44 : Day -24 : Toritsu-daigaku
「やんなきゃ意味ないよ!」
叫ぶ須藤。それは象徴的な「体育教師」の言葉。
生徒たちがスクラムを組み、人間の壁となる。
ここは体育会系の巷。
竹刀をふりまわす須藤の動きにしたがって、嘆きの壁が生徒たちを圧死せしめていく。
「……いきなりプラン崩壊かよ!」
前後左右、Gクラスは敵で満ちている。
チューヤたちにとってみれば、半包囲陣形に引きずり込まれた形に近い。
仲間たちが立てた「各個撃破」の戦術は、早々に破綻していた。
「戦争の流れを知っているのは、おまえらだけじゃねーんだよ。どんな手を使っても、勝たなきゃ意味がねえんだ。……田胡のバカがやられた時点で、シナリオ変更は織り込み済みなんだよォオ」
体育会系とはいえ、あながちバカではない。
むしろチューヤたちの側が、この流れを覚悟しておくべきだった。
たしかにチューヤが、三匹の魔王が手を取り合って共同戦線を張ることはないだろう、と予測したところまでは正しかった。
だが、味方ではないが敵でもない、並び立つ魔王の一角が崩れた時点で、戦略を変更するのは合理的判断だ。
「ごめんなさい、チューヤくん。ごめんなさい」
はるか後方から、ナナが謝っている。
後方支持線を担当していたガーディアン、八百屋お七を中心とするレッドラインが切れつつあった。
ナナたちの戦線が切れれば、いよいよチューヤは孤立する。
袋叩きのパターンだ。
「どうすんの、チューヤ。魔王と1対1ならともかく、多勢に無勢すぎるよ」
「こんなときのための交渉だろ。悪魔使いは戦うばっかじゃないんだよ」
トークを選択するが、もちろん「話にならない」!
予想はしていたが、結果は露骨だった。
サアヤはなかば呆れて、
「話し合いで解決とか悠長な妄言は、状況を判断してから言ったほうがいいね」
「サアヤさんに言われるとさすがに萎えるよ。……目ェ覚ませ、おまえらだって最初から、そんなじゃなかったはずだ! わかるだろ、どっちが正しくて、どっちがまちがってるか」
もう一度、説得を試みるチューヤ。
数人の男子生徒の動きが止まっただけで、ほとんどの生徒の表情は変わらない。
そもそもチューヤは、人間の心に訴えかける能力に欠けている。
残念そうにため息を漏らすサアヤ。
チューヤはこれ以上、傷口が広がるまえに「切り札」を切ることにした。
たしかにチューヤに人間を説得するスキルはない。が、その能力に長ける本物の「指導者」がいることも、また事実だ。
決定的なキーパーソンを呼び出すべく、悪魔を召喚するプログラムが走り出す。
「頼む、ドーモさん、力を貸してくれ!」
ピクリ、と須藤の眉が跳ねた。
チューヤの召喚枠に、一匹の妖魔の姿が現れる。
「あ、さっきの……」
「ドーモ、ドーモ」
召喚されたドモヴォーイは、さきほど洗足池で別れたばかりのドーモさんの姿をほうふつさせつつ、戦場に立った。
ハッとする須藤。
須藤と、ドーモさんこと土井の関係を、チューヤも短く聞き知っていた。
同じ体育大学の出身で、むかしの「恩師」であるという関係が、ドーモさんが須藤の犯罪について知りえた根拠にもなっている。
「大先輩……っ!」
数人の生徒が、ドーモさんを見て背筋を伸ばした。
犯罪者が欲望まみれで、ヤクザが怠惰なクソ野郎ばかりという考え方は、正しくない。
ヤクザほど上下規律を重視し、厳格な支配体制に随順する組織はないからだ。
だからこそ、同じ規律にしたがう別の価値観、警察との対立項となりうる。
ドーモさんから須藤にかけての体育会ラインは、それほど頑強というわけではなかったが、心ある者らが身内の不行跡に心を痛め、どうにか正そうとする程度には、自浄作用を保っていた。
ことあるごとに、須藤に訓戒を垂れていたドーモさんだったが、結局のところ彼の悪事はやむことはなかった。
こうなれば警察沙汰にでもなんでもして、膿を出し切る必要があると考えたのだが。
「永劫回帰の欲望の巷に逃げ込むとはな。正義の裁きのために、正しい手順を踏もうとする心ある若者もいるというのに」
ドーモは言った。
原付2ケツ程度のわるさはするが、重大犯罪を司法によって裁いてもらおうとするホーヤの考え方は、法治国家にとって尊敬に値する。
若者たちの心が、大先輩に流れつつあることを察して、須藤は手綱を引き締める。
「てめえら、ここがどこか忘れてねえだろうな!? 欲望を解放しろ、どうせ永遠にくりかえしだ! 欲望こそが、つねに正しいんだよ。だから、おれの言うことを聞け!」
論理が若干ねじれていることに、ほとんどの被洗脳者は気づかない。
チューヤはドーモさんが変えてくれた流れに乗って、重要な情報をリークする。
「これを見ろ! タイムループは終わる。これが最後の金曜だ、明日には土曜がくる、正しい選択をしろ!」
悪魔使いとしてチューヤが提示した魔術回路は、ドーモさんの裏書を得て契約上の書式を満たしている。
あとは須藤の血で、発効させればいい。
うなずくドーモさん。ざわめく生徒たち。この狂気の夜が終わるとすれば……。
「道を踏み誤ったな、須藤。おまえは終わりだ。生徒たち、やつの言葉にしたがうな。こいつは、まちがっている」
さすがの貫禄で須藤を指さし、弾劾するドーモさん。
体育会系の上下関係は、魔王にさえも多少の効果をもたらしているようだ。
「ふ、ふざけんな、あんたのやり方のほうが」
「見苦しいぞ、須藤! 人生は甘いのだ!」
烈火のごとく響き渡る、パワーワード。
──人生は甘い。
蜜のような言葉が、暴虐なスルトの「支配下」にあった生徒たちの魂に響いた。
スルトからの暴力による桎梏と、解放。
一瞬、逆なのではないかと思う。
犯罪はたしかに密の味で、欲望の解放がもたらす快楽、満足感には代えがたい。
だが、だからといって目先の快楽を得るため、暴力に流されて、まちがった選択をしたらどうなる?
やらなきゃ意味ない? ちがう。やった人間の価値がなくなるんだ!
「やらされた、などと言い訳するな。己の行為を見極めろ」
人生が甘いのは、無駄な苦労をする必要はない、という意味だ。
もちろん人生には、苦労すべきときがある。だがそれは、やらされる苦労ではない。
まず当人が、その価値があるかどうかを見極めることから、はじめるべきだ。
「ふざけるな、ガキにものの価値なんかわからねえ、おれらが教え、導き、命令してやんなきゃならんのだ」
須藤の理屈は使い古されている。それだけにすり切れた部分も多い。
最終的に責任を負うのは自分自身である以上、最優先されるのは自己決定だ。
その価値がないと判断すれば、愚かな指導者の言葉にしたがい、無駄な苦労をするのはバカバカしい。もっと重要な場面に、リソースを振り向けるべきだ。
「無駄にストレスをかけるのは、教育ではないよ、須藤、もうやめろ。人生は甘いのだ」
むかしながらの「指導」に対するアンチテーゼ。
若いときの苦労は買ってでもしろ、というストレス自体に価値があるかのような文化背景への憎悪表現でもある。
──無駄な苦労。買ってくれるなら売るよ。
このような体育会的「信仰」は、若者を激安で使い倒したい経営者などにとって、おそろしく都合がいい。
その練習にどれだけの価値があるか、問われるまでもない状況というのは、説得する能力の低い指導者にとっても好都合である。
納得が得られないまま、ただつらい練習をつづけることに「向いた人間」も、いるのかもしれない。
だからむかしは、一部の「耐性もち」だけがスポーツ界で成功した。
結果として、無駄な苦労はさせたほうがいい、という誤解が広まった。
そもそも偉そうにしたい、こき使いたい、それに意味があろうがなかろうが知ったことか、というタイプが、落語『化け物使い』のむかしから一定数いる。
命令したいだけ。権威で、暴力で、とにかく支配したいだけ。
須藤が、まさにそれだ。
犯罪者が犯罪行為を強要する。体育会系にありがちな「罠」から脱却せよ。
ドモヴォーイのかけた魔法は、スルトの言葉にバインドされていた多くの生徒の魂を解放した。
人間は欲望の奴隷? 否、人間は自分で価値を判断し、行動する自由をもっている。
塗り替わる空気。
その「都合のわるい真実」にさらされたスルトの混乱を、最適角度で貫いたのはチューヤだった。
「決着つけようぜ、おっさんよ!」
ドーモさんに生徒たちの説得を任せ、チューヤは残り3枠で最適のレシピを立てる。
簡単な戦いではないが、あとは死力を尽くすのみだ。
強烈な一撃が、スルトの首元を切り裂いた。
ドーモさんの説得は、一部の心ある生徒の気持ちを動かし、離反すらうながした。
決定的だったのは、須藤による凄惨な女子生徒に対する強姦殺人の証拠だった。
このような悪鬼のごとき所業に、おまえたち自身が手を染めているのだ。目を覚ませ。
ドーモさんの説得は、多くの不良たちの「人間性」を目覚めさせた。
そもそも「不良とかヤクザは、根はいい人間」だと、チューヤは思っている。
無駄に複雑なことを考えないせいで、生まれつきのサイコパスでもないかぎり、基本的には「愚かな善人」なのだと。
決定的に傾いた戦況──だが、スルトの致命傷は彼に「あきらめ」させない。
何度でも、やりなおせばいい。重要なのは、このさきにまく「種」だ。
彼はまだ、永劫回帰を信じている──。
「そうだよ、犯ったさ! 自分がかわいいと思って、チョーシくれてる女生徒だろ? 犯ってくれって頼まれたから、犯ったんだよ!」
決しかけた流れに対して、このような悪魔の妄言はむしろ逆効果にも思われたが、スルトが見据えているのは別の未来だった。
流れを変えたのはドーモさんだが、同時に演劇部の動きが全体に強い影響力を与えている。かつての演劇部のヒロインは、それだけで生徒たちの心を動かすのだ。
──ならば、そのカリスマを利用する。
「あの女を犯ったのは、おまえのオヤジのせいだろうが!」
須藤が指さしたのは、ナナだった。
戦況はすでに大勢を決し、ゲスクラスを覆う勢いで演劇部中心の軍勢が押し寄せている。
その中心で大活躍していたガーディアンの八百屋お七が指さされ、彼女はいぶかしげにふりかえった。
──人間どもは、まったく度し難い。どこまでも悪魔にもてあそばれる、心の弱き者どもよ。
「聞くな、ナナちゃん。悪魔はひとつのウソを」
叫ぶチューヤの声にかぶせ、断末魔のスルトは絶叫を絞り出す。
魔王が最後まで「須藤」という人間の身体を使い捨てる覚悟を決めた叫びだ。
「信じさせるために真実の衣をかぶせるか、悪魔使い、そんなことは百も承知だ黙ってろ!
真実を教えてやる、青井ナナ、きさまのせいで演劇部のヒロインが地獄に落ちた、その真実を。
きさまの父親は海自の隊員だったな、音楽隊だ、娘の演劇部での活躍を楽しみにしていたそうだな、最初は脇役だったが、ヒロインの脱落で主役に抜擢された、喜んでいるだろうなおまえの父親は!」
致命傷の血しぶきに沈みながら、スルトは種をまく。
たとえ、きょう死ぬとしても、つぎの木曜日のために。
ナナは、にわかにその言葉の意味を理解できず、ただ立ちすくんでいる。
チューヤは、その毒の言葉がしみこむまえに、願わくは解毒を試みる
「テキトーなこと抜かすな、親なら子どもの成功は喜ぶ、ナナちゃんじゃなくても、だれでも同じことを言う」
「悪魔使い、おまえにはもうひとつ、別の真実を教えてやる! 海自は文字どおり、海を防衛する。海の悪魔たちについては、きさまもよく知っているだろうな。
古い魚の神も、サンショウウオのような顔をした銀行員も、どいつもこいつも、したがわなきゃならんのが海の大悪魔、リヴァイアサンなんだよ。いいか、海に暮らすだれも、リヴァイアサンにはかなわねえんだ。
悪魔を倒す? 笑わせんな、島国根性のジャップども! 最初から、てめえらは悪魔の下僕であり、その一味だろうが!」
ザシュッ!
チューヤの攻撃がスルトの身体を袈裟懸けに切り捨てる。
悪魔にしゃべらせすぎた。
人間の心を闇に染める魔王の言葉を、必要以上に聞くと心が汚染される。取り返しがつかないほどに。
「……お父さんが、まさか」
「チューヤ、サンショウウオの銀行員って」
不安げな女たちに、チューヤは強い口調で告げる。
「悪魔の妄言だ! いくばくかの真実で、猜疑心を植えつけた。くそ、やってくれたなスルト」
心が闇に染まっていくのを感じる。
だからこそ、宗教がある──。
多くの宗教が、信者たちに「無知」を強要した時代が、長くつづいた。
それは、無知蒙昧な民衆が多くのことを知ると、往々にして「邪悪」に傾きがちであるからだと、彼らは主張した。それなりに正しい。
といっても、理由はもっぱら「自分たちにとって都合がわるいから」ではあったが。
教会が、科学や知識の探求を妨げていた事実は、いかなる理由によっても正当化できない。
そうしてもたらされた宗教による暗黒時代を容認することは不可能であるにしろ、知らなくてもいいことを知らされることのリスクは、つねにある。
自分が必ず死ぬ病気にかかっている、あるいは治療法のない高リスク群の遺伝子をもっていることを「知らない権利」は、リスボン宣言にも明記されている。
真実だからといって知る必要はないし、虚偽だからといって必ず悪であるというわけでもない。
この世には、やさしいウソというものもあるのだ。
危険な爆弾を残して、スルトは去った。
植えつけられた仲間への疑い、一度灯された疑心暗鬼は容易に消えない。
これは遠大な播種か。このさきの戦いで、この悪の種をどうやって育てようと画策しているのか……。
いや、許さない。今回で、終わらせなければならない。
「……行こう、ナナちゃん。生きてここを抜ける、考えるのはそれからだ」
思考停止の言辞を吐きながら、ともかく歩き出す。
ふたつめの呪いを、まずは解くのだ。




