異常種
振う、躱す、突く、避ける。
それはまるで盤上遊戯のように、アランと豚男が交互に手を指していく。
ただでさえ巨大な豚男。その異常種ともなれば、さらに大きい。
間合があまりに違いすぎる。アランが豚男の胴に剣を届かせるには、一歩ではまるで足りない。二歩、あるいは三歩進まなければ。
対し、豚男は、つねにアランを棍棒の射程に収めていた。
アランは狙いを末端に絞る。
豚男が振う棍棒を最小の間合で避け、伸び切った腕を狙う。
アランの腕ほどの太さのある指、アランの胴体ほどの太さのある腕。
斬傷は十、二十、三十本と増えていくが、しかし。
赤い筋がすうっと入ったと思えば、ほんの数滴の血液が流れたのち、すぐに止まる。
けして浅くない傷だろうとアランは思っていたが、結果として、豚男の動きが変わることがない。
ならば、より深くにしてより長く、より速くにしてより鋭く。
豚男の間合から半歩ほど離れ、息を整えた。
アランが捨て身の覚悟を決めた時である。
『あゞ、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで愚かだとは考えていなかった』
突進の覚悟がゆらぐ。
その瞬間、豚男が踏み込んで棍棒を薙ぎ払う。
躱し、返す刀で腕に一振り。
先程の膠着状態に戻ってしまった。
『わかった、アランの覚悟は見せてもらった。ならば俺はアランに尽すのみ。攻撃をいなしながら、俺の言葉を聞け』
アランは守勢に回り、なるべく疲労が蓄積しないように動く。
足が、腕が、腹が、こめかみが、痛い。
少し意識をするだけで、疲れがどっと下りてくる。
アランは無表情のまま、きゅっとくちびるを引き締める。
『まず状況を整理する。アランは疲労困憊の上、豚男へ有効な攻撃をすることができない。対し、豚男は体力にもゆとりがあり、アランを一撃で屠る攻撃を持っている。いまのままではアランの体力が徐々に削られ、豚男の一撃をもらってしまうだろう』
そんなことはわかっている。
だが、やらなければならない。
『ならば捨て身の攻撃はどうか。これはたしかに可能性のある話ではあるが、俺はおすすめしない。渾身の一撃に全てを込める、なるほど美しい話だ。ただまあ、今回は少し分が悪いように思う。あの豚男の肉の厚さを考えると、渾身の一撃ひとつでは、やつの命には届かないだろうな。二つか三つ、ほしいところだ』
アランは待っていた。
魔剣は打開策を持っている。ゆえに長々と話をしていると。
『さて、アラン。翻って、お前は非常に目がいい。距離感の把え方、機会の図り方、天賦の才があるだろう。豚男が動いたその瞬間には、アラン、お前は動けている』
段々と呼吸が荒くなる。
残された時間は思ったほどないだろう。
『だから、アラン。お前にその先を見せよう。俺のいった方向へ動け』
偶然に、アランと豚男が同時に動きを止める。少し間が開いたからだ。
そして、じりじりと近づいていく両者。
その時だ。
『左』
アランが左へ飛ぶ。
豚男は調子を外されたかのように、たたらを踏んだ。
なにが起きているのか、アランと豚男にはわからない。
再び間合を近づけていく両者。
そして。
『下』
豚男が動く前より速く、アランが屈んだ。
棍棒がアランの頭上を通り過ぎる。
大きな隙。アランは飛び込んで豚男の腹を突き刺した。
初めて豚男が呻き声を上げる。
アランはすでに間合を離している。
が、しかし。アランも混乱している。
なにが起きているのかがわからない。魔剣はまるで未来予知でもするかのように、豚男の動きを把握していた。
『ふふん。ここまでできれば神眼と呼ばれることもある。種を明かそう。アラン、簡単なことだ。予備動作とは動き出しのみならず。目線、呼吸、手足の角度、筋肉の痙攣。それら全てが未来の動きを教えてくれる。アラン、豚男をよく観察しろ。俺の言葉を聞きながら、観察を続けるのだ』
アランは、全体と一点を同時に眺めるかのような心地で、豚男を眺めた。
右、左、前、後ろ、下、魔剣の言葉を聞きながら、観察を続ける。
アランは魔剣の言葉を予想する。少しずつ、それはほんの少しずつ、同調していく。
『右』
すでにアランは魔剣の言葉より速く、動いていた。
気づき。それが得られれば、理解は一瞬。
もうアランは豚男の未来が見える。
『やれやれ、世話のかかる。だが、体得できたようだな。おめでとう、俺のかわいいアラン。しかしひとつ忠告をしておく。これでようやく五分だ。有利になったわけではない。あとは賽の神さまにでも祈っておくんだな。あゞ、祈る余裕もなさそうだ。あゞ、神さま神さま、どうかアランに勝利の美酒を授けてくださいますよう、ははは、ははは』
先程よりも深く踏み込めているのに、ゆとりすらある。
身体の動かし方はより大胆で、繊細になっていく。
豚男の棍棒の一撃を、指三本分の隙間で躱す。
それが二本分、一本分。皮一枚分。
アランの外套はずたずたに破れ、胸当てが弾け飛ぶ。
豚男の両手足、胴体がずたずたに切り裂かれる。
しかし、倒れない。
これほど深く、全身を切り刻まれているというのに、動きは鈍くなるどころか、凶暴さを増しているように思える。
流れ出た血の量は尋常ではなく、桶を何杯満たすことができるのだろうか。
五分。なるほど、たしかに違いない。
これだけ体力に差があれば、なにが起こってもおかしくはない。
そろそろ決着をつけなければ、倒れるのはこちらのほうだ。
豚男が棍棒を両手持ちにして、頭上へ振り被る。
勝機。アランは転がる。
いままでとは比べ物にならないくらいの、鋭く力強い振り下ろし。
棍棒が地面にめりこんで、土砂を全方位に弾き飛ばす。
地面に伏したアランにも少なくない土砂が飛んだが、予想通り。
アランは山猫のようなしなやかさをもって駆ける。
豚男の棍棒を蹴り、腕の上を走って、渾身の力をもって魔剣を頭に振り下ろす。
硬い。命に届かない。失敗した。
アランは豚男の肩を蹴り、背中側へ飛ぶ。
背中の肉に魔剣を突き立て、落下の速度を落とす。
荒く息を吐き出しながら、豚男との距離をとる。
血まみれの豚男が。ゆったりと振り返る。
額からどくどくと血を流す豚男。
アランを見据え、じっとりと観察して、笑う。
俺はまだまだやれるぞ、お前と違ってな。
そんなふうにいっているように、アランには思えた。
「ふぅううぅうう」
落ち着け、安い挑発だ。
骨はともかく、肉は斬れる。
ならば狙うは、血管と筋。
アランは飛び込む。同時に、豚男が棍棒を捨てる。
虫でも払うように、手の平を一杯に広げた張り手をくりだす。
豚男とて馬鹿ではない。アランの命を刈り取るのに、これで充分ということ。
棍棒よりも速く、広く、柔軟な攻撃。
豚男の指先がアランの肩をかすめる。
それだけで、肩が外れるかと思うほどの衝撃。
豚男の動きはわかっていた。
だが、身体がついてこない。
舌の根が渇いていく。
アランはお返しといわんばかりの魔剣の一閃をくりだす。
すぱっと手首を斬り裂いた。
豚男とアランは交互に攻撃を繰り返す。
あてるのはアランのみ。
手首、肘、脇、足の付け根、膝、足首。
何度も、深々と斬り裂いて、ようやく豚男の動きが鈍くなった。
腕はだらりと垂れ下がり、立ってられなくなったのか、膝をついている。
アランも血まみれである。頭から爪先まで、返り血でぐっしょりだ。
動かなくなった豚男をアランは見つめている。
豚男はこんな状況であるのに、醜悪な笑みを浮かべている。
豚男がどしりと座った。
そして、首をかたむける。
「なんのつもりだ」
丸太のように太い首が、がらあき。
ここに一撃を入れろといわんばかりだ。
座る豚男と立つアラン。
目線が合う。豚男はにやにやと笑うのみ。
一歩、二歩、三歩。豚男を剣の間合に入れる。
魔剣を構えるアラン。
豚男は微動だにしない。
人をからかい馬鹿にするような、嫌な笑みをこちらに向けるだけ。
斜め上からの振り下ろしは、豚男の首を深々と切り裂いた。
血が狂ったように吹き出す。まだこれほどの量が残っていたとは信じられない。
アランは豚男をじっと見た。
豚男も目線をそらさない。
豚男は、意識を手放し黄泉へと逝くまで、ずっと笑っていた。




