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魔剣の囁き


 なぜ、笑いながら死ねるのか。

 どのような意味、思惑があったのか、いまのアランには考えるだけの体力が残っていない。

 沈みかけた日。赤く染まった空を眺め、アランは息を吐き出した。


 ふらふらとする身体に、痛む全身。意識は朦朧として、思考は意味をなさない。

 そういえば短剣を投げていた。探して拾わなければ。

 身体を引きずるようにして、アランは歩き出す。


 爪先をひっかけて、アランは無様に倒れた。

 内蔵をぶちまけた豚男オークの死体に、頭からつっこむ。

 まだほんの少しのぬくもりを残した肉片を、体中にあびた。


 強烈な臭み。

 血と肉と、汚物と、鼻の奥にこびりつくような鉄臭さ。


 瞬時に吐き気が込み上げ、アランは胃の中のものを全て吐き出す。

 喉奥と口内が酸味で満たされ、空っぽの胃を再び痙攣させる。


 汚物にまみれたアランが、なんとか立ち上がる。

 焦点の定まらない目は虚ろで、身体は微動だにしない。


『あゞ、アラン。アラン』


 何度も声をかける魔剣に、アランはようやく意識を取り戻す。

 そして目を見開いた。


「なんだ、これは」


 見渡す限り広がる血肉に、ずたぼろの家屋、えぐれた地面。

 茜色の夕陽がそれらをうっすらと照らす。


 まるで地獄の釜の底を引っくり返したかのよう。

 この世のものとは思えない光景だ。


 魔剣アザトフォート。ふいにその名が浮ぶ。

 別名、白痴の剣。

 その切れ味はまるで剃刀のごとく、軽く、頑丈で、すばらしい剣。

 だが、人の心を狂わすという。狂った者、それはあるいは殺戮者に。


 アランの手が震える。

 魔剣アザトフォート、それは心を狂わせる。


『あゞ、アラン。落ち着け、深呼吸をしよう。お前はいま混乱している。目の前に広がっている血肉は人にあらず、豚男、つまりは魔物で害獣だ。お前のやったことは、軒先に巣を作った蜂を煙で燻して退治するのとそう変わらない。大きさの違いだけだ、わかるな、かわいい俺のアラン』


 勇者とはいったいなんなのか。

 自分のやったことはなんなのか。

 集落に襲いかかり、一人残らず殺害する。

 こんなもの、残虐な襲撃者ではないか。


『とにかく、帰ろう。呼吸を整えて、ここから離れるのだ。考えるのはあとでいい。短剣も荷物も、もういいだろう。とにかく、全身洗って、身体を温めて、ぐっすり眠れ。お前はいま普通ではない、聞こえてるだろう、アラン』


 なぜ、こんなことを。どうして。

 父が望んだから。勇者の責任だから。自分は、勇者だから。


 心臓が早鐘のようにばくばくと鳴る。

 息苦しくて、呼吸をしようとするが、空気は思うようには入らない。

 ふらふらする頭の中で、思考が激しく回っていく。


 魔物とは、なんなのか。

 勇者とは、なんなのか。

 自分はいったい、なにをしたのか。


 同じ問い、同じ思考。それがぐるぐると回っている。

 もはやアランにはなぜ自分がここに立っているのかわからなくなっていた。

 ただ、ひとえに、まとわりつく血肉、こびりついた汚臭、そして眼前の光景を、心底嫌悪した。


「あ、ああ」


 肌が泡立ち、身体の芯が凍て付いていく。奥歯はかちかちと鳴り響き、足が震えてしまう。

 頬を伝う雫に気がついた。瞳の端からとめどなく溢れてくるそれを、拭うことも忘れている。


 アランは泣いていた。理由がわからないのに次から次へと零れてゆく。ひと粒流れ落ちるたびに、身体の熱が失われていくようだ。とにかく寒い。


「ひっ」


 アランの身体が震える。

 鳴き声。それは近くなく、さりとて遠くない。

 しかしはっきりと聞こえた。腐狼アニマルゾンビの遠吠えだ。


 いま、襲われたら、ひとたまりもない。


『アラン、アラン』


 アランは走り出す。

 本能のまま、とにかく鳴き声から遠ざかるように、必死に足を動かした。

 どこに向かっているのか自分でもわからない。アランはただ、腐狼の鳴き声が耳に入らないところに行きたかった。


 集落を抜け、森の奥へ。

 豚男の死体とも離れたかった。死肉を貪りに大烏がきてもおかしくない。


 日が完全に沈み、森の隙間から月明かりが射し込むころになって、ようやくアランは足を止めた。大木を背もたれにして、ぐったりと座りこむ。


 動いて火照った身体はすぐに冷たくなる。

 身体の芯まで凍えるような気がする。

 膝を両腕で抱えて、そこに顔を沈めた。


 寒い、怖い、寂しい。

 助けて、父さん。


「う、う」


 涙がぽろぽろと落ちていく。

 アランは幼い子どものように、ひぐひぐと泣き続けた。


『あゞ、これは、なんともいえないな』


 抱き締めた魔剣の宝玉が、淡く光る。

 寒くて暗い森の中で、唯一、明るくて温かい。

 なにかにすがるように、アランは魔剣を抱く。


『かわいい俺のアラン。大丈夫だ、安心しろ、俺がいる。俺だけはお前の味方だ。世界中の誰もがお前の敵になろうと、俺はお前を助けよう。信じてくれるだろう、なあ、アラン』


 アランはなにも考えられない。

 ただ、すすり泣くだけだ。


『そんな俺だから、アランの本当の気持ちもよくわかる。アランが万全の状態であったなら、そんなことはないと首を振っただろう。お前は意地っぱりだからな。だがいまなら、小娘のように恐怖で逃げ出し、赤子のように泣きじゃくる、まっさらないまのお前なら、素直になれるはずだ』


「ぅ」


『アランはただ、たったひとりの父親に、認めてもらいたくて、自分を見てもらいたくて、がんばってきたんだろう。あゞ、つらかっただろうに、悲しかっただろうに。魔術の訓練、剣術の訓練、そればっかりやらされて、年頃の子がやるようなことはいっさいさせてもらわなかった。それでも、ただ、父が自分を見てくれるならと思っていた』


 アランはじっと、魔剣の淡い光を見つめた。


『だが、それは叶わない。少しずつ、ずれが生まれていった。父が期待する勇者としてのお前、そればかりをやらされる。心を奥に押し込めて、作り上げた仮面。それだけが必要とされるようになった』


「ぁ」


『剣なんて握りたくなかった、戦いなんて嫌だった、そういいたかった。アラン、お前は普通に生きたかった。例えば宿屋の娘。受付をして、客を案内し、料理を手伝い、掃除をして、穏かに生きたかった。そうだろう、アラン』


 いやだ、やめろ、聞きたくない。

 アランはいやいやと首をふる。


『俺は知っている。お前は立派な勇者さまなんてものではない。本当は、意地っぱりで、頑固で、甘い物が好きで、話を聞くのが楽しくて、そこらにいる者たちとなにも違わないと。自分はちっぽけな人間なんだと、声を大にしていいたかった』


 なにをいっている。

 そんなことはない。


『いいや、そうだ。お前はそんな服、脱いでしまいたかった』


 宝玉が、一際妖しく光る。


『それは勇者の象徴。そして、アランがただの小娘という真実を隠す仮面。怖がりなお前を頭から押さえつけて勇者に仕立て上げてしまう呪いの服だ。その服のせいで、誰もがお前を見つけられない。昨日の村娘を覚えているか、勇者さまです、勇者さまです、と嬉しそうに声を出していただろう。まさしく、そういうことではないか。気がついていなかったのか、アラン、あの小娘、お前に惚れていたぞ。大変立派な勇者の仮面にな、くく、くくく』


「ぅ」


 アランは頭を抑えつける。

 直接中に響いていく声は、耳をふさいだところで意味がない。

 魔剣の声から離れられない。


 やめろ、やめろ。

 違う、私は。


『あゞ、違わない。俺はお前より、お前のことを知っている。お前が産まれてから今日この日までを俺は知っている。お前を形作った言葉、経験、光景、俺は全て見て聞いて感じてきた』


「ぁ」


『考えてることがわかるということは、そういうことだ。なあ、アラン』


 ああ、そうだ。

 魔剣を手にしてから、やたらと昔の夢を見るようになった。

 なにもかも見られていたのだ。


『裸になるのは怖いか』


 当然だ。怖いに決まっている。

 できるわけがない。


『大丈夫だ、俺がいる。俺がお前についている』


 だからどうした。

 いいから黙れ。


『アラン、俺のかわいいアラン。本当にしたいこと、こうありたいという自分を想像しろ。いわなくても俺ならわかる。勇者アランじゃない、ただのアランになりたいと、ほんの少しでもいい、考えてみるんだ』


 それは、剣も持たず、魔術も使わない。

 ただ、ありのままの自分。


 ああ、嫌だ、そうだ。

 だめだ、気づかされる。


『自分の気持ちがわかったな、アラン。わかるぞ、どうせまわりがそれを認めはしないと思っている。だから閉じ込めていた。だからアラン、お前は誰かに背中を押してもらいたかった。そのための俺だ、俺がいる。大丈夫だ、みながお前を白痴者だと指さして笑ったとしても、俺がついている』


 魔剣の宝玉が、淡く光った。

 抑えつけようとするものではなく、やさしく全身を包んでくれるかのような感触。


 いや、そんなものはない。ただの錯覚。

 しかし、たとえまぼろしでも、手放すのはあまりにおしい。


 一人ではとてもいえなかったこと。

 いまなら父にいえるかもしれない。


『あゞ、アラン。今日はとても疲れたな。ぐっすりねむってしまうといい。次の朝にはきっと、気持ちのいい目覚めが待っているはずだ。不安があるだろう、仮面を投げ捨てる躊躇もあるだろう。父親は許さないかもしれないな。だから何度だってアランにいおう。俺がついている、ついているんだ。だから安心しろ。わかったな、かわいい俺のアラン。さあ、おやすみ』


 魔法にでもかかったかと思えるほど、アランはごくあっさりと意識を手放した。


野外露出の時間だ!

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