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傾く日差しに気づいて顔を上げた。
夏の夕暮れはあまり寂しさを感じないから好きだ。
ふと刀水士と話した事を思い出した。
おばばの娘に手を出した男が、もう一度娘に逢いたいと言っているそうだが……
「どうしたもんかな。」
山の頂上近くの開墾途中の畑から里を見下ろす。
里の中ほどを小さな川が流れている。
山際のたたら場からは小さく煙が上がっているのが見えた。
鬼がこの山に封じられてどれ程の時間が過ぎたのだろうか。最早生まれる子は少なく、鬼達の数は減り続ける一方。それなのに何故鉄を作り、刃を研ぎ続けるのか……
「鬼の矜持だからな……止める事は無理だろうなぁ。」
一度途切れた技を蘇らせる事は奇跡に等しい。それがわかっているからこそ連綿と鉄を作り続けているのだ。
しかしそれが要らぬ争いの元となるのならば、今の姿勢も見直さなくてはならない。
少なくとも俺はそう思う。
技を絶やさない様に、けれどもその規模を縮小していけばどうだろうか。
または根本から変えてしまえばいい。
刀水士を窓口に鉄を人間の世界に流すのだ。刀水士達があげた収益の何割かを、鬼の里に還元するのなら人間達の理解も或いは得られるのではないだろうか。
そこまで考えて大きなため息を吐いた。
あのじじいどもがうんと肯く訳がない。
唯々過去を引きづるだけの頭にカビの生えた様な奴らには、いま自分たちの立たされている場所すら分からないに違いない。
ああ、この狭い里が俺は心底嫌いだ。
俺たちはもっと自由に生きれるはずだろうに。
ちょうど屋敷に帰る道すがらにおばばの娘に出会った。娘も往診の帰りの様で手には薬箱と包みを抱えている。
「若様、村長様のお加減の程は如何許りでござりましょう?」
「早く死ねる様にしてくれ。口ばかり達者で叶わん。……その荷物持ってやる、貸せ。」
いつもと変わらずふんわりと笑みを湛えた表情が印象的な女だ。円やかな線になったその体つきと相俟って春の陽だまりみたいだ。
しかし、そんなでかい腹でふらふら歩いているのを見ると、それだけで心配になってくる俺はお節介なのだろうな。
薬箱を手渡し、コロコロと笑う娘は確か伊依と言ったか。
揃って畦道を行く俺はふと思い出した。
「伊依、前も聞いたがその腹の子の父親が逢いたがっている。お前会うか?」
「なぜ若様が知っていらっしゃる。」
刀水士の事は俺の秘密だが、伊依の抱えた秘密を知るのもおばばを除けば俺だけ。共犯という事でいいだろう。
「それはどうでもいいだろ。気持ちは変わらんか?」
「ええ、私が欲しかったのは自分の子供です。夫ではございませんし、これ以上若様にご迷惑をお掛けする訳には参りません。」
どうもあっさりしたもんだ。
「そうか、まあ無事に生まれる事を祈るよ。」
「ありがとうございます。若様の頼みで御座いますれば、私出来る限りの事をさせていただきます。どうぞご遠慮なくお申し付けくださいませね。」
伊依は大きな腹を優しく撫でながら、頭を下げて帰っていった。
空を見上げれば西の空に掛かる雲が残照に照らされ、赤紫色に染まっていた。東の空には稜線の向こうに大きな丸い月が顔を出し始めている。
◇◇◇◇◇
いくつもの松明が燃やされ神社への参道が闇夜に照らし出される。
境内の中央では殊更大きな篝火が焚かれており、身の丈以上の火柱があがっている。
笛や太鼓の鳴り響く中、鈴を手にした巫女装束の娘達が舞を奉納している。
境内は人混みでごった返し、夜だというに生温い空気が気持ち悪い。
「沙穂、大丈夫か体調は?」
「大丈夫ですよ刀水士。楽しいです。私も笛など吹きたい気分です。」
白い頬が松明の光で橙色にそまっている沙穂は、この場にいるどの女よりも綺麗だ。長い髪も濡れた様に光を帯びて美しい。
何より嬉しいのが沙穂の目が生き生きとしている事。
夜の方が目が効かないのにもかかわらず、周りの雰囲気に当てられたのか楽しげな声に誘われたのか、ここまで付いてきた。沙穂はこんな田舎の夏祭りなんて始めて見るから物珍しいに違いない。
祭りの終盤である獅子舞がそろそろ終わる。
この後は村の若い衆で片付けと酒を飲んで終わりだ。
「そろそろ帰るか?」
「もうお終いですか?」
名残惜しそうな沙穂の顔を見れば、連れ出した甲斐もある。
境内に詰めかけていた村人は既に姿もまばらで、殆どが帰路についている。そろそろ沙穂を休ませてやらなくちゃならないからな、早く帰ろう。そう思っていたが、沙穂のあまりに後ろ髪引かれる様子にほんの少し心も揺れる。
「また来年来ればいいじゃろ。でも、まあ、オラも酒もらってくるかなぁ。沙穂も少しは飲めよ。」
「じゃあ少しだけ。へへへ。」
言った後で沙穂に酒など飲ませても良いのか、身体は大丈夫なのか引っかかったけれども、まあほんの少し舐める位なら……と考え直す。
ああもう、可愛い。沙穂は可愛い。
ジロジロと沙穂に不躾な視線が投げかけられるたびに、次期長の威厳を込めて睨み返しているが、懲りない奴らめ。オラがここを離れたらコレ幸いに沙穂にちょっかい出すんだろう。
「おい、酒こっちにも少しは回せ。」
「刀水士さん、俺たちにも紹介してくださいよ。沙穂さん独り占めでズルいです。」
酒の入った杯を差し出しながら村の若衆が口々に文句を言う。
馬鹿者、沙穂と語らいたいなど図々しい。
というか危ないからオラが必要以上に接触し無いよう守ってやっているというのに、なんと言う言い草だ。
この天女の様な美しさの沙穂に微笑みかけられてみろ、自分だけに向けられた微笑みと勘違いして図逆上せた馬鹿が続出するに違い無い。オラが守ってやっているのはむしろお前らだって気付けよ。
村の男達と舞を披露した若い女の子達、そしてオラと沙穂はちびちびと酒を口に運んでいる。それぞれ色々な話題で盛り上がる男女の声に耳を傾け、沙穂はとても楽しそうだ。
「お酒なんて滅多に飲んだことなかったからこんなに美味しいなんて知りませんでした。」
意外と沙穂はいける口だった。濁酒なんて田舎臭い酒でもよろこんで飲んでいる。
だが、この分では飲まし過ぎてしまいそうで危ない。
「おい、そのくらいにしておけよ。」
「もう少しだけ良いでしょう刀水士。」
むう、と膨れてみせる沙穂。それすら可愛い、むしろそれが可愛い。見とれているのはオラだけではない。
「デスヨネー。どうぞどうぞ。」
男衆が沙穂に酒を進めている、女達は皆冷めた目でそれを見ている。
こわっ!怖っ!
嫉妬の炎が青白くチラチラと燃えた瞳、其処此処で見受けられるそれが恐ろしくてならない。ていうかお前ら気付けよ!自分の隣にいる女の気配が変わったことくらい!
しかし、いくら体調が良いからって調子に乗りすぎだ。
「はい、ここまで。」
そう言ってオラは沙穂の手元から杯を奪った。
その時、よく通る声が辺りに響いた。
「随分と騒がしいことよ。塵芥に等しい人間風情があまり調子にのるでないぞ。」
どこから聞こえてくるのか、声の出どころがわからず皆がキョロキョロと辺りを見回している。
じゃが、この声……かなり聞き覚えが……有るような……
「間抜けどもめ何処を探しておる、我はここにおるぞ。」
見上げた社の屋根には、鬼の半面を着けた男が立っていた。木彫りの面であろうか、朱色に塗られた其れは炎に照らし出され陰影を刻む。深い影が恐ろしげで、その姿を目にした女達から悲鳴が上がった。
「お、鬼、鬼だ!鬼が出た!」
「逃げろ!早く」
先程までの和んだ雰囲気は一変し、辺りは恐怖に塗りつぶされる。
「待て、皆んな落ち着け。落ち着けって!」
オラの声に応えるようにその鬼面の男が叫ぶ。
「そうだ、今日は礼をさせてもらいにきたのだ。逃げるでない。」
物凄く芝居がかった口調がどうにも笑えてくるが、ここはこらえなくてはならない。
鬼が付けている面は半面のため口元はそのまま覗いていのだが、その形の良い薄い唇は弧を描いている。
オラはもうおかしくてならない。
肩の震えは沙穂に気付かれているだろうか。
調子に乗りすぎだろテン!




