とっておき
『あゞ、いい夢を見られたようだな』
魔剣の声で、うっすらと覚醒していく意識がすぐさまはっきりした。
少し目をつぶっていただけかと思えば、どうやら眠ってしまったようだ。
ただでさえ豚男の巣にほど近く、樹上という不安定な場所で、意識を失うとは、アランには信じられなかった。
太陽を確認すれば、夕方にはまだ早い時間だ。
それほど長く寝ていたわけではないようだ。
始めての豚男との戦いに、自覚のない疲れでも溜まっていたのだろうか。アランは枝の上で立ち上がり、身体をほぐしたあとで、耳を澄ませる。敵の気配はない。
「夢。そうだ、夢を見ていた」
五年ほど前の、魔術の鍛錬を始めて、まだそれほど経っていないころの記憶。その時の光景が夢となり再生されていた。
「懐かしいな。老師はいまどこでなにをやっているのだろうか」
『くくく、いい師をもったようだな』
まるで夢の中を覗かれていたかのような言葉だ。
不気味な魔剣。思考を読み取り、言葉を話し、しかしそれだけの剣。思わせぶりな言葉が多く、まるでからかうかのような会話をしてくるが、いまのところ実害らしい実害はなにもない。本当に不思議な魔剣だ。
白痴とは嘘だったのだろうか。うわさ話の数々の出来事、どれひとつとして起こる気配がない。残忍な殺戮者にも、狂って服を脱ぎだすことも。
ただひとつ確かなのは、剣としての性能は抜群ということだ。
いまさらほかの鈍を振う気にはなれない。
どんな剣を使っても、不満が出そうだ。アラン自身には軽く感じられるこの魔剣も、おそらく実際には軽くないはずだ。豚男を斬り裂いたときの感触は、剃刀の切れ味を持つ鉈。頑健と鋭角を兼ね備えた、この世のどこにもありえざる名刀。
なるほど、厄介な呪いだ。ほかの剣など使えるわけがない。アランは薄く笑う。
「そろそろ、仕掛けるか」
『お手並み拝見、といったところか。なあに、いざとなれば逃げればいい。豚男は遅いからな。アランのほうが足が速かろう』
思えば、この魔剣アザトフォート、アランを心配するような言葉をよく口にしていたような気がする。
一人では危険だ、やめておけ。せめて人数を揃えろ。実際に豚男の前に立てば、俺を使え。軽口を叩く風にいっていたが、内容は忠告。
信用してもいいのだろうか。少なくとも、邪悪ななにかであるようには思えない。
『あゞ、うれしいことをいってくれる。俺に五体があれば、アランをそっと抱き締めて、耳元で愛を囁いてやっただろうにな。そして寝所に寝かせてから、頭をやさしく撫で、いってやるのだ。大丈夫、天井のしみを数えているあいだにおわるさ、と』
やはりふざけているだけだ。人のことを馬鹿にする軽薄なやつ。
アランはふんと鼻を鳴らして、枝から飛び降りた。着地は鮮かに、衝撃をうまく殺して音を立てない。
「五体か。お前にそれがあったなら、まずは顎を叩き割る。余計な口を二度ときけないようにな」
『おゞ、怖い怖い。まったくもって乱暴なやつだ』
アランは慎重に藪を抜け、獣道へと戻っていく。
しばらく歩けば、豚男の集落が瞳に映った。
『さて、アラン。あの数の豚男を相手に、いったいどうするつもりかな』
「魔法で崩して剣でとどめだな」
『ふむ、ごく普通の奇襲ではある』
「最初に、私が扱える魔術の中で一番、範囲と威力が高いものを叩き込む」
アランは意識を集中させる。
手の平からは淡い光が溢れ、ごく小さな魔力の玉が作られる。その数は七つ。玉の輝きは徐々に増していき、眩い光を迸らせた。
にわかに豚男の巣が沸き立つ。巣の縁に立つアラン、その手の平の光に気がついた者がいるのだ。各々が巨大な棍棒などを持ち、アランに向かって走っていく。
『気づかれたぞ』
「わかっている」
『まだなのか』
「これは時間がかかるんだ。あともう少し、よし」
アランは手の平の光を豚男たちの中央に投げ飛ばす。
まばらに散った光の玉、そのひとつが、いっそうの輝きを解き放ってから、爆発する。
同時にアランは地に伏した。爆風は七つ連鎖して、轟音と熱、家屋の破片、豚男の肉片を周囲に飛ばしていく。
『これは、上級の爆裂呪文か。この歳で扱えるとは、末恐ろしい』
豚男たちの混乱。それを見て取ったアランは走る。
無数の破片が刺さった豚男の首を掻き切る。
腕から骨を生やした豚男の胸に突き刺す。
両目を潰した豚男の頭を叩き割る。
煤で黒焦げになった豚男の背中から突き刺し、捻りをくわえて引き抜く。
手首を、足の甲を、ふとももを、肩を、およそありとあらゆる豚男の部位を切り裂き続けた。
「十、十一、十二。あとどれくらいいる」
『まだ半分もやれていないな。ただ、無傷のものは少ない』
「なるほど」
混乱から立て直してきた豚男がアランを襲う。
頭上から垂直に振り下ろされる棍棒。
アランは逆に豚男の懐へ飛び込み、喉元へ魔剣を刺した。
「思っていたより被害が少ない」
『の、ようだな』
「ならばもう一度だな」
アランは魔剣を片手で持ち、もう片方の手には、青白い魔力の光が集めていく。
怒声と悲鳴を上げる豚男たちから若干距離をとりつつ、襲いかかってくるものは、片手の魔剣で牽制し、もう片方の魔術の完成を急ぐ。
「む、魔力が集まるのが遅い」
『それの説明をしてやってもいいが、あとでだな』
なんのことだ、とアランは思ったが、それほど余裕のある場面ではない。
アランは豚男たちの集団を一直線に走り抜け、集落の縁まで戻る。
結局光の玉は四つしか完成しなかったが、アランは躊躇をしなかった。
再び豚男たちを襲う爆風。アランが魔剣で傷をつけた者も、ついには片膝をついて、倒れ伏す。
「二十五、二十六、あとは、いや、これで全部か」
『最初より数が減っているように思うのは、肉片になったやつがいるからだろう。もうまともに動けるやつはいない。アラン、お前の勝ちだ』
アランはひとつ息をつく。
数の多さと頑丈さにはいささか辟易したが、結果は完勝。傷ひとつなく豚男の討伐を達成することができた。
そういえば魔剣が先程いっていたことが気になる。
魔力が集まりにくく感じられた現象のことについて、なにか知ってそうな様子だった。
『アラン、お前は優秀だ。お前ほどの年齢で、これほどの剣技と魔術を身につけた者はそういない。誇ってもいい。これはアランの元々持つ才能と、弛まぬ鍛錬の結果だ。実にすばらしい。だが、だからこそ起きてしまったことだともいえる』
「回りくどいな。つまりどういうことだ」
魔剣のくつくつと笑う声が頭に響く。
アランは舌打ちをして、続きをうながした。
『アランの実力と経験の平衡がとれていない。実戦経験が足りていないともいえる。 本来ならば戦いの中で気づき、自然と調整していく。だからごく普通の者たちは気にもとめないことだ』
「くどい」
『では結論を。簡単なことだ。集中力とは有限なのだ』
わかるような、わからないような、曖昧な言葉であった。
アランは黙って続きを待つ。
『そも、魔術と剣術を両方扱える者が少ない。これも原因のひとつではあるが、いまは置いておこう。ずばりというならば、想像してもらいたい。アランは右手で計算問題を解きながら、左手で日記を書けるだろうか。にんじんの皮をむきながらたまねぎの皮をむけるだろうか。おてだまをしながら笛を吹けるだろうか。おそらくは、できないだろう。だからいった、簡単なことだと。剣を振って戦いながら魔術を行使しようとするなど、なかなかできることではない』
「いわれてみれば、そうか」
『いわゆる尋常な魔法使いの運用法は、前衛の戦士が敵を食い止めているあいだに、魔術に集中して術式を完成させ、発動させるというものだ。よほどの修練、慣れ、経験がなければ、戦いながら魔術など発動させることはできないのだ。ゆえにアランが魔術の完成を遅れさせたのは当然のことだ。むしろ不完全とはいえ発動させることができたことこそが、アランが優秀であるということを照明する証左だ。本来ならばこんなあたりまえのこと、いくつかの実践ですぐに気がつく。気がつかなかったという事実は、そのまま、鍛錬のみでここまで腕を上達させたということにほかならない』
実践の経験。思いあたることはある。
そもそも一人で魔物の討伐に繰り出すのが今回が初といってもいい。討伐の経験そのものも、両手の指で数えられるほどだ。
魔剣の指摘は的を得ている、悔しいことに。
ならば今回の豚男たちとの戦いは、非常に危険なものであったのだ。
それを知っていたのか、知らなかったのか、魔剣は討伐に反対をしていた。まことに癪な話ではあるが、魔剣はアランよりも戦いの経験があり、世の中を知っていて、判断が正確なのだ。
だが、いい。ようやく仕事がおわった。
早く帰り、報告をしよう。そしてロレーヌとのわずかな会話で心の澱を溶かすのだ。
『あゞ、アラン。非常に残念な知らせをしなければならない』
魔剣の言葉ののち、集落の奥から出てくるのは、巨大な豚男。
隠れていたのか、たまたま離れにいたのかはわからない。だが、通常とは異なる風貌である。
身体の大きさもさることながら、岩のような筋肉に、口から突き出した牙。こちらに向かって走り出したその速度は豚男とは思えないほどに速い。
異常種であろうか。ごくまれに魔物の中では通常の個体では考えられないような変異を持つ者がいる。総じてそれらの魔物は非常に強力で、凶暴。
アランの背中から首筋まで、嫌なこわばりが走った。
「まだ、残っていたのか」
『あれは手強そうだ。用心したほうがいいぞ』
「だが、一匹だ。近寄るまでもないだろう」
いくら強力とて、たかが一匹。緊張を振るい落とす。
アランは手の平をかざし、魔術を練り上げた。
頭の中で思い浮かべたのは、眩い閃光。閃熱呪文で焼いてから、隙をついて切り裂く算段をつける。
だが、叶わない。
魔術がうまく形にならないのだ。
『ああ、いいわすれていた。不完全な魔術というのは、時間がかかるだけでなく、無闇に魔力を消費してしまうものだ。戦いながら上級魔術を放とうとした弊害だろう。いまのアランに魔力はほとんど残ってないのではないか』
アランは歯を食いしばった。
余計な手間が増えた、と考えたが、頭を瞬時に切り替える。
ならば魔剣で切り刻むのみだ。
最後の豚男へ向かってアランも走り出す。
三十歩、二十歩。距離は近づいていく。
十歩。ここで豚男が意想外の行動に出た。
豚男は巨大な棍棒を下からすくいあげるように振う。
抉れた土砂と瓦礫がアランに向かって飛んでいった。
「ううっ」
豚男たちの血肉、歯、骨、家屋の木片、小石、砂利。
様々な物がアランを襲う。
拳ほどの大きさの石が腹にめりこみ、手足に小石がかすり、こめかみには豚男の歯が通った。
痛みに膝をつくアラン。豚男は距離を縮め、アランの頭に向けて棍棒を振り下ろす。
『転がれ』
咄嗟の動き。アランは魔剣の言葉に従って地面を転がる。
すぐとなりの地面が音を立てて陥没した。
大地を割るような、豚男の棍棒の一撃。
恐怖。それは紛うことなき感情である。
手足の先が冷たくなって、呼吸が荒くなる。
アランは無様に立ち上がり、必死に豚男から距離を取った。
痛い、痛い。アランにとってそれは久し振りの感覚だ。魔物との戦いで自分が傷ついたことなど、数えるほどしかない。とくにここ最近はまるでない。
自分の身体の貧弱さをよくわかっている。まともに攻撃をくらえば、それだけで致命傷なのだ。体力のある男たちとは違い、自分は女なのだ。だから、絶対に、躱し続けなければいけなかったのに。
こめかみから流れ出た血を、袖でゆっくりと拭う。
見れば、血。自分の血。
死という明確な絶望が全身に広がっていく。
『逃げろ、アラン。お前はよくやった。成果は充分だ。だから逃げるんだ。お前の傷は浅くなく、魔力もない。敵は異常種で無傷。勝目はない。あとはわかるな、賢い俺のアラン』
ふとももと脛から、鈍い痛みがじんわりと広がっていく。豚男の飛ばしたつぶてがどこに直撃したのか、ありありとわかる。布地が赤黒く染まっているからだ。
振り返れば豚男は醜悪な笑みを浮かべ、こちらを見ている。
追いかけるでもなく、逃げるでもなく、石を飛ばすでもなく。
あれは、獲物をいたぶる者の目。
逃げる。逃げるのか。
逃げられるのか、いや。
逃げるとは、豚男の討伐を諦めるということ。
王都に帰り父にそれを報告すること。
一度村に帰り、魔力と体調を万全にしてから、再び向かうのはどうか。いや、だめだ、やつが追いかけてくるかもしれない。いまとどめを刺されていないのは、いつでも殺せると思っているからだ。
仮にそうでなく、逃げきれた場合。
だめだ。奴が別のところに被害を出す可能性がある。近くの村、別の村、街道を走る馬車。いくらでも考えられる。
もしそうなったら、どうなのか。
父はいった。討伐を果たせると。
果たせなかった場合、父は。
『アラン、おいアラン』
怖い。心底恐ろしい。
身体の芯を凍てつかせるような恐怖。
父の期待に応えることで、初めて自分は肯定される。
すなわち応えることができなかったら。
『やめろ、落ち着け』
アランの顔からは表情がなくなった。それは不退転の覚悟の現れだ。
柄を握りなおし、呼吸を整えて、ゆっくりと豚男を見すえる。
アランは歩きながら、腰に差していた短剣を抜いた。
魔剣と短剣の二刀だ。
ゆっくり、本当にわずかずつ、アランは豚男との距離を縮める。
『アラン、死ぬぞ!』
慎重に間合を狭め、豚男との距離が十歩ほどとなった。
アランの予想する通り、豚男が棍棒を振り上げ、先程のように地面をえぐって石のつぶてを飛ばそうとする。
その瞬間、アランは短剣を投げた。
それはくるくると回転しながらまっすぐ豚男の顔を叩く。
わずかに顔の皮膚を傷つけるも、致命傷にはならないそれ。
だが、それでいい。アランの狙いは別にある。
顔をしかめた豚男は、まともに前も見れず、棍棒でえぐった地面から飛ぶ石のつぶては見当違いの方向へ飛んでいった。
アランは走り出した。
間合を一気に詰め、豚男の脛を切っ先で撫でる。
豚男はすかさずアランに棍棒を振る。
アランは躱しつつ、また切っ先をあてる。
一度あたれば負けるアランと、あてられない豚男の長い戦いが始まった。




