45 : Day -24 : Komazawa-daigaku
まず向かったのは屋上。
そこではホルスたちが呪詛返しの結界を守って、静かに待っていた。
スルトの血に浸した魔術回路をわたすと、ホルスは高く舞い上がり、空間を縫い返す術式を執行した。
ぺりぺりと空間が剥がされてゆき、解放が近く感じられるが、まだ最後の1枚が頑強に呪詛を守っている。
周囲の地獄は、すでに取り返しがつかないレベルだ。
一部、Gクラスや演劇部の有志が正気をとりもどし、解放を待っているが、大きな流れを変えるまでには至っていない。
チューヤはナナたちに、ここで生き抜くことを求めた。永劫回帰から抜けたところで、死んでいては話にならない。
「……頼むな、ホルス」
「行け、悪魔使い。時間は残り少ないぞ」
言われるまでもない。
たった一度の人生を、とりもどすのだ。
「で、どこ行くの、チューヤ?」
さきにたって迷いなく進む彼の背中に見飽きたサアヤは、あくびを漏らしながら問うた。
「困ったときは来いって言われたろ。まったく、これほど困っているときはないくらい、俺たちは困っている。相談に行かなきゃな」
「ふーん。まあ、なんでもいいからさっさと終わらせてつかーさいでがんす、ふんがー」
怪物じみた体力のチューヤにもたれるように、自動的にあとをついて歩くサアヤにうながされるまでもなく、ほどなくたどり着いたのは──校長室。
状況は、あきらかに彼らをこの場所へ導いていた。
どこかで聞いたことのあるBGMが、室内から漏れ聞こえる。
いくつかの予断を立てるのにじゅうぶんな情報だ。
何度かのノックは無視された。勝手にはいれ、という意味だろうと勝手に解釈し、ドアを開けた。
──壮大な歴史ロマンを背景に、井部校長は立っていた。
両手を開き、窓の外へ向けて、祈りをささげている。
BGMは、アザーン。
「イスラームか」
チューヤたちは校長室の端に立って、しばし黙然と彼の背中を見つめた。
一見、アラブ人らしさがほとんどなく、名前も純日本人だったが、日本人にもムスリムはそれなりに存在する。
むしろ多文化共生主義という錦の御旗の下、多様な文化・宗教に根差した教育者の普及が推進されている。
……とはいえ、この時間に礼拝するのは、おかしくないか?
にわかムスリムだったこともあるチューヤは、慎重に考察を進めた。
ムスリムには1日5回、メッカの方向に礼拝する義務がある。
夜明け、正午過ぎ、遅い午後、日没後、夜の就寝前の5回で、詳細な時刻は居住者の地域における太陽の出没条件で規定される。
この時間に祈るのは、どれだろう?
きょうは金曜だから、特別な礼拝だろうか?
たしか金曜はイスラームにとって重要な日で、男性は、正午の祈りは必ずモスクに行くべきとかなんとか……。
校長は窓の外に向かい、静かに頭を下げた。
それがあまりにも日本人的だったので、すこし鼻白んだほどだった。
「日の出にむかってお祈りかな。ナンマンダブナンマンダブ」
隣でハエのように手をするサアヤの仏教徒っぷりに、チューヤは謎の感慨をおぼえた。
校長室の窓の外は明るいが、すべて街灯の光だ。
日の出まで、まだ1時間以上ある。だが、校長の向かっている方向から太陽が出てくることも、また事実のように思われる。
日の出の遥拝。
日本各地、紀元前から、とくに年四回、春分や冬至など太陽の位置に対して祈りを捧げ、みずからの立ち位置をも確認する作業であったとされる、太陽崇拝。
日ノ本の民族である日本人として共感すべき所作だと思われたが、いかんせんBGMが異民族すぎる。
これは日本人の春分光遥拝などの儀式とはあきらかに異なる──サラートだ。
そのとき、ようやく校長がくるりとふりかえって、チューヤたちを見た。
この時点で、彼が敬虔なイスラームであると信じることは……できない。
「神は偉大なり。たしか、イスラームの礼拝のときにかかる呼びかけですよね」
最初の呼びかけはチューヤから。慎重に言葉を選ぶ。
校長はうなずきながら、
「よく知っているね」
「ええ、まあ、一時イスラームだったこともあるので。アッラーフ・アクバル」
意外に流暢なアラビア語に近い発音に、ぴくり、と反応する校長。
イスラームは、改宗してくる者に対してはおそろしく寛容だが、改宗して去る者に対しては「死刑」ということになっている。
「棄教者か。その意味は知っているかね?」
「安心してください、赦してもらいましたよ」
まことアッラーはよく赦したもう心の広いカミサマである、と主張する破戒僧によれば、ご利用ありがとうございましたまたのご契約をお待ちしております、ということになるらしい。
狭量な人間はとかく棄教者を殺したがるが、そんなバカげた原理主義を奉じる愚かな人間のほうこそ天罰を受けるべきだ、と言い放ったウラマーの教えにしたがって入信し、棄教したのはいつのことだっただろう。
「校長先生がムスリムだとは知りませんでした」
「さあ、どうかな。私の祈りのやり方は、一般的なムスリムとは異なるからね。外見もほら、日本人と変わらない」
一般的なムスリムの服装としては、肌の露出を少なくすること、頭からすっぽりとかぶるガラベイヤ、男性用の帽子タギーヤなどが知られている。
だが校長は、ごく一般的な日本の社会人の多くが身を包む戦闘服「背広」だ。
「いや、そういうゆりーイスラームの知り合いもいるので、とくに違和感はないですけど」
風俗と女の子が大好きなウラマー、トルコの破戒僧は現在、神学機構から指名手配されていると聞いている。
「ゆるい、か。日本はそういうところがあるね。良きにつけ悪しきにつけ」
「……そうですね。あなたのような校長も、わが国にはめずらしくない時代になってきました」
皮肉のエッセンスをにじませたつもりだが、成功したかどうかはわからない。
サアヤのボケのほうが、鋭く皮相的のようにも思われる。
「むしろ私はおどろいたよ、校長のくせに着ぐるみ着てないんだもん」
「サアヤさん、それは……」
「ははは。個性的な教育者というものは、個性的な生徒を育むもののようだな」
笑う井部。どうやら国石高校の校長のアクマダモン・スタイルについて、一応知ってはいるようだ。もちろん真似するつもりはないだろう。
そこで、あいさつ代わりのボケ合戦は、終止符を打った。
表情を引き締め、見つめ合う両者。
井部校長は、いよいよみずからのガーディアンを隠すつもりをなくしたようだった。
静かにチューヤを見つめ、悪魔相関プログラムの解析に身を任せる。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
イブリース/大魔王/C/7世紀/アラビア半島/コーラン/学芸大学
三匹目の魔王。
その正体を速やかに明かした事実に対して、チューヤたちは冷静に判断しなければならない。
まず校長は、当然のようにチューヤたちへの追求から話柄を切った。
校長にとって、他校の生徒である彼らが、柿の木坂高校をいいように蹂躙しているのではないか? という見方も、当然にありうる。
「きみたちは、わが校の教師たちを殺している。それがどういうことか、わかるか?」
「……やつらは、それに値することをした。俺たちは帳尻を合わせただけだ」
好きな論法ではなかったが、チューヤは正面から言い放った。
弱みは見せられない。……だが、弱みとはなんだ?
すると校長は、けらけらと笑って拍手までした。
奇妙な流れになってきている、という自覚を受け流しつつ、チューヤは脳細胞を叱咤する。
「そうだ、そのとおり。きみたちは理解している、キサースというものを」
「キスなんかしたことないよね、チキンのチューヤは」
「ちょっと黙って、サアヤさん。……キサースって、ええと、たしか」
一般の日本人がそれを知っている蓋然性は低いのだが、チューヤには小耳にはさむだけの背景がある。
このことは、かなり重要な契機だ。
彼の父親の仕事に関係するが、そもそも全人類が希求する「安全」に根差すもの。
治安のため、殺人者を野放しにしておくことは、いかなる社会においても許されない。問題はそのつぎの段階、いかにして殺人者に対処するかだ。
そこで事実、ほとんどの場合に採用される手段が、「応報」である。
人類史はほぼ、その色に塗り上げられていると言ってもいい。
政体や宗教によって微妙に異なりはするが、たとえばイスラーム世界においては、キサースという概念がそれにあたる。
「同害報復。現在は少数派になってしまったが、日本にもかつてはあったはずだ」
「……仇討か」
厳密には同じものではないが、やられたらやり返す、という考え方は共通している。
イスラームにある概念、同害報復のキサースには、きわめて重要な示唆がある。
現在、犯罪者に対して世界的には「死刑反対」「責任能力」「更生プログラム」といった法理が幅を利かせているが、近代ヨーロッパが到達したこの考え方を分析すると、ひとつの背景が浮かび上がってくる。
先制攻撃を容認する姿勢だ。
失敗したひとを赦してあげよう、再起を助けてあげよう、という言い方に代表的される考え方で、もちろん正しい部分を多分に含んでいる。
……さて、悪魔は、ひとつの虚偽を信じさせるために、真実の衣で包む。
このロジックにおいて悪魔が喜ぶのは、どの部分か。
それは「さきに攻撃する側にとって都合がいい」ことだ。
だれが悪魔と呼ばれるべきかは、例のごとく「立場によって」変わる。
あらゆる聖なる教えも、異教徒にとっては悪魔の所業だ。
そうして「先制攻撃をくりかえし」「莫大な利益を得た」のは、だれか。
なぜ現代法理が、「先制攻撃者に甘く」組み立てられているのか。
すべての答えは、歴史のなかにある。
……ほとんどつねに先制攻撃者であった白人にとって、先制攻撃に寛容でいてもらうことほど、都合のよい話はない。
そう、つまり、そういうことなのだ。
日本はさきに真珠湾を攻撃したことを理由に破滅したが、理屈としてはきわめて例外的である。
先制攻撃をしまくり、絶望的に世界地図を塗り替えた民族が、現在、ヘゲモニーを取っていることの意味を、よく考えなければならない。
彼らの支配に追随した有色人種国家、日本。
出る杭として打たれ、殺した数倍の大虐殺を受けながら、ろくに文句も言えない。
大きな歴史の流れのなかで、やむをえない部分はもちろんあった。
白人国家でなかったこと、ドイツとの因縁、不幸な偶然……。
しかし結局のところ、苛烈をきわめた白人国家同士の闘争に巻き込まれ、勝ち馬に乗るか、反るかの問題だった。
多くの人々が真摯に考察する「史実」において、日本史にとっては重要な分岐点であったかもしれないが、正味、世界史的にはたいした話ではない。
「そう、たいした話ではないのだ、極東の果て、日本がどうこうなど」
校長は言った。
彼がより「たいしたこと」をどの場所に措定したいのか、察するところはあるが、とりあえずチューヤの島国根性は相手の話に乗っかっておくことを良しとした。
「そりゃ日本ごときの話は、たいした話じゃないでしょうよ」
「ここ日本だけどね……」
憮然とするサアヤ。彼女の態度が、日本人としてはまっとうだ。
校長は両手を広げ、まるで授業のように語る。
「世界を俯瞰する視点をもちたまえ。日本を軽んじることは、キリスト教会を弾劾することにつながる」
「あらまあ画期的」
この「世界史」という概念にも、ヨーロッパ史観などいろいろと問題はあるのだが、なかでも重要なのがイスラーム圏に対する意識的なパッシングだろう。
日本を軽んじる、という言い方は極端だが、要するに日本が採用した明治維新のプロトコルにともなう問題点への指摘が、キリスト教史観に沿った欧米の「やり口」に対する非難に重なる、ということだ。
校長は、一歩を踏み出した。彼の念慮は、奈辺にあるか。
「われわれの側につけ。神学機構は欺瞞に満ちている。キリスト教圏が主張する主導的立場に根拠はない。人類のパワー・ポリティクス、そのプレゼンスは塗り替えられる」
世界がねじれてきた。
ぐにゃあ、という変な擬音を遠くに聞きながら、チューヤはなんとかノンポリの自分の立場を思い出す。
「なるほど、そういうことか。神学機構の内輪もめに、巻き込みたいんだな。だが断る」
「愚かな。世界はワン・ワールドへとむかっている、この流れは変わらない。ブロック化という反動にさらされつづけてはいるが、遅かれ早かれ、向き合わなければならないねじれなのだ」
三つの大学駅が描く、ねじれない三角形の中心で、教育改革をさけぶ悪魔。
なかなか象徴的な大学闘争だな、と薄っぺらな高校生は思ってみた。
チューヤとサアヤは、つとめて距離を置くみずからの立ち位置を闡明した。
「速やかな大学教育の改革が求められるね」
「けど高校生までは、もっとぬるま湯でいいよね」
「いいや、まずはきみたちが変わるのだ。世界を変えるために。主人公は、きみたちなのだ」
大仰に首を振り、相手を指さす校長。
教育の問題は非常にむずかしいが、ここは学校であり、教育者としては言わねばならないこともある。
未来を担う彼らこそが、より重要な社会問題、歴史問題について真摯に考えなければならない。
だれかの都合に合わせた歴史教育ではなく、人類史、地球史に位置づけられる普遍的価値をもった歴史の構築は、学者・研究者たちにとって永遠の夢である。
そのなかで、キリスト教史観への疑問が多いのは、歴史的に彼らがやらかしたことを考えれば当然ではあるのだが、だからといってイスラームが正しいわけでも、日本が正義なわけでもない。
──「校長」が舞台に登場すると、どうやら白熱教室も真っ盛りになりがちらしいな。
チューヤはそんなことを考えながら、この流れの落としどころを予想しようとして失敗した。
結局、流れを決める主導権は、校長にある。
「さて、ところで、きみたちに相談がある」
チューヤは警戒心も新たに、このいい声をしたダンディな初老の男を凝視した。
「相談に来たのは俺たちなんですが、一応、聞きましょう」
悪魔相関プログラムを起動し、戦闘開始に対応できる準備を整える。
校長は、しかしわずかも戦意を示すことなく、悠揚迫らず言った。
「きみたちの目的は、理解している。協力してもいい」
「……は?」
「三匹目の魔王を倒し、柿の木坂高校を無限ループから解き放つ。……だろう?」
どうやらこの流れは、想定の範囲内らしい──。




