第30話 悪意の根源
「サンジェルマンきょおお!!!!」
ネカジャノ大伯は叫ぶ。
英雄が!
憧れの人が!
避難が遅れた為に、間近で英雄と魔獣の戦闘を見ていた。
固唾を飲んで気が付くと、
英雄が恐ろしい伝説の魔獣を追い詰める度、凄い! 流石はサンジェルマン卿だと。
魔獣の爪が英雄を傷つければ、 ああ! 負けないでくだされサンジェルマン卿と。
出し抜こうとした相手を応援していた。
そして今、魔獣の牙が英雄の腕に食い込んでいる。
「やめろおお!!」
大伯は転がっている魔導筒を拾い、脇に抱えて魔素を流す。
魔導筒から炎弾が放たれて魔獣に命中。
しかし魔獣は微動だにせず、サンジェルマン卿に馬乗りになったままだ。
ふうふうと息を吐き、再び魔導筒を向ける。
「ああ……。あんた確か、メサルテの貴族か」
魔獣の言葉に、大伯は我に返った。
この魔獣は自分を知っている。
メサルテに来たことがあるのか? こんな大柄な魔獣が都市に入れば自分が知らないはずがない。
ネカジャノ大伯は知らない。
ハイエナ男は大柄に見えるが、そのほとんどが体毛で実際の体躯は自分とそう変わらないと。
「止めてほしけりゃ手下連れて街に帰れ。そんでこの平原に二度と来んな」
魔獣の言葉に迷いが生じる。
だがよく考えろ。
この魔獣は意志の疎通が取れる。
先ほどは周りに、食っちまうぞと言っていた。
それは魔人族だけでなく、亜人に向けてもだ。
ならば共闘を提案し、大共和国を併合した後に亜人族を食料として提供すれば、この魔獣を管理できるのではないだろうか。
名案だ。
やはり自分は頭が回る。
自分の弁舌ならば説得できるだろう。
そう確信して口を開こうとした時。
上空に巨大な、黒い渦状の魔法陣が現れた。
ザワザワと両軍がどよめく
皆が見守る中、魔法陣から顔を出したのは山。
山だ。
岩山が降ってくる!!!!
「ひいいい!!」
両軍の対峙する丁度中央。
英雄と魔獣が争った平野をすっぽり覆う圧迫感。
「いかん! マキナ!」
「はいっ!!」
見慣れない格好の少女が翼を生やし、自分の前に立つ。
「エメラシールドぉ……フルパワァァアアア!!」
少女を中心に翠の膜が張り、岩山を押す。
「ぎぎぎぎ」
落ちる速度は弱まるが、押し返せない。
サンジェルマン卿が、魔獣を払いのけたのが見えた。
ネカジャノ大伯はただ狼狽えるばかり。
魔獣が腰に手を当て、袋から何かを取り出そうとしている。
「大丈夫だよ、うん。ミーに任せて」
サンジェルマン卿が両指を動かすと、紐で繋がれた木の板が現れた。
「遁甲天書、地の巻きに宿りし神通の力、石を透し、水を切り裂き、火を鎮め、山を穿つ」
木の板が一枚づつ発光する。
「破壊する事を、許すよ。うん」
木の板がクルリと筒状に丸まり、中心から魔素が一気に放出された。
魔素は太い線となって、暗い空へ向かう。
岩山は砕け、巨大なそれは無数の岩へと変わり降り注いだ。
ただ恐怖に駆られ、両腕で自分を庇うネカジャノ大伯。
ふっと身体が浮く。
顔を上げると、聖王国の客将ソレガシに抱えられていた。
ソレガシはそのままサンジェルマン卿と少女の場所まで瞬時に移動し、皆を庇った。
大柄な体躯で覆って岩を背中で受けていく。
(この男も、紛れもない英雄)
自己を犠牲に、他者を守る。
オウゴン教の美徳、博愛に通ずる。
(ああ、自分も)
落石が止み、辺りは静まり返った。
転がる岩にソレガシと少女が登り、サンジェルマン卿も続いた。
見上げるネカジャノ大伯に手が差し伸べられる。
英雄から。
「無事だったかい? キューダ・ゲス・ネカジャノくん」
その手を取り、大伯も並ぶ。
(自分もこの方々と同じように……)
英雄にと、望む。
いや、許されるのだろうか。
英雄を出し抜き、自己の栄華を願った自分は。
岩の上から周りを見ると、両軍からワッと声が上がった。
(魔獣がおらん。潰されたか?)
きょろきょろと散見する岩を眺めていると、急に静かになった。
皆が空を眺めている。
釣られて見ると、再び黒い魔法陣が浮かんでいた。
ただ、先ほどよりも二回りほど小さい。
「くっふっふ……。静かになるまで5分かかりましたぞ」
魔法陣から姿を見せたのは、深藍色の軽鎧を着た白い仮面の男だった。
「いやいや……。今ならサンジェルマン卿を仕留められると考えたのですがな、どうもワタクシは詰めが甘いようで」
「ずっと見てたよね? ミーが追い詰められたら尻尾を出すと思ったんだよ、うん」
商取引のような調子で喋る二人の男。
ネカジャノ大伯は苛立ち、声を荒げる。
「ブヨークン!! 貴様!! よく顔を出せたな!!」
「ああ、貴方の順番はまだです」
叫ぶネカジャノ大伯へ冷淡に返答し、腕を上げて魔法陣に手を伸ばすと一人の男を引っ張り出した。
宝石を山ほど身に着けたリザードマンだ。
「き、きさま! 私に受けた恩を忘れたか! 離さんか!」
首を掴まれたまま、空中でジタバタと暴れるリザードマン。
「お集りの皆さま。この男は権力を欲し、邪魔な軍部を弱体化させようと画策した愚か者でございます。くっふっふ」
リザードマンの首があらぬ方向へ曲がり、放り出される。
そのまま長い滞空時間を経て地面に落ちた。
「使い道の終わった道具は処理せねばねぇ……くっふっふ」
ネカジャノ大伯の肩は冷え、背中はぐっしょりと濡れた。
まさか、大共和国にも、いたのか?
自分のような者が。
「この度の争いは、互いの国に所属する一部の者が企んだ茶番でございまする。その一部の者とは、今お亡くなりになったポロイス大共和国のアシュルマ大夫。そしてもうお一人が」
やめろ。
やめろ。
「そちらにおわす、キューダ・ゲス・ネカジャノ大伯でございまする……くっふっふ」
「黙れ!!!!」
ソレガシが、少女が自分を見る。
サンジェルマン卿は空を睨んだままだ。
「嘘ですぞ! あのような正体不明の者の言う事を信じるのですか!」
ネカジャノ大伯は気が付いていない。
先ほど自分で、正体不明の者をブヨークンと呼んでいた事を。
「くっふっふ……ネカジャノ大伯」
「なんだ!!」
魔力を乗せた響く声で、ブヨークンは続ける。
「あの酒は、おいしゅうございましたか?」
あの酒?
「以前差し上げた、あの蒸留酒でございまする」
いつも引き出しに入れてある、あの酒か?
ブヨークンからお近づきのしるしにと渡された、高級酒が頭をよぎる。
確か、創世神の加護を受けた有難い酒だと言っていた。
「不老のお身体をご所望でしたな。今差し上げましょう」
ブヨークンが指を、パチンと鳴らした。
ネカジャノ大伯の身体が熱を帯びる。
耐え難い痛みにうずくまりヒザをつくと、皮膚が破けた。
腕を見るといつの間にか、枯れ木のようなモノが生えている。
「なんだこれは、なんだこれは。わしは望んでいない。こんナもノ! のゾンでオらんゾォ!!!!」
枯れ木のような腕は四本に増え、肌は鱗に包まれた。
背中からは蝙蝠のような羽が突き出し、ネカジャノ大伯の叫びは口から吐き出された触手の束に消えた。




