壱・ピアノフォルテ〜叙情詩(アリア)・2
ビックリして振り返る。聡子しかいなかったはずの音楽室の中に、いつの間に入ってきたのか同じ顔をした女の子が二人、立っている。
見たこともない制服を着ていた。高校生くらいに見える少女たちは、仲良く手を繋ぎあっている。
「だ、誰? どこから入ったの?」
驚きあわてて聡子は二人を見る。最近多い変質者の不法侵入だろうか。それにしては女の子二人と言うのはちょっと変な気がする。
「先生に見つかったら大変だよ。早く出てったほうがいいよ」
少し身を引きながら聡子は二人に語りかけた。同じ顔の二人は、一人は笑顔で、もう一人は無表情に聡子を見ている。
「わたし、音亜」
にこやかにひとりが自己紹介する。
「こっちは優亜。おねえちゃんなの」
無表情の少女が、軽く首をかしげた。挨拶のつもりのようだ。
「だ、だからなに」
いきなり自己紹介されても困ると聡子は眉を寄せる。やっぱり変な人なのだろうか、この二人。
「……要らないところはない?」
無表情に、無感情に思える声で優亜と名乗った少女が聡子に聞いてくる。
「い、要らないところ? なにそれ」
この人たちヘンだ。聡子は痛感した。先生を呼んだほうがいいかもしれない。音楽室の鍵は預かってしまっていて、音楽室担当の先生は職員室にいるはずだ。すでに放課後で、部活も終わる時間。周りに人の気配は薄い。
職員室は音楽室と離れている。大声を上げて聞こえる距離とはちょっと思えない。だからこそ思う存分演奏できるのだが。
それがアダになったと聡子は痛感している。
逃げられるだろうか。足の速さに自信などない。自慢じゃないが運動は大嫌いだ。百メートル走での記録タイムなど自分で泣きたくなるくらい遅い。
双子らしい同じ顔の少女たちに凶器を持っているような感じはないが、昨今いろいろと物騒な時代だ。どんな人物が何をしでかすか分かったものじゃない。
聡子は楽譜を抱えて二歩ほど後退した。音楽室の出入り口までは聡子の足であと十歩ほど。
一瞬で駆け抜けるくらいの足の速さが欲しいと心底から思ったが、無茶である。
「貴女の身体で、要らないところはない?」
にこやかに音亜が話しかけてくる。
「は? か、身体?」
聡子はひきつり、訊き返した。
身体。要らないところ。どういう意味かよく分からないけれど。
やっぱり変態だ。そうに違いない。
「お礼はするよ。だから要らないところがあるのなら、頂戴」
「あなたの望むものをあげるよ。だから頂戴」
望むもの。逃げようとしていた聡子はその単語に反応した。
望み。
「出来るわけないよ」
怯えが去ったわけではないが、聡子はドアのほうに向けていた顔を双子に向けた。
かなうわけがない。聡子の希望はすでに絶たれている。
ピアノを続けたいけれど、すでに周りがそれを許してくれない状況だ。
現実にピアノ教室には母親がすでに辞めることを通告してしまっている。
聡子にはどうしようもなく、ほかの誰にもどうしようもないことだ。
今は無理。どうあがいても無理。
それを覆すことなどこの双子に出来るわけがない。
聡子は息をついて双子に言った。
「ピアノが続けられてプロのピアニストになれるのなら身体のどこだってあげるけどさ。そんなの無理でしょ。大体どうやって身体をあげればいいわけ?」
そこまで言ってからゾッとした。頂戴と言うことは、あげると言ったらこの双子は何をするのだろう? どうやって要らないと言ったところをもって行くつもりなのだろう?
そもそも、要らない部分でいいとはどういうことなのか。
「まさか、切り刻むとかする……? 殺人犯?」
聡子の怯えに音亜は笑っている。邪気などないような笑顔で。
「殺人なんてしないよ。わたしたちは切り刻んだりもしないよ。だから要らないところを頂戴というの。要らないところなら、あとで文句も言わないでしょ? 『要らないところ』なんだから」
「ち、ちょっと待ってよ。だから、どういう手段で身体を持っていくって言うわけ?」
「いろいろ……」
優亜がつぶやく。
その声を聞いて、やっぱり逃げようと聡子は思った。この二人、絶対におかしい。
振り返ってドアまで走る彼女に、双子のどちらかが声をかけてきた。
「ねえ、考えておいてね? 要らないところがあるかどうか……」
***
バタンッ! 勢いよく閉まるドア。鍵をかけることも忘れて走っていく音がする。
「恐がることないのにね」
「要らないところでいいって言っているのにね」
まるきり同じ少女の声が音楽室にこだまする。
「考えてくれるかな」
「考えてくれるよ」
どちらの声なのか。優亜なのか、音亜なのか。
「だって、あの子は望みを捨てられないもの……」




