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狂った弟と姉の話  作者: 長菊月
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第4部 「その後」

 アレクセイが姉であった彼女と再び会ったのは、戦神と呼ばれた青年が死んでから、数日経ってからだった。

 あれから彼女は住んでいた村に戻ったらしい。

 小麦畑に囲まれた小さな村で、以前と変わらない生活をしていたことは、見た瞬間にわかった。

 出会い頭から、相変わらずみすぼらしい格好でアレクセイを睨みつけてきたものだから、つい、初めて出会った時のことを思い出して笑ってしまった。

 だが、彼女は笑いはせず、アレクセイを睨みつけたままだった。

「私を殺しに来たの?」

 アレクセイは驚いた。

 まさか彼女から、開口一番に物騒な答えを聞くとは思わなかったからだ。

「あぁ」

 それ故に、アレクセイは彼女の答えを否定しなかった。出来なかったとも言えよう。先にあっさりと正解を突き付けられては、偽る気も失せる。

「それにしても遅かったわね」

「いろいろあったんだよ」

「いろいろね……」

 品定めでもするように見る娘に、アレクセイは肩を竦めた。

 まるで何でもない友人との会話のようなやり取りが酷く心地良かったが、同時に不安を植え付けた。

 彼女が何を考えているのか、アレクセイにはわからない。下手をしたら自分まで復讐で殺さねかねないと、冗談でも思ってしまった。

 すると、娘はすっと身を引いて、家の中に入るように促した。

「……何のつもりだ?」

「何のつもり? 私がお客も家に入れない非常識だと思った」

 意外なことに彼女は、自分を殺しにきたと答えたアレクセイを手招きして家の中に呼び込んだ。

 しかも、客と呼び、驚くなとまで言ってくるのだから、全くの予想外のことだった。

 罠かもしれない。単純に考えれば罠だろう。

 だが、この娘がそのような謀をするだろうか。

 それに、今やそれ以外の選択肢はない。

 入らなければ入らなかったで、何とどやされるか、いつの間にか笑っていた自分にアレクセイは驚いた。

 話したのは数度だけで、それほど親しいわけでもないのに、何を笑っているのだろうか。

 ましてや、相手はこれから殺すかもしれない娘だというのに、何を考えているのかと、思い直して、気を引き締める。

 相手は戦神の姉にして、戦神を殺した張本人だ。警戒を怠ってはならないと、自分に言い聞かせる。

 いくら見た目が普通の小娘であっても、彼女は気を許してはならない相手なのだ。

 しかし、家の中に入って、はっとした。

 中も普通の家だった。

 天井は低く、それほど背が高いわけでもないアレクセイですら、手を伸ばせば天井に手がつきそうだった。

 廊下の幅も狭く、二人は通れても、三人並べる余裕はない。床は歩く度に軋んで音がする。直さないのかと思ったが、直そうにも女一人では直せないのだろう。

 この、家族で暮らすには狭く、一人で暮らすには広い家で、彼女は今、何を考えて暮らしているのだろうか。

 一歩進む度に感傷に浸ってしまう自分が情けなかった。

 今更、そんなことに気づいたところで遅い。

 彼女の運命も、アレクセイの行動も、既に決まっているのだ。

 短い廊下を進み、到着したのは居間だった。

 部屋の中にもおかしな物などなかった。大きなテーブルに暖炉に本棚、使っていない物にまで掃除の行き届いた質素な居間には、一人分の生活の匂いが強く感じられた。

 一人分、彼女はいったいどれだけの時間をこの家に一人で暮らしていたのか。そんなこと考えても無意味だと何度思っても、目につく物の一つ一つに彼女の思いを感じて胸が痛くなる。勝手極まりないことだとしても、考えずにはいられない。

「そこに座って」

「あぁ……」

 先に戻っていた娘は、台所でやかんに火をかけていたが、アレクセイの姿を確認するなり、顎で椅子を指した。

 あれこれと悩んでいたアレクセイに対して、娘は普段と変わらないようだった。平然と背を向けるなんて、アレクセイのことを気にしていない証拠だ。

 そんな娘に、アレクセイもまた、彼女を殺すそぶりなど見せず、大人しく席についた。

 殺す気になどなれなかった。

 今なら楽に殺せると言われても、アレクセイには出来なかった。

 臆病者と罵られてもいい。どうしたって、今のアレクセイにはこの娘を殺せない。

 そのうち、簡素な木のテーブルの上に、娘とアレクセイの二人分の茶が用意された。底の見えるほど薄い茶だった。

 茶を入れると、娘も何も言わずに席についた。そして、何も言わずに茶をすすった。

 何も尋ねてはこないから、アレクセイも何も言わずにいたら、二人の間には当然、沈黙が訪れた。

 部屋の中には、娘が茶をすする音しかない気がした。

 何か言ってくれれば気が楽になるのに、彼女は飲んでも、まずいとも薄いとも言わない。

 気まずい空気に耐え切れなくなったアレクセイは、目の前に出された茶に手を伸ばし、一口だけ飲み込むと、漸く口を開いた。

「何か言いたいことがあるんじゃないのか?」

「あなたこそ、私を殺しに来たんじゃないの?」

「あ、あぁ、だが、その前に聞きたいことがあるんだ」

 尋ねる更に前にまた一度、白湯と大して変わらない薄い茶を飲み込んだ。緊張しているのか。喉が酷く渇く気がする。まずくもない、湯のような茶を、喉の奥へと全て流し込んでも心は落ち着かない。とりあえず空になってしまった湯飲みを置き、開いた手を握り締めて力を込めてみた。

 拳に篭った力が全身を巡り、姿勢を正す。見かけ倒しの態度だが、心は一つに定まった。

 これから尋ねることはアレクセイにとって最大の疑問であり、おそらく彼女にとって最も触れられたくないことだろう。

 尋ねなければ、何事もなく終わるだろう。順序よく、決まった通りの終末を迎えるだろう。

 だが、アレクセイは、これまでしてきたように、己の感情を優先させた。それが彼女の首を絞めようと、アレクセイは問いかけることを選んだ。

「何故、殺したんだ」

 真っ直ぐと尋ねるアレクセイを、娘もまた正面から見つめた。

 彼女は、家族を、弟を、躊躇いなく殺した。

 その理由がアレクセイには思いつかなかった。

「私はあの子の姉だからよ」

 答える娘の視線が逸れた。

 けれど彼女は、アレクセイが到達出来なかった答えを、茶を口に運びながら平然と答えた。

「下の間違いを正すのは、上の役割でしょ。弟を更生させるのは姉の役割なのよ」

「それだけか?」

 それだけの理由で弟を殺したのか。

 それではアレクセイには、到底、納得出来ない。

 睨むように娘を見たら、彼女も観念したように茶を置いた。

「私はあの子の味方だからよ」

 次いで出た答えもまた、アレクセイには理解出来ないものだった。

 味方だから殺す、意味が全く繋がらない。

「どういうことだ?」

「だって、一生追われ続けるより、いっそ死んでしまった方が楽じゃない」

 肩を竦めた娘を見て、それが本気じゃないとすぐにわかった。

 出来るなら助けてやりたかった。けれど、出来ないから、せめて終わらせてやろう、それが彼女の出した結論だった。

 他に方法がなかった。

 それ以外の道は選べなかった。

 選べば弟だけではなく、自分も殺されていた。

「だから、殺したのか」

「そうね。だから、殺したのよ」

 娘はあっさりと言い、アレクセイを見た。

 潔い娘だ。

 出会った時からそうだった。

 悩まず、迷わず、受け入れていた。

 そんな彼女だからこそ、アレクセイは全てを話そうと思った。自分の知りうる全てを、調べたことの全てを、彼女に知らせなければならないと思った。

「実はな、お前の弟には子供がいたんだ」

 唐突に告げられた事実に、娘の動きが止まった。

 彼女が驚くのを初めて見た。

 弟が狂っていないんじゃないかと言った時でさえ、動揺はしても驚かなかった彼女が、目を丸くして、言葉を完全に失っていた。それほどの衝撃があったのだと思うやいなや、アレクセイの口は、躊躇うこともなく次の台詞を口にした。

「敵国の女と出来た子だ」

 青年はある日、自分達が襲った村の娘に恋に落ち、その娘を助ける為に、娘と二人、戦場から逃げ出した。

 それだけでも普通ならば重罪だったのだが、国も戦神を失いたくなくて、捕まえても女のことは黙認するつもりだった。

 しかし、味方の兵士達が探し出し見た者は、戦神とは名ばかりの男だった。

「子供が出来たことで、弟さんも考えが変わったんだろうな。

 すっかり敵国に馴染んでいて、戦場に出ることを拒んだそうだ。そう、おそらくは、あの時のようにな」

「つまり、あの子は、敵国の女と子供を作って逃げたってことね」

 それが事の始まりで、狂った弟の正体だった。

 腑抜けた神を国は拒み、拒まれた神は、名誉を投げ捨て逃げ出した。

「狂ってるわね」

「あぁ、狂っている」

 『誰が』とは、お互いに言わなかったが、お互い思うところは一緒だろう。

「その、お嫁さんになった人はどうなったの?」

「殺されたよ。敵国の英雄と関係を持ったのだからな。

 最初は三人揃って逃げていたようだが、子供だけでも助けてもらいたくて、母子二人で自国の兵士に助けを求めたらしいが。

 結果、親子揃って処刑されたらしい」

「そう。じゃあ、あの世で家族仲良くやってるかもしれないわね」

 全てを知ってもなお、彼女は軽くそう言った。

 アレクセイも、そうであってほしい、否、そうでなければならないと思った。

 狂って殺された青年であっても、あの世では幸せであってほしい。

「でも、私は死なない。誰にも殺させやしないから」

 言いながら、娘はゆっくりと立ち上がった。

「寿命が来てもういいやって思うまで生きてやる」

 席を立ち、後ずさる娘を見てもアレクセイは立たなかった。

「そこまで生きたいのか?」

「生きたいわね」

 彼女の背後には台所の流し台がある。その上には、予め用意されていたと思われる、まな板と包丁が置いてあった。

「弟を殺したのに、何故、まだそんなにも生きたがる」

「決まってるじゃない。私があの子の姉だからよ」

 彼女の手が流し台に届いた。




 かつて、戦神と呼ばれた男がいた。

 その男が戦場に出れば必ず勝利を収める、敵国からも鬼神と恐れられるている。

 しかし、男は、ある日突然、狂ってしまった。

 原因は不明。

 男は突然、狂い、姿を消したのだ。

 そして、男を探し出し、殺す為に呼ばれたのは、男の姉だった。

 彼女はどこにでもいるような小娘だった。

 戦神の姉というだけで、特殊な力もない、非力な娘だった。

 それでも姉は弟を殺し、そして……

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