10
頭がイタイ。
死ぬほどイタイ。
「おい!酒呑!どこに行ってる!」
親父の絶叫が聴こえる……いや、聴こえるなんて生易しいもんじゃない。頭を鈍器で殴られているかの様な衝撃が俺を襲う。
もうヤダ、お酒なんてヤダ………もう二度とお酒なんて……飲まない……
涙でにじんだ視界に朝日が眩しい。
あの飲み比べの後、平静を装っていたけれど人間たちの目が無くなった途端俺は潰れた。
いつもの川縁で戻しまくってフラフラになって家にたどり着いた。念のためと面をつけていって正解だった。飲み比べの最中に逝きかけた魚の目を見られてはマズイ、との懸念が的中。正直そんなに酒は強くないから心配ではあったのだ。
そして二日酔いで死んでる俺だったが、親父の暴力的な絶叫がどんどん音量を増すお陰で、無理やり蘇生させられ日課の朝食作りと親父の世話をしている。
どんだけ俺弱いの。親父の傍若無人ぶりに見切りをつけてやりたいのに、出来ない。他人に迷惑かけると思うと俺がやらなくちゃならないと思ってしまう。なんて損な性格なんだ。
そんな感じでどうしようもないので、俺はおばばの家に向かった。よろよろとおぼつかない足取りで。
「おばば、二日酔いに効く薬くれ……」
ボロ雑巾の様な体たらくの俺に、おばばが目を丸くする。
「なんじゃ、お前がそんなに酔うなど随分無茶な飲み方をしたんじゃろ。」
おばばの声に応えることなく座敷に倒れ込んだ。
説教なんざいらねえ………ほんのちょっぴりの優しさと薬をちょうだい。
大体俺の名前が悪い。『酒呑み』だなんて息子に何を期待しているんだかいないんだか、さっぱり分からん!あー頭イタイ。
「若様、取り敢えずこれをどうぞ。身体を動かした方がお酒は抜けやすいですけど……もうちょっと落ち着いてからにしましょうか。」
伊依が非情な事を言いかけて、俺の顔を見た後言い直した。それぐらい酷い顔をしているんだろうか。うん、きっとそうだな………
手渡された薬湯をちびちび飲んでみる。苦いし美味いものではないが文句は言えない。
「そうじゃ、わしの婆様の婆様のそのまた婆様あたりの書付を調べておったらの、あの瘤についての記述があったわい。」
「本当か!っつ!」
おばばは頭痛に顔をしかめる俺を放って、その古そうな書付を押入れの中から引っ張り出してきた。
「かつて儂等の先祖は大陸の方から渡って来たそうじゃ。鉄の製法をこの国に持ち込んだのもご先祖じゃ。だがのう、数の力には勝てず度重なる人間との戦でさらに同胞の数は減り、この大江山に封じられた。その頃からあの瘤ができる病が出るようになったとある。推察としてと前置きがあったが、口にする事がなくなった藻塩や海藻の類の不足が原因ではないかと書かれておった。」
「それだ、今度の寄合にその書付を持っておばばも顔を出してくれ。じじいどもを黙らせてやる!いたいっ!」
呆れたようなおばばと伊依の視線が痛かった。
ああ。痛い、情けない。
そして忘れたい。
二日酔いの苦しみと共に。
なんで俺がこんな目に遭ったのか、その理由を。
オマケに寝取られ男の称号まで頂きましたよ!女の子と話すら出来ない俺が!なんでどうして!
一体俺はどうしたらいいんだろう。
刈葦と、外の世界へと続く道の為、無茶な約束を刀水士とした。
条件を飲みさえすれば俺の希望をつなげる事ができる。
だが、引き換えに出された条件。
あの土左衛門に成りかけた女はそれでいいのか?
あの女が望んだ事だと刀水士は言った。でも何でそんな事を願ったのか……分からない。
『沙穂をお前の嫁にしてやってくれ。あいつは長く生きられないだろうから、数少ないあいつの望みを叶えてやりたいんだ。』
そう言った刀水士は困った様な顔してた。
相手は人間ですらない『鬼』だぞ。
何より俺が、あの女をどうしたいのか……。答えなんかでやしない。
ただふんわりと香った女の香を思い出した。同じくその体の柔らかさも。
◇◇◇◇◇
「沙穂のばかちん!なんて無茶をしたんだ!」
「お、おねがいです、もすこし……ちいさいこえで……」
魂が抜けたような沙穂。
二日酔いで寝込んでいる、自業自得だ。オラはあんなに止めたのに!
「お前、あの時の事本当に覚えていないのか?」
沙穂は昨夜の記憶がほとんどなかった。
テンと飲み比べをした事すら覚えていなかった。まあ、いいのか悪いのか。
「とにかく、今後酒は飲ませないぞ!」
「はい。」
「ひょこひょこ人前になんて出させない!」
「はい、ってなんでですか?もう貴族の姫君って訳でもありませんし、この村ではずっと顔も見せていましたが……」
はあ、とため息をついて一拍おく。
そのオラを怪訝そうに見る沙穂は、本当に記憶がないのだ。
「お前の嫁入り先が決まったから。」
「……はい?」
「だから、嫁入りが決まった。」
「どなたの?」
「お前。」
「私?」
ぽかんとした顔をの沙穂。
でもあの胡散臭い小芝居で、お前が好きな男にお前をもらってもらえる。
一応村人相手の演技としては申し分なく上手くいったから、怪しまれる事なくテンの元へとやれるだろう。
オラの親父さまも結局は沙穂の意思を尊重してくれる様だ。
沙穂の意思……嫁になど行けぬと言うあいつの言葉の中には、行きたくても行けぬと言う本音が隠されていた。あの切なげな表情を見れば間違いないだろう。
いつだって周りに遠慮をしながら生きてきたあいつの精一杯の言葉だったに違いない。
余計なこととは思うが、ほっといたらきっと沙穂は独り身で一生いるとか言い出す……だからこれで良いんだと自分に言い聞かせる。
問題はむしろテンの方なんだが……
テンは沙穂を大切にしてくれるだろうか、面倒見のいいあいつの事だから、途中でほっぽり出したりはしないだろうが心配だ。
「沙穂ねえちゃん、大丈夫?」
からりと板戸が開きちょこんと刈葦が顔を出す。
刈葦もオラの家の預かりになりそうだ。
親父さまがオラの話を信じてくれたみたいで、何より刈葦の境遇にも多分に同情的だったのもあり、親父の母方の叔母の従姉妹の子供……というだいぶ遠い血縁関係の設定でオラの家に出入りする事ができるようにしてくれた。
「だいじょうぶですよ。時間が経てば治る頭痛ですから、心配しないで。」
泣きそうな刈葦の頭にそっと手を添えた沙穂が困った顔で笑って見せた。
「だいじょうぶ。私は大丈夫。」
沙穂の言う大丈夫って大体がやせ我慢なんだょな。
「お前は大事な人質じゃ。これからはお前の身体にこの村の先が掛かっておると心得よ。無茶は禁物じゃ。」
刈葦の後ろから親父様は苦みばしった顔を覗かせた。
「叔父上様、あの、それはどういう意味でしょう。」
「昔からこの村は鬼達と争っておった、最近は大した諍いは無かったがな。お前も知っているだろう。」
こっくりと頷く沙穂に困惑の色が滲む。
「お前が祭で飲み比べした鬼が村一番の美女を条件に、悶着を収めるて言うてきたそうじゃ。」
「悶着?」
「鬼の女に手を出した馬鹿者がいる。この問題事の解決は、代償として村の女を差し出す事になった。」
代償……
ああ、とようやく思い出した様子の沙穂が布団の上に座ると両手を床につき頭を下げた。
「私でお役に立てる事があるのでしたら、どうぞお使い下さい。叔父上様のご厚情にお縋りするばかりでは申し訳ございませぬ、故に此度のお話喜んでお受け致します。」
そう言うと思った。
顔を上げた沙穂は晴れ晴れと笑っていた。
オラはその笑顔が切ない。
◇◇◇◇◇◇
『刀水士、沙穂は本当にあの鬼に嫁ぐつもりなのか?そもそも炊事など出来んだろうに。』
『身の回りの世話はテンが何とかしてくれるってさ。』
『その言葉信用に足るのか?』
『男子の一言金鉄の如しって奴だな。』
『随分入れ上げたもんだ。』
初めてテンの事を相談した時、カラカラと笑った親父殿。そして幾分表情を引き締めて言った。
『彼奴らとの繋ぎが有るとは……まぁ使いようでは有るが、良い札が手持ちになった。』
悪そうな笑顔が恐ろしい。
そして親父殿はオラが沙穂とテンの事を話してから直ぐ、北の山に入る途中の峠に小さな家を作り出した。
祭の後、村の男達総出に近い人数で作るそれは見る間に形になって行く。
決断の早さと目利きの確かさには絶対の信頼のある親父殿だが、今回ばかりはオラが驚いた。それを言えば『それくらいには息子の人を見る目を信用してるのさ』と来たもんだ。
……ここまでの展開の早さにビビってなんかないやい!うそ、びびりまくってる。
沙穂は大丈夫なんだろうか、心配でならない。本当にこれで良かったのか……いやこれで良かったんだ。揺れる小舟の如くに行ったり来たりする気持ちが憂鬱だ。
もう直ぐ出来上がる新屋は沙穂の為のもの。
沙穂はそこでテンの訪いを待つ、ただ待つしか出来ないのだからテンの気持ちが沙穂に向かないのであれば独りぼっちになっちまう。
どうかテンが沙穂を気に入ってくれますように。