第一章 家計再建と不良債権の損切り編
FIRE達成の日に死んだ公認会計士、借金50億の悪役令嬢に転生する
「う、嘘でしょう……!? わたくし、死んだはずでは……!?」
ふかふかの羽毛布団の上で跳ね起き、私は自らの両手を凝視した。
視界に入ったのは、白磁のように透き通った肌と、手入れの行き届いた細く美しい指先。
肩からは、陽光を浴びて煌めくプラチナブロンドの縦ロールがこぼれ落ちている。
――ちょっと待ちなさい。私の手は、こんなお人形さんみたいじゃなかったはずよ!?
前世の私は、日本の超大手監査法人で企業の粉飾決算を暴き続けていたシニアマネージャー、敏腕公認会計士だった。
来る日も来る日も数字と格闘し、徹底的な固定費削減、世界株インデックスへの積立、高配当株投資をストイックに継続。
ついに三十五歳にして、純資産一億五千万円を達成したのだ!
『やった……! これで晴れてFIRE(経済的自立と早期リタイア)達成よ! もう理不尽な上司も、粉飾まがいの帳簿もサヨナラ! 一生、配当金だけで優雅に暮らしてやるんだから!』
そう歓喜の涙を流し、記念すべきリタイア初日、奮発して十万円の最高級ヴィンテージワインを買いに出かけた駅の階段で――私は足を踏み外した。
『配当金を一円も使わずに死ぬなんて嫌だぁぁぁぁぁぁっっっ!!!』
あの断末魔の叫びが、私の最後の記憶だったはずなのだ。
なのに、なぜ?
恐る恐る豪華な寝室を見渡すと、彫刻が施された天蓋付きベッドに、豪奢な絨毯、そして姿見に映るサファイアブルーの瞳を持つ超絶美貌の令嬢――。
その瞬間、頭の中に濁流のごとく記憶が流れ込んできた。
私の名は、セシリア・フォン・アークライト。
エルディア王国屈指の名門、アークライト公爵家の令嬢にして十八歳。
そして――我が儘放題で傲慢、周囲から恐れられる典型的な『悪役令嬢』だった。
「お、お嬢様ぁぁぁっ! 目を覚まされたのですねっ!」
バタンと勢いよく扉が開き、小動物のようにパタパタと駆け込んできたのは、ふわふわの栗色髪をお団子にした少女だった。
私の専属メイド、ミアだ。
「ミア……? どうしたのです、そんなに慌てて」
「どうしたのですかじゃありませんよぅ! 階段から滑り落ちて丸一日眠っていらしたんですよ!? 今夜はエドワード王太子殿下が主催される、大事な舞踏会なのです! 早くお支度をなさらないと遅刻してしまいますっ!」
エドワード王太子。そうだ、私の婚約者だ。
だが、安堵のため息を漏らすミアの姿を見ながら、私の元・公認会計士としての職業病が、激しい違和感をキャッチしていた。
「ねえ、ミア。そのエプロン、裾が擦り切れてほつれていましてよ? それと……あの壁の魔導ランプ、点灯管の石が一番安物の濁った青魔石になっていませんこと?」
「えっ……あ、はい……。実は先月から屋敷の予算が厳しくて、消耗品の買い替えが止められておりまして……」
ミアが気まずそうに目を伏せる。
見渡せば、天井からは無駄に巨大な純金メッキのシャンデリアが下がり、壁には高名な画家の油絵がずらりと並んでいる。
一見すると超がつく大富豪の屋敷だ。
だが、メイドの制服はボロボロで、日常の消耗品費が削られている。
(……この匂い、知っているわ。見栄を張るためだけに看板や社用車だけ高級にして、現場の仕入れ代や人件費をケチり始めた、倒産寸前の中小企業の臭いだわ……!)
背筋に冷たいものが走った。
「ミア、今すぐ我がアークライト公爵家の【大帳簿】を持ってきなさい!」
「えっ!? だ、大帳簿ですか!? 舞踏会のドレス選びではなくて!?」
「いいから早く! 一分一秒を争いますわ!」
気迫に圧されたミアが、執務室から埃をかぶった分厚い革張りの帳簿を抱えて戻ってきた。
私はドレッサーの引き出しから普段使いの伊達眼鏡を取り出し、キリッと鼻梁へ押し上げる。
獲物を狙うハゲタカの目が覚醒した瞬間だった。
バサリと帳簿を開く。
……そして、私は開いた口が塞がらなくなった。
「な……なんですの、この落書きは……!?」
「ら、落書きだなんて滅相もないっ! 代々の執事長が誇りを持って書き継いできた、由緒正しき公爵家の大帳簿ですよ!?」
「ただの【お小遣い帳】じゃありませんのーーーっっ!!」
私は思わず絶叫していた。
帳簿に書かれていたのは、ただの日記のような入出金記録だけ。
『神聖歴五二四年三月十日:最新式魔導馬車の購入代金として、金貨五百枚支出』
『神聖歴五二四年三月二十五日:領民からの春の納税、金貨八百枚収入』
「お、お嬢様? 入ってきたお金と出ていったお金が正確に書いてあるんですから、立派な帳簿じゃないですか?」
目を白黒させるミアに、私は眼鏡のブリッジを押し上げながらビシッと指を突きつけた。
「いいこと、ミア? これは専門用語で【単式簿記】と呼ばれる前時代の遺物ですわ! 単式簿記の最大の罠は、『今、手元にある現金』の出入りしか追えない点にありますのよ!」
「て、手元の現金が見えれば十分じゃないですか……?」
「全然足りませんわ! この書き方では、将来払わなければならない『ツケ(買掛金)』や、契約してしまった『リースの支払義務』、そして何より『銀行や商会からいくら借金しているか(負債)』が完全に隠蔽されて見えなくなってしまいますのよ!」
嫌な予感しかしない。
私はベッドから飛び降りると、部屋の隅にある金庫を開けさせた。
中に入っていたのは――銀貨が数枚と、山のように積み上がった怪しげな羊皮紙の束。契約書、督促状、借用証書、そして王都の高級店からの未払い請求書だった。
「ミア、羽ペンと計算用紙を持ってきなさい! 我が家の【貸借対照表】を即席で作成いたしますわ!」
「ば、ばらんすしーと……!?」
ミアがおろおろと差し出した紙に、私は現代会計の基本であるT字の表を素早く書き殴っていく。
左側に【資産】。右側に【負債】と【純資産】。
「まず我が公爵家の換金可能な流動資産……手元の現金は銀貨三千リン(約三千円相当)。領地からの未回収年貢と、この屋敷の調度品を今すぐ二束三文で売り払ったとして……資産価値はせいぜい三億リン(約三億円)ね」
「さ、三億円もあれば大富豪じゃないですか!」
胸を撫で下ろすミア。
しかし、私のペンは止まらない。右側の【負債】の欄に、金庫から引っ張り出した借用書と請求書の数字を次々と書き殴っていく。
「財務大臣ガストン卿の商会からの緊急融資……年利十五%で金貨二万枚!? 王都の金貸しギルドからの担保借入、金貨一万枚!? さらに、エドワード王太子の機嫌を取るために父上が契約した豪華魔導クルーザーの分割リース債務……未払いの宝飾品代……」
ざっと十進法で計算し、現代の通貨単位である『1リン=1円』に換算して合計額を弾き出した瞬間――私の背筋を本物の氷河が突き抜けた。
「ふ……負債総額……金貨五万枚……五億……いいえ……」
「お、お嬢様……? いくらなんですか……?」
カタカタと震える手で、私は最後に赤インクでその数字を書き殴った。
「【五十億リン(約五十億円)】ですわーーーーーっっっ!!!!」
「ご、ごじゅうおくぅぅぅぅぅぅっ!?」
ミアの悲鳴が部屋中に木霊した。
「資産が三億リンに対して、負債が五十億リン……! 差し引き純資産は、【マイナス四十七億リン】! 見事なまでの超弩級・債務超過ですわ!!」
「さ、さいむちょうか……? それってどういうことですかぁ!?」
髪を振り乱すミアに、私は鬼気迫る表情で迫った。
「簡単に言えば、我がアークライト公爵家の全財産、屋敷も領地もわたくしたちの身ぐるみもすべて売り払っても、まだ四十七億円の借金が残るってことですわ!! 完全に破産! デフォルト! 実質倒産状態ですのよ!」
「ひゃあああああっ!? う、うちの公爵家、もう潰れてるんですかぁぁぁ!?」
頭を抱えて座り込むミア。
だが、絶望している暇すらなかった。
借用書に記された金利条項を計算し、私はさらに血の気を引かせた。
「仮に平均年利が十%だとしても……年間で五億リン! 月間で約四千二百万リン! つまり我が家は、ただ息をしているだけで、一日あたり約百四十万リンもの利息がドブに捨てられていますのよっ!」
「い、一日で百四十万円……!? わ、私の月給の何倍ですかそれぇぇぇ!?」
冗談じゃないわ!
前世であれほど血のにじむような節約と投資を重ね、ようやく手に入れた不労所得ライフ!
階段から落ちて転生したら、まさかの借金五十億円からのマイナススタートですって!?
(配当金生活(FIRE)どころか、利息の奴隷として一生タダ働きして死ぬ運命じゃないの! ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁっ! 誰が好き好んで見ず知らずの公爵家の借金地獄に巻き込まれてたまるもんですか!)
私の瞳に、かつて数々の粉飾企業を地獄の底へ叩き落としてきた冷酷な炎が宿った。
「生き延びる道はただ一つ……! 徹底的なコストカットで出血を止め、無駄な固定費を秒単位で損切りし、資産の運用効率を極限まで高めてキャッシュフローを叩き出すしかありませんわ!」
「お、お嬢様……!? 急になんだか凄まじい覇気が……!」
その時、コンコンと控えめに扉がノックされ、老執事が顔を覗かせた。
「セシリアお嬢様。王宮より、エドワード王太子殿下のお迎えの馬車が到着いたしました。今夜の夜会へ向かわねばならぬお時間でございます」
王太子エドワード。
その名を聞いた瞬間、セシリアの記憶の引き出しから、鮮明な事実が芋づる式に飛び出してきた。
エドワード王太子は、プライドばかり高くて見栄っ張りの浪費家。
最近は特待生の男爵令嬢リリアとやらに現を抜かし、公爵令嬢であるセシリアを邪険に扱っている。
それだけならまだいい。一番許せないのは――。
「……思い出したわ。あの男、セシリアの婚約者という立場を利用して、自分が社交界で飲む超高級酒や、リリアに買い与えるドレスの代金を、『アークライト公爵家に請求書を回しておけ』とツケ払いにしていたわね……?」
「は、はい……。旦那様はお人が良すぎて、王家への忠誠心からすべて言い値でお支払いになってしまって……」
ミアが申し訳なさそうに縮こまる。
ピキリ、と私の脳内で何かのリミッターが弾け飛んだ。
自前の借金五十億だけでも虫唾が走るというのに、愛人への貢ぎ物代まで我が家の帳簿にツケ回しにしていただと……?
あの金髪野郎、ただの寄生虫型不良債権じゃないの!
「ミア、今すぐ夜会用の最高級ドレスを持ってきなさい! 髪も完璧にセットなさい!」
「は、はいっ! 王太子殿下にお会いするために着飾るのですね!?」
「いいえ! 戦場へ乗り込むための戦闘服ですわ!」
私は不敵な笑みを浮かべ、伊達眼鏡を指先でクイと押し上げた。
「それから、金庫にあるエドワード殿下のツケ払いの請求書、過去五年分の領収書の束、そして我が公爵家が王家に前払いした持参金三億リンの預かり証書――すべてトランクに詰め込みなさい!」
「えええええっ!? 夜会に領収書と借用証書を持っていくんですかぁ!?」
目を丸くして叫ぶミアに、私はサファイアブルーの瞳を冷ややかに輝かせて言い放った。
「当たり前ですわ。我が公爵家の再生計画・第一フェーズ――【維持費ばかりかかって百害あって一利なしの不良債権(王太子)の損切り】から始めますわよ!」
前世で培った会計知識と法脈の全てを叩きつけて、一リン残らず回収して差し上げますわ!
私はドレスの裾を翻し、夜会の待つ馬車へと力強く足を踏み出した――。
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
「見た目の豪華さ」と「実際の純資産」は別物! 派手な生活をしている会社や人ほど、帳簿を開けば借金まみれの債務超過というケースは日常茶飯事ですわ。
単式簿記(お小遣い帳)の罠に気をつけなさい! 手元の現金の出入りだけを見ていては、将来払うべき借金や分割払いの罠は見抜けませんことよ。
まずは自分の「純資産=資産−負債」を計算すること! 現実の数字を直視して可視化することこそが、家計改善と資産形成の絶対的な第一歩ですわ!
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




