「仕事中だ」
「だろうね。いまどこ? ああ、じゃあ近くだ。サイレン聞こえるからね」
中谷は周囲に視線を走らせながら、
「おい、おまえも近くか。……学校はどうした」
「くだらんことは言いっこなしで。すぐ呼ばれるんじゃないかな、こっちの現場検証」
眉根を寄せる中谷。
息子が事件を起こしたか、すくなくとも関与していることを予想するが、口ぶりの落ち着きようからはそうとも思えない。
「なにがあった?」
「なんもやってねーよ、俺は。信じなくてもいいけど、ほんと偶然、飛び降り自殺の現場に居合わせた。目のまえにドチャッ。脳みそ出てた。……それよりさ、訊きたいことあるんだ」
従前であれば仕事中だと怒って叩き切るところだが、息子の「調査」能力が役に立っている事実は否めない。
しかたなく手短に用件を取り交わす。
「……ああ、そのまえに……そうだ。なんだと……外資系製薬会社? ほう、なるほど。いや、調べておく。ノバテラスとソンブレロ……ああ、わかった。AKV……? いや、そちらは別件だろう。……手配情報? 本庁のサイトで調べろよ。……わかったわかった。その名前は……ないな。いや、それどころじゃないんだよ。とくに今夜の上野はな」
だいぶ核心に切り込む質問もあったが、守秘義務の解釈を弾力的に運用して切り抜けた。
通話を切った瞬間、本庁から入電。
関連が疑われるため、仲御徒町の飛び降り自殺現場に向かえということだ。
どうやら今夜を待たず、上野に血の雨が降りはじめたらしい……。
上野には、世界に誇る動物園がある。
出入り口は3か所。上野公園内の表門、弁天門、そして池之端門だ。
そのどこも使わず園内にいるということは、スタッフ用の通用門を使ったか、あるいは。
「しかし空いてんな、平日ってこんなもんか?」
斜め前方を行くマフユに、チューヤは膝の泥を払いながら言った。
「あんたさっき壁乗り越えたよね? 休みに決まってるでしょ!」
上野動物園の定休日は月曜だが、月曜が祝日の場合は火曜が休みになる。
そこへ、棒高跳びで派手に潜入したマフユと、その棒がテコの原理で跳ね上がるのにつかまって、あとを追ったチューヤの大泥棒ふう活劇については、それ以上語ることもない。
両手をポケットに突っ込みながら、あたりを見まわすマフユ。
「で、サアヤは?」
「あんた学校って知ってる!? まがりなりにも高校生でしょ」
「おまえが言うな」
「ですよね!」
マフユを呼んだのは、チューヤとしては不可避的かつ妥当な選択肢であったと考える。
そもそもウサコをチューヤの小屋に投げ込んでいったのはマフユだ。
チューヤは善管(善良な管理者の注意)義務の範疇で面倒をみていたが逃げられた。
その責任をまっとうするためには、本来の保護者であるマフユの協力が必要である。
「しかし、ほんとに手配されてねーんだろうな?」
いぶかしげに問うマフユに、
「すくなくとも第六方面と組対は動いてないよ。てか、手配されるようなことしたの?」
「してないとでも思ってたのか」
堂々と言い放つマフユに、チューヤは短く嘆息した。
「質問がわるかったな。どんなことしたの?」
「バレたら警察が追いかけるよーなことだよ。少女売春、人身売買……つまりバレてねーってことか」
「いまのところね! ……けど気をつけろよ。今夜から派手な手入れ、あるらしいぞ」
これをマフユに告げることが、どの程度、警察にとって都合がわるいかはわからない。
しかしすくなくともチューヤは、親の勤務先よりは、自分の所属する部活をとる。
「ふうん、今夜か。まあロキ兄なら平気だろ。……で、もめんこ、ほんとにこんなところにいんのか?」
「家出娘が上野公園に多いのは知られてるけど、動物園内に忍び込んでいる派閥がいるって話は、さっき聞いた。で、調べてみたら搬入搬出専用門の近くの鉄柵が曲がってて、はいりこめそうな穴を見つけた。ウサコちゃんが着てた服の切れっ端もみつけた。以上、状況証拠はそろったと考える」
鉄柵が曲がっているといっても、そのむこうはすぐ建物になっていて、よほど小さな子どもでもないかぎりはいれないし、そもそも子どもがはいれないようにコンパネで覆われてもいた。
それを小器用にめくる知恵と、小さい身体というアドバンテージがそろって、はじめて利用可能な侵入経路だ。
そもそも広大な動物園であるし、美術館のように換金性の高い高価な品物があるわけでもないので、警備はそれほど厳重ではない。
木登りができれば、侵入すること自体はそうむずかしくもないのが実情だ。
「しかたねーな。探すの手伝ってやるから感謝しろよ」
「感謝してほしいのはこっちだよ! ……しかし考えてみれば、おまえとこうしてふたりで行動するってのも、あんまりないよな」
先週の中野を例外として、これまでマフユとパーティを組んだことはあるにはあるが、必ず中間にサアヤという接着剤がまとわりついていた。
サアヤがいない、ということがめずらしいだけ、ともいえる。
「ゾッとしねーな。呼べよサアヤ。いや呼ぶな」
呼んでほしいのはやまやまだが、ウサコのことがバレるのは避けたいらしい。
その背後に広がる少女売春と人身売買の闇は、たしかにサアヤにはちとキツイだろう。
「で、捕まえてどうするんだよ?」
自販機で買った缶コーヒーを差し出しながら言うチューヤ。
一瞬で餌付けされそうになるが、マフユはすぐにチューヤを軽く睨んで、
「言っておくが、あたしはてめーのことが、あのクソチビのつぎに大きらいだからな」
「どういう意味だよ!? 巻き込まれてんの、こっちなんですけど? 協力いらないなら帰るよ、俺!」
突っ込むチューヤをしばらく眺めてから、マフユは満足そうにコーヒーを受け取った。
「あちちっ! コーヒーもいいが、量が少ねーんだよな。こんなんじゃ動作温度に足んねーんだよ」
「腐っても恒温動物だろおまえ。別の方法で体温上げろよ」
「はしゃげってか。……ふん、動物園なんて100年ぶりくらいだな、おい」
「妖怪かおまえは。言っとくが遊びにきたわけじゃないからな」
ただでさえ閑散とする平日の動物園、しかも本日は休園日。
捜索はつづく。




